第六話 戦の前に腹を膨らます話
【6】
今までですら賑やかだった連中が、食事時に静かにしているはずもなく。それは最早、宴と表現してもよい騒ぎになっていた。言葉とモノが机の上を飛び交う。
「ぐすっ……そう、それでお財布を盗まれちゃったのねん? ガツガツ。可愛そうに……ぐすっ……ガツガツ」
「おいママ。泣くか喰うかどっちかにしろよ。オナニー娘、潮。うひゃひゃひゃ間違えた塩くれや」
「一体どんな誤字変換をしたのか知らないけれど、食事中に下ネタ言うような原始人には結晶一粒譲渡する気はないわ」
「っぐ……う……御主人、様……はい…お塩……です……」
「ねぇミゥちゃん。やっぱ椅子に座ってお食事しない? 毎回それじゃ疲れるでしょん?」
「この方が落ち着くんだとよ。なぁ? オラ、しっかりしやがれ人間椅子!」
「う……御主人様ぁ。体重……かけたら……っぎひ!」
「ちょっと、変態プレイなら食事が終わってからにしてくれないかしらペドフィリア」
「あらん? ボウヤ。お口に合わなかったかしらん?」
「は……いえ……」
料理はいいのだ、料理は。
別にリュカはグルメというわけではないが、眼前に並べられた品々は、今までに食べたどんな店のものよりも美味だった。
大きめのミートボールとベーコンをこれでもかと入れたミートソース。溢れ出る肉汁とブラックペッパーの香りが食欲を促すスペアリブ。レタスとトマトにモッツァレラチーズを裂いたサラダに、口の中をさっぱりさせる役目のコンソメスープ。……他にも見ているだけで涎の垂れそうな料理が机いっぱいに広がっている。
リュカは「ママの料理は天下一品ですから、期待してていいですよ」と食事前にミゥがいった台詞を思い出す。実際それ以上の腕前でリュカの頭には何度も『才能の無駄遣い』という言葉が飛来したほどだ。これなら普通の料理屋としても繁盛するに違いない。
『なんだけど……会話の内容が……なぁ。ミゥちゃんなんてあれだし……』
話題のその少女はといえば、再び四つん這いになってペット用の皿に顔から突っ込み、貪るようにして食べていた。あの小さな身体のどこに入るのか、というような量である。それだけならまだしも、彼女はエスを背に乗せ、椅子代わりにまでなっていた。
「あぁ! そうねぇ。そういえばさっき自己紹介するって言ってたわよねん。んんっ……私はビッグ・ママ。このビルの家主にしてピンク・トライアングルの店長もやってるわん。性癖はM寄りの中庸タイプ。同性愛属、女装種のランクは75万8千965位よん」
「は? え? タイプ? ……それにランクって……?」
聞きなれない言葉に思わず反応してしまう。直後にあの挑発的な、他人を小馬鹿にするような笑いがリュカの耳に聞こえてきた。
「ひゃっひゃっひゃっ。テメェ、ホントになーんも知らねぇのな……モグモグ。いいか? この島に流された奴ぁ、皆、鉄骨入り血統書つき遺伝子レベルでの変態ばかりだろう?」
アンタみたいなね……と横槍を入れたいのをぐっと我慢する。
「そんな変態共を管理するために神世七代機関の奴等ぁ、そいつらの性癖ごとに種類分けしたんだよ。ご苦労さんなこったな」
神世七代機関……それは変態たちを識別、管理する国連直属組織である。
元々この変態を取り締まる法律は事件の発祥地である日本だけのものであった。
ところがその制定を知るや否や、性犯罪に悩む国々――主に米国や欧州を中心に――が同じように取り入れ始め、結果としてこの法律を運用する国家間で連携が取られるようになったのである。神世七代機関はその組織名だ。各国の代表によって構成され、この島が出来てからはそれを統括する自治政府の役目をも担っている。
「で連中は危険人物が分かりやすいよう順位をつけたのよ。私はさっき自己紹介したわね。早乙女 真紀那。SM混合タイプの『無性愛』属。自慰愛好種。ランクは5……5万5千480位よ」
黒髪を揺らしながら、女の子が口にしてはいけない言葉をサラリと述べるマキナ。
「じ……自慰って……」
「分かりにくかったかしら? だったらオナニー愛好家と言い直すわ」
「わーーー! わーーー! わーーー!」
聞いていられない。こっちのほうが赤面してしまうとばかりに大声をあげて、マキナの声を阻害するリュカ。
「さっきから何よ? えーっと……そこの貴方」
「リュカです。真締 龍河。ってそんなことよりも! そ…その、そういうことはあまり大きい声で言わない方が……」
するとマキナは口元をナプキンで丁寧に拭くと、
「それじゃあ貴方はオナニーしないのかしら? 女の子ならばオナニーしないとでも? 笑わせるわね。全く、これだから童貞っていやだわ。女性に幻想ばかり抱くんですもの。私も生きているのだし当然、性欲だって持っているわ。それを自分で治める行為を、何故否定しなければいけないのかしら?」
そう一気にまくし立てた。言ってることは一見正しい、正しいのだが……。
「まぁ、殆どオナニーしない女性というのも少なからずいるらしいけど、私に言わせれば人生損してるとしか思えないわね。ちなみに私は一日最低七回はするわ」
そう誇らしげに後を続ける。……続けないで欲しかった。
「私……はぁ! 御主人様にッ許可を貰わない限り……ハァハァ……しません……よ?」
「あんた年中イってるじゃないドM」
だから続けないで欲しい。
「あ、御紹介……遅れました。私は……御主人様――エス様の、うぐ、忠実なドM肉奴隷にして肉便器……ハァハァ。ミゥと申します。ぃぎ……人間以下の存在……ですのでぇ、どうぞ……罵って! ハァハァ、やって……くださいまし……」
『続けんなっつーの』と、心の中で盛大にツッコミをいれる。
一番幼いこの少女がある意味、一番濃いとも言えた。
「タイプは……ひぐっ……え、Mの異性愛属――といって……も! ご、御主人様専用、ですが――の被虐……嗜好種。ランク、は……はぐっ……3万7千、565位で……す」
なるほど……と、リュカは心の中で今まで各々の自己紹介から得た情報をまとめてみた。
まずタイプだがS・M・或いはそのどちらか寄りか、中庸・混合で判断される。そして異性愛か同性愛、或いは無性愛――聞き慣れない言葉だがあるのだろう――かで属が別れ、そして種で個人の嗜好が分かるという仕組みだ。ランクの数は大きいほど真人間であり、少ないほど変態としての純度や危険性が高い……ということだろう。すると……。
「次はアンタの番よ、とっととしなさいエス」
「めんどくせぇ」
問題の人物は、これまでの流れを六文字で否定したのだった。
「で、でもッ……御主人様、皆さん、したことです……しィ! 御主人様もォォオオオオ……あぁ……んぎひぃぃぃ!」
「っち。エス。あー、Sタイプ異性愛属、嗜虐嗜好、5千27位」
ミゥの背中をフォークで何回もつつきながら、めんどくさそうに言う。
『っていうか確かこの島の人口は120万人いたはずだ。その中で5千って……どんだけ変態なんだよコイツは!』
「あ、ちなみにねん? 属性には他にも自己愛属とか両性愛属とかあるし、種別も一人にたくさん付属してるのよん? 今言ったのは中でも代表的なものね? 私も女装種の他に肛門性交種とか色々あるわけだし」
一瞬恐ろしい単語が耳に届いた気がしたが、リュカはそれを聞かなかったことにした。でなければ今夜は安心して眠れそうにない。
「で、ボウヤは? どんな性癖なのかしらん?」
「え? あ、あぁ……あの、それなんですが。僕、テストを受けて……それでこの島に。……結果も財布の中に一緒にしてたもんですから、よく読んでいないんです……」
「あんだァ? テスト生かよ。自分の性癖もわかんねぇってのか?」
例の事件以後。政府は――統一されてからは神世七代機関がだが――変態を隔離するにあたり、国民の性癖をチェックし始めた。自治体や学校、職場ごとに会場を設け、一流の心理カウンセラーや精神科医、脳神経学者達によって作成された特製のペーパーテストやカウンセリング、嘘発見器や脳波グラフを使った検査、果ては遺伝子診断までもを一年に一回受けることが義務化された。そしてその総合的な結果で異常が見られた場合、この島に流されるのだ。リュカはそのペーパーテスト診断で引っかかった、所謂「テスト生」と呼ばれる存在だった。
「信じ……られなくて。『お前は変態だ』って言われても、その……実感が沸かなくて……」
見ないようにしていた。そこにどんな結果が、事実が突きつけられているのかを……。もし知ってしまったら、それは真実へと変わってしまう。冷静になろうとすればするほど却ってそれは脳裏にしつこくこびりついて、より恐怖を煽る。
だからこそリュカは知ることを放棄した。その方が楽だったから。『何も見ないまま逃げ続けていれば、いつか事態が好転するかも……』という淡い期待もあったのかもしれない。そんな有り得ない希望に縋り付いている内に出国の日は無情にもやってきてしまい……。
或いは自分は「そうなること」を望んでいたのではないだろうか。
知らないまま時が過ぎて「仕方なく」こうなってしまうことを。自分が悪いのではない、誰かの責任なのだ――と思えるよう、心に隙間を残しておきたくて……。
「はは……とんだ臆病者ですよね? 僕は……」
口に出せば出すほど、冷静に考えれば考えるほどに情けなさが際立ってくる。あの時の自分は少しも理性的ではなかった。そして全てを受け止めるだけの勇気もない弱虫だった。そして、それはおそらく今も……。
なんだか目頭が熱くなってきた。涙が出そうになるのを懸命に堪える。
『あれ? おかしいな……何故だろう? 何故こんな親にも話してないようなコトを僕は喋っているんだろう? 全く見も知らぬ、しかも変態という烙印を押された人達に……』
「フン……」
意外なことにエスは何も言わなかった。貶すでも馬鹿にするのでもなく、ただリュカをじっと見続けているだけだった。やがてリュカの言葉が途切れると一度だけ鼻を鳴らして、無言で再び料理に手をつけ始める。だが、その『何も言わない』という行為が今ばかりはありがたかった。
「別に恥じることはないんじゃないの?」
ナプキンで拭いながらマキナが口を開く。
「『知る』という行為が必ずしも良い結果をもたらすとは限らないわ。寧ろリスクが増える可能性は否定出来ない。なら不幸な賢者に成るより幸福な愚者でいるのを選択したとして、誰もそれを否定出来る権利はないはずよ」
「まぁまぁ。色々難しく思い悩んじゃっても仕方ないわよん? 人生に起きる不幸なんて、満員電車ん中で起こる腹痛みたいなものよん。恨もうが悔やもうが、もうとっくに電車は走り出しちゃった……でしょ?」
後ろから毛むくじゃらの手が伸びて、リュカの目の前にドンっと大きな皿を置く。
「だったら今は、ボウヤが今、出来ることだけをすればいいのよん。とりあえずボウヤがするべきなのはこれ、ママ特製チョコムースプリンを食べること! それでにっこり笑うことよん」
皿の上にはクリームやフルーツに彩られたチョコレートプリンが、美味そうにプルプルと揺れていた。
「ぜぇぜぇ……こ、これ……ママの料理……の中でも……最高に美味しいんですよ?」
自分を元気づけてくれるように、小さな少女が精一杯の笑顔を見せる。――背中に人を乗せながらという異常な光景ではあったが。
「アンタの主観でしょ。まぁこれなら甘さ控えめで私も食べられるけど」
口にしたチョコレートプリンはほんのちょっと苦く、とろけるように甘く、
「……! 美味しい……」
そして……今まで食べたどんなものより優しい味がした。




