†我ハ漆黒ノ不死鳥也† エピローグ
一点の汚れすらない白い雪が、一面に広がっている。ときおり強い風が吹き、大地に積もった雪が舞う。
ここは城塞都市ダナンの北方にある雪原フィールド。冷気属性のモンスターが多数生息するエリアだ。
雪に小さな足跡を付けながら、そこを歩く一人の少女の姿がある。フードの付いた黒い外套を着た、小柄な少女だ。手には黄金色の長杖を持ち、彼女はそれを振るって襲い来る魔物に魔法を放ち、次々と撃破していた。
「……チッ」
狩りは順調に進んでいるように見えるが、少女……エンジェは不機嫌そうに、小さく舌打ちをした。
彼女が考えているのは、少し前に会った少年の事だった。
(あいつは私に似ている)
それがその少年、黒羽根不死鳥に抱いた印象だった。
あの少年は兄であり、自分は妹として……という立場の違い、それから「相手」に対して抱いている感情の違いなどの差異はあるものの、その根底となっている物は同じであると、エンジェは感じていた。
(妹に対する、あるいは兄に対する劣等感)
それこそが不死鳥の、そしてエンジェ自身の根源であった。
(しかし奴と私は似ているが、違う)
あの少年はそれを受け入れた上で、全てを懸けて妹を護ると言った。
それは、VR空間にログインしたばかりの初心者である彼が【Force of Will】を発動させられる程の強く、揺るぎない意志。
それに対して自分はどうであろうか、とエンジェは考えた。
エンジェ……四葉杏子には兄が居る。
彼女が物心つく前から多忙であった両親に代わり、彼女の面倒を見ていたのは不破恭志郎という名の親戚のオッサンと、歳の離れた兄、四葉一夜だった。
兄、一夜は天才だった。
幼い頃から勉強も運動も同年代の子供達では敵うどころか相手にすらならず、まるで凡人の努力を無意味だと嘲笑うかのごとく、何をやらせても最高の結果を叩き出す。そんな少年だった。
若くして単身渡米し、飛び級に飛び級を重ねてごく短い時間で大学を卒業。向こうに居る間に父の友人で科学者のアイザック・フォークナーとの共同開発で多くの特許を獲得。かなり荒稼ぎしてきたらしく、また一般には知られていないがVR技術の開発にも一枚噛んでいるらしい。
帰国後は何を思ったのか、その資金を元手に突然ネットカフェ「クローバー」を開店し、気が向いた時に厨房に立ったりシステムメンテナンスをする程度の悠々自適な半ニート生活を送っており「働きたくない」が口癖なっていたりするのだが、それでも十分すぎる程に稼げているあたりが恐ろしい。
ともあれ、そんな兄を見て育ったエンジェは、彼を尊敬しているのと同時に、強い劣等感や嫉妬といった感情を抱いていた。
そんな彼女にとって、黒羽根不死鳥という少年は自分自身と重なって見える部分が多かった。
(奴は強い。そして私は弱い。何故だ)
このゲームにおけるキャラクターの強さ、戦闘能力という面においては、エンジェは強い。初心者の不死鳥とはキャラスペック、プレイヤースキル共に、それこそ比較にならない程だ。
それに彼女は兄や色々と常識外れなおっさんを見て育った為に、彼らと比較して自分を過小評価しすぎる悪癖があるが、実際には彼女自身が思っている以上に優秀である。少なくとも黒羽根不死鳥という少年と比較すれば、劣っている部分は殆ど無いと言ってもいい。
だがエンジェは彼を見て、言葉を交わしてこう思ったのだ。敵わない、と。
(何故、私はこんなにも弱い……)
【赤い手】のPK達を相手に不覚を取った事を思い出し、己を責めるエンジェ。
彼女は戦いで負けた訳ではないし、むしろ多数の敵を葬り去った。多数のPKを相手に、素晴らしい戦果を挙げたと言えるだろう。
だが、彼女自身にとっては到底納得できる物ではなかった。
最初の奇襲によって優位な立場に立てたにも関わらず、PK達はすぐさま体勢を立て直し、優れた連携によってこちらの動きを封じる事のみに集中してきた。
それに対応する前に、助けようとした相手を害されるという大失態。結果的に彼は自力で何とかしたが、そんなものは結果論に過ぎない。
そもそも相手は初心者を集団で追い回すような下種とはいえど、対人戦闘のエキスパートであるPKだ。そんな人間の集団に対して、油断などして良い筈もない。
だが、あの時の己はどうであったか。相手を格下と見て、慢心してはいなかっただろうか。奇襲が決まり、相手が己に恐怖する姿を見て、油断してはいなかっただろうか。
もしもあの場にいたのがカズヤだったならば、あの兄妹を下種共の凶刃から守りきっただろう。あるいはあの場にいたのがおっさんであったならば、奴等が何かをする前に有無を言わさず全滅させていただろう。
だが、自分は失敗した。
「有利な状況になると気が緩み、詰めが甘くなる。お前の悪い癖だ」
とは、彼女の兄の言葉である。
その言葉を思い出し、全くもってその通りだ、と痛感するエンジェであった。
思えばいつもそうだった。精神的な未熟さゆえに、拾えたはずの勝利を逃がした事が何度もある。
「……くそっ」
モンスターの群れに火球を放つエンジェ。放たれたそれは複数体のモンスターを纏めて焼き払い、一撃でそのHPを消し飛ばした。
凄まじい威力である。こと攻撃魔法に関しては、このゲームで彼女の右に出る者はいない。
だが、自身の攻撃が敵を一撃で吹き飛ばす光景を見ても、彼女の心が晴れる事はなかった。
そんな時だ。彼女の前に、一人の男が現れたのは。
「……おや、兄上ではないか。奇遇だな」
雪原の向こうから、ゆっくりと歩いてきた、白いドラゴンの子供を連れた長身の男。それは彼女の兄、カズヤであった。
彼はエンジェの前まで歩いてくると、立ち止まって口を開いた。
「負け犬の目をしている」
「…………何?」
開口一番、いきなりエンジェを罵るカズヤ。
最初、何を言われたのかわからないといった様子だったエンジェだが、カズヤが言った言葉の意味を理解すると、怒りの表情でカズヤを見上げた。
「夕食の時から心ここにあらずといった様子で、何やら思い悩んでいる様子だったから気になって来てみれば……そうか、またいつものように負けたのか」
「……私は今、機嫌が悪い。喧嘩を売っているのならば言い値で買うぞ」
カズヤに図星を指され、怒るエンジェ。そんな彼女にカズヤは問う。
「力が欲しいか?」
彼の問いの意味がわからず、暫し逡巡するエンジェであったが、やがてカズヤの目を真っ直ぐに睨みながら力強く頷いた。
「欲しい」
「そうか。ならばお前は、何の為に力を求める?」
「……それは」
兄の問いに答えようとして、エンジェは言葉に詰まった。
何の為に。誰が為に、自分は強くなりたいのか。
思わぬ問いに悩むエンジェ。カズヤがそんな彼女の脇を通り過ぎる。すれ違いざまにカズヤは言った。
「【Force of Will】は意志の力。それを使いこなすためには、何があろうと絶対に揺るがない信念が必要だ。それに限らず、このゲームはプレイヤーの意志やイメージ力といった物が非常に重要だ」
彼の言う通り、【Force of Will】や様々なイリーガルスキルに表されているように、このゲームにはプレイヤーの思考を読み取り、反映させるシステムが存在している。
またプレイヤーが操るキャラクターを動かすのは、彼ら自身が持つ意志の力による物だ。ゆえに、それはこのゲームにおいてはある意味、キャラクターのステータスやスキル以上に重要なファクターとなる。
「何の為に強くなりたいのか……それすらも曖昧なままでは、俺に勝つ事など不可能だ。まずは自分の心を見つめ直す事から始めることだな」
そう言い残し、カズヤは歩き去ろうとする。
「……待て」
だがその時、エンジェが呟く。
雪原に吹く強風に遮られ、聞き逃してもおかしくない程にか細い声であったが、カズヤはそれをしっかりと聞き届け、立ち止って振り返る。
「何の為に力を求めるのか。そう言ったな」
「ああ、言った。答えは出たのか」
「あまり私を舐めるなよ兄上。答えなど……」
エンジェは言葉を切り、目を閉じる。そして自身の左胸に手を当て、心臓の鼓動を確かめるようにしながら、ゆっくりと呼吸をした。
そして、エンジェが目をかっと見開く。
「答えなど、最初からこの胸にあったわ!我が最大の願いは今も昔もたった一つ!あなたを超える事だ!」
大気を震わせる叫び。その声に呼応するように、彼女の仮初の体が光を放つ。
「お前に、できると思っているのか?」
カズヤが、嘲るようにエンジェを煽る。だがその表情は優しかった。
エンジェはそんな彼に向って犬歯をむき出しにして、ニヤリと悪どい笑みを浮かべてみせた。まるで、あの謎のおっさんのような不敵な笑みだ。
(馬鹿になれ。あの黒羽根不死鳥のように)
昼に出会った頭の悪い少年の事を考え、笑いがこみ上げようになりながら、エンジェは叫んだ。
「出来るか出来ないかなど知った事か!絶対にやってみせる、それだけだ!」
そして遂に、彼女は至る。
黄金色の光が、彼女を包み込んだ。
(そうか……なんだ、簡単は事ではないか)
思えば、その意志は最初から彼女の中にあり、目覚める時を待っていた。
だが目標とする背中はあまりにも遠く、彼女は自分自身を信じられないでいた。
ゆえに、その願いは胸の中で眠ったまま、劣等感や嫉妬だけが積もっていった。
だが、そんな彼女の心の扉は強引にこじ開けられた。
突然現れた無鉄砲で破天荒な少年と、彼女が超えるべき男の手によって。
「……世話の焼ける奴だ」
「ククク……!感謝するぞ兄上!我の目は今開かれた!まるで新しいパンツを穿いたばかりの元旦の朝のようなすがすがしさだぞ!フハハハハ!」
「ふん……俺はただ、下らん事でうだうだと悩んでいる愚妹を罵りに来ただけだ。礼など言われる筋合は無い」
「全くツンデレだな兄上は!フハハ!」
「黙れ愚妹。来月のお前の小遣いは50%カットだ」
「鬼か!?ええい、それはともかく勝負だ兄上!私が勝ったら来月のお小遣いは通常の三倍にするのだ!」
杖を構え、カズヤへと向けるエンジェ。その表情には、もはや迷いも憂いも存在しなかった。
「いいだろう。それに加えて、もしもお前が俺に勝てたならば……これをくれてやる」
そう言ってカズヤが取り出したのは、一冊の書物。
その正体は勘の良い読者の皆様ならば察しが付くであろう。そう、ユニークアイテム習得のキーアイテム、【究極魔法の書】である!
それを見て目の色を変えるエンジェだったが、背負った二本の剣を抜き放ち、隙の無い構えを取るカズヤを前に気を引き締め直した。
「行くぞ……!今日こそ私は、あなたを超えるッ!!」
あまりにも遠い背中。それに絶望しながらも、願いを捨てきれずにいた少女。彼女はようやく最初の一歩を踏み出した。
◆
「うあ~……眠い……」
寝不足で疲れた目をこすりながら、四葉杏子が通学路を歩く。
遅くまでアルカディアをプレイしていて、いつもより寝るのがだいぶ遅くなったのが原因だ。学校に行くのが非常に億劫だが、それでも新学期早々サボるわけにもいかず、重い体に鞭打って杏子は歩いた。
学校の近くに来たところで、杏子は気怠そうな様子から一転、背筋を伸ばして姿勢を正す。そして服装や髪型を素早くチェックして、乱れが無い事を確認した。
別に彼女の通う中学校が規律に厳しい訳でも、ごきげんようと挨拶を交わしてタイが曲がっていてよと指導してくる上級生が居る訳でもないが、イメージという物がある。学校での彼女は無口な優等生で通っているのだ。
杏子は静かに歩きながら、登校する生徒の群れの中に入る。
やがて校内に入り、教室を目指して廊下を歩いていくと、彼女の教室の中から生徒達の笑い声がするではないか。
朝から騒がしい。そう思いながら杏子は教室を覗き込んだ。
「荒ぶる不死鳥のポーズ!」
「わはは、いいぞ不死鳥ー!」
見れば、黒羽根不死鳥が男子生徒達に囲まれながら騒いでいた。
(またアホが何かやってる……)
そんな彼らをスルーし、彼女は教室の片隅にある自らの席へと向かった。
(向こうは私には気付いていない……筈。銀髪じゃないし、眼帯もしてないし。現実では一回も喋ってないし)
そう考えながら教室内を早足ぎみに歩く杏子だったが、そんな彼女を目ざとく見つけた不死鳥が、教室中どころかフロア全体に響くほどの大声で叫んだ。
「あ、魔王様だ!おはよう魔王様!」
「ちょっ……!?」
大声で呼びかけ、ぶんぶんと大きく手を振る不死鳥と、完全に固まる杏子。それを見て、クラスメイト達がざわめく。
「魔王様……?」
「魔王様って何だ……?」
「四葉さんの事っぽいよ?でもなんで魔王?」
「ていうかあの二人、いつの間に仲良くなったんだ?」
その声に正気に戻り、エンジェは赤くなったり青くなったりしながらも、
「ひ、人違いだから……!」
何とかそれだけ言って、廊下へと走って逃げようとする。しかし廊下に出たところで、彼女の前に立ちはだかる影が。
「あ、魔王様だ。おはよう」
「げっ……!」
その人物は黒羽根天使。黒羽根兄妹の妹のほうだ。小柄な杏子との体格差は相当の物で、その長身を使って杏子の逃げる先を塞いでいた。
杏子は咄嗟に、天使の居る反対方向へと逃げようとする。しかし、
「天使、魔王様を逃がすな!」
「らじゃー……」
素早く天使が回り込む。大魔王は逃げられない!
だが長身の彼女に対しては、逆に低い位置が死角になる筈。そう考えたエンジェは、咄嗟に体勢をギリギリまで低くして、素早く駆け抜けようとするが……
「ヘイ!リーリーリー!リーリーリー!」
そこに現れたのは黒羽根不死鳥。両手を左右に大きく広げ、体勢を低く、足を広げた状態で素早く左右へと動いて進路を妨害する。
「ディーフェンス……ディーフェンス……」
そして上は天使が完全に塞いでいる。逃げ場無し!
「つかまえた」
「よし!魔王様を教室にお連れするぞ!」
そして杏子は天使に捕まり、抱き上げられる。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
そのまま教室へと連行され……そこで杏子の我慢が限界を迎えた。
「ええい離せ無礼者どもが!私を誰だと思っている!」
叫び、素早く天使の腕から飛び降りる杏子。
教室の真ん中へと華麗に着地すると、元凶である不死鳥を睨みつけた。そして、全身全霊の拳を不死鳥に向かって振るう。
「裁きを受けるがいい!エターナルダークフレイム!」
「負けるかああああ!フェニックスフィンガー!」
対する不死鳥は、広げた掌を勢いよく突き出して、杏子の拳を受け止めんとする。拳が掌に当たり、パーン!と乾いた良い音が教室全体に響き渡った。
「「ちぃっ、互角か!」」
同時にそう言って、弾かれたように跳び退がって構えを取る二人。そんな二人を、クラスメイト達はポカーンとした目で見つめていた。
彼らの視線に気付いた杏子が、慌てて逃げ出す。
「魔王様が逃げたぞおおお!者ども、追えーい!!」
不死鳥が叫び、天使がどこから取り出したのか法螺貝を吹き鳴らす。
その声に釣られて、クラスメイト達も一緒になって、杏子を追い始める。
「魔王様って呼ぶなあああああああ!」
逃げながら杏子が叫ぶ。
彼女の騒がしくも楽しい日常は、まだ始まったばかりである。
これにてスピンオフ番外編、†我ハ漆黒ノ不死鳥也†は完結になります。
以下、解説という名の蛇足:
この話は魔王様ことエンジェに友達ができるまでのお話であり、彼女の成長を描くためのお話でした。
元々エンジェというキャラクターは
「実力はあるが精神的に幼く、肝心なところで勝負弱い」
「兄に対する強いコンプレックスがあり、乗り越えたいと思っているが、彼と比較して自分に自信が持てないでいる」
といった、精神的に弱い部分が多い未成熟な少女でした。
そんな彼女が自分の殻を破り、成長するための話を書きたいと思っていたところに「黒羽根不死鳥」という、ちょっとイカレたキャラクターが思い浮かんだのが、この話を書こうと思った切欠になります。
変な名前の変なキャラクターを、エンジェの成長にどう絡めていくか。それを中心にプロットを組みましたが、いざ書き始めてみると妹の黒羽根天使も含めて、黒羽根兄妹が大暴走。
おっさん以上に自由に動き回って制御がきかない状態になる事も、しばしばありました。
結果として思うように筆が乗らなくなり、途中ちょっとグダったりした点は大いに反省する所であります。
最近はもう「プロットは崩壊する物」と諦めるようになりました。
そんな感じでおっさんの出番が無い状態でスピンオフに多く時間をかけて、不満に思った読者の方もいらっしゃるとは思います。実際に批判もありました。
ですが私としてはエンジェというキャラクターを掘り下げる事ができ、また黒羽根不死鳥・天使という一風変わった兄妹の物語を書く事ができたのは、とても良い経験になったと思います。
第三部の開始にはもう少々時間をいただく予定ですが、もうしばらくお待ちいただければ幸いです。
今後も「謎のおっさんとMMO」をよろしくお願いします。




