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人類の産声【完結】  作者: 倉田四朗
第一部 迷える魂
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巨人の墜落

 宇宙から、巨人が落下している。

 身長40メートル、重力35000トンの金属の巨人が、その表面を白熱させて、腕を足をもがれながらまっすぐ落下している。

 とうとう巨人は太平洋の真ん中に落下し、巨大な海水の柱をぶち上げた。周辺で待ち構えていた何隻もの軍艦たちが集まり、海が沸騰して一寸先も見えないほどの水蒸気のなか、巨人の体を引き上げるための作業を開始する。

 数時間後、回収され海上に浮かべられた巨人の胸元、金属の肋骨と内臓の内側から手足のないひとりの人間が救助された。

 その人物は皮膚と感覚器の90パーセントを喪失し、骨格がむき出しになっていた。しかし彼は奇跡的に意識を保っており、彼を救助した隊員は、彼がひと言、こぼすようにつぶやくのをたしかに聞いた。

 彼は言った。「俺たちは産声すらあげていなかった」と。




 人工子宮の中の受精卵は、24時間でヒトの母体内における約7600時間分の成長を終えて、立派な赤子に成長した。

 人工子宮から排出された赤子からは速やかに脳が摘出され、培養槽に入れられる。培養槽の中で、赤子の脳はさらに745時間かけてヒトの175200時間分の成長をとげるとともに、多数の脳内インプラントによって記憶と人格を書き込まれていく。

 成熟した脳は超高硬度合金の頭蓋骨へと納められ、とうとう脊髄神経をはじめとする無数の神経と接続された。

 しなやかな人工筋肉に包まれた体はナノマシンと万能細胞が満たされた粘度の高いプールの中に送りこまれ、膝を抱えた姿で少しずつ皮膚に包まれていった。

 6時間後、ひとりのサイボーグが皮膚形成プールから引き上げられた。体を洗浄され、乾かされ、服を着せられ、簡素な病室のベッドに寝かされ、ボディ起動用の薬品を静かに注射される。

 彼が目を覚ましたのは、それから10分後のことだった。

 彼は手足を投げ出したまま、しばらくぼんやりと病室の天井を眺めていたが、やがてシーツをはねのけて、ベッドに腰かけた。手で顔に触れ、そこに眉毛や髪の毛の感覚が無いのを知ると、落胆したようにため息をつく。体内に残ったゴミがからんだのか、咳き込む。彼はベッドから立ち上がり、ふらふらと2歩だけ歩いてすっ転んだ。

「新品の体だからだ、すぐに慣れる」

 這いつくばる彼に声をかけたのは、部屋の入り口に立つ若い男だった。軍人らしいきっかりとしたスーツに身を包み、優しげに微笑んでいる。彼は訝しげに見上げる視線を受けて、困ったように苦笑した。

「記憶の欠損じゃないよ、君とははじめてだ」

 彼は這いつくばる青年に歩み寄り、手を差し伸べた。

「私は軍から派遣されたサポーター――君の助手になるためにやってきたんだ。仲良くしてくれ」

「あんたは嘘つきだ」

 這いつくばる青年がそう言い放った。手を差し伸べた男はやや驚いて、小さく肩をすくめる。

「どうして?」

「俺を知ってるやつが、俺を引き上げようとするかよ」

 直後、床を蹴った青年が男の目の前で逆立ちするかたちになった。青年はそのまま男の頭頂部に変形かかと落としを叩き込む。男の頭蓋骨はくだかれ、脳がぐしゃぐしゃになり、目玉が飛び出し、潰れた虫のように床に縫いつけられた。床のリノリウムがまくれあがり、その下で砕けた床材の破片でぼこぼこと隆起する。

 青年はゆっくりと立ち上がり顔にかかった埃をはらう。動かなくなった男のそばにかがみ込んで、彼の首すじを顕にした。コネクタから端子を引き出して、自分の首すじにあるコネクタと接続する。脳は今しがた吹き飛ばしてしまったが、セキュリティソフトに使われているコードから、青年はこの男が他国からのさスパイだということを確信した。

 青年は接続を解除すると立ち上がり、あたりを見渡す。

「見てるんだろ、鉄面皮!」

 すると、どこからかクツクツとした笑い声が聞こえてくる。青年が部屋の入り口を睨むと、コツコツという足音とともに、ひとりの男がゆっくりと現れた。

「あいかわらずいい殺しっぷりだ! 痛快だね!」

 異様な男だった。背はすらりと高く、手足も長い。余計なシワひとつない上等な灰のスーツを着ていた。だがその顔は通常の人間とはまるで違っていた。その表面に柔らかい皮膚はなく、重苦しい色の鉄で覆われている。表情は微動だにせず、人相と呼べるものはおよそひとつも残っていなかった。

「君が瀕死で回収されたときはどうしようかと思ったよ! いやあ無事でなにより! オジサン嬉ちい!」

「この男はおまえが?」

 青年は足もとの男を見下ろした。

「実験用の人間だったんだけど、脳細胞の劣化がひどくてさ。せっかくだから、ちょっとラジコンにしてみたんだ」

「趣味わりぃ」

「でも目は覚めただろ?」

 鉄面皮が無感情な目で青年を見た。青年は眉間にシワを寄せ、ぎっと鉄面皮を睨みかえす。鉄面皮は小首をかしげて彼を部屋の出口へと促す。

「君が太平洋に落下してからすでに1ヶ月以上経っている。本部へつくまでにその間に起こったことを説明するよ」

「頼む」

 青年は鉄面皮とともに部屋を出る。廊下で彼らは向かい合った。

「ともかく、おかえり。鏑矢ソウルくん」

「ああ」

 鏑矢ソウルはうなずいた。




「君は1ヶ月前の戦闘をどのくらい覚えてる?」

 車を自動運転に切り替えながら、運転席の鉄面皮は言った。彼は体を反らしてノビをし、頬杖をついて足を組む。

「記憶が欠損してるみたいで、あんまり。でもログにアクセスした」

 助手席のソウルが答える。彼は入院着から鉄面皮の持ってきた私服に着替えていた。ニット帽を被って頭髪のない頭を隠している。

「軍のかい? 人格同一性テストはまだだろう?」

「鉄巨人が負けたんだ。広報のログでもだいたいはわかる」

 鉄面皮は無表情で笑った。

「ついこのあいだまで受精卵だったのに。生まれた直後から仕事なんて、日本人の鏡だね!」

「うるさいな」

 ソウルはムスッとして窓の外に目をやった。車外には『月喰迎撃都市』の賑やかな街並みが広がっている。日差しは強く、大通りに沿って並ぶ街路樹のソテツの向こう側で、サイボーグ、ロボット、その他様々な人々が歩道を行き交っている。

「あの月喰は、結局どこが倒したんだ?」

「ASEAN国の鉄巨人、スサノヲが倒したんだ。種ヶ島からびゅーんと飛んできて!」

 鉄面皮が腕を大きく振り、指先で弧を描いた。ソウルはそれを横目で見てますますふてくされる。

「あれは俺の獲物だった」

「でも君は負けた」

 ソウルは鉄面皮を睨んだ。鉄面皮はあいかわらずの無表情。

「その悔しさをバネにして次は頑張ろうじゃないか。なぁに、偉い人に怒られるのは僕の役目だ」

「……ああ」

 ソウルはうなずいた。

「あーあ! はやく次の月喰が来ないかなあ!」

 鉄面皮が待ち遠しさを隠さず言った。ソウルは苦笑する。

「地球を守る組織の職員だろ、あんた。敵の到来を待つなよ」

「職員である前にひとりの人間さ。僕はロボットアニメが好きなんだ」

 鉄面皮は手を叩いた。ソウルはあきれかえって肩をすくめた。

 バナナ川にかかる長い橋を越えると、車内に自動運転終了の警告が響き、鉄面皮は再びハンドルを握る。

 ふたりを乗せた車は『グーグル合衆国 月喰迎撃宇宙軍基地』の門扉をくぐり、その広大な敷地内へと消えていった。




 西暦2099年。世紀末に彼らはやってきた。

 はるか遠い銀河から流れてきた巨大隕石、月に衝突したそれはしかし鉱石でも金属でもなかった。

 隕石は巨大なアメーバ状の生物だったのだ。月のレゴリスを主食とするその生き物はまたたく間に月の表面を覆い尽くすほど成長し、そしてとうとう地球にまでも触手を伸ばした。

 アフリカ大陸に降り立ったその生物に地球の危機を感じた当時の統一アフリカ連合国大統領は、無汚染水爆兵器の使用を即断。これが史上初の人類と『月喰』との接触だった。

 



「16年前、君はあの月が白かったころのことを覚えているかい?」

 鉄面皮がそうたずねた。陽が暮れ、夜になっていた。フロリダの夏の夜は蒸し暑い。鏑矢ソウルは上着をわきにかかえ、鉄面皮の後ろに立って空を見上げた。

「人格同一性テストの結果は訊かないのか?」

 ソウルの視線の先、夜空の真ん中には赤い大きな目玉がぽっかりと浮かんでいる。ソウルはにらみ返した。

「ダメなら君はここにいない。それに、もし君がかつてのソウルくんじゃないとして、何か問題が?」

 鉄面皮はふりかえった。ソウルは彼を見てあきれた。

「なんでアンタみたいなのがこの基地を任されてるんだろうな」

「こう見えても人望はあるのさ」

 鉄面皮は歩き出す。ソウルもついていく。

「さて、君の恋人とのご対面といこうか」

 彼らが向かう先には巨大な、背の高く、横に広い建物があった。入り口の上には基地のシンボルが堂々と掲げられている。建物は基地の外れ、敷地を囲む森の向こう側にあり、大西洋の波の音が遠くからかすかに聞こえていた。

 入り口をくぐり、奥へと進むと、大勢の人間がせわしなく動く気配と、無数の機械の駆動音が聞こえてきた。やがてふたりは広大なホールに出る。強い照明で真昼のように照らされた空間には、何か巨大なものが横たわっている。ふたりはその巨大なものを跨ぐ簡素な通路へと上がると、真ん中あたりで立ち止まった。

「修復はほぼ100%完了してる」

 鉄面皮が手すり越しに見下ろした。ソウルも見た。通路の下に横たわる巨人を。

 身長40メートルの金属の巨人が横たわっていた。巨人はその体の半分ほどが鎧に覆われていた。裸の部分はまるで皮膚のない人体模型のようでグロテスクですらあったが、白銀の鎧のような外骨格に覆われている部分は、まるでギリシャ彫刻のような美しさと力強さに満ちていた。左胸にはグーグル合衆国の国旗がペイントされている。

「随分変わったな」

 ソウルが言った。

「再突入のときに腕や足が太平洋に散らばって回収不能になったからね。四肢は全部新造部品だ。国内にあるスペシウムの残りの二割を使っちゃったよ」

「そんなに!?」

 ソウルがびっくりして鉄面皮を見た。鉄面皮は肩をすくめる。

「おかげで下からの抗議と上からのお説教と横からの銃弾のトリプルパンチさ。対応するために自分のコピーが5人も必要だった」

「病院の男か」

「まぁね」

「……悪かったな」

 小さくソウルが呟いて、視線を通路の下へ戻す。通路は巨人の胸元を横切っていて、ソウルの位置からはちょうど巨人の顎の下から首にかけてが見える。

「僕は君の上司だ。部下の失敗は僕の失敗だよ。気にしないで」

「鉄面皮……」

「そして、君に仕事を振るのも僕の仕事」

 鉄面皮がスーツのポケットから1枚の紙を引っ張り出して、くしゃくしゃのそれを差し出した。受け取ったソウルは文面を見て眉間に皺をよせる。

「二日前、月から新たな月喰が発射されたのが確認された。病み上がりで悪いけどお願いするよ。前回の失態で大統領がお冠だ。黒人女性のヒステリーは手に負えない」

「でもこの宙域はグーグルの担当じゃない」 

「日本には貸しがあるからね。かなーり渋られたけど、コブラツイストで黙らせたさ。だから今回はウチが担当」

 鉄面皮がやれやれと首を振る。

「いつもだけど、アンタの言うことは冗談か本気かわからない」

 ソウルが訝しげに彼を見る。

「僕はいつでも本気だよ」

「コブラツイストがか?」

「冗談に決まってるじゃん」

 無表情で笑う鉄面皮。その異様さに、ソウルは彼の底知れなさをあらためて感じた。

「出発は明日午前9時だ。地球の危機を救おうじゃないか」

 鉄面皮はそう言って、ソウルに手をさしのべた。ソウルは少しためらって、頷きながらその手を握った。




 無辺無音の真空だった。暗黒のなかに巨大な肉塊が浮かんでいる。

 地球から約15万キロメートル、月から地球への軌道上にその生物はいた。

 地球人に月喰と呼ばれるその生き物は表面に無数の眼球に似た器官を形成していたが、それらはすべてまっすぐに遠方の青い惑星を見ていた。有機的な見た目にも関わらず、その視線はひどく無機質だった。

 不意に肉塊の表面の一部が盛り上がり腫瘍のようなものを形成すると、本体からちぎれて離れた。ちぎれた部分は宇宙に漂い、そして本体とは違う軌道で地球へと流れていった。

続きは気長に待ってね

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