黒いタンバリン
表野ハイツの玄関には、誰が残していったか、黒いタンバリンが一つ置いてある。
そのタンバリンを夜中に鳴らすと、夜な夜な少女の幽霊がやってくると噂されていた。
「どんな少女なんですか?社長」
「可愛らしい少女だったら毎晩全力でタンバリン鳴らすんだけど、生憎その少女はまるで性格の悪い姑みたいに黒い目を光らせてやってくるんだそうだ」
「『目を光らせて』なんて完全にアラ探しモードに入ったヤバい姑じゃないッスか!嫌ッスよそんな女」
やたら霊感の強いゲーム会社社長・御手洗用一(33)と、その右腕、臼井清(25)は得意先に出向いた際に聞いた妙な噂話を、これでもかというほど噂しまくっていた。
会社に戻った二人が他の社員にその話をすると、会社の年長である牛丸謙二(38)が、珍しく驚いたような声を上げた。
「表野ハイツって、俺の管理してる部屋があるアパートじゃないか。ちょくちょく行ってるぞ」
「ええ!?管理って、何してんスか牛丸さん!」
「いや、オーナーになって家賃収入稼いでるだけだよ。
周りに結構やってる奴いるよ?部屋ごとにオーナー違ってたりするし、俺も別に何個か持ってる」
「そういうのに手を出すのが牛丸さんって感じだなぁ」
男のくせにやたら長い髪を後ろでくくった牛丸は、昔から何か面白そうな事があると、顔色一つ変えずに首を突っ込む、妙な男だった。
「そんな面白そうな話があるなら、会社帰りにいっちょ行ってみるか」
――こうして夜、表野ハイツにやってきた3人。
表野ハイツは、下駄箱で靴を脱いで入る、昔ながらのシステムを今でも継承している、アットホームなアパートだった。
下駄箱の上には、表野ハイツの住人達が置いていった色んな遊び道具が置かれている。
「昭和くせぇなぁ。児童館かよここは」
昭和後期を子供時代に過ごした御手洗と牛丸にとっては、懐かしい思い出が次々と蘇ってくるような場所だった。
目当てのタンバリンは、噂話になっている事などつゆ知らず、という感じに堂々と下駄箱の上に置かれていた。
楽しい楽器のはずのタンバリンが黒く塗られている事に、3人は奇妙な恐怖感を感じずにはいられなかった。
その場で鳴らしても雰囲気が出ない、という事で3人は牛丸が部屋を貸している住人の家に上がらせてもらう事にした。
部屋の中はまだ引っ越したばかりで、お酒を飲んだ後の缶がちらほら残っているだけの、殺風景な雰囲気だった。
住人はそのタンバリンを見ると怯えきって、部屋の壁まで思い切り後ずさりした。
「何で持って来たんですか!置いといて下さいよ!」
「でも、無造作に置いてあったし……」
「誰も怖くて片付けられないから下駄箱の上に置いたままなんですよ!もう住人が2人も死んでるんですから!警察に言っても相手にされないしさぁ!」
3人は住人から、事件についての詳しい話を聞いた。
「生き延びた奴が言うには、夜中にタンバリンを叩くと、同じような黒いタンバリンを持った少女が現れて『うそつきゲーム』を持ちかけてくるそうです。
そのうそつきゲームでは『絶対に本心を漏らしてはいけない』というルールがあって、負けたらその少女に首を切られるっていう話なんですよ」
「ふーん、でも嘘つくだけなら簡単じゃないか?」
御手洗がそう言うと、いつもいびられている臼井が御手洗をチラリと一瞥した。
「そりゃ、社長はいつも嘘ばっかりついてますからね」
「てめ、臼井!俺は嘘なんてついてねぇ!とてもできそうにない事を命令するだけだろうが!」
「同じ事じゃないッスか!『できるできる、絶対できる!』って言って、できた試しが無いんですから!」
二人のやり取りにも住人は顔色一つ変えなかった。
「とんでもない。相手の質問はほとんどこちらに関する事ばっかりなんですよ。そうすると、嘘をついている間に、自分という存在が信じられなくなって、しまいには発狂しそうになるそうです。それに耐え切れずについ本当の事を言ってしまうんだと」
「マジかよ。鳴らす前にちょっと練習しとくか臼井。お前の名前は?」
「山下宅造」
「誰だよ!」
臼井をポカリと殴る御手洗。
嘘をついても叩かれるのだから、御手洗の方が凶悪だ、と臼井は思った。
住人を含めた4人は、中央にタンバリンを置き、正座してそれを囲むという、妙な陣形を取った。
「誰が鳴らします?社長」
「臼井やれ!といつもなら言うところだが、流石に生死がかかってるからな……ここは場慣れした牛丸さん頼みます!」
「あくまで人にやらせる所が、さすがは社長っスね」
牛丸は年長者として覚悟を決めたようだった。
「分かった。俺も腐ってもオーナーだからな。貸したアパートの不備は俺の不備!やってやろうじゃないの!」
「よし、幸運にもまた牛丸さんに変なスイッチ入ったから、もう安心だ!」
牛丸はタンバリンを優しく持ち上げ、息を飲んだ。
そして、まるで神社の参拝のように大きく二回、パンパンと神妙にタンバリンを鳴らした。
……だが、シーンとした空気が場に広がっただけだった。
この状況を半ば予想していた御手洗は、また臼井を叩いて場を和ませようと右手を上に上げた。
「何も起きねーじゃねー……」
だが叩こうとした御手洗の視線の先に、青白い顔をした黒い衣装を来た人形のような少女が立っていたのである。
その少女の目線は、まっすぐ牛丸の元に向かっており、牛丸はその少女と目を合わせたまま、放心状態になっていた。
少女は黒いタンバリンをかかげ、牛丸を見てニコリと笑った。
「うそつきゲームしましょ。本心を出さなければあなたの勝ち」
「い、いいぜ……」
少女はパンパンとタンバリンをリズムよく二回鳴らした。
「あなたのお名前は?」
「ジョ、ジョン・F・ケネディ……」
「いきなりすごい嘘きた!さすがは牛丸さん!」
少女は優しく微笑した。
「あなたの職業は?」
「大統領だよ」
パンパン
「大統領ってどんな仕事?」
「鼻くそほじって机の上に並べたり、バーベキューしながら今しがた考えたアメリカンジョークを披露したり、白いペンキを山程買ってきてホワイトハウスの白さにいっそう磨きをかけたりするのが仕事だよ」
「暇な大統領だなおい!」
このゲームは最初、楽勝ムードで始まった。
が、牛丸は質問されるほどに、なぜか自分の本心が何かに誘導されて今にもポロリとこぼれそうなほど、牛丸自身に迫ってくるものになっている事に気づかなかった。
少女はまるで牛丸の生みの親であるかのように全てを知り尽くしていたのである。
「あなたは結婚したいと思う?」
「結婚?したくないね。結婚なんて自由と引き換えに一時の幸福感が得られるだけの妙なシステムの事だろ」
「どうしてあなたはそんなに強がっているの?」
「強がってねーよ!」
本心を摘み取るゲームは、質問の内容や答えそのものにはそれほど意味はないと、牛丸自身は気づいてはいなかった。
「どうしてあなたは結婚の事になると声を荒げるの?」
「荒げてねーよ!至って冷静だよ!」
「何かを隠そうとしているの?」
「何も隠そうとなんてしてない!」
「じゃあ結婚したくないというのは本当なのね?」
「した……したいよ!したいんだよ!あ!」
牛丸は思わず自分の口を塞いだ。嘘はちゃんと付いていたのに、本心を吐露した事を自分で認めてしまったのである。
「本心が出たわね……」
「待て!どこに本心だって証拠があるんだ!」
少女は無言で自分の持っているタンバリンを横に振って鳴らしてみせた。
すると、黒いタンバリンの横に付けられた丈夫な金属製の円盤が高速で回転し出した。
それは虫歯治療のドリルのような甲高い金切り声を上げて、心弱き者を処刑する為に飛んでいった。
「心が弱さを見せた時、隠れていた『本心』が顔を出す」
牛丸の首が勢いよく真っ二つに切られたかと思うと、生首が天井に届かんばかりに跳ね上がり、御手洗達の前に転がった。
二人は、恐怖に驚愕しながら死んだ者のおぞましい死に顔に戦慄した。
「次は……あなたね」
*
二人目の犠牲者は臼井清だった。
「あなたのお名前は?」
「山下宅造」
「あなたは本当に好きでゲーム作りをしているの?」
「違うよ。好きじゃない」
「好きでもないのにやっているのは、それしかできないからでしょう?」
「違う!何でもできるけどあえてゲームを作っているんだ!」
少女は気弱な臼井に大きく揺さぶりをかけてきた。
「それじゃ諦めているのね。本当はもっと充実した仕事があるのに、自分がひ弱で、性格も暗いから諦めている。本心では現状に満足していないのでしょう?」
「僕は何もかも満足している!」
「そう。そうね。あなたは何もかも満足している。このままでいい。だから早くこの下らない人生が終わる事を願っている」
「違う!終わって欲しくなんかない!あ、あれ!?」
「『本心』を言ったわね」
少女の目が大きく開いた。
すると、黒いタンバリンがまたも甲高い音を立てながら、臼井の首も跳ね飛ばしてしまった。
相手の嘘に対して、少女は真に受けて応える為、相手は嘘に嘘を重ねて、ついには耐えられなくなってしまうカラクリである。
「諦めは心の弱さ」
*
「どういう事だ?ふたりとも急に倒れたぞ?」
牛丸と臼井は急に御手洗達の前で倒れた。首は繋がったままで、血も一滴も流れていない。
御手洗達はこれまでの牛丸や臼井に起きた事を体験してはいなかった。
「死んだんですよ、多分」
住人は諦めたように、冷静にそう言い放った。
「死んだ、だと?血が流れてないじゃないか」
「今まで死んだ人間はみんな原因不明の心臓麻痺でした。この二人もそうでしょう」
「ちょっと待て!首を切り落とされるって言ったじゃないか!」
「それは生存者がそう言っただけで、実際にはそいつには傷一つついていませんよ。頭がおかしくなって、現実と妄想の区別が付かなくなっただけなんじゃないですか?俺はあくまでそいつが言った事をそのまま言っただけですから」
まだ状況を把握できていない御手洗が少女の方を見ると、少女は今度は御手洗に目を合わせてきた。
黒く深い目が、御手洗の心を支配しようと睨んできたのである。
「とすると、俺も今この瞬間、『別の世界に引きずり込まれた』のかもしれないって事か」
御手洗はポケットに手を突っ込むいつものスタイルを取った。
少女はいたずらっぽく笑みを浮かべて御手洗に近づいてきた。
「うそつきゲームしましょ?」
少女はタンバリンをパンパンと二回鳴らした。
「あなたのお名前は?」
「御手洗用一」
「えっ?」
「御手洗用一」
「いきなり!?」
少女は柄にもなくたじろいだが、すぐに気を取り直した。
「いい度胸ね……あなたそんなに死にたいの?」
「……」
黒タンバリンが甲高く唸りながら、御手洗の首を飛ばそうと近づいてきた。
御手洗は微動だにせず、いつもの眠たそうな目を開けたまま、迫り来る運命を受け入れた。
*
――御手洗は元の世界に戻った。
相変わらず二人は倒れており、住人は部屋の隅で頭を抱えて震えていた。
そこには何もなく、少女の姿も、彼女の持つ二つ目の黒いタンバリンも存在しなかった。
御手洗は急いで倒れた二人の生死を確認した。
住人は御手洗がいつまでも無事なのを不思議に思って話しかけた。
「あなたは大丈夫なんですか?幽霊と目が合ってたみたいですけど……」
「……これは夢魔の仕業だ」
「夢魔?」
「夢を見させて、相手を陥れる悪魔だ」
住人は何が何だか分からないといった様子だった。
御手洗は二人の生死を確認すると、住人に話しかけた。
「……あんたさ、この世で一番怖い人って誰だと思う?」
「さ、さぁ……」
「実在する殺人鬼だよ。それに比べれば幽霊の少女なんて屁でもないだろ?
人は理解できないものを恐れる。他人でも幽霊でもな。だから怖いんだ。でも一度相手を理解すれば不思議と怖さは吹っ飛んで、仲良くなる事だってできる。
こいつらは恐怖に過剰反応してショックを受けただけなんだ。今まで死んだやつらは恐らくそれに耐え切れずにショック死したんだろう。この二人は気絶しただけで済んだみたいだがな」
御手洗がそう言うと、牛丸と臼井はムクリと起き上がり、お互いを確認した。
「なんか変な夢見ちまったな」
「僕もです。首を切り落とされたと思ったら、首を切り落とされた僕の目が、僕の体を見ていたんです」
御手洗はワハハと大きく笑った。
「大した肝っ玉だよ、臼井。そ、夢なんだよ。恐怖も夢もどこまで行っても現実にはたどり着かない。人の心が作り出すものだからな」
御手洗は黒いタンバリンを持って、部屋を出ようとした。
「ま、ゲームのアイデアの足しにはなったな」
「社長、そんな事考えてたんスか!?」
「まーな。つまんねー現実は、ゲームでも作って楽しくしねーとな、臼井」
「は、はい!でもアイデアって何の?」
「モンスターが一匹。名前付きのな」
こうして黒いタンバリン事件は幕を閉じた。
黒いタンバリンは御手洗が処分するという事で持って帰る事になった。
起きてからほとんど何も喋らなかった牛丸は帰り道の途中で、突然発狂したかのように叫び声を上げた。
「夢オチかーい!」
腫れ上がったような大きな満月が、3人の帰り道を明るく照らしていた。
*
少女が御手洗の首を飛ばす直前、少女はタンバリンを御手洗の首元で寸止めした。
御手洗はポケットに手を突っ込んだまま、首だけを少し上に向けていた。
「私の最初の質問に、正直に答えたのはあなたが初めてよ。誰もが必ず嘘の名前を答えたっていうのに」
「ふーん。何かくれるのか?」
「お礼に私の名前を教えてあげる。私は夢魔ブラキア」
「夢魔か。よし、俺のゲームに登場させてやろう」
「偉そうねあなた」
「社長だから偉そうなんだ。悪いな」
夢魔はどこまでも正直な御手洗に好感を覚えたようだった。
「あなたとはまた会いたいわ」
「会えるさ。夢の中ならいつでも、な」
そう言って御手洗は笑った。