朔月ミタマ。
「おーい! 大丈夫ですかー!?」
兵士たちを引き連れたレベッカが手を振りながら、ソウルたちのところへと歩いてくる。
ソウルはスピリットの死体から目を離すと手を振り返した。
「いやー! 上手くいきましたね! 作戦大成功! それもこれもなにもかもカブラヤさんたちのおかげですよ!」
明るい調子で彼らに近寄ったレベッカは、地面に倒れているスピリットと、そのそばで嗚咽を漏らすカグヤを見て、何があったのかに気づいたようだった。バツの悪そうな様子で口をおさえ、すまなそうにソウルを見る。ソウルは頭を振った。
「いや、気にするな。今はほかにやることがある」
ソウルはそう言い、あらためて辺りを見渡した。
基地はめちゃくちゃになっていた。見える範囲の建物はみなぺしゃんこになっていて、あちこちで火災が発生している。なかでも、数百メートル向こうで仰向けに倒れている鉄巨人周りはとくに酷かった。ロケット燃料を大量に爆発させたせいで、見上げるほどに背の高い炎の壁が地面を覆い、濃くどっしりとした黒煙が、まるで墨をぶちまけたように夜空をさらに黒くしていた。このまま放っておいたらどこまで被害が広がるか、誰にもわからないほどの大火災だった。
「消火活動だ! 街からの消防車と救急車はどんどん入れろ。軍事機密なんか気にするな! 今はこの火と逃げ遅れた負傷者をなんとかするのが先だ」
「避難誘導にあたらせていた全分隊より報告あがりました。職員、スタッフはすべて無事です」
分隊長のひとりが言った。
「よし。じゃあみんな銃を捨てろ、消火器を手にとれ! 今はまだ平気みたいだが、火が燃料倉庫や武器庫のほうにまわる前に消火するんだ! 各自、行動開始!」
兵士たちが散らばっていく。レベッカとミタマも彼らに続く。
カグヤも顔をあげ、目もとを拭って歩きだした。離れようとして、彼女はもう一度スピリットを振り返って小さく手を振る。彼女が後ろをふり返ったのはそれが最後だった。
ソウルは自分の上着を脱いでスピリットの顔を隠す。
「悪いな、もうちょっと待っててくれ」
ひとりごちて、火の海に向かってソウルも走り出した。
集まった人々の懸命な消火活動にも関わらず、火の勢いはなかなか弱まらなかった。
地面は無数の消防車で埋め尽くされ、空からは消火剤の雨が降り注いでいるが、炎の海は人々のそんな努力をあざ笑うように夜空を煌々と照らしている。
「駄目だ、火の勢いは強まっていないが、弱まってもいない。消防士たちも頑張ってくれているが……」
バナナ川にかかる橋のたもと、臨時の本部となったテントの中で、兵士たちからの報告を受けたミタマが悔しそうに言った。消防隊長とともに立ったままテーブルを囲むソウルは、渋い顔で基地の地図を見下ろす。
「敷地の北方、旧ケネディ宇宙センター方面への延焼は最優先で食い止めています」
消防隊長が言った。うなずくソウル。
「あそこには燃料倉庫がありますし、NASA時代の施設が生きたまままるごと残ってる。燃やされるわけにはいきません」
「火が弱まらない原因は中心部の勢いです。強すぎて水をかけても無意味、消火剤をちょろちょろかけても焼け石に水です」
「火災旋風が起きてない分ラッキーです。何か手はないんですか?」
「方法はふたつあります。ひとつは自然鎮火を待つことです。見込みでは最低20時間以上かかりますが……」
「もうひとつは?」
「上空から火の中心に向かって、大量の消火剤を一気に投入するんです。しかし今、ここ以外の周辺地域からも消火剤を取り寄せてますが、計算ではそうして得られる総量の2倍以上必要です」
「現実的じゃないね」
顔をしかめるミタマ。彼女は、自分の顔をしげしげと眺める消防隊長の視線に気づくと、訝しげに彼を見た。
「なにか?」
「あ、いえ、失礼しました。ほんとうに人間そっくりだなと」
「なぜ知っている?」
「あなたがたの戦いは生中継されてましたから、それで。いや失礼、今はそんな場合ではないですね」
「生中継? 基地上空は報道も含めた民間ドローンの飛行禁止区域だろ?」
「あんなに目立つものが暴れてたんだ、ドサクサ紛れにカメラ付きドローンを飛ばしたやつがいたんだろ。実際、俺たちは気がつかなかったし」
ソウルの言葉に、ミタマは腑に落ちない様子で黙り込んだ。
「……仕方ない。自然鎮火を待つしかないか」
ため息をついてソウルが落胆した。消防隊長もうなずく。
「それが一番確実です」
「こんなことしてる場合じゃないっていうのに……!」
そのとき聞き慣れない音が聞こえて、ソウルは顔をあげた。ミタマと消防隊長も気づいて不可解な顔をする。ソウルはテントを飛び出して、空を探した。
聞こえた音は、重くて力強いエンジン音だった。ドローンやヘリコプターのプロペラ音とは違う、下腹に響く唸るような音は、紛れもなく軍用飛行機のエンジン音だ。ソウルは近くの消防士が操るドローンのモニタに飛びつき、東の空にカメラを向けさせた。
「これは……!」
ソウルは目をみはった。モニタ越しに見える大西洋の空に、綺麗な編隊を組む軍用爆撃機が飛んでいた。しかもまっすぐこちらに向かっている。
「統一EUの長距離爆撃機!?」
「ソウル、この音は軍用機だ!」
ミタマもテントから飛び出してきて、モニタを見て青ざめた。
「どうして爆撃機が!」
ソウルが険しい顔で空を睨む。
「最悪の展開だ……」
ミタマがうつむく。
「月喰以後、各国の軍隊は宇宙軍だけになったはずだったのに、あいつらはこっそり従来の軍備を隠し持っていたんだ。そしてオールド・ワンズが居なくなり、宇宙軍もめちゃくちゃになったのを知って、合衆国に攻め込んできた……世界はまた戦争になる」
「なんだって!」
「やはり、人間はその程度でしかないのか……?」
悲しげにうつむき、下唇を噛むミタマ。
「――いや、待て! ミタマ、あれを見ろ!」
ソウルが空を指さして、ミタマが見た。
爆撃機は海岸を越え、並んだ発射台を越え、基地の上空へ到達するところだった。機体下部の投下口が開いている。そこから燃え盛る炎の中心に向かって投下されたのは、大量の白い粉末だった。
「あれは消火剤だ!」
「親愛なるグーグル合衆国の人々へ」
周囲の無線機にノイズ混じりの通信が入る。誰かが調整すると音声はクリアになった。
「我々は統一EUスペイン自治区マラガ基地よりやってきた、統一EU月喰迎撃宇宙軍である。我々は武装していない。我々の目的はグーグル合衆国の人々と、君たちとともにいる月喰の少女たちの支援である。繰り返す。我々の目的は支援である……」
消防士たちから歓声があがった。爆撃機たちは消火剤をひとしきり投下すると、基地上空を大きく旋回する。それを見た兵士のひとりが近くの分隊長に声をかける。
「着陸場所を探してます。近くの空港を使わせてもらいましょう」
「わかった。スペース・コースト・リージョナル空港へ連絡しろ」
分隊長は無線を手にとる。
「貴国の手厚い支援に感謝する。消火剤投下が完了したら、ヘリの誘導に従ってくれ」
「隊長、あれを!」
兵士が南の空を指す。さっきのとは違う種類の飛行機が数機飛んできていた。
「あれはメルスコール国の空挺輸送隊!」
それらの輸送機たちは消火剤のほかに、パラシュートをつけた箱もいくつも投下していく。中身は医薬品だった。
「東中国、西中国、アセアン国、イギリス、統一AU、その他、世界中から支援の申し出が届いています!」
飛び交う兵士たちの声に、ミタマは信じられない面持ちでその様子を眺めていた。ソウルは彼女の横に立って並び、笑った。
「良かったな、ミタマ」
「あ、ああ……」
「……どうした?」
ソウルは驚いた。ミタマが涙ぐんでいた。
「いや、ちょっと、情けなくてね、自分が」
「いきなりどうしたんだよ、いつもクールなミタマが珍しい」
「言ってくれるね」
目をこすりながらミタマは笑う。
「どうやらオールド・ワンズと戦ううちに、悪い影響を受けすぎたみたいだ。今気づいたよ。私は、口では人との可能性だとか言っておいて、その実、これっぽっちも人を信じていなかったんだ……恥ずかしいよ」
「恥ずかしがることはないさ」
ソウルはミタマの背中を叩いた。
「ミタマのそういう疑い深さも、これから必要だよ。カグヤは人間の良い面だけを見すぎてる。でも人間は、綺麗なものだけでできてるわけじゃない。裏切りや憎しみも、愛や友情と同じに、たしかに人間の真実の顔だ」
「……ありがとう。だけど私は、だからこそ、今度こそ、人間を信じてみるよ。勝ちの決まっているギャンブルは楽しくない」
「ひっでぇな、ギャンブル扱いかよ」
ソウルは笑った。ミタマも笑う。
「未来はいつだって不確定さ」
東の水平線が白むころ、グーグル合衆国月喰迎撃宇宙軍基地の火災は完全におさまった。
ソウルは通信で合衆国大統領に事情を説明し、カグヤたちを月に帰そうという考えを伝えた。
「いろいろ言いたいことは山ほどあるけれど」
合衆国大統領は言う。
「一夜にして、世界は人類と月喰の友好に向けて動き出した。我々が遅れをとるわけにはいかない。すべて任せるわ、鏑矢ソウル迎撃士。月喰を月に帰すためのあらゆる手段を認めましょう」
「ありがとうございます」
「ただし、ふたつ条件があります」
「なんでしょう」
「ひとつ、必ずこのグーグル合衆国の国内から彼女たちを月に帰すこと。ふたつ、必ず我が国の技術だけを用いて彼女たちを月に帰すこと。これらは今後の外交上、必ず強力な武器になります」
「……鉄面皮の気持ちがわかったぜ」
「よろしいですね? では、期待していますよ」




