晩夏のかぐや姫。
太陽が真上にやってきたころ、基地の建物の屋上で気絶するように眠っていた鏑矢ソウルは、静かに目を開けた。
数十分も硬い床に転げていたせいで、体の節々が痛い。ぼんやりする頭をもたげて横を見ると、彼はほんの少し驚いた。
「おはよう、ソウル」
カグヤが隣に座って微笑んでいた。ソウルが頬を緩めて上体を起こす。
「今回はちゃんと服を着ていたな」
からかって言うと、カグヤは顔を赤くして身を縮めた。
「あ、あのときはまだ知らなかったから」
「冗談だよ」
ソウルは笑って、息をつく。その表情には疲労の色がありありと出ていた。カグヤが心配そうに言う。
「ソウル、疲れてるね」
「まぁな。いろいろあったし……さっき、スピリットを病院に引き渡してきた」
「えっ……言ってくれれば手伝ったのに」
「俺なら、俺の好きな人に自分の後始末はさせたくない」
真剣な表情でソウルは言った。カグヤはますます縮こまった。
「それに、俺より疲れてる人たちの方が多い。へこたれてる暇は無いよ」
ソウルは立ち上がって、屋上のフェンスまで歩いて指をかけた。目を細めて遠方を眺めやる。彼のとなりにカグヤも並んで、彼と同じものを見る。
「あと5時間弱で打ち上げだ。もうすぐだな」
「……うん」
少し寂しそうにカグヤがうなずく。
ふたりの視線の先には、穏やかな大西洋と、入道雲の浮かぶ透明な空を背にして、第39番Aロケット発射台がそびえている。今、その発射台にはいつもの鉄巨人の卵ではなく、まっすぐなオレンジ色のロケットが固定されていた。
サターンⅤロケットだった。
「ヒトって、すごいね。150年前の機械でも、たった数時間で使えるようにするんだもん」
「150年の積み上げがあったからこそだ。昔は打ち上げるために何日もかけたんだってさ」
「あれに、乗るんだね」
「ミタマとふたりでな」
「ちょっと怖いかも」
「オンボロで悪いな。今すぐに使えるのがあれしかなかった。カーゴは鉄巨人が乗らないとバランスがとれない」
「そんなことないよ。今すぐに私たちを帰さないと、ソウルたちが怒られちゃうんでしょ?」
「ああ。月民と人間との関係に一番注目が集まっている今が一番世界的な影響が大きいんだと」
「月民?」
カグヤは不思議そうな顔をする。
「ツキタミ。月喰じゃあどうにもイメージが悪いから、月の人って名前に変えろってさ」
肩をすくめるソウル。
カグヤは、その名前をたしかめるように口の中で転がした。
「月民。いいね。私もそっちのほうがいい」
「ミタマも呆れてそう言ってたよ」
ふたりは笑いあう。ふと、ソウルが思い出したように言う。
「そういえば、レベッカは?」
「いつの間にか帰っちゃった。ソウルによろしくだって」
「そうか……まぁ、あのボディであんまりひと目に触れるのもまずいだろうし」
「あとでお礼しなきゃね!」
カグヤがにっこり笑う。ソウルも笑いかえす。
「レベッカおねえちゃんだけじゃない。ミタマさんにもそうだし、兵隊さんたちにも、消防士さんたちにも、基地の科学者さんたちにも、この町の人たちにも、この国の人たちにも……この星の生き物みんなにお礼をしなきゃ!」
「おいおい、俺の名前がないぜ」
「あ! もちろん、ソウルにもするから! たくさんするから!」
慌てふためくカグヤのおかしさに、またソウルは笑う。からかわれたのだということに気づいて、カグヤは頬を膨らませた。
「ひどい」
「悪かった悪かった」
ソウルは笑いながらカグヤの肩を叩いた。彼女はしばらく不機嫌な顔をしていたが、やがて目を細め、黒い大きな瞳をうるませ、まっすぐに彼を見た。
「ソウル」
そして彼女は破顔した。
「ほんとうに、ありがとう!」
カグヤはソウルに抱きついた。ソウルも彼女を抱きしめ返した。
晩夏の蒸し暑い空気のなか、目前に迫った別れから目をそらし、ふたりは静かに重なっていた。
「……大丈夫だよ、カグヤ。俺たちはまた会える。近い未来に、また会えるよ……」
そうつぶやいたソウルの網膜には、新しいメッセージを受信したという知らせが出ている。それはソウルが目覚めた直後からあって、彼は開封をためらっていた。なぜならば、メッセージの差出人の欄には、見たくない名前があったからだ。
『鉄面皮』からだった。




