終章
終章
結論を言うと、逃げられたらしい。
「――逃がしただ? お前……あんな危険な魔法使いを? しかも、きっちり捕まえたはずのカレヴィも行方不明だって?」
オーウェンは寝台の上で、驚きの声を上げた。
「みゅう」
報告書を読んでいた三つ編みの――シェリアが、オーウェンの声に身を縮めた。
「わ、私のせいじゃないですよう。自警団は今もひどい有様だって、言ってましたよ。建物を建て直そうってくらいぼろぼろになっているらしいです。あんな中から人を探せだなんて、無茶だ、って嘆いていました。……それで、超特急で瓦礫だけでもあらかた片付けてから探してみたら、案の定逃げられていた、と」
「……カレヴィのほうは?」
「それは……そのう……」
シェリアが言いにくそうな顔をして、ちらりと背後の――黙々と机に向かって書類を片付けている人物に目を向けた。
オーウェンとシェリアの視線に、ん? とその人物が振り向く。
ヘルガ。
ここは診療所の一室だ。
怪我をしたついでに久々に休息を取ってゆっくりしてろうかと思っていたら、ずかずかとシェリアや局長が書類を携えてやって来たのだ。
ヘルガに至っては「ここは私の診療所だ」とさもこの部屋を使うのが当然というように不思議そうな顔で首を傾げるので、オーウェンは呆れて言葉を失くしてしまい、仕方なく諦めることにしたのだ。
それで渋々と、シェリアが報告書を読み上げているのを聞いているわけで。
「カレヴィはどうした、カレヴィは?」
オーウェンは横目にヘルガを睨みつつ問う。
「あのう、……あのチンピラなカレヴィさんは、ヘルガさんとの対面中に、隠し持っていた魔道具を使って、脱走したらしいです」
「……それは」
ヘルガを見ると、にやにやと笑み。
悪い顔。
「ヘルガ!」
オーウェンが言うと、「なんだ?」ととぼけたふりをして首を傾げてみせ、しかしどうにも笑みが抑えられないのか、にやにやにや。
確信犯だ。
「まあ、逃げられたのなら仕方がないだろう。諦めろ」
「局長っ!」
窓際の――こちらも書類をめくりながらそう言っている魔法ギルドの局長に、オーウェンは声を荒げた。
ちなみに局長の隣、オーウェンに近いほうの椅子には、おなじみのドラゴンの死骸を抱いて、ちょこんとメリルが腰掛けている。
びくりと肩を上げたメリルに、「すまん」と戸惑ったようにオーウェンが謝る。
ヘルガが顔をしかめて言う。
「病室では静かに。病人の迷惑になるだろう」
「――俺がその病人なんだが?」
オーウェンはまたヘルガを睨んだ。
どうせヘルガのことだから、オーウェン以外に治療を受けている者はいないに違いないのだ。
「しかし、お前には早く戻ってもらわないと困るんだが」
局長が言う。
フェアリーアイズ現象。
メリルがオーウェンから魔力を引き戻したため収束すると思われていたそれは、魔法使いの余計な手出しのせいで、再発。メリルのときのような法則性すらなくなり、手に負えない様相を呈しているらしい。
「この街で、フェアリーアイズ『ではない』人の子は、お前一人になってしまったようだからな。オーウェン」
局長がため息をつく。
メリルでさえもその魔法に巻き込まれているのだ。
灰色と、淡い青のフェアリーアイズ。
――綺麗だな、さすがメリルだ。とオーウェンは思う。
ちなみにオーウェンのことは当の局長から「ただ一人オッドアイでない、オーウェン・オッド・プロイスナー」と散々からかわれている。
そう、今オーウェンの目は、フェアリーアイズ「ではない」。
緑の双眸。
しかもたまに、琥珀色に変わる。
オーウェンが頭を掻き毟って言う。
「俺だって好きでこんな魔力を受け入れているわけじゃないんだぞ」
「ごめんね」
メリルが申し訳なさそうに謝ってきた。
いや、君が謝るようなことじゃ。とオーウェンはごにょごにょごにょ。
――そうだ、全部、あの性悪魔法使いが悪い。余計なことをしやがって。
悪態。
ぶつぶつぶつ。
メリルをしつこく付け狙っていたあの魔法使いが「余計なこと」をしてくれたせいで、オーウェンからドラゴンの魔力を引き離すのはほとんど不可能になってしまっているらしい。
ドラゴンの魔力はオーウェンの中に沈みこんでいて、オーウェンが魔力を放つと目が琥珀色に輝く……ようだ。
牢の中で魔法使いやカレヴィがオーウェンに驚いていたのも、暗闇の中でらんらんと光る琥珀色の目を見たせいだったらしい。
魔力自体は自然と受け入れられるし、ドラゴンの魔力が不可分になったおかげで美少女であるメリルがずっとそばにいてくれるのも大歓迎なのだが、この、「魔法を使うと目が光る」という性質が厄介でならない。
オーウェンは今もサングラスをかけているが、魔法を使えばやはり、目が光っているのは分かる。
「……そもそもやっぱり、最初から局長があの魔法使いの相手をしていれば、フェアリーアイズ現象もすぐに収まって、ややこしいことはなしで、事件が解決していたんじゃないのか?」
ぎろりと睨んでオーウェンは言った。
この言葉に局長は少し首を傾げる。
「それはその通りだが……しかしわたしが『そう』していたら、そこのドラゴンの身は魔法ギルドなり魔法使いギルドなりの本部に引き渡さなければならなかっただろう? ドラゴンの死骸を狙ってくる魔法使いは多いんだ。――あの魔法使いを相手にしたお前なら分かるだろう、オーウェン」
「いや……分かるが……」
そうではない。
――そういうことを言いたいわけではない。
「だって、引き渡したら――何か問題があるのか? いやもちろん俺としてはメリルが困るようなことは困るんだが……、局長、あんたは違うだろう? いつもはそうやってさくさく事件を解決してるじゃないか」
今さら「良心が痛む」などと言われても、オーウェンには信じる気などない。
この魔物の局長がこういったことを企むときは、たいてい、なにかオーウェンが考え付かないような理由があるのだ。
「……オーウェン。お前、なにか勘違いしていないか?」
局長は首を傾げたまま言う。「問題がないわけがないだろう。わたしにだって、同族愛はあるんだぞ?」
「同族愛だ?」
オーウェンは目をしばたく。
例の人喰い猫のときは自警団の牢に容赦なく放り込み、今回だって、そいつにちょっかいをかけて魔力を上乗せして――局長の怪我は魔力を上乗せするのときに負ったものなのだと後から聞いた――暴れさせたりしたというのに。
……いや。
オーウェンは局長の琥珀色の目をじっと見つめる。
メリルが抱くドラゴンと同じ、琥珀色。
同族愛。同胞。
「……は?」
オーウェンはその答えを知って、冷や汗が出てきた。
局長はそんなオーウェンの様子を知ってか知らずか、飄々と言う。
「このドラゴンの魔力がお前に移ったのも、単にお前との相性が良かったせいだけではないんだろうな。たぶん、普段からわたしのそばで仕事をしていたせいで、そういう耐性ができていたんだろう。いやあ上手くいって良かった」
「……そっ、局長。それ。魔法使いのこともメリルのことも、知ってたのか? どこまでが計算なんだ?」
「ふむん。おおよそ八割くらいだな」
さらりと言われた。
八割って……。
「いや、もちろん、お前にドラゴンの魔力が滞留することになるなんてことは予想外だったがな。魔法ギルドを上手く『説得』できる形に落ち着いてくれて、ありがたい。滞留している魔力は上手く馴染んでいるからドラゴンの魔力だと気付かれる心配もないし、今のお前のその目なら、『いやあまったく気付きませんでしたー』でまかり通るし」
「ああ、今の先輩の目は、にゃんこみたいにすぼまってないですもんね。ぱっと見では分かりませんよね」
シェリアも言う。
どうやら帝都に突き出されることは免れるようだが……。
「局長」
「うん?」
おずおずと聞いてみる。
「実はこの目、治せるだろう」
局長がぱちくりと目をしばたかせる。
「治せるわけがないだろう。さすがのわたしでも」
言った。
しかしオーウェンがほっと息をついたのも束の間のこと。
「うん。治せんな。……こんな面白いもの」
ぽそりと漏らした呟きを、しっかりと聞いてしまった。
「きょぉぉくちょおおお」
なんだか頭が痛くなってきた。
心もち視界も赤くなっているような……。
「おい、オーウェン。私の仕事を増やさないでくれないか? 齧られているぞ。頭」
ヘルガが言った。
……齧られている?
そういえばどうも頭が重い。
オーウェンが頭に手をやって、なにやらもふっとした物体を掴み……しかしそれがなかなか頭から離れないので思いっきり引っ張ってやると、「がーう!」と頭の上で奇声が聞こえた。
「…………。なんだこれは」
引っぺがしたそれを見て、オーウェンが一言。
鋭い爪に鋭い牙。しかしなんとなく猫のようにも見えなくもない、奇妙な生き物がオーウェンの手の中で「んああごっ」と不満そうに鳴きながらじたばたと暴れていた。
がぶり。
手を噛まれた。
「おー。――痛ってえええッ。ぎゃあああ」
ぶんぶんと手を振ってそいつを振り放そうと試みるが、なかなか離れない。がじがじがじ。喰われる。一瞬そう思い、ぶわっと身が粟立つ。
思わずドラゴンの言葉で、魔法。
ぼんっ。
そいつは魔法を食らってようやくオーウェンの手から離れ、ころころと壁際に転がっていった。
「大人げないぞオーウェン」
「なんだあいつは!」
局長が呆れたように言うのとオーウェンが怒ったように言うのが同時だった。
壁際のそいつは、しばらくするとくるりと身を起こし、こうもりのような小さな翼をぱたぱたとはためかせてオーウェンのほうへ飛んできた。
――猫に、翼?
魔物だ。
オーウェンはまたそいつに頭を齧られる前に、捕獲。ばたばたともがいてぎゃあぎゃあと喚くそいつに、「黙れ!」とドラゴンの言葉で一喝。……ようやく静かになった。
ぎろりと局長を睨む。
局長は言った。
「そいつはお前が以前相手をした『元』人喰い巨大猫だ。わたしがあれこれ魔力を注いだり引き出したりした副作用で、ここ数日のうちに、こんなに小さくなってしまってな。可愛いだろう? ドラゴンの翼つきだ」
「馬鹿な。冗談だろう? あの人喰い猫だ? ドラゴンの翼だって? 可愛いだと?」
「そう。おかげで、自警団の牢に捕らえておくことができなくなってな。……しかも前にお前の腕を齧ったときに味を覚えたのか、この診療所に来てお前の頭に食いつこうとするものだから、わたしも魔法ギルドの事務所へと帰れないでいる。ああ。お前に早く戻ってもらわないといけないのは、そういう事情もあってだな」
「きょーくーちょーぉおおっ」
オーウェンは叫ぶ。
こいつをいったいどうしろ言うんだ、とオーウェンは頭を抱える。いや抱えられない。抱えればこの「元」巨大猫に頭を喰われてしまう。
「だって、こんな危険な生き物……。俺一人で相手するならともかく、メリルのことがあるっていうのに……」
「ごめんね、オーウェン」
またメリルが謝ってくる。
「いや、だからその、つまり、違うぞ。悪いのはこの猫もどき……いや、こいつをこんなふうにした局長のせいで……」
ごにょごにょごにょ。
――ドラゴンの魔力が不可分になったため、メリルはオーウェンの元に留まることにしたのだ。
メリルが抱いている死骸のほうには魔力がほとんど残っていないため、それが本物のドラゴンの死骸だと気付かれることはまずないだろうが、魔法ギルドのそばにいれば、いざとなったときには安心だ。
オーウェンはドラゴンの記憶を持っているから、メリルがそばにいてくれるのは嬉しいし、そばにいれるのも嬉しい。
……だというのに、この不思議な生き物が、おまけつき。
「カァアアアっ!」
じろじろと睨んでいるオーウェンに、「元」巨大猫が威嚇するように鳴く。
オーウェンは深く深くため息をついて首を振り、ぺいっとそいつを投げ出した。
転がる。
ごろごろごろ。
「ぬぁーがっ!」
抗議の声。
「猫ならば可愛らしく『にゃー』と鳴け、にゃーと!」
「んにぁアアオッ!」
人喰い猫はシェリアの背後に隠れて威嚇。
……可愛くない。
おろおろとオーウェンと人喰い猫を見比べたシェリアは、勇気を振り絞って、人喰い猫をなだめにかかる。
なにやら慰めの言葉をかけつつそっと頭を撫で撫で。
人喰い猫は、しかしシェリアを喰おうという気はないらしい。
「にぁ~ぅ」
鳴いた。
「可愛いじゃないですか」
シェリアがでれでれと言う。
メリルも、恐る恐るそいつを撫でてみる。
「うにゃーう」
ごろごろごろ。
……いや転がったわけではない。この猫もどきが、いかにも猫らしく、喉を鳴らしているのだ。
くねっと身を半回転。
可愛らしい。――いや可愛らしくなんかない。絶対に、認めん。
「大丈夫ですよ、先輩。ほら。仲直りしましょうよ」
シェリアがそいつを近づけてみると――。
カッと大口を開かれた。
「喰う気満々じゃねえのか、これは?」
「……満々ですね? これは」
くすくすとメリルが笑う。
笑い事ではないのだが……。
「まあ、心配事が減って良かったじゃないか。喰われるのがお前だけなら、なんとかできるんだろう?」
「あんた、自分がどうにかしてやろうって気はないのか局長」
「あるわけないだろう、こんな面白い――」
言いかける局長をオーウェンが睨んでやり、黙らせた。
ふと、メリルがオーウェンの名を呼ぶ。
「オーウェン」
なんだ? と尋ねると、ふふ、とメリルが微笑む。
「ごめんね?」
言った。
オーウェンはメリルにつられて笑みを浮かべる。
「君はそればっかりだな」
しかし悪い気はしない。
まあ、どうにかなるかなるか、とオーウェンは思う。
と。
「がーう!」
猫もどきが、シェリアの手から抜け出し、オーウェンのほうへ。ぱたぱたと頭の上へ乗り、オーウェンが身の危険を感じて捕まえようとする間もなく――。
がぶり。
流血。
「だあああ」
オーウェンはそいつを引っぺがして、窓の外へと投げ捨てる。
先輩ひどい! とか、大人げないぞオーウェン、とか、私の仕事を増やすなと何度言ったら気が済むんだ、とかと散々になじられ、メリルからも無言で……微妙な眼差しで見られた。
――なんとかなるだって?
オーウェンは数瞬前の自分に心の中で悪態をつく。
そしてすうっと息を吸い、やいのやいのと騒いでいる一同に向かって――。
「ちったあ休ませろーッ!」
叫んだ。
(完)