32.俺は自重をやめるぞ恭志郎ーッ!
株式会社アルカディア・ネットワーク・エンターテイメント。世界初のVRMMORPG「アルカディア」をはじめ、様々な人気VRコンテンツを世に送り出しているVR業界の雄だ。
その第一開発室に勤務する二十代半ばの男性、木村はキーボードを叩きながら、ちらちらと時計を気にしていた。
もうすぐ夕方の五時、すなわち定時だ。
VRMMORPG「アルカディア」の開発・調整を一手に担うこの第一開発室は、この会社の中でも特に重要な部署であり、そこに勤務する者達は選りすぐりのエースである。その自覚と誇りを胸に、彼らは今日も過酷な業務に従事している。
そういった訳で普段ならば定時退社の時間など意にも介さず、深夜までデータと睨めっこを続けている彼らであったが、そんな彼らとて人間だ。たまには休息も必要である。
ちょうど昨日、次の大形アップデートの準備があらかた完了したところだ。今は動作確認やバグチェック、細かな調整を行なう最終段階。最後まで気は抜けないが、山は越えた。
というわけで今日は、いつ以来かも覚えていない定時退社の日なのである。木村がつい時計を気にしてしまうのも無理からぬ事だろう。
「おい木村ぁ、気持ちはわかるが最後まで集中しろい」
「げっ、四葉室長!すいません、つい」
「げっ、とは何だこの野郎。そんなに暇ならお前だけ残業するか?」
「ちょっ、勘弁して下さいよ!今日は久々に彼女とデートなんですから……」
そんな風に集中が途切れていたところに、ちょうど通りかかった第一開発室の室長、彼らのボスたる四葉煌夜に注意され、慌ててペコペコと頭を下げる木村。
「チッ、しゃーねぇな。気持ちは分かるから許してやらあ。俺も今日は、久々に娘と一緒に晩飯が食えそうで定時が待ち遠しかったところだ」
そう言って楽しそうに笑う煌夜。多忙極まりない彼は普段、碌に家族サービスもできない事を内心気にしていた。
「息子さんはスルーですか」
「ん?アイツは良いんだよ。もう成人してて手間もかからねえし、顔を合わせりゃ憎まれ口ばっかりだしな。まったく誰に似たんだか……きっと恭志郎だな。あいつが全部悪い」
悪友のふてぶてしい顔を思い浮かべて悪態をつく煌夜だったが、そんな彼を近くにいた女性が窘める。
「相変わらず素直じゃないわね、あなたも一夜も。私から見れば二人ともそっくりよ。それに、あんまり恭志郎さんを悪く言っちゃダメよ。ただでさえ私達の代わりに、昔からあの子達のお世話をして貰ってるんですから」
「うっ……そりゃあ、俺だってアイツには感謝してるけどよぉ……」
話しかけてきた女性は四葉桜。煌夜の妻であり、同じく第一開発室に務める室長補佐だ。首の後ろを掻きながら、ばつの悪そうな顔で弁明しようとする煌夜だったが、その時だ。
彼のデスクに置いてある電話が、コール音を鳴らす。それは静かな室内によく響いた。
「電話か……終業間近だってのに、また面倒事じゃなけりゃあいいが」
彼のそんな呟きに、その場に居た者達はピコーン、とフラグが立つ音が聞こえた気がした。
「はい、こちら第一開発室の四葉ですが」
「どうも、アルカディア運営チームの白井です。すみませんね四葉さん、こんな時間に」
「………………」
電話をかけてきた男、白井は運営チームのメンバーの中でも、それなりに高い地位にいる人間だ。
そんな人物がわざわざ自分に直接連絡を取ってきた。煌夜は嫌な予感を感じた。
「いや……それで白井さん、どうしました?」
「……それがですね。あの連中、またやってくれましたよ。大型アップデートの告知を出したばかりだってのに、話題を一気にかっ攫われましたわ。……今、映像を送ります」
「確認しよう。ああ木村!ゲーム内の映像をモニターに出せ!」
「わかりました。場所は?」
「……西部8エリア。イグニスだ」
「……あっ(察し」
どうやら嫌な予感が当たったらしいと、諦め顔で煌夜は送られてきた映像を再生する。同時に、部下にゲーム内の映像を表示させるように指示を出した。
数分後、それらの映像を確認した煌夜は深々と溜め息を吐いた。
「やられましたな」
「ええ、やられました。……ですが、我々とてこのまま黙って引き下がる訳にもいかんのですよ」
「同意です。確かに連中のやらかした事は大したモンだと認めざるを得ませんが、だからって今までせっせと用意してきたモンが話題にもならねえと来ちゃあ、腹の虫が収まらねえ」
「……やってくれますか」
「やりましょう。今夜中には詳細をまとめますんで、明日の朝イチで告知をブチ上げてください。必ず間に合わせます」
「よろしくお願いします」
煌夜は電話を切ると、精神を落ち着かせる為に目を閉じて大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐いた。しかる後に、かっと目を見開く。
「すまんな桜。家族サービスはお預けだ。杏子に謝っといてくれ」
申し訳なさそうに言う煌夜だったが、その姿は普段見せる父親や夫としての物ではなく。そこには、ゲーム開発に己の全てを賭けた、一人の修羅の姿があった。桜はそんな夫を、いつもと変わらない笑顔で見守る。
時刻がちょうど夕方の五時になり、定時のチャイムが鳴る。
「お前ら、話は聞いてたな?悪いが明日からまた徹夜だ!だからその分、今日は久しぶりに定時で帰って、ゆっくり休んでくれ」
部下達にそう声をかける煌夜だったが、その場に居る者達は誰も席を立とうとしない。それどころか、ギラギラと燃え盛る目でモニターを睨みつけながら、まるで親の仇のようにキーボードを高速で力強く叩く有様だった。
「冗談はよして下さいよ室長。こんな面白ぇ事、俺ら抜きでやるつもりっすか」
「ちょうど仕事が少なくて退屈してた所です」
「定時で帰ったところでやる事もないですし、付き合いますよ」
「お前ら……」
やる気に満ちた部下達を見て、薄く笑みを浮かべる煌夜。そんな彼に、木村が声をかける。
「室長」
「おう木村。お前、今日はデートだったな。お前は今日は……」
帰っておけ、そう言おうとした煌夜を遮り、木村は言った。
「ちょっと彼女に電話で謝ってくるんで、十分ほど外します。戻ったら新しい企画を考えたんで、相談に乗ってください」
「お前……」
頭を下げ、退室する木村。彼は廊下を歩きながら携帯端末を取り出し、電話をかける。
彼女は許してくれるだろうか。今日こそは愛想を尽かされるかもしれない。
そう不安になりつつも、彼にはここで帰るという選択肢は無かった。
◆
「只今戻りました……」
「ああ、お帰り……ってオイ、どうした木村?」
十分を少し過ぎて、戻ってきた木村を見てぎょっとする煌夜。木村の両目は、泣きはらしたかのように真っ赤になっていた。
「四葉さん……俺、彼女に言ったんですよ。久しぶりのデートなのに、急に仕事が入って行けなくなったって……そしたら彼女……」
「……ああ」
振られちまったか。どう慰めたものか……。そう考えた煌夜だったが、
「何も聞かずに、お仕事がんばって、楽しみにしてる……って……!俺、それを聞いたらもう、何も言えなくなっちまって……」
「………………そうか。彼女、やってんのかい?アルカディア」
「はい……正式サービス開始から、ずっと……」
「そうか……。なら、その人の為にも最高のゲームを作らねえとな。木村、すぐに企画書を用意しろ!」
「……うっす!」
急いでデスクに戻り、モニターに向かう木村。
新たな修羅が、また一人生まれた瞬間であった。
明朝、アルカディア公式サイトには追加アップデートの告知が掲載された。
Ver2.5アップデート内容 修正のお知らせ
◆追加アップデートその1・新エリア追加
新エリア【大陸北東部】【大陸南西部】【大陸南東部】【大陸外洋】を追加!
併せて大陸各地にダンジョンを七個追加します。
◆追加アップデートその2・魔導船舶を実装
魔法工学スキルで大型船を作り、大海原を冒険する事が可能になります。
◆追加アップデートその3・ギルド間戦争に新機能実装
複数のギルド同士で連合を組み、連合同士で戦う大戦を実装します。
また飛空艇を使った空戦、魔導船舶を使った海戦も併せて実装。
ギルド間戦争に使えるギルドスキルも多数追加予定。
◆追加アップデートその4・街襲撃イベント実装
これまで大きな街には近付いてこなかったモンスターや敵対NPC。
今後は、大規模な徒党を組んで街を襲撃するようになります。
場合によっては万を超える軍勢、巨大なボスモンスターの襲撃も。
突破を許せば作った街が廃墟と化す可能性もあります。
プレイヤーの皆さんの力を合わせて、襲撃を防ぎましょう。
◆追加アップデートその5・懐かしの【試練の塔】実装
βテスト後半の舞台となった、全60階層のダンジョン【試練の塔】。
装いも新たに、当時を遥かに超える難易度で再び登場!
βテスターの皆様にとっては、非常に懐かしい場所でもあるでしょう。
βテスト開始から一周年を記念し、あの塔が遂に復活しました。
当時を知らないプレイヤーの皆様も、ぜひ挑戦を。
千人のβテスターの内、踏破者わずか七名の地獄がそこにある。
◆追加アップデートその6・【絶技】実装
絶技は、二人のプレイヤーが協力して放つ究極奥義です。
その威力は通常の奥義の比ではなく、極めて強力。
ただし習得には二人で専用のクエストをクリアする必要があり、
個々の力は勿論、二人の連携や絆の強さが試されます。
補足:
絶技は一人のパートナーにつき、一つ習得可能です。
複数のパートナーと複数の絶技を習得する事は可能ですが、
二つ目以降の絶技を習得するには大量の経験値が必要になります。
最初のパートナー選びは慎重に行なう事をお勧めします。
◆追加アップデートその7・【アバターチェンジ】実装
本来Ver3.0で実装予定だったシステムの内、アバターチェンジを先行実装!
プレイヤーの皆さんは人間以外の種族を選ぶ事はできませんが、
このアバターチェンジを使う事で、種族を変更する事が可能です。
種族が変わる事で見た目は勿論のこと、各パラメータへの補正値、
各スキルの成長しやすさ等も変化します。
また、併せて各種族に種族専用スキルを導入します。
種族専用スキルは、該当する種族にチェンジしている時のみ効果を発揮します。
補足:
アバターチェンジは、一週間に一回だけ可能になります。
(課金アイテムを使う事で、一週間以内でも再び行なう事ができます)
変更可能な種族は、グランドクエストで解放した種族になります。
現在はドワーフ、エルフ、ビースト、ウィングを選択可能です。
エクスマキナ、ドラグーン、デモニスへの変更は、
今後のグランドクエストをクリアする事で可能になります。
運営・開発チームが本気出した。
あと木村の彼女マジ聖女。
(2016/3/10 誤字修正)