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人類の産声【完結】  作者: 倉田四朗
第二部 燃え上がる運命
24/40

熱い体と冷たい刃。

 空の中心で紅い目玉が見下ろす、蒸し暑い真夜中だった。人通りも無い荒れた街並みを見下ろすアパートの屋上で、目深にかぶった帽子で顔を隠した鏑矢ソウルが、床に座り込んで夜風を感じていた。

 彼はすっかり疲労していた。疲労しているにも関わらず神経が高ぶっていた。イライラするような、わくわくするような、行き場をなくしたエネルギーが出口を求めて体の中で暴れていた。セーフモードであるにも関わらず全身の皮膚にチリチリと感じられる、濃厚な無線通信の電磁波のせいかもしれなかっし、今この瞬間にも軍のドローンが夜空にまぎれてやってきやしないかという不安のせいかもしれなかったし、もうひとり、カグヤに出会わず基地に残ったほうの鏑矢ソウルが、今何をしているか気になるせいかもしれなかった。

「眠れないの?」

 いきなり声をかけられて、ソウルはそっちを見た。屋上への入り口のところに、カグヤが立っている。彼女の黒髪は紅い月光を反射して妖しく輝き、白い服の裾は穏やかな風になびいていた。

「……となり、いい?」

 ソウルはうなずいた。カグヤは彼の隣に小さな腰を下ろした。

「今日だけで、いろいろなことがあったね」

「……ああ」 

「もうひとりのソウルに、オールド・ワンズっていう人たちのこと」

「……ああ」

「まさか、ミタマさんが私と同じ月喰だなんて思わなかった」

「……ああ」

「……ミタマさんのこと、怒ってる?」

「……いいや」

 ソウルは無気力な相槌をやめ、自分の手もとを眺めた。

「あいつは16年もこの広い地球でたったひとり戦い続けてきたんだ。むしろ俺たちを信用してくれて、うれしいよ」

「……よかった」

 カグヤは膝を抱えてはにかんだ。ソウルには、彼女のりんごのような頬がとても可愛らしく見えた。

「ミタマは、今何してる?」

「何か部屋で、ひとりで端末で作業してる。むずかしくって私にはまだ半分もわからなかったけど、コンピュータウイルスを作ってるって聞いた。オールド・ワンズと戦うためには必須なんだって」

「そうか」

「……ねぇ、ソウル」

 不安げな声で、カグヤは言う。

「私、このまま月に帰っていいのかな? みんなに迷惑じゃないかな?」

 ソウルは無言だった。しかしカグヤは、胸のうちを吐き出すように次々としゃべりだした。

「私たちは地球に来ないほうがよかったんじゃないかな? 地球に来なければ、ソウルはこんなにも犠牲をはらわなくて済んだはずだし、オールド・ワンズが作り出した社会にも反抗することにならなくて済んだはず。私たちがいるせいで、地球の平和にすごい迷惑がかかっちゃってるんじゃないかな? もし私たちが来なければ――きゃっ」

 彼女の言葉が終わらないうちに、ソウルはカグヤの肩に腕をまわして、体をぐいと引き寄せた。カグヤは目を丸くして固まった。

「カグヤ、それはちがう」

 力強い声で彼は言った。

「オールド・ワンズの世界平和が成立したのは、カグヤたちがやってきてからだ。逆に言えばカグヤたちが来なければ、世界は今までと変わらず戦争をしていただろう。ミタマはああ言ったけど、キミたちが来てくれて、オールド・ワンズを含めた人類は間違いなく一歩次のステージに進んだんだ。あとはその舵取りを、少数の権力者たちから人類全体に取り戻すだけだ。それになによりも……」

 ソウルはカグヤの顔を見た。こちらを見上げる、黒く輝く大きな瞳と目が合う。ソウルは微笑んだ。

「……キミが来てくれなければ、俺はこの世に存在しなかったんだぜ」

「ソウル……」

「だから言うよ」

 ソウルはカグヤの肩を掴んで、彼女の顔とまっすぐに向かい合う。カグヤも向かい合う。ふたりは恥ずかしそうな、心底嬉しそうな笑顔で顔をくしゃくしゃにした。

「ありがとう」

「……こっちこそ、ありがとう。戻ってきてくれるって、信じてた」

 物音ひとつない静かな夜、紅い月の下、まるで世界に自分たちしかいないかのように、ふたりは何度もキスをした。

 熱い体を抱きしめて、鏑矢ソウルは目を閉じた。



「くそっ……火傷がうずく……!」

 鏑矢ソウルは呻きながら顔をおさえ、表情を歪めた。

 照明が点いておらず、自分以外に誰もいない、冷たい空気の部屋だった。ソウルはそのなかで床に座り込んだまま自分の刀を抱きかかえ、憎悪に満ちた眼差しで目の前の暗闇を睨んでいる。

 彼の心は燃えていた。

 世界平和を実現したオールド・ワンズという組織、そして彼らに与えられた『人類を守る』という使命の重大さを思うと、全身から熱が溢れてくる。だが同時に、もうひとりの『鏑矢ソウル』が使命に背いて人類を脅かそうとしているという事実に、彼はたまらなく情けなくなり、恥ずかしくなり、怒りを覚えるのだった。

「俺は、俺が殺す……」

 彼は小さく呟いて、長く息を吐いた。

「いや……焦るな……チャンスは必ずくる……鉄面皮が言っていた……」

 彼は鉄面皮との別れ際、彼が言った言葉を思い出していた。

『彼らの最終目的は、人類の情報をたっぷり学んだ月喰を月に送り返すことだ。そのとき必ず、彼らはふたたび僕たちの前に現れる。そしてそれを阻止できなかったなら、今度こそ間違いなく、月喰たちの一大攻勢がはじまるだろうね』

 ソウルは熱くなった肩を縮め、冷たい刀を抱いたまま、眠りについた。

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