大人になったらしたいこと。
悪夢色の不安な眠りから浮上したソウルは、しばらくのあいだ身じろぎもせず、ただ呆然と仰向けのまま、見慣れない天井をながめていた。
彼の頭には鈍麻した感覚と、さまざまな想いが渦を巻いている。一夜のうちになにもかもが変貌し、自分が追われる身になったという事実が、いまだに夢のような気がした。網膜に浮かぶデジタル時計は午前6時を示している。普段ならばとっくに目覚めている時間だ。ソウルは重たい体を持ち上げようとして、違和感に気がついた。
自分の腹の上に何かがのしかかっている。毛布の下に隠れたそれはあたたかく、そして柔らかかった。ソウルは毛布の端をつまみ、そっと見た。飛び上がりそうになった。
「そーる、おはよー」
「おま、なにしてる!?」
上ずった声でソウルが訊くと、はだかで彼の上に覆いかぶさっていたカグヤは、体を持ち上げてにっこり笑った。
「たいせつな、ひととは、こうするって」
「誰から聞いた?」
「てれびで、おんなのひとが、きもちよさそうにして」
「……あー、えーと、いいか、カグヤ」
ソウルはカグヤの体を持ち上げてベッドに座らせ、毛布で前を隠させる。彼は咳払いをしながら彼女の前に正座した。
「こういうことはたしかに大切な人とすることだ。だけど、そんな簡単にしていいものじゃない」
「どーして?」
「こういうのは、大人同士がすることだ」
「おと……な? おとなってなぁに?」
「大人ってのは、俺とか……体も心も一人前になった人のことだよ」
「カグヤも、おとなになれる?」
ソウルははっとした。地球にたったひとりやってきて、自分以外に味方がいないこの少女が、果たして大人になれるのだろうかという想いが、ソウルの胸をつよく締めつけた。カグヤ自身が、彼女が孤独であるという事実に無知ゆえに気がついていないのが、いっそうソウルをかきむしる。衝動の源はソウル自身にもわからなかったが、身を任せるに値するものだという確信があった。
ソウルは目元を手の甲でぬぐい、カグヤの肩をそっと抱いた。カグヤはいっさい抵抗せず、彼の胸元に頭をあずけた。
「ああ……なれるよ。カグヤは大人になれる」
「そうるが、してくれる?」
「……ああ」
ソウルはうなずいた。
「俺がカグヤを大人にするよ」
同時に部屋の扉が開いた。ソウルは素早くカグヤから離れたが、遅かった。
サブウェイとスターバックスをそれぞれの手に持ち、扉を開いたままの姿勢でかたまっているレベッカがいた。彼女の表情は引きつっていて、信じられないものを見たという目をしている。ソウルと視線がかち合うと、彼女はそっと扉を閉めようとした。
ソウルは素早く扉に飛びつき、阻止しようと指をかける。
「いやいや違うから誤解だからこれはいわゆるアレなアレじゃないやつだから」
「いやいやわかってますわかってます私のことはお気になさらず二時間くらいしたらまた来ますんで」
「だから違うって!」
ソウルは力まかせに扉を押し開いた。ドアは凄まじい音とともに金具からぶっ飛んで床に転がった。
「あー……やっちゃいましたね」
「ご、ごめん」
ソウルは慌ててドアを拾い上げ、なんとかもとの枠に戻そうとする。が、上手くいかない。カグヤはおかしな様子にキャッキャとはしゃいだ。レベッカもつられて小さく笑い、そして言った。
「もういいです、見なかったことにしますよ。それよりミスターに伝言があるんです。あなたのご友人から」
「なに?」
「『あたらしいお客がやってくる。対応にキミが必要だ。詳細はふたりきりで。場所は例のカフェ』ですって。私には意味がわかりませんけど。罠かもしれませんが、行かれます?」




