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第十話 ズーフィリアとウキヨエと自分だけの真実の話

【10】



『現状確認してみようか。僕は真締 龍河、十六歳。ワケあってこの変態ばかりの島、ソドムに流された。そしてここはそのスラム街の一角、とあるビルの一室……なはずだよな?』


 辺りに漂う濃密なほどの獣臭。さっきまでリノリウムだったはずの床は藁と土のそれにすり替っている。そして部屋の中をけたたましい程に響き渡る雄叫び。……そう雄叫びだ。


「ヒヒィィィィィン!」


「馬……」

 馬だ。馬がいた。リュカの目の前の柵の中に。何度も言うが建物の中、である。無菌世代且つ都会育ちのリュカである、当然実物を見るのは初めてだった……が。

「でけぇ……ってか怖ぇ……」

 その巨体の迫力に思いっきり引いていると。


「野郎、どこ行ったかなー? おい、ナターシャ! ナターリヤ・コルミロス!」


「こっちだこっちー。ちょっと今手が離せねぇんだ」


 部屋の向こう側でゴム手袋の手が揺れるのが見えた。エスはザカザカと藁を踏みながらどんどん進んでいく。仕方なくリュカもおっかなびっくり付いていくことにした。


 部屋の中は進めば進むほどに野生の王国と化していく。大小様々な柵や檻が並び、その中は犬・猫などの小動物から、先程の馬を筆頭に山羊に羊。豚にロバ……奥には水槽の様なものまで見てとれた。一体ここは何なのか、と不安が恐怖に変わり始めた頃、

「ようナターシャ」

 エスの足は一匹の牛――何度も言うが部屋内だ――の柵の前で止まった。

 ンモォォォと低い鳴き声を上げる巨体の横からのっそりと立ち上がる、これまた大柄な影があった。180以上はあるだろうか? てっきりリュカは男性だと思っていたのだが、

「よぅ久しぶり、ちっと待ってな? ……よーし、異常なし。元気になったねお前」

 そう語りかける声はハスキーではあったが、確かに女性のそれであった。その慈しみを含んだ声に安堵しかけたリュカだったが、この島はソドム、当然マトモな人間であるはずもなく。


「あ、あのー……何してるんすか……?」


 ナターシャと呼ばれた女性は牛の肛門に腕を突っ込んでいたのであった。医療用手袋に包まれた右手をズボッと引きぬくと、


「ちょっとコイツはここんとこ調子が良くなくってね、直腸検査してたのさ。よう人間の屑、まだ野垂れ死んでなかったとは残念だぜ。ミゥちゃんも元気かい? 非道いことされてない?」

「ケケケ、抜かせ牛糞女。俺様が人間の屑ならテメーは生き物の屑だ」

「ナターシャさんこんにちわ。この間のハーネス凄く具合よかったですよ」

「そーだろそーだろ! なんせアタイお手製のだからな! 元々は大型犬用に作ったんだけど、少しキツくなかったか?」

「いえ、丁度ぴったりでした。『散歩』に行く時はいつも着けてるんですよ?」

 そうかそうか、と藁を咥えながらガハハと笑うナターシャ。その身体は大小様々な傷跡だらけであったが、本人に気にしている様子はまるでなかった。浅黒い肌にチリチリした赤髪。エスと同じとは言え彼女のは地毛だろう。掘りの深い顔立ちが日本人であることを否定していた。

「キツくなったらいつでも言いな? すぐ調整して……ん? なんだそのボウズは」

「ん? あぁ。新しく拾った観賞用の間抜け、リュカだ。欲しいならやるぞ?」

「勝手に決めんな! えっと真締 龍河といいます。よろしくですナターリヤさん」

 するとナターシャは笑いながら手を差し出そうとして何かに気付き、手袋を外しながら「ちょっと待ってな」と奥に一度引っ込んだ。


「流石にクソ塗れの手で握手はねぇよな! ナターシャでいい、よろしくな新入り君」


 水に濡れたでっかい掌がリュカの手を掴み、ブンブンと振り回すように上下に振った。あまりの勢いに痛みを覚えるが嫌な感じはしない。寧ろその人柄が解るような温かいものだった。

「で、エス。今日はなんの用だ? ミゥちゃんの相手でも探しに来たのかよ」

「違ぇよ。……でも、それも面白そうだな。一度試してみっか?」

 邪悪な笑みを浮かべるエスの横で、ミゥがハァハァと呼吸を荒くしている。話の中身に察しがつかないリュカは素直に尋ねてみることにした。

「あの、なんの話です?」



「あぁ、こいつぁな。動物性愛者(ズーフィリア)共に動物を貸し出してる専用ブリーダーなんだよ」



「ズーフィ……なんですって?」聞きなれない言葉に首を傾げる。


「ズーフィリアだズーフィリア。解んねぇか? あー……要は獣姦だジューカン。動物とヤる専門の奴らのこった」


 リュカの頭のブレーカーが一瞬でオチた。説明された内容がサッパリ理解出来ず、左の耳から通って右へと抜けていく。だがしかし脳細胞にこびり付いた記憶の残滓は徐々に輪郭を整え、そしてそれがはっきりとした意味となった時、リュカは顔を覆うように頭を抱えた。

「どーした? 頭抱えて」

「結局変態か!」

 顎が外れんばかりの叫び声が響く。


「そいつはちっと聞き捨てならないね!」


 ナターシャは腕を組んだポーズのまま、明らかに不満そうな表情で、ペッと藁を吐き捨てた。


「紀元前の昔っからある由緒正しいジャンルなんだぜ? 航海や放牧で女っ気がない時は代用するために連れてったってぇ地域もわんさとあるしな!」


「聞きたくない聞きたくない。絶対聞きたくない。ってかジャンルってゆーな! 代用ってなんのだよ! いくら歴史があろうが変態は変態じゃねぇか! うっ……頭痛と吐き気が……」


 口元を抑えるリュカに対し、不当裁判の弁護士ばりにナターシャが異を唱える。


「お前さん日本人か? 日本にだってウキヨエとかゆーアートにはタコとファックする女や、エイを孕ませた漁師の話があったりすんだろが」

「知らねぇよ! きっと違う国だよ! 一緒にすん……な!?」

「ほれ」

 そう言ってエスが突きつけた携帯端末の画面には、確かに巨大な蛸に襲われている裸の女の浮世絵がデカデカと映っている。


「ご先祖ォォォォォァァァァァ!?」


「しかも丁寧にショートストーリーまで付いてるとくらぁ。『あれ、憎い蛸だのう。ええ、いっそ、あれあれ、奥の子壺の口を吸われるので……』」

「朗読すんなァァァ!」

「あ、子壺の口ってなぁ子宮口のことで……」

「説明すんなァァァァァ! もうやだ! もーやだ! 見たくない何も見たくない!」

「しかもよ、描いたのは……ほれ、いくらテメェが救いようのない阿呆でも、こいつの名前くれぇは知ってるだろ?」

「誰が救いようのないアホだ! ……あ!?」

 そこに書かれていた製作者は……なるほど、確かに無菌世代のリュカでも――というか歴史を習った者ならほぼ全員が知ってるような、超絶有名人の名前が表記されていた。



 ――葛飾 北斎――日本の浮世絵文化における第一人者、その人である。



 ………………

 …………

 ……

「おーいエス、この新入り君なんかブツブツ呟き始めたが、だいじょーぶか?」

「あー? そろそろお薬の時間なんだろ? ほっときゃ治るほっときゃ。んなことよりほれ、頼まれてたリスト。そのUSBん中に全部ぶち込んであっからよ」

「冨嶽三十六景……八方睨み鳳凰図……ゴッホに多大なる影響を与え……ぶつぶつ」

 エスが取引を終えても、リュカはまだぬるま湯の逃避先にトリップしたままだった。

「オラ、いつまで脳内麻薬でラリってんだ。いい加減こっち帰ってきやがれ」

「痛っ~! 後頭部ハタくな! 廃人になんだろが! ……ってあれ? 富士山は?」

 きょろきょろと辺りを見回すリュカに向かって、受け取れと言わんばかりにダンボール箱が投げられる。ずっしりと詰まったその中身は何だ、と隙間から覗いてみれば。

「なんだこれ……首輪にハーネス、鞭、轡、鞍……もういい……」

「オラ、しっかり持ってこい荷物持ち」

「やれやれ」と新たに加わったそれを抱え、持ち上げていると、


「っま、新入り君の言いたいことも解るぜ。アタイ達はおかしいんだろうさ。いや、おかしいっつーか、世間一般でいう所謂『普通』ってやつとは何かがズレてんだろうね」


 聞こえるのは、今までのからりとした明るい口調とは明らかに違う、寂し気な、何かを諦めたような声。発する彼女がどんな表情をしているのか……箱が邪魔でよく見えない。


「だから聖書の昔から中世に到るまで、アタイらみたいな連中は問答無用で処刑されてきたのさ。『全て獣と寝る者は死刑に処す』ってね」


『魔女狩り』……リュカの脳裏に中学時代の粗雑な知識が浮かぶ。歴史の授業は比較的好きだったので、それはすぐに連想できた。教科書程度の知識でしかないが、相当非道いものだったと聞く。『動物と交わるような者は人間ではない』ということだろう。


「で、現代になったらなったで動物虐待って叩かれるわけだ。確かにそーゆー風に扱う奴らもいるけどな、ウチはこの子達が嫌がるようなことは絶対にさせないぜ? ……ま、でも似たようなもんか。結局は自分の快楽にこの子達を使ってるわけだしな」


 何も言えなかった。いや、言ってはいけない気がして、リュカは黙っていた。ミゥもエスも何も語らず、ただじっと……。


「これがおかしいっつーのは解ってるのさ。でも止められない。結局は快楽に溺れる。行為が終われば我に帰って自己嫌悪。そんな出口のない環状線をぐるぐる、ぐるぐる。イかれた犬みたいに回り続ける……その繰り返しさアタイ達は。そいでその内、出口が何処だったか……いや、そもそもそれが何だったかも分からなくなっちまうんだ。ハッ」


 クルクルと指を回しながら、でも……と彼女は続ける。


「だからっつって、こうなっちまったのを後悔してるわけじゃあないんだ。いや、アタイにはもう出口が見えなくなっちまったからだけなのかもしれねぇけどさ。……あー、こういうのはガラじゃねぇから苦手だぜ。その、な? つまり、何が言いたいかってーとだな新入り君よ、アンタがどんな性癖を持ってるかは知らないけどさ。まぁ程々にってことよ。でないと……」

 向かう親指が指し示す先は、血の赤髪に刃の瞳。



「アタイやそいつみたいになっちまうからね」



 ………………

 …………

 ……

「ハァ……ハァ……ハァ……だぁー、つ、疲れた……」

 大量の荷物を抱え、車を停めた場所に戻る頃にはリュカはすっかり消耗しきっていた。その原因の大部分は体力的なことだけではない。

「んだぁ? なっさけねぇなぁ。ちんこだけじゃなく身体までモヤシかよ」

「だったら自分で持ってください。あと見てもないのに人の肉体的構造を勝手に決めつけんな!」

 ツッコミをいれるのも億劫だったが、ここで何か言っておかないと、この嫌がらせが生き甲斐みたいな男は何をしでかすか解ったものではない。全員に自分の性器についてでたらめ振りまくとか……。そんな想像を浮かべて身震いする。


「大体こいつは精神的疲労です!」


「精神? ゲラゲラゲラ! テメェがそんな繊細な野郎かよ」

「あんな異常なトコ連れ回されたら、どんなに図太い神経の持ち主だって疲れちまいますよ!」

 てっきりすぐにでも、皮肉めいた悪態が飛んでくると思っていた。それがいつものことだったから。だから何秒たっても何も言い出さない状況に、リュカが違和感を感じ始めた頃だった。



 ――なぁ? テメェの『異常』は本当に『異常』か? ――



 静かな声だった。いつものような馬鹿にしたようでも、かといって怒っているわけでもない。とても静かな、染み入るような声。いつも斜に構えて、世界の全てを見下しているような男はそんな『らしくない』口調で問う。

「……はい?」

 思わず間抜けな声で聞き返すリュカ。


「テメェの『正常』は……テメェの『常識』とやらは本当に『正しい』か?」


「な、何を……」

 するとエスはタバコを咥え――最後の一本だったらしい、箱を握りつぶしながら。


「パンツルックとスカート姿。どっちが好きだ?」


「はい!?」

 ますますワケの解らないことを言い出す。


「だから女のよ、パンツルックとスカート姿。どっちが好みなんだって聞いてるんだよ」


「何を馬鹿な……」そう言おうとして慌てて口を噤んだ。エスの瞳が今までに見たことがない程に真剣だったからだ。

「……スカートですかね」


「『女がパンツルックでいるのは犯罪である』っつったら、テメェ信じるか?」


「はぁぁぁぁ?」

 更に更に更におかしなことを言い出した。

『一体全体どうしたんだ? コイツの方こそ頭がどーにかなったんじゃないのか?』


「安心しな、テメェほどボケちゃいねぇよ。だがな、今言った『女がパンツルックで』ってアレな、アフリカや中近東の一部ではマジで犯罪者になっちまうんだぜ? 『女性が異装するのを禁ずる』ってな。それどころか世界のアメリカ合衆国でも、一部の州じゃ違法になってる」


 リュカの頭には、今までのエスとの記憶がリプレイされていた。


『先程の北斎の時も……いや出会ってから今まで、こいつは散々皮肉や悪態は吐いてきたけど嘘だけはつかなかった。なら……これも本当のこと? なのか?』


 受け入れ難い事実を突き付けられ戸惑っていると、エスは更なる真実を懐から取り出した。


「他には例えば――……そうだな、テメェが小学生に一目惚れしたとするだろ?」


「一緒にすんなロリペド野郎」


「例えばっつってんだろうが。そのガキと結婚してぇと思った時、そいつが『初潮を迎えてたら結婚してもいい』――なぁんつー国もある。現実に、今この瞬間にもな」

「……んな馬鹿な……」


 それしか言葉が浮かばない。リュカの頭に『日本の場合』のシミュレーション結果が構築されていく。この変態隔離法が出来る以前は――リュカが知る限りだが――即警察を呼ばれ逮捕、何年も刑務所に服役し、例え出所しても一生後ろ指を差されて生きていく……それが通例だったと聞いていた。


「つまりだ。常識だの道徳だのっつーのは、そうゆー流行歌のランキングみてーにコロコロ変わっちまう不確かなもんなんだよ。時や場所、国や宗教、民族性によってな」


「……っ! それは……」

 反論出来なかった。続く言葉を紡げなかった。

『確かに……日本だって昔はこんな法律なかったし……それにほんの数百年くらい前まで僕くらいの子供が総大将の首を切って、罰せられるどころか褒められたりしてたわけだし……』


「だとしたらだ、『常識』ってぇのは一体なんだ? テメェの持ってる常識は本当に正しいのか? 異常異常言ってるテメェは本当にマトモなのか?」


 当たり前だ――と言いたかった。


 ――言えなかった……そんな話を聞かされては。なんだか自分が居る世界がとてもあやふやで、曖昧なものの上に建っているような錯覚に陥って……地面すらぬかるんでいるように感じて、空も割れて落ちてきそうで、自分の身体の輪郭すら朧気に見えてきて……目眩がして、リュカはその場でよろめいた。その肩を何かが受け止める。エスの触手だった。


「……とまぁ、そういう考え方もあるってこった。真実なんてもんはよ、人の数だけ転がってるもんさ。少なくとも、俺様の信じる真実はそれだ。テメェはテメェの、テメェだけの真実を探すんだな」


 ――僕の、僕だけの真実……。そんなものが見つかるんだろうか? ――


「どの真実が、誰の真実が正しいだとか間違ってるだとかじゃねぇ。ただ自分の中の真実ってやつを……信念ってやつを貫けばいい。そうすりゃどんな時もブレたりしないで済む。テメェもそういったモンをその貧相なココに持つこった」

 エスはリュカの心臓の辺りを軽く小突いた。


「少なくとも、こんな戯言に惑わされない程度の、な」


 そう言って、またシニカルに笑いながら……。



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