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五章

 五章


 まさか本当に牢屋に入れられるとは思わなかった。

「そう怖い顔をするな。魔法ギルドのほうから連絡があったんだ。少し気になることがあるから、お前をこの牢屋に入れてくれって。……牢に鍵はかかっていないだろう? 罪状が分からないから、鍵はかけるな、と言っておいた」

 オーウェンを知る顔なじみの自警団の兵はそう言った。

「そちらの局長は、なにやら企みごとがあるようだな。牢は――念を押して、この牢に入れるようにと指定してきたが……この牢は、今は使用が禁止されている牢でな」

「うん? 使用を禁止だ?」

 夜な夜な霊が出るとでも言うのだろうか。

 自警団はそういった突飛な現象に驚くようなことはないだろうし、もしおかしな点があるのならば、魔法ギルドに調査の依頼が来るはずだが。

 兵は頷いて、真面目な顔をして口元に片手を立て、小声で言う。

「実はこの牢……お前が相手をした人喰い巨大猫を収容している牢の、ほぼ真上に当たっていて――」

「ああ」

 なんとなく事情が分かった。

 最近また局長がちょっかいを出しているようだから。

 気が立っているそいつの上に囚人を置いておきでもしたら、床を壊されたりしたときにぺろりと喰われてしまう可能性がある。

「……まあつまり、お前の牢に鍵をかけていないのはそういった事情もある。あの魔獣は危険極まりないからな。上手く逃げてくれ」

「まるで牢が壊されることを前提にしているような言い方だな」

「ふむん。残念ながら、私の勘はよく当たるんだ」

 どうやら局長はあの巨大猫を相当怒らせているらしい。……健闘を祈るというのはこのことなのだろうか。

 局長め。

 オーウェンがぶつぶつと毒づいていると、兵は「それでは私は持ち場に戻るぞ」と手を上げて立ち去っていった。

 一人きり。

 ――さてどうするか、とオーウェンはごろんと石畳に横たわって考える。

 この様子だと今日中には牢から出ることは難しいだろう。

 もちろん牢には鍵がかかっていないわけだが――しかし局長が一晩頭を冷やして来いと言っていたからには、オーウェンには分からないようにどこかでまたこっそりと見張っているに違いない。

 メリルを探すことはたぶん、無理だ。

 一応、シェリアにメリルのことを伝えて、それとなく探すようにと頼んではおいたのだが、シェリアは魔法ギルドの一事務員としてフェアリーアイズの件に関して聞き込みに行くことになるだろうから、運良く見つけられる可能性は低い。

「はあ……」

 オーウェンはため息をついた。

 ――そうだ、フェアリーアイズだ。

 メリルがオーウェンからドラゴンの魔力を引き戻したということは、今頃は他の住民のフェアリーアイズも芋蔓式に治っていっているはずである。

 ヘルガにはとても及ばないが、オーウェンも、多少は魔力の流れを感じ取ることができる。

 フェアリーアイズに伴って発生していた魔力の霧はフェアリーアイズが解消されれば晴れるかもしれない、と思っていたのだが……オーウェンの感じるところによると、霧は未だに晴れていない。

 いやむしろ濃くなっている。

 魔力の霧を晴れる条件は、時間経過かあるいは当該の魔法とは逆の魔法を当てる――あるいは当たる――ことであるが、フェアリーアイズ現象は例のドラゴンの魔力との相性を調べる過程で起こるのだそうだから、ドラゴンの魔力をメリルの手元に引き上げられている今は、「相性を調べる」という過程が起こらず、「逆の魔法」ではなく別の魔法として認識されているのだろう云々……と、オーウェンはつらつらつらと考える。

 霧が濃くなっていけば魔力の探査は難しくなるが、しかしさすがに、ドラゴンの魔力が隠せるものであるはずはない。

 今までは人の目を入れ物にして魔力を隠していたからその場所を特定することができなかったのだろうが、それが所有主の元へと戻ったならば、どれほど霧が濃くとも、その魔力は隠せない。

 メリルはこの街を出て行くつもりでドラゴンの魔力を引き上げたのだろうが……。

 しかしそうなると、メリルをしつこく追い回しているという魔法使いも、すぐにこの事態に気付くはずだ。

 ――フェアリーアイズ……魔法ギルドが手を焼いている現象。ドラゴンの死骸と、それを持って逃げ回っているメリル。メリルを追っている魔法使い……魔法使いギルドが危険視している、正体不明の魔法使い。とついでに、その魔法使いと取引をしているらしい魔道具使いのカレヴィ……オーウェンが魔法使いギルドに頼まれて追っているチンピラ。

 メリルが街を出て行ったならば、これらの厄介事もすっぱりとこの街から消えてしまうわけで、ここ数ヶ月かかりきりになって調べてきたオーウェンとしては、どうにもやるせない。

 ドラゴンの肉を求めているという魔法使いとやらが危険なことには変わりはないから、魔法ギルドと魔法使いギルドは本部のほうへ連絡をして警戒するようにと伝えることになるだろうが、この街での対処は、それで終わりだ。

 カレヴィのことは――魔法使いとの取引がなくなれば、強いて魔法使いギルドが追う必要もない。自警団のほうに任せておけばいい。もしカレヴィが取引を続行するためにメリルを追って街を出るならば、それはそれで、やはり本部のほうへ連絡をするだけだ。

 取引をやめたにしても、ほとぼりが冷めるのを待っていたカレヴィであるから、顔が割れてオーウェンや魔法ギルドからさんざん追い回されているこの街に留まり続けることはないだろうし……。

 魔法ギルドの仕事は、フェアリーアイズ現象の後始末くらいだ。

 住民への説明と、フェアリーアイズ現象の影響の調査と、本部への報告。

 ……まずはこの後始末に追われることになるだろうが、作業自体は、非常に……地味なわけで。

 別にそういう仕事に向いてないとは思わないが……。

 面倒なことこの上ない。

 ――どうしたものか。

 いや、どうしたもこうしたもない。

 自分にできることは今の暇な時間を精一杯活用して、日頃の睡眠不足を解消しておくことくらいだ、とオーウェンはやや憮然としつつ考える。

 ――フェアリーアイズ現象に、一番近い位置にいた俺に、今ここで、大人しく寝ていろと?

 ぶつぶつぶつ。

 不満を隠さずにオーウェンが愚痴を吐いていると――。

 かつんかつんと、足音が聞こえてきた。

 あの兵が戻ってきたのだろうかと思ったが、いや自分に構っているほどの暇があるものではないよなとオーウェンは自己完結。

 オーウェンが牢に閉じ込められて――鍵がかかっているわけではないのだから、厳密には閉じ込められているわけではないのだが――いることを知っているのは魔法ギルドの者くらいのはずだが、シェリアも、他の者も、わざわざちょっかいを出しにくるような暇を作ることはないはずだ。

 そんな暇がある者など――局長くらいだが。

 オーウェンはむくりと身を起こし、身構える。

 魔法ギルドで思い切りぶん投げてきたことといい、真下の巨大猫といい……。本気で殺す気か、とオーウェンはまたぶつぶつぶつ。

 悪態をつきつつこちらに来る人物を観察し、オーウェンは――しかしそれが局長ではないことに気が付いた。

「……あんたは」

 オーウェンは意外そうな声で言った。

 昨日、オーウェンがこの自警団の廊下でぶつかりそうになった男だ。――シェリアが牢屋に入れられていたときに、話し相手になっていたという兵。

「こんにちは」

 にっこりと兵が話しかけてくる。

「またお会いしましたね」

「ああ」

 ご不便はありませんか、何か必要なものはありませんかなどと兵が尋ねてくる。

 面倒見がいいのだろうなとオーウェンは思う。

「――あなたの噂は常々聞いていますよ。昨日もシェリアさんから詳しく教えていただきましたし。あなたともあろう人が、一体どういう事情でこんなところへ閉じ込……訪れる羽目になったのですか?」

「少し、フェアリーアイズ現象の調査で重大なへまをやらかしてな。頭を冷やして来いと言われたんだ」

「重大なへま?」

「ああ」

「あなたがへまをするだなんて……。どんなへまなんですか?」

「それは――秘密だが」

 オーウェンはやや眉をひそめてそう言った。

 この件に関しては、下手に口外すれば本当に牢屋に入れられることになるし、オーウェンとしてもこの失敗を人に話す気にはならない。

 そうですか、とやや残念そうに兵は肩を落とした。

 ……残念がるようなことか?

 とオーウェンはやや訝しげに兵の顔を見て――。

 その瞳に、ぎくりと身を固めた。

 オーウェンと同じ――緑の双眸。フェアリーアイズ「ではない」、その瞳。

 ――いや。

 それがどうした、とオーウェンは自分に言い聞かせる。

 メリルがドラゴンの魔力を引き取ってから魔力の霧が濃くなっていることはオーウェンも気付いているのだ。予想通り、だんだん、住民たちのフェアリーアイズも治ってきているのだろう、と。

 しかし。

 オーウェンのそんな考えをよそに、兵は言った。

「……しかしその失敗というのはもしや、ドラゴンの死骸を持って逃げ回っている少女と関係があるのではありませんか?」

「メ――」

 メリルのことか、とオーウェンは思わず言いかけて、口をふさいだ。

 兵がその名を知らないならば、うかつに情報を与えるわけにはいかないと判断したわけなのだが――。

「ええ、その娘ですよ。メリルという名の少女です」

 ――すでに知られていた。

 知られすぎている。

 まさかこの男がメリルを追っていた例の魔法使いなのかと思ってオーウェンが身構えると、果たしてその通り、兵はにやりと笑って言った。

「ああ、警戒されてしまったか……。まあ別に、今のあなたに僕を止めるすべはないと分かっているのだし、ばれても構わないか。――ええそうです、お察しの通り、あなた方魔法ギルドや魔法使いギルドが追っている魔法使いというのは僕のことです」

 オーウェンは身構えた。

 自ら正体をばらしてくるとは、よほどの自信家なのか……。あるいはなにか、オーウェンから警戒されたほうが都合のいいような策でもあるのか?

 ……いや、こうやって自警団の兵として潜り込んでいるからには、単なる自信家の馬鹿であるはずはない。

 なにか、企んでいるのだ。

「何を企んでいる?」

「そんな、企みだなんて。……ついうっかり口を滑らしただけかもしれないじゃないですか」

「白々しい」

「ありがとうございます」

 オーウェンの言葉に兵はにっこりと答えた。

「では、手っ取り早く目的を達成させてもらうことにします。こんなところで時間をかけていては、あの小娘に逃げられてしまうし」

 メリルを捕まえるためにオーウェンを利用しようというのだろうか。

 しかし今のオーウェンにはドラゴンの魔力はないのだから、メリルを引き止める役には不充分であるはずで。

 オーウェンが危機に陥ればメリルが助けに来るとでも思っているのだろうか。

 しかしメリルがオーウェンからドラゴンの魔力を引き上げたのは、オーウェンから逃げるためだ。

 思う。

 ――俺に迷惑をかけないため? いや違う、……そうじゃあない。迷惑云々だなんて考えるんだったら、そもそもドラゴンの魔力を人に移そうだなんてこと自体、考えつかないはずだ。

 では、魔力が渡った人物――無論オーウェンのことである――に実際に出会ってしまって、申し訳なく思ってしまったから、引き上げようと考えたのだろうか?

 そうでもない気がする。

 ばつが悪くなったのだというのなら、どうして昨日、のこのことオーウェンについて来たというのだ。……オーウェンがメリルの立場ならば、目が合った瞬間に、逆方向へと逃げ出しているはずだ。

 だとすれば。

 メリルがオーウェンから魔力を引き上げたのは、オーウェン――ドラゴンの魔力を隠されている自分との接触のせいで、魔力の隠し場所がこの魔法使いにばれることを恐れたためだ。

 実際、こうやってこの魔法使いがオーウェンのところへ来ているからには、メリルの判断は正しかったというわけで。

 逃げるために魔力を引き上げたのだから、メリルはオーウェンを助けには来ない。

 ずっとメリルを追い続けてきているこの魔法使いならば、そのことにはおおよそ感付いているはずで……。

 ――本当に、何を企んでいるんだ?

 眉をひそめてそう思う。

 オーウェンが構えていると、魔法使いはおもむろに呪文を唱え、魔法を放ってきた。

 ぎょっとしつつ避けると、魔法はオーウェンの横を飛んでいって、ばしゃっと派手な音を立てて牢の石壁を抉った。

 水。

 ただし、恐ろしく威力が強い。

 それをこの魔法使いは……今度は、五つ六つ――いや十以上、宙に浮かべて呪文を唱えた。

 すっと手を振り下ろし、放つ。

 オーウェンは辛うじてそれらを躱す。

「殺す気か!」

「いいえ、死なれては困ります。上手く避けてくださいね」

 にっこりと魔法使い。

 んな無茶苦茶な、とオーウェンは舌打ちをする。

 牢の鍵が開いているのだから、隙さえあれば牢から出て魔法使いに殴りかかってやるのだが、これではとても出られたものではない。

 また魔法。

 今度はおそらく三十以上。

 ――これを「避けろ」って?

 無理だ。

 そう判断したオーウェンは、自分も呪文を唱え、迎え撃ち――。

 ……オーウェンが魔法を放つ瞬間、魔法使いがにやりと笑ったのを見た。

 聞きなれない詠唱。

 魔法使いがオーウェンに向けて手を伸ばし、それから、見えない紐でも引っ張るかのようにすっと手を引いた。

 ぐいっと頭の中身を掴まれるような感覚。

 なんだこれはと思いつつ、ああこれはまずいと直感的に気が付き、オーウェンはすぐさま保護の魔法をかけて抵抗を試みようとするが……しかしどうやらすでに手遅れらしく、意識が彼方へとすっ飛んでいくのを感じた。

「あなたには囮になってもらいますよ」

 魔法使いは言った。

 ――囮?

 ずるずると重く落ちる身体に鞭打って顔を上げ、オーウェンは魔法使いを見上げて、目で問うた。

 何をさせる気だ、と。

 オーウェンは自分が囮役としては役不足であることを自覚しているというのに。

「フェアリーアイズ」

 言う。

「……霧が晴れなくて、本当に良かった。あなたに上手く魔法を使わせることもできたし。おかげで逆の魔法を当てることができそうです。あなたの目に――ドラゴンの魔力を引き戻すことができそうだ」

 オーウェンは、魔法使いの手に魔力の塊――オーウェンにはその魔力がオーウェン自身のものだと分かった――がふわりと浮いているのを見た。

 それから、その魔力の周りをうっすらと誰かの魔力が覆っているのも。

 残滓。

 これはメリルが引き上げていった魔力の……切片だ。

 魔法使いはこれらの魔力を解析してフェアリーアイズ現象を再現しようとしているらしい。

 ――ちくしょう。

 オーウェンは魔法使いを目一杯睨み付けてやる。

 魔法使いは満面の笑みを浮かべている。

 とてもいい笑顔。

 ――やっぱり無理をしてでも牢を開けて直接ぶん殴っておけば良かった、とオーウェンは意識を失う寸前に、思った。


 ***


 暗闇の中に一筋の光が見える。

 ――まったく、余計なことをしてくれたな、とオーウェンは思った。

 いや、思ったのはオーウェンではなかった。

 オーウェンではない自分。

 ドラゴンの意識だ、と分かった。

 ――いや、やっぱり考えたのは俺自身だ。とオーウェンは思う。

 気を失っているせいなのかオーウェンには冷静に今の自分の状態を解釈することができた。

 別に、自分の中にオーウェンとドラゴンの二つの意識が並立していて、ふいにドラゴンに主導権を奪われる……などというわけではない。オーウェンの一部として、自然に、ドラゴンという部分が「ある」のだ。

 気が付くとふとドラゴンの思考で考えているオーウェンがいる。

 少し戸惑うが、悪い気分ではない。

 ……どうやらメリルはオーウェンの――いや、ドラゴンの魔力の引き上げに、失敗していたらしい。

 いや、魔力を引き上げられたことは引き上げられた。

 しかしその引き上げられた魔力というのは、ドラゴンの魔力ではなかったのだ。

 ――メリルの莫大な魔力。

 かつて自分が――いや、ドラゴンであった自分が、だ――メリルを守るために、ひそかに引き受けた、その魔力。……それが、自分の死骸に――いや俺は死んでなんかいないぞ、とオーウェンは思う――戻っていったのだ。

 この光はメリルの魔力の筋。

 あの忌々しい魔法使いのせいで、この魔力も、再びオーウェンの中に還ってきているのだ。

 まったく余計なことをしてくれたものだ。

 メリルはその失敗に気が付いていなかったから、上手くいけば、やっとメリルを自分から開放することができたのに、とオーウェンは悔しく思う。

 なにしろ一時は同胞ですら騙せたのだ。

 あの魔法使いがメリルの魔力をこちらに戻したりしなければ誰にも気付かれなかっただろうに……。残念ながら、すでに数人が、この異常事態に気が付いているようだ。

 もちろんメリルも。

 ――霧が晴れてきている。

 メリルがここへ来る前にどうにかしたいな、とオーウェンは思う。

 どうやら魔法使いは魔力の解析を終えて、すでにオーウェンの身体へとその魔力を返しているようだから、なんとか意識を取り戻そうと試みてみる。

 感覚。

 ぶつぶつとなにか、低いの音が耳に届く。

 ぞわり、ぞわりと引きずられているような。

 いやそれよりも、どうも首と両腕が痛いような……。

 なんだ?

 オーウェンはそう思って頭を上げ――。


 ごちん。

「い――ッ」

「でッ……!」

 思い切り、頭をぶつけた。

 どさっ。

 ……ついでに、掴まれていた身体を取り落とされ、地面と「こんにちわ」する羽目にもなった。

 痛い。

 まあしかし、サングラスをすでにどこかに落としているらしいのは幸いだ。

 こんな石畳の上でサングラスかけたまま地面に顔面から突っ込んでいたと思うと……いや、恐ろしくてとても想像できない。

「い、痛ェじゃねえかテメェ!」

 オーウェンが立ち上がる前に、その人物はオーウェンを指差しつつぶんぶんと勢いよく人差し指を上下に振って――オーウェンは見ていなかったがそんな音が聞こえた――そう言った。

 ……この声とこの言動。

 だいたいどの人物か想像がついてしまうのは気のせいか?

 オーウェンはそんなことを思いながら顔を上げる。

 ――カレヴィ。

 どうやらオーウェンは牢から引きずり出されて、ずるずると石畳の上を引きずられているところだったらしい。

 やっぱりか、とオーウェンはげんなりと肩を落とす。

 カレヴィはあの忌々しい魔法使いに協力する立場にあるのだから、これも魔法使いの指示なのだろう、と。

 オーウェンの考えに――しかし、カレヴィは首を振る。

「ああもう、分かるぞ、テメェが何を考えてるのか、今、凄くよーく分かるぞ。……ちくしょうめ! 俺はテメェを助けに来てやってるんだよ、馬鹿野郎! そんな目を向けられる謂れはねえぞ!」

 は? とオーウェンは目をしばたいてカレヴィ見上げる。

 それからまた、疑い深い目。

「泣くぞこら。――だから、俺だってテメェを助けたくて助けてるわけじゃねえんだっての! ちくしょう、知らなきゃ単なる食い逃げで済んだってのに――あの魔女医者め、余計なことを教えやがって」

「魔女医者って……ヘルガのことか? 余計なことってなんだ?」

 カレヴィはぎろりとオーウェンを見下ろす。

 随分と真剣な表情。

「知らないのか? 食べ物の恨みは深ェんだ。その逆をされたってんなら、きっちりと恩を返さなけりゃならねえ。……テメェ、前に一度俺の昼飯の代金を払ったことがあるそうだな?」

「昼飯……? ああ。あの」

 思い出す。

 確かにオーウェンは、払ったことがあった。

 初めてカレヴィに出くわしたときのあの店で……シェリアが、カレヴィの分まで代金を支払っていた、あれ。

 半ば事故のようなものだ。

 オーウェンが払いたくて払ったわけではないが……。

 しかし、オーウェンがそれを指摘すべきかそれとも黙っているべきかと考えていると、迷っているうちに、カレヴィが腰に両手を当てて言ってきた。

「まあそういうわけだから、ともかく大人しく助けられやがれよ? こっちは危険を冒してここへ来てるんだからな。あの魔法使いのことだけでも厄介だってのに、この俺に、自警団に忍び込ませるとはな……。まったく、迷惑な話だぜ」

 それはそっちが勝手に助けてるんだろうが。……とは口に出さないことにしておく。

 ともかくあの魔法使いから離れられるのはありがたい。

 立てるよな? と聞かれ、オーウェンは頷く。

 落ちていた自分のサングラスをかけ――幸い、足元のすぐそばにあった――てオーウェンは立ち上がる。

 カレヴィは牢の出入り口へとオーウェンを促した。

 階段を上り、廊下へと続く扉の前に立つ。

 カレヴィは腰に着けている鞄から魔道具を取り出し、取っ手の部分にそれを当ててなにやらがちゃがちゃといじった。

 鍵穴などない。

 この扉は、鍵などついていないはずだが、とオーウェンは首を傾げる。

 しかしカレヴィが魔道具を発動させると、ぱしっ、と小さく電気が散った。

「急いで出ろ。一時的にここの魔法を俺の魔道具と繋げてんだよ。……あの魔法使いめ、扉に『封』をして行ってるみたいでな。扉が開けば、奴にもそれが伝わる仕組みになってやがる」

 なるほど。

 牢は開いているというのに――たとえあの魔法使いがオーウェンの牢に鍵がかけられていないことに気付いていないのだとしても、オーウェンならば簡単に牢を破れるであろうことは容易に想像がついたはずだ――どうしてこの場を離れているのかと思いきや、きちんと見張っていたというわけか。

 オーウェンが廊下に出ると、カレヴィはまたがちゃがちゃと魔道具をいじって、それを取っ手から外して素早く扉を閉めた。

「……そんなもので、本当に魔力の流れを切り替えられるのか?」

 疑問に思って、尋ねてみる。

 オーウェンはそんな魔法など数回しか見たことがないし、それを使うのも、一部のごく限られた職業の者だ。

 高度な魔法のわりには絶対にこれが必要だという場面はあまり多くはなく――ほとんど需要がない。

 つまりそんな魔道具も、見たことがない。

 カレヴィが言う。

「テメェ、俺の名を知らねえわけじゃないよな? 俺の魔道具は、俺が一つ一つ計算して作っている、特別製だ。失敗するはずがねえ」

「ああそうか、そりゃ悪かった……な……て、なんだって?」

 オーウェンは一度うっかりカレヴィの言葉を聞き流してから、その言葉にとんでもない内容が含まれていることに気が付いて、耳を疑った。

「魔道具を、お前が作ってるって?」

「その通りだ」

 えっへんとカレヴィが胸を張る。

「……お前、魔法使いじゃなかったよな」

「うん? それがなんだってんだ?」

「なんだって、そりゃお前……、魔道具は魔法使いでなければ作れないだろうが。……魔法使いじゃないよな?」

 オーウェンの言葉にカレヴィはため息をついた。

「テメェ、魔道具作りが魔法使いの専売特許だなんて、妄想もいいところだぞ。確かに俺は魔法使いじゃあねェが、俺以外の魔法使いなんてそこらにごろごろいるだろ? 要はそいつらにちょっと魔力を籠めてもらえばいいだけのこった。動作の順番、発動の条件をいじるのには魔力の少ない俺でもできるからな。知識さえありゃ魔道具なんて簡単に作れるんだぜ?」

「簡単にって……。んな簡単になんていかないだろうに。発動の条件をいじる? しかも魔力を籠めたあとに? 無茶苦茶だ」

 ぶつぶつぶつ。

 オーウェンは呟きつつ廊下の角に差し掛かったところで――。

 ふっと目の前を何か横切った。

 すぱっと前髪が散る。

 横切っていったそれはオーウェンの横の壁にぶつかり、ぱしゃっと弾けた。

 え、と思い、硬直。

「……囮役に逃げられては困るのですが」

 曲がり角の、その先から、例の魔法使いが歩いてきてそう言った。

 逃げようとしていたことはばれていたらしい。

 オーウェンはカレヴィを睨む。

「――やっぱり、失敗だったんじゃねえか」

「ああっ? この俺の魔道具が、失敗作なわけねえだろうが!」

「だって実際、待ち伏せされてんだろうが!」

 ぎゃあぎゃあと応酬。

 カレヴィがもう一度口を開きかけたところで――。

 ばしゃっと、オーウェンとカレヴィの二人は頭に水をかけられた。

「残念ながら、カレヴィの魔道具使いとしての腕は確かですよ、オーウェン・オッド・プロイスナー。僕の魔法も、一つはまんまと突破されてしまいましたからね」

 一つは?

 疑問に思って、目で問う。

 魔法使いは「おや」と首を傾げる。

「気付かなかったのですか? あなたの入っていた牢のほうにも、監視用の魔法をかけておいたのですが……」

「んなっ――卑怯だぞ! そんなもん、一個だけだと思うじゃねえか!」

 カレヴィが喚いた。

 ため息。

 牢ではオーウェンはまだ気絶していたのだから気付くわけもない。

 まあ、ヘルガやシェリアとは違って、オーウェンは魔力の読み取りはあまり得意ではないので、仮にあのとき意識が戻っていたとしても、その魔法に気付かなかった恐れはあるが。

 ……しかしともかく出くわしてしまったからには相手にするしかないな、とオーウェンは思う。

 牢に戻ることなど論外なのだから、強引に圧して通るまでだ。

 身構えたオーウェンに、魔法使いは困ったように眉をひそめる。

「うーん。大人しく待っていてはくれませんか? そもそもどうしてカレヴィがあなたの味方になっているのか僕には理解できないけど……しかし、カレヴィは昨日まで僕に協力してたんですよ? カレヴィの魔道具を、僕も少し分けてもらっているわけで」

 あ、とカレヴィが気付く。

「おい、魔法は使うなよ。魔力を奪われる」

 どうやらあれはカレヴィの魔道具の仕業だったらしい。

 ……はた迷惑な。

 オーウェンがカレヴィのほうを睨んでやると、カレヴィは「な、なんだよ忠告してやったのに」と身を縮める。

 まあしかし、それは今言うべきことではない。

 魔法使いのほうに向き直って、構えた。

 ――突進。

 放たれる水の魔法を避けつつ魔法使いに向かって拳を振り――しかしそれがあっさりと躱されて、オーウェンは思わず振り返る。

 オーウェンに逃げられては元も子もないわけだから、てっきり、何が何でも立ち塞がってくるものだと思っていた――オーウェンとしてもそのほうが殴りやすくて助かる――のだが、相手はそう簡単に隙を見せてはくれないらしい。……容赦なくオーウェンの背中に向けて追撃をしてくる。

 もちろんオーウェンはそれも躱していくが……、二、三発ほど、避けられなかった。

「ぐっ……」

 息が詰まる。

 そして、さらに追撃。

 本当に容赦がないなと思いつつ、オーウェンは魔法使いに、足蹴り。

 ――これも避けられた。

 しかし魔法使いを壁際に追い詰めた。

 いけると思い、魔法使いに詰め寄ってその顔面めがけて拳を振るうと――。

「あ」

 またカレヴィが声を上げた。

 魔法使いも、笑み。

「あ?」

 オーウェンが眉をひそめ――しかし、寸止めがきかず、そのまま魔法使いに一撃を食らわせて――。

 ぼんっ! と爆発した。

 威力は弱いが、なにか煙状のものが辺りに立ち込める。

 眠りの魔法。

 しかも、確かに拳を食らわせてやったはずなのに、魔法使いは平気な様子。

 これもカレヴィの魔道具で防いでいたらしい。

 まずい。

 オーウェンはすぐに、保護の魔法をかけようと呪文を唱えるが。

 カレヴィが叫ぶ。

「おい! だから、魔法は」

「あ」

 しまった。

 魔法使いがまた呪文を唱え――オーウェンはまた意識が引っ張られるのを感じた。

 今度はまた意識が奪われる前に、すかさず二段目の保護の魔法を唱えるが――しかし魔法使いが使用した魔道具の眠りの魔法のせいもあって、間に合わない。

 ぐるりと視界が回った。

 カレヴィのほうはこの眠りの魔法も平気なようで――おそらく魔法使いがこれを使うのを予測して対策を立てていたのだろう――、なにやら魔道具を出してオーウェンに向かって小瓶を投げるが、その効果が及ぶ前にオーウェンはばったりと倒れた。

 意識が飛ぶ。

 ――最近こんなのばっかりだ。

 オーウェンは思った。

 暗転。


 ***


 目が覚めると再び牢屋へ入れられていた。

 顔を上げれば向かいの牢にはカレヴィがむすっとした顔で両腕を組んで胡坐をかいていて、牢と牢の間の通路には、例の魔法使いが椅子を出して座っていた。

「おや、もう目が覚めたんですか」

 魔法使いがオーウェンに気付いて言う。

 どうも手持ち無沙汰な様子でオーウェンのほうを見ているので、オーウェンは訝しげに思って聞いてみた。

「……何をしているんだ」

「見ての通り、メリル待ちです。もうすっかり夜なんですがね。……警戒されているようで」

 肩を竦めてそう言った。

「メリルに手を出すな」

 睨む。

 オーウェンの言葉ににっこりと魔法使いが答える。

「それはメリル次第です。ドラゴンの死骸を大人しく引き渡してくれるというのなら、僕だって手荒な真似はしませんよ。しかし、残念ながら、そう簡単に引き渡してはくれないでしょうね? 散々逃げ回っているのだし、今だってこうやって警戒していますし」

「ドラゴンの魔力が欲しいのなら勝手に奪い取ればいいだろう? どういう仕組みかは知らんが、カレヴィの魔道具を使えば、できるんだろう?」

 魔力の受け渡しは渡す者と受け取る者の双方の同意がなければできないはずだが、どこぞの悪の魔法使いが、一方的に魔力を奪うような禁術を開発したのかもしれない。

 ありえないと思っていたが、目の当たりにしているのだ。

 夢で見た過去では、ドラゴンがメリルの魔力を、本人には気付かれないように引き受けているし。

メリルもオーウェンにドラゴンの魔力を押し付けたりしているし、カレヴィも実際魔力を奪うような物騒な魔道具を持っているし――。

 オーウェンが持っているドラゴンの魔力は、メリルが隠蔽を目的として移したものだから、魔力を圧縮して目の中に隠して制限している状態――いわば鎖付きの箱の中にしまっているようなものだが、メリルを誘き出してドラゴンの死骸を入手してそこへ魔力を戻すよりは、さっさとオーウェンからドラゴンの魔力を奪って逃げたほうが早い。

 しかし、魔法使いは言う。

「……まさか。違います、それは勘違いというものですよ。カレヴィの魔道具を使ってできることは、あなたのような特殊な人の魔力を『一時的に』外へ引き出すことです。対魔物用の魔道具を改造したものですからね……普通の人に対してはほとんど効果がない。引き出しても、すぐに持ち主の身体へと引き戻されてしまうんですよ。あなたの魔力だって時間が経てば勝手に戻されてしまいましたし」

 特殊な人、というのがドラゴンの魔力を預かっているということを指しているのは見当が付いた。

 魔力の譲り渡しがされた場合、元の魔力と譲り渡された魔力が影響しあって、特異な体質になる。譲り渡されたものとはいえ、元々は別の者の魔力であるのだから、定着にも時間がかかるし、「一時的に」という条件付きならば引き剥がすのは比較的容易であるということか。

 その言葉にオーウェンは――。

「じゃあ、俺が、譲ると言ったら?」

 言った。

 魔法使いが奇妙なものを見るような目でこちらを見てくる。

「……それは……できないでしょう? その魔力はあなたのものではないのだし。あなたは、単なる入れ物に過ぎないんですから」

「そう思うか?」

 ぎょっとした顔で、魔法使いがオーウェンの目を見た。

 絶句した魔法使いにつられてカレヴィも、オーウェンを見、思わず胡坐を崩して身を乗り出して、呟く。

「オメェ、その目……」

 言いかけて、無言。

 ああ、たぶんフェアリーアイズが――フェアリーアイズに、戻っているのだろうな、とオーウェンは思い、そちらには答えずにまっすぐ魔法使いを見つめる。

 しかし。

 魔法使いの言葉を待つ間もなく、オーウェンは部屋の入り口のほうに目を向けることになった。

 ぱたぱたと、足音。

 牢への扉が開くと同時に魔法使いに向けて魔法が飛んでくる。

「――に手を出さないで!」

 メリル。

 叫んだのは、オーウェン――いや、オーウェンの目に引き戻されたドラゴンの名だ。

 今は、例のドラゴンの死骸は抱いていない。おそらくは安全な場所に、隠しているのだろう。

 魔法使いはそんなメリルに容赦なく水の弾を放って、さらに、ぶつぶつと捕縛のための呪文を唱えている。

 オーウェンはドラゴンの言葉でメリルの名を呼び、警告する。

 はっと気が付いたようにメリルがオーウェンのほうを見た。

「駄目だ、退け!」

 保護の魔法を――魔力を奪われないように、今度こそは念入りに三重の構えにして発動させた――自分とメリルの周りに張り、オーウェンは魔法使いに向けて魔法を放つ。

 魔法使いはオーウェンとメリルの攻撃を避けつつなお詠唱。

 ああ、まずいな、と舌打ちしつつもう一度保護の魔法の呪文を唱えていると、カレヴィが魔法使いに向けて魔道具を投げつけて援護してくる。

 しかし魔法使いはそれもあっさりと躱す。

 カレヴィの投げた魔道具が、オーウェンの目の前で、爆発。

 オーウェンは慌てて保護の魔法を張る羽目になった。

「あっ、……て! こ、この野郎、お前、俺の味方をしてんのか、それともやっぱりさりげなくそいつの味方のままなのか? どっちなんだ。えっ?」

「テメェの味方に決まってんだろ馬鹿やろうが。俺がそんな小賢い手ェなんぞ思いつくはずがねェだろォ!」

「……お前それ、自分が馬鹿だって言ってるようなもんだぞっ?」

「え?」

 きょとんとした顔。

 ……この会話の間にもオーウェンは、爆発のおかげで壊れた牢から脱出し、魔法使いに向かって拳を振るっているが。

 避けられる、避けられる。

 魔法のほうは、保護の魔法を展開しなくてはならないためどうも手間がかかって……やはり避けられる。

 オーウェンは焦った。

 どうも嫌な予感がするのだ。

 三人を相手にしても魔法使いは余裕な様子で、――しかしこれと言った手を打ってくるわけでもなく、笑みすら浮かべながらオーウェンやメリルの攻撃を避け続けていて、なんとも不可解。不気味だ。

 そしてふとオーウェンは魔力を感じ取り――。

 あ。

 と思った。

「メリル!」

 叫んで、メリルを庇った。

 ごおっと足元から炎が吹き上がる。

 魔力を隠してひそかに組んでいた魔法を、魔法使いが放ったのだ。

 熱い。

 いや痛い。

 メリルが悲鳴を上げた。

「実を言えば僕の得意分野はこっちでしてね」

 魔法使いがにっこりと言う。

「しかし、隠しながら魔法を組むのには骨が折れましたよ。どうやらカレヴィやメリルは魔力を感知するのが得意なようだし、……あなたも、なにやら警戒しなくてはならないような雰囲気だし」

 オーウェンは呻く。

 情けない。

 いつもならばこんな敵などすぐに退けられるのに、と魔法使いを見上げて睨む。――しかし痛みのせいで、言葉は、出ない。

 そんな無防備なオーウェンだが、魔法使いはとどめを刺すような気はないらしく、オーウェンを守るように立ちはだかっているメリルに話しかける。

「その人を守りながら僕に立ち向かってくるつもりなのかな? その人が死ねば、君の愛しのドラゴンの魔力を回収するのは難しくなるだろうしね? なにしろオーウェン・オッド・プロイスナーはあの有名な魔法ギルドの……これまた有名な事務員さんだ。うかつに手出しできなくなるだろう」

 脅し。

「もう、諦めてくれないかな。君では僕に敵わないだろう? 大人しくドラゴンの死骸を持ってきて魔力を戻して、さっさと忘れてしまったほうがいい」

 そうでなければ、この魔法使いはオーウェンとメリルを殺して――オーウェンの件がなくなればカレヴィはすぐに逃げるだろう――、あとはゆっくりとドラゴンの死骸を探せばいいだけのこと。

 なにしろこの魔法使いは一応、自警団の一員であるから。魔法ギルドや魔法使いギルドに死体を渡すのを引き伸ばすこともできるだろう。

 メリルが迷ったような表情を浮かべる。

 今まで魔法使いから逃げてきたメリルなのだから、たぶん、オーウェンが死んでも魔法ギルドや自警団の目を盗んでこっそりと魔力を回収することは可能だろうが、しかしどうやら、ここでオーウェンを見捨ててしまえるほど薄情には、なれないらしい。

 ……それくらい、オーウェンにはお見通しだ。

 なにしろメリルが生まれたときから――いやそれはオーウェン自身の記憶ではなく、ドラゴンの記憶なのだが――見ているのだから。

 今朝はさっさとオーウェンからドラゴンの魔力を引き上げて逃げたが、それはオーウェンの生死に関わるものではなかったからだ。

 殺されるとなれば、話は別。

 そんなものを黙って見過ごせるようなメリルではない。

 魔法使いもそんなメリルの性格を知っているらしく、口元に、作り笑いではない、余裕の笑みを浮かべている。

 ――卑怯者め。

 オーウェンは唸り、ドラゴンの言葉で魔法を放った。

 魔法使いは驚いたような表情を浮かべたが――オーウェンに魔法を使えるような体力が残っているとは思わなかったらしく、しかも、オーウェンが普通の魔法ではなくドラゴンの魔法を使ってきたせいかカレヴィの魔道具も発動しなかった――、冷静に保護の魔法を発動させて防ぐ。

 ついでに、炎の魔法でオーウェンに向けて追撃。

 これはメリルが防いでくれたが、オーウェンが呻きつつもう一度魔法を放とうと口を開くと、魔法使いは大量の水を放ってきた。

 ばしゃっ。

 量が多いため防げなかったが、その代わり、たいした威力の魔法ではなかった。

 洗面器の水をぶっかけられたくらいのものか。

「……もう少々痛めつけられたいのですか」

 眉をひそめて魔法使いが言った。

「そういう趣味はねえよ」

 痛みをこらえつつ言い返した。

 しかしともかく猛烈に劣勢であることには変わりない。

 カレヴィのほうはまだ牢に入ったままで、しかもこの魔法使いに魔道具をだいぶ没収されてしまっているらしく、一応はふところに手を伸ばして構えているが、おそらくは支援できるようなものはないのだろう。ずっと三人の様子を見たままだ。

「――オーウェン」

 心配そうな顔でメリルが見てくる。

 大丈夫だ、とオーウェンはぎこちなく笑いかけた。

 オーウェンはドラゴンの言葉でメリルの名を呼んだ。

「メリル。逃げてくれないか?」

 言う。

「この男の言いなりになる必要はあるまいよ。……君が逃げれば、こいつは俺をうかつには殺せない。殺せばきっと君なら容易く魔力を回収できてしまうだろうから、俺を生かしておいたほうが都合がいい。最悪、本当に、俺が死んだら、君はその通りにすればいいだけだろう?」

「オーウェン……!」

 メリルがオーウェンの言葉に眉をひそめ、反論したそうに口を開くが、オーウェンはそれを遮るようにまたメリルの名を呼び、もう一度言った。

「……逃げてくれないか?」

「――――」

 詰まる。

 また迷った様子でオーウェンの顔を見るが――。

 しかしこれは、魔法使いにとっては気に食わないことだったらしい。オーウェンに向けてまた魔法を放ち、怒りの声を上げた。

「余計なことを吹き込まないでくれませんか!」

 炎。

 これも、メリルが防ぐ。――が、今度はメリルでも防ぎきれない。思わずオーウェンを庇って……短く、悲鳴。

「メリル!」

 倒れるメリルにオーウェンは……しかし、自身も満身創痍。立ち上がれない。

 メリルは床に突っ伏して、気絶。

 きっ、と魔法使いを睨んでまた魔法を放つが――。これも容易く防がれる。むしろ怒りに火をつけてしまったらしく、容赦なく魔法を撃たれる。

 魔法使いが言う。

「ええ確かに。生かしておいたほうが都合がいいと思っていましたよ。……しかしどうやらあなたは死に急ぎたいようで。ここで死んでおきますか? 今すぐ殺してあげられますけど」

 本気の目だった。

 まずい、とオーウェンは感じた。

 この魔法使いが容赦などしてくれないことはとうに分かっていたのだが……これは本当に、今ここでこちらを殺す気だ、と。

 魔法使いが呪文を唱える。

 周りの空気がぴりぴりと粟立つのを感じる。――まともに食らったら、今のオーウェンではひとたまりもないような魔法だと見当が付いた。

 オーウェンは保護の魔法を唱えようとしたが、魔法使いに横っ腹を蹴り飛ばされて妨害された。

 本当に容赦ない。

 しかし何か手を考えなくては――。

 何か。

 こんな、無様に床に転がっているだけではなく、この魔法使いに気付かれないように魔法を使うなり助けを呼ぶなりしなくては。

 ――助け?

 あ。

 ふとオーウェンは思い出す。

 ここは魔法ギルドの、あの魔物の局長が――おそらくオーウェンのために、この状況を打開するために、準備をした、特別な牢屋なのだ。

 健闘を祈る。と局長は言っていた。

 なにしろこの真下には、ここ数日かけて局長が「内緒」のちょっかいをかけている人喰い巨大猫がいて――。

 今も息を潜めてこちらの気配をうかがっているのだから。

「――来い!」

 オーウェンは、声に魔力を籠めて、呼びかけた。

 魔法使いがオーウェンの言葉に怪訝な顔で身構える間もなく、ドォオオンッ! と凄まじい勢いで床が突き上げられた。

 オォオオオッ!

 咆哮。

 びりびりと壁が震えた。

 そして、一番弱そうな魔法使い――魔力が弱すぎるカレヴィのことは眼中にないらしい――に狙いを定め、突進。

 つまりはオーウェンとメリルの敵である、自警団の兵の格好をした魔法使いに。

 魔法使いは眉をひそめて保護壁を張り、しかしそれでも防ぎきれないと判断してか、慌てて横へ。

 ドォッ!

 壁に大穴が開いた。

「オァアアア」

 巨大猫が怒り狂ったような声を上げる。

 以前こいつの相手をして腕を食われかけたオーウェンは、げっそりとしつつその様子を見守る。

 ――猫ならば可愛らしく「にゃー」と鳴け、にゃーと。

 ぶつぶつぶつ。

「ゴァアアアオッ」

 咆哮。

 巨大な手で宙をぶん殴る魔獣猫。

 逃げる魔法使い。

「やっぱりこいつ、猫じゃねえぞ……」

 ぼそりとオーウェン。

「な、な、何言ってんだテメェ、呑気にほざいてる場合かっ。なんてもんを呼び寄せてんだ、こらァッ!」

「そうは言っても身体が動かないからな。あ、やっぱやばいよなこれ?」

「こんの……。ああ、ちくちょう!」

 カレヴィがオーウェンの身を担ぎ、逃げ出す。

 オーウェンは言う。

「ちょっと待て、メリルもだ!」

「ああっ?」

 カレヴィは悪態をつきつつ、ひょいと気を失ったままのメリルを小脇に抱える。

「くっそ重い。テメェ、指図できるような元気があるんなら自力で走れ!」

「お前に安心してメリルの身を預けていられるんならな。……このロリコンめ。鼻血が垂れてるぞ!」

「これはテメェがあの化け物猫を呼んだせいだ馬鹿野郎! 牢を壊してくれたことにゃ礼を言うが、格子ごと壁に吹っ飛ばしてくれたことにゃ……いや、あとでたっぷりと礼をしてやらあよッ!」

 睨まれた。

 オーウェンは聞かなかったふりをしてあらぬ方向に目を逸らす。

 ばたばたと、足音。

 何事だ、と自警団の兵たちが集まってくる。

 牢が壊れるほどの騒ぎなのだ。――さすがにこのまま逃げるのは無理があるか。

「お前、手配書の――」

「あんた、魔法ギルドの事務員の……」

 兵たちが顔を見合わせる。

 一体どういう風に見えるのだろうか。

 ――おそらくは、悪党一名と、その被害者二名。だ。

 今は、カレヴィのことは放っておいてほしいのだが……しかしカレヴィがメリルのような美少女を小脇に抱えているため、見過ごしてはくれないようだった。武器を構え、カレヴィを止めにかかる。

 オーウェンはため息。

「悪党め」

「ああ? テメェ、人に助けてもらっておいて、その言い草はねえだろうが。こちとらテメェのせいで両手が塞がってんだよ。こいつらの相手をしてる余裕なんてないぞ? 口が回るんならこいつらを説得しやがれ!」

「あー。分かった分かった」

 咳払い。

 痛む腕を上げ、牢のほうを指差して、言ってやった。

「こっちじゃない。この男は――今は、無害だから。お前たちはこいつを見なかったし、会わなかった。牢の魔法使いを捕らえろ。――いいな?」

 オーウェンの言葉に兵たちは少し首を傾げてまた顔を見合わせ……それから、カレヴィなどそこにいないかのようにすっと素通りし、牢のほうへと急いだ。

 カレヴィが気味の悪いものを見るような目でオーウェンを見上げる。

「……お前、なんだ? その声」

「ただ少し魔力を籠めただけだ。拳に魔法を籠めるのと同じだ。つまり、魔道具を作るのと同じ仕組みだぞ。……以前、局長が使っているのを見たことがあったから、ちょっと試してみたんだ。ふむん。便利だな」

「いや、だって、声に? 声にだろ? 馬鹿か。声は物体じゃないぞ」

「突拍子もない魔道具を作りまくっているお前に言われたくはないが……」

 ぶつぶつとそう言っていると、背後にまた轟音が響いた。

 思わずオーウェンとカレヴィは振り向く。

「オーウェン・オッド・プロイスナー!」

 魔法使いの金切り声。

 ついでに、どたばたと凄まじい足音。

 どうやら魔法使いが兵を振り切ってオーウェンたちのほうへと迫り、ついでにそれをあの巨大猫が追っているらしい。

 うわ、なんでこの猫が、と兵たちの動揺した声と、轟音、轟音。ぎゃあ、と悲鳴。

 二人はくるりと出口のほうへ向き直った。

 言う。

「逃げろ。追いつかれるぞ」

「逃げてる。黙れ」

 出口へ急ぐ。

 担がれているだけでは面目が立たないので、オーウェンは魔法使いに向けて、魔法を放つ。

 ……防がれた。

 砕かれた魔法の一部が、背後に迫っていた巨大猫に当たり――。

 ばち。

 目が合った。

「アアァアアオオオッ」

 咆哮。

「うわ」

 げんなり。

 どうやら相手は、オーウェンに以前こっぴどくやられたことを思い出したらしい。

 先を走る魔法使いを無造作に前足で押し退け――魔法使いは壁に激突。崩れた壁もろとも隣の部屋へと姿を消した。痛そうだ――てオーウェンに迫った。

「喜べ。魔法使いを撃退したぞ」

「おおそうか、よくやった。……やってくれたな。死ね! あいつの餌になって死ね!」

 カレヴィが泣きそうな顔で叫ぶ。

 男の泣き顔なんて見ても楽しくないぞ。

 オーウェンはそう思ったが、茶々を入れると本気であの巨大猫の餌にされかねないので黙っておくことにする。

 競り合い。

 カレヴィが出口にたどり着き――。

 ばんっ。

 扉を開けた。

「あ?」

「あ」

 カレヴィが不思議そうな顔で立ち止まり、オーウェンも、驚いたように口を開いた。

 自警団の建物の、扉の前で待ち構えていたその人物に。

「ご苦労」

 にっこりと笑うその少年に。その雰囲気に。

 オーウェン、カレヴィ、そして自警団の兵たち一同は釘付けになった。

 魔法ギルドの局長。

 琥珀色の双眸。

 笑みを湛えたその瞳に、一同は動くことを忘れていた。

 ――魔物の少年。

「ギニャァアアアッ」

 ただ一匹、空気を察していない巨大猫が、好機とばかりに雄たけびを上げてオーウェンに迫るが。

 局長はすうっと息を吸って。

「――静まれ!」

 命じた。


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