飴玉とコーヒー
ソウルの全身に緊張が走った。
素早くツキハミに視線を飛ばす。彼女はチャイム音がどこから飛び出したのか不思議らしく、周囲をきょろきょろ見回している。
ソウルは「部屋を片付ける。ちょっと待ってて」と言ってインターホンを切った。
「ツキハミ、おいで」
ソウルはツキハミを抱きかかえ、隠れられる場所はないかと周囲を見渡す。 「ここじゃダメだ」
ソウルはリビングから出て、ベッドルームに入った。ベッドのわきにツキハミをおろし、ベッドの下を彼女にしめす。
「ここに隠れて」
「どーして?」
「いいから」
半ばむりやりツキハミをベッドの下に押し込むと、ソウルはシーツの端を垂らして隠した。急いでベッドルームから出て玄関に向かう。
呼吸を抑えてドアを開けた。
「やぁ、こんばんは」
ドアの向こうには鉄面皮が立っていた。彼はスーツを着ていたが、ネクタイはしていない。
ソウルはドア枠によりかかり「何の用だ」と訊く。
「なに、キミが早退したと聞いてね。なにか体調でも悪いのかと心配になったのさ」
「そりゃどうも。ご覧のとおり元気一杯さ」
肩をすくめる。
「それじゃあどうしてはやく帰ったりしたんだい?」
鉄面皮の無機質な視線がソウルの目を射抜いた。ソウルはまっすぐに見返した。
「プライベートだ。詮索する権利はないだろ」
「それもそうだね。キミは手続きもきちんとやった」
鉄面皮はからかうように首をかしげた。
「そしてキミは心配する友人を玄関先に立たせっぱなしでもある」
「コーヒー一杯だけだぞ」
ソウルは鉄面皮を招き入れた。
ダイニングにやってきた鉄面皮はソファに腰かける。
「マンデリンのカフェオレがいいな。角砂糖は5つ」
「ネスカフェのインスタントだ。砂糖もなし」
ソウルは鉄面皮の前にマグカップを置いた。
「ありがたい、大好物なんだ!」
鉄面皮は嬉しそうな声をあげ、無表情でコーヒーをすする。ソウルは彼がよく見える位置の壁によりかかった。
「それで、ホントのところは?」
「前回の月喰の襲来で見落としがあった」
鉄面皮はソウルを見る。
「見落とし?」
ソウルは眉根を寄せた。
「2日前、キミに月喰を迎撃してもらったろ? その直前、月喰が体の一部を分離させていた形跡があったんだ」
「なに?」
「分離した月喰はそのまま燃え尽きず地球に落下した可能性がある……ところでソウルくん」
「なんだ?」
「まさかキミがペドフィリアだったとは知らなかったよ」
「あっ!?」
鉄面皮が指さした方向を見て、ソウルは声をあげた。彼らの視線の先、部屋の入口ではひとりの少女が顔を覗かせていた。少女は大きな声にびっくりしたようで、目を丸くしていた。
「おま、ベッドルームに居ろって……」
「いたいけな少女をベッドルームに連れこんでナニするつもりだったんですかねぇ」
「ちがう!」
「じゃあなぜ隠す?」
鉄面皮がソウルを見た。
嫌な展開にソウルは舌打ちした。
「べつに隠してたわけじゃない」
「ほーら、おいでおいで」
鉄面皮が猫なで声で手招きした。ツキハミはおそるおそるリビングに入り込むと、ソウルの足元に駆け寄ってしがみついた。
「姪だよ。兄貴夫婦が旅行でね。預かってくれって」
「なるほど。名前は?」
「……は、ハナコ」
「まるで今考えたかのような名前だなあ」
ソウルはぎくりとした。
鉄面皮は立ち上がってソウルのそばに移動すると屈み込み、両手を広げてツキハミに話しかける。
「ほらハナコちゃん、おいでー。おじちゃんはソウルくんのお友達だよー。怖くないよー」
しかしツキハミはじっと鉄面皮を見つめるだけで動こうとしない。彼は少し落胆したようなしぐさをした。
「なかなか引っ込み思案だね。こんなに満面の笑みなのに」
「おまえ表情筋無いだろ」
「ではやり方を変えようか」
鉄面皮は上着のポケットからビニールに包まれたキャンディを取り出し、手のひらに乗せて見せつけた。ツキハミは目をぱちくりさせて、カラフルな包み紙に興味を示す。ソウルは彼女を引き止めたかったが、そうする理由がなかった。
ツキハミが手のひらのキャンディを掴むと、直後に鉄面皮は彼女の手を引いて抱きかかえた。そして優しくあやしながら立ち上がる。
「かわいい子だ、きっと美人になる。天然ものの美人は希少だ」
「話が途中だろ」
ソウルは、鉄面皮が彼女に注意を向けてほしくなかった。もし彼女が月喰だとバレれば何が起こるか、想像に難くない。
「そうだね」
鉄面皮はツキハミを抱きかかえたままソウルを見た。
「分離した月喰はどうやらこのあたりに落下したらしい。もしかしたら夜道でばったり出くわすかもね」
鉄面皮の視線からはその感情は読み取れない。
「予測重量は約15.5キログラム。だいたいこの子と同じくらいの重さだ。予測体長は約100センチメートル。だいたいこの子の身長と同じくらいの長さだ。予測体積は――」
「――何が言いたい?」
ソウルは鉄面皮を睨んだ。殺気みなぎる視線をうけ、鉄面皮は笑ったように見えた。
「『気をつけてね』ということが言いたい」
鉄面皮はツキハミを床に下ろした。それから彼はソウルに背を向けると、テーブルのマグカップを再び手にとり、中身を飲み干す。
「第二級機密事項だからね。通信回線を通さず、直接会って話したかったのさ」
「なぁ、もし――」
ソウルは彼の背中に話しかけた。
「――俺がその月喰と遭遇して、捕まえることに成功したら、どうする?」
「そうなれば大快挙だ」
鉄面皮はゆっくりと頭を傾けて、肩越しにソウルを見た。
「月喰の研究はこの15年ほとんど進んでいない。わかっているのはスペシウムが有効だということくらいだ。しかしこれだって調査船の事故による偶然の発見にすぎない。スペシウムは火星にしかない鉱物だし、極めて希少だ。もし月喰の生きたサンプルが手に入ったのなら、我々は彼らを殺せる方法がほかにないか、全力で探るだろうね」
「つまり……」
「拷問だよ」
鉄面皮はふりかえり、じっとツキハミを見つめる。ツキハミは不思議そうな顔で見つめ返す。
「叩いて潰して切って焼いて、電気を流して水に沈めて、毒ガス吸わせてウイルス注射、パッと思いつくだけでもこれだけできる。ほかに何があるかなぁ……わくわくするね!」
ソウルは眉間にシワを寄せながら彼の言葉を聞いていた。
「……変態め」
「人類を守るために必要なことだよ。月喰は人類の敵だって、キミもわかっているだろう?」
鉄面皮は再びかがんで彼女の頭を撫でた。ツキハミはくすぐったそうに笑った。
「それじゃあそろそろお暇しますか」
鉄面皮は立ち上がって、つま先を玄関に向けた。彼は上着の襟をただした。
「キミ、明日は非番だっけ?」
「ああ」
「ゆっくり休んでくれたまえ。何か変わったことがあったら、すぐに報告するように」
「……ああ、わかってるよ」
「じゃあ、さようなら」
鉄面皮はそうして玄関を出ていった。
残されたソウルはやっと解けた緊張に長く息を吐く。視線がツキハミとぶつかった。彼女は鉄面皮からもらったキャンディをつまんで眺めている。
「ちょっと貸してくれ」
ソウルはキャンディをとりあげると包み紙を開いた。中身は透き通った、宝石のような飴玉だった。
「……盗聴器じゃあなかったか」
ソウルは安堵した。
「そーる、そーる」
ふと見ると、ツキハミがソウルを見上げていた。
「そーる、『ともだち』ってなに?」
「友達?」
ソウルは苦笑しながら彼女と目線の高さを合わせた。なんだか恥ずかしいような、切ないような気持ちになって、ソウルはツキハミの頭を撫でた。
「友達っていうのは……そうだな」
ソウルは指でつまんだままの飴玉をツキハミに食べさせてやった。ツキハミははじめてのつよい甘さにびっくりしたようで、目を見開き、嬉しそうに両手で口を抑えた。
「そういうのを一緒に感じたいと思う相手のことだよ」
「じゃあ、そーるも友達?」
ツキハミはソウルを見て言った。ソウルは一瞬絶句して、それから頬を緩めた。
「ああ……そうだよ」
ソウルは微笑んだ。
「俺たちは友達だ」
銃弾が窓ガラスを破り、ソウルの体が吹き飛んだのはその直後だった。