第十三話 そしてまた新たなトラブルの始まりの話
【13】
リュカ達が住むビルは五階建ての構造になっている。
家主はビッグママで、一階が彼女の店、「ピンク・トライアングル」の店舗とダイニングルーム。各階にそれぞれ三つの部屋があり、リュカたちや一部の店員が暮らしている。
唯一の例外は最上階で、エスとミゥが1フロア全て占拠していたがそれは兎も角、リュカに割り当てられたのは二階の201号室だった。
そう、201。202号室の隣の部屋である。その部屋の住人と言えば……、
「んぅっ……っふ……ひぁぁぁあ……んっ!」
「また始まった……」
若干ウンザリ気味に突っ伏す。件の住人、自らを生粋の自慰愛好家と名乗る彼女――早乙女 真紀那――彼女の嬌声である。
他に空いている部屋がなかったとはいえ、ここだけは……この部屋だけは勘弁願いたかった。毎晩毎晩……いや、マキナの場合は、朝昼お構い無しに『行為』を始めるものだから、思春期真っ只中のリュカとしては、思わず前屈みになってしまう困った事態なのである。
その上、彼女は見た目だけならば超絶美少女。妄想するなという方が無理な注文だ。
「あーあれだ。今の僕って目の前に人参ぶら下げられたロバのあれだ……」
だがその人参めがけて走ることはおろか、動くことすらすら許されない。一歩でも足を前に出そうものなら、鉛玉が額にもう一つ穴を増やすだろうことは初日に学習済みである。
そんなわけでリュカがママに一番最初に貸してもらったのはヘッドフォンだった。その日も音量全開でハードロックを垂れ流していたのだが……。
「それでも微かに聞こえてくるのが……まぁ凄いってゆーかなんとゆーか……」
「っひ……うっ……! え? きゃ、きゃああああああああああああ!」
マキナの絶叫は毎度のことだったが、その日はそこからが違った。こちらの部屋まで揺れるようなズン……! という震動が伝わってきたのだ。慌ててヘッドフォンを外す。
「な……なんだぁ?」
彼女のアレが激しいとはいえ、いくらなんでもこりゃ激しすぎだろ……なんてことを考えていると壁の向こうから声が聞こえてきた。
『えーっと……隣の部屋の……なんて名前だったかしら? 聞こえる?』
「リュカです。って今はそんなことどうでもいいですよ! なんです、今の音は!?」
『ひとのプライバシーに聞き耳を立ててたのね、いやらしい。まぁいいわ。助けて頂戴』
「違います。あんだけデカイ声だしてりゃ、イヤでも聞こえますよ。って助けて? ですか?」
彼女からの聞き慣れない言葉に尋ね返す。
『そうよ、何度も言わせないで。……ちょっと身動気が取れなくなってしまったのよ。特別に部屋に入ることを許すから、今すぐ来なさい』
どう聞いてもそれは助けを求める側の言い方ではなかったが、見捨てるわけにもいかないし、そんなことしたら後が怖いし……。そんな理由から嫌々席を立って隣の202号室に向かう。
「なんか……この部屋に来るたびに銃を突き付けられてる気がするんだけど……」
腹に雑誌かフライパンでも詰めた方が良かったかもしれないとも思ったが、手ごろなものがなかったので着の身着のままの格好でドアを開ける。と間髪入れずに部屋の奥から声がした。
「早く来なさい。遅いわよ」
そうして三度入った彼女の部屋は、あいも変わらずマキナの言うところの「可愛い娘達」で埋め尽くされていた。正に足の踏み場もないというやつである。どうやらマキナには『掃除』という概念は存在しないらしい。
ただ今回は、以前と違う点が一箇所だけあった。それは初日に、リュカもドキドキしながら眠ったあのベッド。マキナはその上にいた。
部屋内に散乱するガラクタ。それが掛け布団のように身体を覆う、という姿ではあったが。
「ど、どうしたんですか!? その有様……」
「収納してたクローゼットの戸がぶっ壊れたのよ。いいからとっとと助けなさい」
「え……あ、はい!」
あまりの惨状にしばし呆然としていたが、この部屋に来たそもそもの目的はそれだった。
マキナの細い手を掴むと簡単に現状を分析する。どうやら収まりきらなくなったガラクタ群が、ダムの決壊がごとく扉を押し開けて雪崩れ込んだらしい。唯一幸いだったのは、マキナがまだ服を着て――する直前だったようだ――いてくれたことだ。流石にそう何度も全裸で対面するのは、リュカとしても避けたい事態である。
「しかしこりゃあ一気に引きずり出さないと、第二波がまた押し寄せてくるな。よし、一発でやっちゃおう。いっせいの……」
果たしてリュカの予想は正しかった。救出した直後、新たな雪崩が一寸前まで彼女のいたスペースを埋めていく。
「一応礼は言っておくわ。ありがとう。やれやれ、ここに置いておくのもそろそろ限界かしら」
『一応なんだ』と半分ウンザリしつつ――後の半分は毒舌に慣れてしまった――リュカも腰を上げる。救出活動も終わったわけだし、これ以上此処にいる理由はない。片付けを手伝ってもいいのだが、それをマキナが拒否するだろうことは、初日の件からも明らかだ。そうなったらもうリュカには踵を返すしかない。
グリッ……と、一歩踏み出した足の裏から妙な感じが伝わったのは、正にその時だった。
異物感が痛覚とリンクするまでコンマ数秒もかからなかったろう。体重がその一点のみに集中しリュカは悲鳴をあげた。
「いあぉぉぉおおおおおおおおおうっ!」
ハンナ・バーベラの外国製アニメにいる間抜けな悪役のような声をあげながら、激痛のあまりその場を転がり回るリュカ。
靴下の上からとはいえ、どうやら何か硬くて尖ったものを踏んでしまったらしい。バキッという何かが割れた音も聞こえた気がする。
痛みも治まり、大した怪我ではないと分かり始めるに至って、リュカはようやく自分が何をしでかしてしまったのか理解した。足の裏をさするリュカから少し離れたところで、しゃがみ込んでそれを手にするマキナ。
どうやら自分が踏んづけてしまったのは何かの電子部品らしく、幾つかの破片に砕けたそれをじっと見つめたまま微動だにしない。
……嫌な汗が噴き出てきた。嵐の前の静けさとか、静かな怒りとか、逆鱗に触れたとか……そんな言葉じゃ言い表せない異様なオーラが、マキナの背後から陽炎のように湧き上がる。
以前マキナは言った、『この部屋にあるものは全て自分が選別した逸品ばかりだ』と。
問一 不注意からとはいえ、その一つに何をしたのか説明しなさい。
答 踏みつけて粉々に砕きました。
一人問答をしつつも、そこから導かれる結論にドクロマークしか浮かばないのは、さて何故だろう……。リュカが自分の体温の低下や、全身の微かな痙攣との因果関係を探っていると。
「……貴方……えーっと、名前はなんだったかしら?」
『ここで「はい、僕の名前はエスです」とか言ってトンズラこいたら、彼女があの赤髪男を襲って僕には被害なしでめでたしめでたし……とかならないかなぁ』
などと無駄な妄想をしつつ、すぐに自ら否定する。そんなことになれば、殺意に我を忘れたミゥとマキナとの間で、肉片になるまで殺し合う美少女同士には有り得ない地獄絵図しか展開しないだろう。あのエスが女性にだけは優しいということはなさそうだし、とここまでの現実逃避にかかった所要時間、わずか0・5秒。
「り、リュカです殺さないでください。真締 龍河です殺さないでください」
即座に謝罪体勢に移行。所謂ジャパニーズDOGEZAである。こんな少女に情けないとも思うが、一度間近に鉛玉が飛来した恐怖はそれを遥かに超越していた。
「別に殺しはしないわよ。これくらいなら簡単に直せるし……」
これほどまでの安堵感は、リュカが小学生の時、林間学校のオリエンテーリング中に山道で迷いながらも、なんとか宿泊施設まで辿り着いた時……。いや、それ以上かもしれないと胸を撫で下ろす。当時は教師達が大騒ぎになって、山岳救助ヘリを呼ぶ一歩手前だったらしい……。
「ただ、今丁度、部品を切らしてるのよね。だから……」
そう言ってマキナはリュカを見つめた。なんとなく嫌な予感がリュカの背中を全力疾走した。




