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第一話 終わりから始まった話


  【第1章】


 ――誰の……思って……る……この……ぇが……なせい――


 ――アンタ……出来…ないの……いで……責任……さいよ……あぁ……なことなら――



「        」



 強い衝撃に襲われてリュカは目を覚ました。

 どうやら眠ってしまっていたらしい。昨晩はよく寝付けなかったのだ。意識が覚醒してくると頬がヒリヒリと痛んだ。何かが流れ落ちた跡がある。ゴシゴシとそれを擦っていると肘が通路を行く人の群れにぶつかった。他の乗客はもう続々と降り始めている。

「着いた……のか」

 身体を伸ばすと骨の鳴る音がした。座席が堅い上、航続時間は長いで最悪な船旅だった。尤も、周り中を武装した兵隊に囲まれてでは、どんな旅でも快適もクソもあったもんじゃあないのだが。

『意外と僕って図太いのかも……』

 そんな環境で眠れた自分に少々感心しながら、桟橋から伸びる通路を進む。潮の香りがツーンと鼻腔をくすぐった。向こう岸にはズラリと兵隊が並んでいる。

「遂に来ちゃったんだなぁ……」

 盛大なリュカの溜息と同時に入国審査が開始された。事前に配られたIDカードの確認。指紋に網膜、虹彩、DNA認証と、リュカがゲートを通るのを許されるのには小一時間を要した。つまりそれだけ此の地が重要であることを表している。

 やがて兵士や職員たちは仕事を終えると、汚物を見るような視線をリュカや他の乗客に向けてまた船に乗り込んでいった。そしてゆっくりと離れていく。

「通称三途の川の渡し舟……乗ったら二度と娑婆には戻れない……か」

 誰かから聞いた話をふと思いだし口ずさんでみる。

「das Spitzenklasse-Arschloch……」

 リュカの隣にいた鷲鼻の白人が、同じように船を睨みながら呟いていた。それを聞いて慌てて耳の後ろのスイッチを入れる。

 他国言語同時瞬間翻訳装置。

『ジブリール』の通り名で知られるそれは、集音装置で捉えた声をメインサーバーに転送、瞬時に翻訳した後に、所有者の自国語に音声変換して聞かせるという世紀の発明品である。この島に来るものには、耳小骨埋め込み式のこれが漏れ無く配布されていた。

 ここでは日本語が必ず通じるとは限らないからだ。

「クソッタレの尻穴野郎どもが……」

 どうやら件の白人が呟いていたのは口汚い悪態だったようだ。彼は唾を吐き捨てると、億劫そうに歩きだした。他の人間も同じ方向に向かっている。その先には市街地へと運ぶシャトルバスの停留所があった。

「僕も行くか。こんなところに突っ立ってても仕方ないし……」

 割り当てられた住所を確認すると、リュカは丁度到着したばかりのそれに飛び乗った。

 港を離れ、バスはどんどんと街の中に入っていく。

「うわぁ……話には聞いてたけど……」

 中心部に近づくにつれ、その規模と大きさに圧倒される。世界の名だたる大都市に引けをとらない盛況さ。だがそれはどこか粗野で、泥臭く、下卑たものだった。世界各国の様々な言語で描かれた看板。そのどれもがいかがわしい臭いがするものばかりである。

 気のせいだと思った。知らない地に着いた不安感が、自分にそう見せているのだと……。

 だがバスから降り立ったリュカは、それが錯覚ではなかったのだと知る。


「……なんだこれ……」


 眼前をベビーカーを引いた女性が通っていく。赤ん坊? は、おしゃぶりを咥えながらガラガラを手にとても幸せそうな表情を浮かべていた。

 それは、いい。

 ごく自然な光景だ。母親と赤ん坊? の平和な散歩の姿……。

 問題は……そう、その赤ん坊? なのである。それは先程から赤ん坊の後ろに?マークをつけていたのと関係があるのだが……。


「よしよし、いい子ねぇフユヒコちゃんは。ほーら、向こうにぶーぶが見えまちゅよぉ? カッコイイねぇぶーぶ」

「ばぶぅ……ママ、僕おっぱいが飲みたいでちゅ」


『声が野太いし……』


 赤ん坊? はおねだりをするように両手をバタバタさせた。


『デカイし……』


「はいはい、フユヒコちゃんは本当にママのおっぱいがちゅきでちゅねぇ~」


『太ってるしィ……』


「うん、ちゅきー!」


『毛むくじゃらだしッ……!』


「じゃあいっぱいゴクゴクちまちょうねー」


『脂ぎってるしィィィィィ!』



 そう、要するにベビーカーの中にいたのは四十代も後半ほどの中年男性だったのだ。

 それが赤ん坊の格好をして、母親?(こうなると母親にすら?マークをつけたくなる)に甘えた声をあげている。

『いや、っつかどーみてもあの女性二十代くらいだから! 確実に血縁関係ないから!』

 リュカはもう一度だけ呟く。

「なんだこれ……」

 するとそのアレ気な親子を遮るように、目の前で立ち止まった別の女が、急にコートの前をリュカに向かって思い切り肌蹴た。女はしばらく恍惚とした表情を浮かべていたが、キャッキャと笑いながら、風のように去っていった。


『……履いてなかった……何も履いてなかった……下着さえ……』


 初めて生で異性の裸を見たがちっとも嬉しくなかった。いや寧ろリュカは驚きのあまり半ば記憶がトんでいた。

 何やら頭痛らしきものまでしてきて、額を押さえると壁に寄りかかる。そこには隙間が無いほどびっしりと、所謂ピンクチラシと呼ばれるものが貼り付けてあった。

「何だこれ……」

 最後の一回は最早諦めの境地にさえ至っていた。

「こんな……こんなとこで暮らさなきゃいけないってのか……」

 だが、それが『決まり』なのだ。



 国連加盟国家共同管轄特別地域……通称『ソドム』



 それがこの島の名前である。

 総面積は東京都全部より少し小さいくらい。北太平洋に浮かぶ世界最大の人工島だ。

 元々は地図に載るか載らないかくらいの名もなき無人島であった。それを国連加盟国が共同で安く買い叩き、埋め立て工事でここまでの巨大都市に仕立て上げたのだ。

 人口は約120万人。現在もウナギ上りで増加中である。港での件からも分かるとおり、構成人種は多種多様で世界中から移送者が集まってきていた。今のところ日本人の割合が多いようだが、この案を言い出したのがそもそも日本なのだから当然の結果だろう。

「どうしてこうなった……」

 このやり場のない、形容し難い感情をぶつけたくて誰ともなしに呟く。

 問い詰めたかった。小一時間問い詰めたかった。

 さっきからリュカの目に映るのは、異常な町並みと人々ばかり。国籍どころか性別すらよくわからない人間さえいた。


『そりゃあさ、そりゃあ確かに全身顔まですっぽり覆ったラバースーツでも、胸の膨らみだけだったなら僕も女性と見分けられたさ……。でもさ、でもさ……そのゴムスーツ人間、股間からアレが! 女の人には生えちゃいけない棒状のアレがッ!』


 雄々しくそそり立っていたそれが作り物なのか、はたまた、本物をスーツで覆っただけなのかは判断できなかった。……というかそんなにじろじろ見たくなかったのだ。

 目の前がチリチリしてきた。頭痛は眩暈になり、眩暈は浮遊感へと変化し始めていた。……だから。


「……!」


 ――だからそんな非常識な世界の中で出会った彼女は、僕には天使に思えたわけで――


 ごくり……とリュカは思わず息を飲んでしまう。……それくらいその少女は美しかった。近寄りがたいほどに、見ることすら恐れ多いほどに。

 彼女はそれまでリュカが見た奇人変人達とは違い、清潔感溢れる真っ白なワンピースをまとっていた。頭に載せたつば広の帽子は花の飾りが上品にあしらわれていて、服と色を揃えている。そしてまるで対を成すような漆黒の髪……細い絹糸のようなそれは腰の辺りまで伸びていた。

『きっと緑の黒髪っていうのは、こういう人のことを言うんだ……』

 リュカのそんな感想は兎も角、こんな掃き溜めに似合わない人種であるのは確かだった。

 歳はリュカと大差ないように思える。にも関わらず彼女の姿や表情、身のこなしからは普通の人間とは違う、品と言うかオーラと言うか……そういった類のものをリュカは感じとったのだ。

『そうだなぁ、例えるならどこかの広原とか、海沿いの大きな別荘にでもいて、鳥たちの囀りを聞きながらアフターヌーンティー片手にスコーンを軽くひとつまみ……って感じの光景にいなきゃおかしいっていうか……』

 若干古臭くテンプレ通りなイメージを浮かべつつ、リュカは彼女から目を離せずにいた。

「ぁ……」

 一陣の風が吹き抜けていく。大空高く帽子が舞った。

 少女の細く白い手はスカートを押さえていた為にふさがっていたのだ。帽子は変則的にふわりふわりと空中を舞い、そして何かの意思に操られているかのようにリュカの足元へ落下する。吸い寄せられるように、リュカはそれを拾い上げていた。


 ……そして――……二人の視線が交わる。


「…………」

 間近で見た少女は、先程の何倍も、何億倍も可愛く見えた。透き通るような二つの目がじっとリュカの心臓を鷲掴みする。その上のキリリとしつつも優しげな眉。微かに桃色に染まった頬。触ったらぷるんっと音がしそうな瑞々しい唇。吐き出す息さえも甘い香りがしそうである。

 永遠とも思える時間を経て、少女の唇がゆっくりと動き出す。

「ありがとう」

 たった五文字の日本語。ごく当たり前の応答。されどその声は正に天上で鳴る鐘の音のように、リュカの脳をガツンガツンと揺さぶった。

『何か喋らないと……』ようやくリュカの脳は思考を開始したのだが……。

「それじゃあ」

 帽子を受け取った少女はそれを浅く被り直すと、スカートの両端をつまみながら丁寧なお辞儀と共に――

 ニッコリと……微笑んだのだ。

 その破壊力といったら、言葉に出来るようなものじゃあなかった。常日頃から理性的な行動を心がけようと、常識的な人間でいようとしているリュカが、その瞬間全ての考えをストップさせてしまうほどに……。

 何かがコトリ。とハマる音が聞こえた……。


 人の出会いにとって第一印象はとても重要なものである。その点、少女とリュカの場合はパーフェクトに近い素晴らしいものだったろう。




 ……尤もそれは数時間後、木っ端微塵に吹き飛ぶのであるが……。





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