恐怖と理性。
スピリットは地面を蹴って跳び上がり、近くの建物の壁を蹴ってさらに上昇。一気にサンダルフォンの胸の高さまで上がる。目の前の彼を握りつぶそうと、サンダルフォンは左腕を持ち上げて襲いかかる。だが重量各2300トンの腕は地球の重力下ではのろく、スピリットはあっさりと動きを見切って、捕まる直前、逆に巨人の手首の上に乗った。そして刀を振るい、親指のつけ根を斬りつける。甲高い音がして、超振動する刃が弾かれた。
「さすがスペシウム合金!」
スピリットは興奮した様子で声をあげ、さらに跳ぶ。サンダルフォンの顔面まで上がると、素早く眉間を攻撃した。だが刃は再び弾かれる。スピリットは舌打ちしながら鼻先を蹴り、宙返りして地面へと落ちる。
着地したところには、サンダルフォンの足を攻撃していたソウルが、息を切らして戻ってきていた。
ふたりは互いの背中を守るように刀をかまえる。
「無理するな、見たところおまえのボディは一般用じゃないか」
「俺が倒れてもおまえがいるだろ」
ソウルの言葉にスピリットは苦笑する。
サンダルフォンは目の前に立ったまま、片手の剣を地面に突き刺し、ゆっくりと腕を組んでふたりを見下ろした。
「おやおや、スピリット――いや、鏑矢ソウル迎撃士」
いきなり、鉄面皮の声が周囲に反響した。声は基地内の放送用のスピーカーから流れている。
「いったいどういうわけだい? なぜキミが月喰たちに味方しているんだ?」
スピリットはソウルを一瞥し、それから声を張り上げる。
「月喰は人類の遠い兄弟だから、仲間だからだ!」
「なるほどねぇ。でもキミは今までたくさん月喰を殺してきたじゃないか。人類と月喰は兄弟同士だが、敵同士だろう?」
「あれは誤解だった! 月喰に人類と敵対する意思はなく、むしろ仲良くなるためにやってきたんだ! 俺たちはわかりあえる、敵同士なんかじゃない!」
「それを証明できるのか? 月喰が、バケモノが人を襲わないという証拠は?」
「カグヤがいる!」
言葉を引き継いだのはソウルだった。
「彼女は月喰だが、とても優しくて、強い意思を持っている! それに朔月ミタマ、彼女も月喰だ! 彼女は16年間にわたってずっとこの基地で働いていたんだぜ!」
「つまり騙していたんだね」
「隠れていたんだ!」
「もういい。問答は退屈だ」
サンダルフォンはそっぽを向いて腕組みを解いた。
ソウルたちは刀をかまえる。だがサンダルフォンは彼らを完全に無視して、足元に転がっていた巨大な瓦礫を拾い上げると、砲丸投げのような姿勢をとった。ソウルとスピリットは彼の意図に気づいて青ざめた。
「さあ、どうするかな?」
鉄面皮が嘲笑し、サンダルフォンが地面を蹴る。下からの強烈な衝撃に足をとられ、直後、雨のように降り注いだ瓦礫たちを避けるのに、ソウルとスピリットは精いっぱいだった。
サンダルフォンが放り投げた巨大な瓦礫は基地の上空を横切ってまっすぐに飛んでいく。狙った先には後退して離れていた兵士たちの集団があった。
飛来する瓦礫に気づいた兵士たちが悲鳴をあげて四方に散る。ひとりの兵士の足がもつれ、すっ転んだ。彼の何十倍もの体積のコンクリートの塊が、彼の上に影を落とした。
兵士が恐怖に目を見開いた。コンクリートの塊は無慈悲に彼を踏みつぶし、その場でさらに無数の破片となって、兵士の肉片とともに周囲にぶちまけられた。
狂乱の悲鳴がおこった。想像を絶する出来事の連続に、訓練された兵士たちですらパニックを起こしかけていた。兵士たちは我先に逃げ出そうと、でたらめな方向へとお互いを押しやっていた。
「待て! 待てよ!」
誰かが手をあげた。
「生きてる! 俺、生きてるからぁ!」
肉片になって飛び散ったはずの、さっきの兵士だった。そのことに気づいたひとりが周囲に声をかけ、混乱を鎮めようとする。彼らが次に注目したのは、代わりに飛び散っている肉片たちだった。肉片がひとりでに動き、一箇所に集まろうとしているのを見た兵士たちは、数秒前とは別の種類の悲鳴をあげた。
内臓や脳みそが自力で地面を這い回り、あるべきところへ戻っていくのは、見る人間に猛烈な嫌悪感と恐怖を催させる。より集まって人のかたちになった肉塊は、よろめきながら立ち上がり、再びカグヤの姿に戻った。
「よかった……」
兵士たちの通信回線を介して、他人の目でその光景を見ていたソウルとスピリットは、兵士に犠牲者が出なかったことに安堵した。
「本当にそうかな?」
鉄面皮が嘲った。
「ば、化け物……!」
兵士の怯えた声が、水面をうつ雫のように落ちた。カグヤを囲んで静まりかえった彼らの目には、猜疑と恐怖の色があった。
カグヤは、うろたえた。
彼女に向かって、兵士たちの銃口が上がり、そして無数の銃声が響いた。




