おねぇちゃん。
意識を取り戻したソウルが最初に感じたのは、体の横に触れる、あたたかく柔らかい感触だった。春の花畑のような、心安らぐ香りもする。目蓋を開けると照明の光に目がくらんで、彼は呻きながら顔をしかめた。
「あ、起きた?」
すぐそばで、耳に心地よい声がした。頭を向けると、嬉しそうに目を細める、美しい少女の顔が隣にあった。
「おはよう、ソウル」
「ああ……カグヤ……」
「そうだよ、私、カグヤだよ」
「ああ……カグヤ……そうか……俺、あの森で……」
腕を持ち上げようとしてソウルは自分がベッドに仰向けに寝かされていることに気がついた。そしてカグヤが同じ毛布の下で自分に添い寝してくれているということも理解した。直後、自分の片腕に当たる柔らかい感触の正体に行き当たって、ソウルはバッと飛び起きた。
「かか、カグヤ!?」
「ソウル、どうしたの?」
カグヤが体を持ち上げた。かかっていた毛布が滑り落ち、彼女の控えめな乳房があらわになった。彼女は裸だった。
ソウルも裸だった。彼は慌ててそばにあったクッションで前を隠し、周囲を見回す。どこにでもありそうな安アパートの一室だった。
「えーと、ここ、ここは?」
「ここは隠れ家だよ。レベッカおねぇちゃんが連れてきてくれた」
カグヤはベッドの上に座りなおす。彼女の体つきは一週間前とはまるで違っていて、明らかに成人間近の少女のそれだった。それだけに危険な艶かしさが全身から発せられている。ソウルは片手を胸に当てて深呼吸した。
「わ、わかった。オーケー、ひとつ確認なんだけど、カグヤ」
「なぁに?」
「おまえ、俺が寝てるあいだに何かしたか?」
「なにか、ってなぁに?」
「なにか……ってのは、ナニか、だよ」
「わからないよ、教えて、ソウル! どうしてお股を隠すの!?」
カグヤがベッドに手をついて身を乗り出してきた。美しい顔は好奇心に輝いて、ソウルの股間を凝視している。カグヤが手を伸ばしてクッションを掴んだ。ソウルは悲鳴をあげた。
「きゃあああああああああッ!」
「何ごとですかッ!?」
部屋の入り口のドアを開いて、銃をかまえたレベッカが転がりこんできた。ソウルは青ざめた。彼女は、カグヤとソウルが股間のクッションの引っ張り合いを見るとすっくと立ち上がり、あいまいな笑顔で軽く会釈した。
「違う違うこれ違うからそういうんじゃないから助けてレベッカぁあああ……!!」
「――はい、では真面目な話をしましょうか」
アパートのリビングで、それぞれ椅子やソファに座った三人は神妙な顔をしていた。
ソウルもカグヤも今はきちんと服を着ている。レベッカは余った手で拳銃を弄びながらふたりを見た。
「おふたりにいろいろ言いたいことはありますが、まず何よりも、訊きたいことを聞かせてください」
レベッカはカグヤを指さす。
「カグヤちゃん、あなたはいったい何なんですか? 頭が吹き飛んでも平気だったり、自分の体を別の生き物に変えたり……そんな技術、聞いたことありません」
「あーその、レベッカ、カグヤは――」
「私は月喰だよ」
はっきり、カグヤが言った。ソウルは絶句しかけたが、次に何か言おうとする前に、レベッカの「なるほどねぇ」という声が響いた。
「つまりエイリアンですか」
彼女はマルボロに火を点けた。それっきり何も言わないので、ソウルはしびれを切らした。
「黙っていて悪かったと思ってる。月喰と一緒なんて、ありえないよな。迷惑なら、すぐにここから出ていくよ。レベッカのことも絶対に喋らない」
「そうですね。正直、ちょっとありえないです」
「……そうだよな、やっぱり……」
「たしかに思い返せば、変なことがたくさんありましたね。一週間前は抱きかかえられるくらい小さかったのに、今では私と同じくらいの身長がある。言葉もずいぶん上手くなってるし……私も全身サイボーグになって長いですし、人間が成長するスピードがどれくらいかなんて、すっかり忘れちゃってましたよ」
彼女は自嘲するように少し笑う。
「私、妹がいたんですよ」
唐突に、彼女は言った。
「ウチの両親はどっちも人間のクズでしてね。ヤクにハマるし、借金作るし、まーよくある話っすよ。母はまだ14の私に客をとらせたし、ふたつ下の妹はときどき父に使われました。それである日、あいつらを殺して逃げ出そうって話になったんです」
レベッカは目を伏せて両腰の拳銃に触れる。
「あいつらがベッドの下に隠してた拳銃を盗み出して、妹と一緒に寝込みを襲いました。だけど直前で気づかれまして、逆に襲われたんです。父は私を、母はすぐ隣で妹の首をしめました。そして、銃を持っているのは私だけでした」
両腰の拳銃から手を離し、レベッカは快活に笑った。
「だから私は私を『おねぇちゃん』って呼ぶ子だけは見捨てないことに決めてるんですよ。こうなったら採算度外視でトコトン付き合いますって! それにカグヤちゃんはいい子ですし!」
「……ありがとう」
カグヤが破顔した。ソウルは、無言で深く頭を下げた。
「あ、あれ? いやですねミスターカブラヤ、そんな暗い顔やめてくださいよー。私が勝手に話したことですし、もうかなり昔のことですから!」
「かなりむかし?」
カグヤが首をかしげる。レベッカは大げさにうなずいた。
「えぇーと、正確な年はわすれたけど……少なくともこの国がまだアメリカだったころだから――」
「――え? ……ちょっと待って」
ソウルが顔をあげた。
「レベッカ、歳、聞いてもいいかな?」
「私ですか?」
平然とレベッカは答えた。
「今年で60歳ですが」
「……嘘だろッ!?」
仰天するソウル。
「あー! もしかしてソウルさんも年齢差別主義者なんですかー!? 歳相応のボディを使わなきゃいけないなんて法律ありませんー!」
「や、それはわかってるけど、でもどう見てもせいぜい18歳――」
「このレイシスト!」
「差別主義者ー! ヒトラーのおホモだちー! ポル・ポトの妾ー!」
「なんでそんな言葉知ってるんだカグヤ!?」
ソウルへの罵倒は続いた。やがてそれらは三人の賑やかな笑い声にかわり、カーテン越しの柔らかい光とともに、リビングの窓から夜の街へとこぼれ出ていく。
窓のすぐそば、冷たいコンクリートの外壁に、一匹の大きなトカゲが貼りついていた。そのトカゲは三人の楽しげな声を聞くと、ぺたぺたと雨樋を伝って地面へと下りた。ひと気の無い道路を走って横切ったトカゲの向かう先には、ひとりの人間が立ち尽くしている。トカゲはその人物の靴を乗り越え、足首を這いあがり、服の下へと姿を消した。




