四章
四章
「……それでまた、私のところへ来たわけか」
ヘルガが呆れたように言った。
診療所。
談話できるような部屋はないので、ここは、寝台の並ぶ一室だ。
オーウェンはむすっとした表情で寝台に腰掛、足を組み、腕を組み――そしてそのわきに、ちょこんとメリルが座っているのである。
「一応、警戒しろと警告しておいたはずなんだがな?」
「私のこと?」
メリルが首を傾げて言う。
いいや、とヘルガ。
「お前のような、可愛らしい小娘のことじゃあない。腹黒で、裏切り者な、私を警戒しろと言っておいたんだ」
「腹黒……」
「ああ。私はとあるチンピラの手助けをして、オーウェンの仕事の邪魔をしてやったことがあるんだ。しかもごく最近。……というか昨日」
「ええっ」
メリルが驚いた顔でオーウェンとヘルガを見比べてきた。
ヘルガはカレヴィの名前は出さなかった。
まあヘルガはメリルがカレヴィに追われていることを知らないのだから、無用に混乱させないようにと配慮したのだろう。
「……仕方がないだろう。頼れるのはお前かシェリアしかいないんだから」
オーウェンは言った。
魔物である魔法ギルドのオーウェンの局長であれば、オーウェンには及びつかないような知恵を貸してくれるのだろうが……、しかし、このフェアリーアイズ――魔物の目のことを知られるわけにはいかない。
なにしろ、どうやらオーウェンの目は、本当に、魔物の目との入れ替えによるものらしいのだから。
さすがの局長でもそれを見過ごしてくれるはずはない。
――となれば魔法ギルドではシェリアしか頼れる相手がいないことになるが、あいにくシェリアは同僚と聞き込みに行ってしまっているし、そもそも、シェリアに頼るというのは、シェリアよりも上の立場にあるオーウェンからすれば、どことなく頼りない気がするし……なにより、屈辱だ。
局長、魔法ギルドの同僚たちに頼るのは論外、シェリアも不安。――となればあとは、ヘルガしかいないわけで。
「まあ、妥当な判断だな」
ヘルガは頷いた。
そして、メリルのほうに向き直って言う。
「魔法ギルドはな、お前のような可愛い小娘にとっては恐ろしーいところだからな」
「恐ろしいところ?」
「そう。なにしろあのギルドには魔物が棲んでいるんだ。とても狡猾で、獰猛で、奇食な魔物だ。あのギルドは魔物に守られているんだ」
にやにやと笑み。
まあどれも間違ってはいないが……。
狡猾といっても、それは敵にたいして容赦がないというだけであって、ヘルガのような腹黒さは持ち合わせていないため、味方である魔法ギルドの一同を裏切るような行いはしない。
獰猛というのもやや誤解だ。
魔法使いギルドの協力要請に応えていると、いちいちとんでもない悪人とやり合わなければならないし、下手をしたらその悪人――魔法使い本人以外の、凶悪な魔物と死闘を繰り広げる羽目になる。
オーウェンが街の住人にやたらと恐れられているのもおおむねそれが理由だし――と思いたい――、局長は、オーウェンの何倍も、魔法使いギルドから押し付けられた仕事をこなしているのだから、怪鳥と空中戦を繰り広げていたとか巨人を街の中から外壁の向こうへ吹っ飛ばしたとか軽い拳打で石壁に大穴を空けただとかそういった噂話――しかも恐ろしいことにおそらくその八割くらいは真実だ――などはオーウェンの比ではない。
奇食だというのはどうにも否定できないが……。
「魔物なら怖くないわ」
メリルは言う。
「この子も魔物だもの。――その魔法ギルドの魔物も賢い方なのでしょう?」
「ああ。しかも悔しいことに、俺より偉い立場だ」
オーウェンはメリルの言葉にそう答えた。
その立場のせいで今、うかつに頼ることができなくて困っているのだが……。
ふむ、とヘルガは頷く。
「それにしても、フェアリーアイズ現象を引き起こした魔法使いの正体が、お前のような小娘だとは思わなかったな。一見、この街でフェアリーアイズ現象を引き起こせるような大層な魔力は感じられないが――」
ヘルガはメリルのほうに目を向けて、瞳の奥を光らせる。
面白そうに笑みを浮かべる。
「……ヘルガ」
オーウェンはヘルガの様子に、咎めるような声で言った。
「俺はお前に、貸しを作りにきたわけではないんだ。……力を借りたい。借りは後日必ず返す。信用してくれるだろう? 俺はお前を裏切ったことはないんだしな。今日は、全面的に、協力しろ。この子を好奇の目で見るのはやめてほしい」
分かってるよ、とヘルガは肩を竦めた。
メリルが申し訳なさそうにオーウェンを見上げてきた。
――フェアリーアイズ現象。
この街でメリルがその魔法を引き起こしたのは、メリルが抱いているドラゴンを、他の魔法使いたちから守るためなのだという。
魔法使いが欲しがる、ドラゴンの肉。――その高い魔力。
ドラゴンの肉を求めている魔法使いにとっては、魔力の高さがそのドラゴンの価値であると言ってもいい。
だから、もしドラゴンの死骸に、まったくの魔力がないのならば。
それは単なる肉塊なわけで。まったくの無価値だ。
ヘルガは頷く。
「お前のフェアリーアイズから感じる奇妙な魔力は、そこの可愛い小娘が抱いているドラゴンの魔力を移したものだと言ったな。道理で、そこのドラゴンからは魔力が感じられないわけだ。最初に見たとき、犬の死骸かなにかだと思ったぞ」
「……さすがに犬には見えないと思うが」
しかしオーウェンも、最初にメリルを見たとき、抱いているのがドラゴンの死骸だと思わなかったのは確かだ。
メリルは眉をひそめて言う。
「この子は、ちゃんと埋葬してあげて土に還してあげたいから……。でも、一人、ずっと狙ってくる人がいて……逃げても逃げても追いかけてくるから、仕方なく、この街の誰かに魔力を預かってもらおうと思ったの」
カレヴィのことか?
……いや、カレヴィがこの街へ来たのはおそらく偶然だ。カレヴィは帝都で味方一同を騎士団に蹴散らされたからここへ流れてきたようだから。
徒党を組まずに潜んでいるのは、ほとぼりが冷めるのを待っていたのだろう。
まあそれも魔法使いギルドに目を付けられたとあっては、失敗だったのだろうが。
――メリルを執拗に、執念深く追い回しているのは、カレヴィの後ろにいる正体不明な魔法使いだ。
魔法使いギルドにも知られていない、謎の魔法使い。
ただし魔法使いギルドはカレヴィと通じている魔法使いはメリルのことだと勘違いしているくらいのとぼけっぷりを発揮しているくらいだから、その実力というのはあまり評価できるものではないが……。
「この魔法は、この子との魔力の相性がいい人に魔力が渡る仕組みになっていたから、私にも、誰に魔力が渡ったのかは分からなくて……昨日オーウェンに会うまでは、オーウェンに魔力が渡っていたってことも知らなくて。……ごめんなさい」
メリルはオーウェンに頭を下げた。
聞くところによると、街で起こっているフェアリーアイズ現象というのは、このドラゴンの魔力と相性が良い者を探索する過程で起こる、副次的な現象なのだそうだ。
この魔法はメリル自身の魔力ではなく、ドラゴンの身に残された魔力をほんの少しだけ借りて発動させているので、どんぴしゃりに特定の人物間にフェアリーアイズ現象を引き起こしたりするような精密な調整はできないらしい。
オーウェンに魔力が譲渡された今は、新たにフェアリーアイズ現象が起こることはないし、いずれオーウェンから魔力を引き取れば、おそらくは今まで被害を受けた人々の目も芋蔓式に元に戻るはずだという。
「なるほど。お前を追っている魔法使いをとっ捕まえて魔法ギルドの本部なり魔法使いギルドの本部なりに送ってやれば、オーウェンが頭を散々に悩ませているフェアリーアイズ現象も解決できるというわけか」
「そう。ごめんなさい。本当は街の人たちの目だけでも元に戻してあげられればいいのだけれど……」
フェアリーアイズ現象はこのドラゴンの魔力との相性を調べる過程で起こる副次的な現象に過ぎないのだから、つまり、逆に言えば、フェアリーアイズ現象を意図的に起こすことは、メリルにはできないということだ。
ヘルガは言う。
「まあそれは期待していないし、私はこの目は気に入っているよ。いいじゃないかフェアリーアイズ。なかなか綺麗だと思うのだがな? 他の者にはどうも理解されないようだが。……街の者たちには美的感覚というものが乏しいから困る」
――それに、とヘルガは続ける。
「それに、逃げ隠れるならば、この魔法は直さないほうが都合がいいだろう」
「え?」
どういうことかとメリルが首を傾げる。
説明してやれ、とヘルガはオーウェンのほうに視線を向けた。
「……フェアリーアイズ現象が起きてから、この街一帯には、魔力の霧が発生しているんだ」
言った。
――魔力の霧。
霧といっても、目に見えるようなものではない。魔力の残滓が空中を漂っている状態のことを言うのだ。
魔力の残滓が多く空中を満たしていると、辺りを漂っている魔力に阻まれて魔法を観測する妨げになるし、魔力を感知しづらくなるので、魔法使いを見分けたりするのも困難になる。
「魔法使いの中には、ある程度経験を積めば、魔道具や他の魔法使いの持つ魔力を感じ取ることができるようになる者がいる。……しかし、周りが魔力に満ちていれば、そんな能力も台無しだ。俺のフェアリーアイズに奇妙な魔力を感じると言ってきたのは、今のところは、そこの、ヘルガ一人だけだが……魔力の霧が晴れれば、他の者にも気付かれるだろう」
フェアリーアイズ現象に伴って発生した魔力の霧なのだから、現象を収束させると、魔力の霧も消滅する可能性が高い。
ヘルガは言う。
「気付かれれば、オーウェンはその例の魔法使いとやらに狙われることになるか……あるいはその前に、帝都に連れて行かれることになる。私としては、オーウェンを帝都に連れて行かれるのは避けたいな。――魔法ギルドはいい客だし、私以外の者が、こんな、素晴らしい素材をいじくれるなんて、面白くない。本当ならば今すぐこいつの目を抉り取って研究したいところなのに――」
「……ヘルガ! 本音が出てるぞ!」
「おっと」
後半、危険な言葉が漏れ始めたので、オーウェンはぎょっとしてヘルガを制止した。
メリルも目を白黒させてオーウェンとヘルガを見比べる。
オーウェンはため息をつく。
「ともかく、その魔法使いだ」
魔法使いさえなんとかしてしまえば、事件は解決だ。魔法ギルドが苦戦しているフェアリーアイズ現象はなくなるし、魔法使いギルドが心配している「ドラゴンの肉を使っていかがわしい研究を」うんたらかんたら……という事態も防げる。
――いや、魔法使いだけ捕まえても、指名手配中であるカレヴィについては、若干問題が残るが……。
しかしそれも、魔法使いを追っていれば――というよりも、魔法使いを追うためにはおそらくカレヴィを捕まえるのがほぼ必須だ――自然とカレヴィのことも片付くだろう。
「その魔法使いとやらがどんな奴なのかは分かっているか?」
オーウェンはメリルに尋ねるが、……メリルは、ふるふると首を振った。
「ごめんなさい。分からないの。男の人だってことくらいしか……」
まあ、追いかけられる立場なのだから仕方がない。
それでもオーウェンは聞いてみる。
「ちなみに、カレヴィ――この街でお前……いや、君を追い回しているチンピラと比べると、どう思う」
うーん、とメリルは唸って考え込む。
「あの魔道具使いの人のほうが、いい人よ」
「いい人?」
驚いた顔で、オーウェン。
――あのいかにもチンピラ面のカレヴィが?
思わずヘルガのほうを見て、意見を求める。
「いや、私も一度取引はしたが、ごく普通の小物だと思うぞ。目つきは悪いし診察料も値切ってくるし……手先と頭はなかなか良いようだが、それ以上に筋肉質な図体で肉体派、体力勝負の、まあいわゆるチンピラだ。あいつが『いい人』ならば、街の者は皆善人だな」
「え? あ、えーっと」
ヘルガの言葉にメリルは慌ててまたうーんと唸る。
「あの……私を追ってきている魔法使いは、一見すると、物腰柔らかで、優しそうな雰囲気の人なの」
メリルは言う。
「でも心の奥底は黒くて深い感じで――危ないな、って。私の前に姿を現すときはいつもローブで顔を隠しているようだけど、なんだか突き刺さるような視線で見てくるの。それと比べたら、あの魔道具使いの人は、見た目通りで分かりやすいから、安心できるというか」
「つまり、その魔法使いとやらは私のような腹黒い男なのか」
ヘルガはそう言った。
――いや、お前は見た目からしてすでに黒々しさ全開だ。……とはオーウェンは口には出さなかった。
「やっぱりカレヴィをとっ捕まえるのが手っ取り早いか」
オーウェンは言った。
魔法使いにはこれといった特徴はないようだから。
ローブの男など、そこらでもたくさん見かけるので見分けられない。雨の日などは、旅人というのは皆、ローブを被っているものだ。
メリルを囮にして魔法使いを誘き出せば突き刺さる視線とやらを感じることができるかもしれないが――しかし、万が一メリルがその魔法使いなりカレヴィなりに捕まってしまったときのことを考えると、どうもその方法はためらわれる。
「カレヴィのことはどのくらい知っているんだ?」
「街の人が知っていることと同じくらいに。名前も、指名手配されていることも、市場のおじさんたちから聞いたの」
「ああ……」
ということはオーウェンが知ることとそう変わりはないらしい。
「市場の……?」
ふとヘルガは、なにか気が付いたようにメリルをじっと見つめた。
「そういえば市場で、毎晩街を出て行って、朝になると街に戻ってくる奇妙な娘がいると聞いたが――。何をしに行っているんだ?」
お前なのか、ではなく、何をしに行っているんだ、とは。
ヘルガはその噂の主がメリルであることは確信しているらしい。……まあ、ヘルガはおそらくその娘がカレヴィに狙われていることも聞いていたのだろうから、ヘルガの頭ならばそれだけでほぼ確信できるのだろうが。
メリルは首を傾げる。
「何って、寝床を探しに行ってるだけです。私が寝ている間にこの子を奪いに来られたら困るから、街の外で野宿していたほうがましだろうなって。魔物にとってもこの子の身は魅力的なようだけど、少し魔法を使えば一晩くらいは近づけないようにできるもの。魔法使いを相手にするよりは楽――」
「おい待て。野宿だって?」
オーウェンはメリルの言葉を遮った。
恐る恐る聞いてみる。
「――誰か、一緒に守ってくれる奴はいるのか?」
「え?」
きょとんとした表情でメリル。
……どうやら毎晩一人で過ごしているらしい。
「ほう。よく無事だったな。魔法で近づけないようにできると言っても、そんな魔法、強引に破って襲ってくる馬鹿な魔物だっているのにな。よほど運が良かったか」
「ええっ……」
ヘルガの言葉にメリルは両肩を上げて身を縮めた。
「脅すなヘルガ」
オーウェンは顔をしかめた。
本当のことなのだがな、とヘルガはため息をついて、やれやれと首を振った。
「……ともかく、お前のような小娘が街の外で野宿するのは危険だ。魔法を破られたら、お前なんて一口で食われそうだものな。そこのオーウェンならば肉弾戦になっても、魔物の口の中に手を突っ込んで舌を引っこ抜くくらいのことはやってのけられるがな」
「いや俺はそんなことやらないぞ。なんだその想像は」
「ん? 大体合っているだろう? この前人喰い猫と戦ったときにはそうやってやっつけたと言っていたじゃないか」
「まさか。違う。舌を引っこ抜こうだなんて、してない。ただあいつが大口開けて襲い掛かってきたから、拳で気道を塞いでやっただけだ」
なんだやっぱり合ってるじゃないか、とヘルガは呆れたようにオーウェンの顔を見る。
それから、思いついたように「あ、そうだ」と声を上げた。
「メリルはお前が預かってやればいいじゃないか」
「は?」
思わず聞き返す。
「お前はこんな可愛い小娘が毎晩野宿しているというのに放置できるような性格ではないだろう? うじうじと悩んでいるのなら、そばに置いて守ってやればいいじゃないか。そのほうが安心だろう」
いや、それならばむしろヘルガののところに泊めるほうがいいような気がする。
なにしろメリルは、女の子だ。
しかも美女だ。
対してオーウェンはというと、そこはかとなく街の住人に恐れられていて――そんな、可愛らしい、いかにも無垢そうな、メリルと一緒に晩を過ごすなんてことは、恐れ多くて敵わない。
だいたいオーウェンがメリルのようなのを自分の家へ連れ帰りでもしたら、翌日には街中の噂になっていること間違いなしだ。
それに、オーウェンがそれを了承したとしても、メリルの意思は別なわけで――。
ぐるぐると頭の中で考えて、オーウェンは困ったようにヘルガに目を向ける。
オーウェンの様子にヘルガは言った。
「一応言っておくが、こんなもってこいの研究素材がそばにあって、私が手を出さずにいられるとは思わないほうがいいぞ」
「…………」
どうやら野宿よりも危険のようだ。
「あの、私、今まで通り野宿で大丈夫……」
メリルがそう言ってくる。
「いいや駄目だ。危険だと分かっているのに、そんなことさせられるか」
ぶんぶんとオーウェンは首を振った。
「ほらやっぱりお前が泊めてやるべきだオーウェン」
「だって、メリルは女の子だぞ。美少女だ。俺がそんなもの、泊められると思うのか。まずいだろう」
「……オーウェン。口説くなら本人のほうを向いて言ったほうがいいぞ」
「ああ? 口説くって、俺が何を言ったって言うん――」
ヘルガの言葉にオーウェンがメリルのほうを振り向くと、メリルは頬に手を当てて、顔を赤く染めている。
オーウェンはその様子に呆気に取られて、何かおかしなことを言っただろうかと本気で考えたが――しかし何も思い浮かばないので、なんと声をかけていいのかも分からずに口をぱくぱくさせながらメリルを見つめる。
にやにやと笑ったままのヘルガと頬を染めて俯いたままのメリルが何も言わないので、オーウェンはやおら我に返って、はっと思い付いた。
「そ、そうだ。だったら、シェリアがいるじゃないか。あいつなら――」
「あの娘なら、カレヴィやその魔法使いとやらが襲ってきたらひとたまりもなくやられるだろうな」
「…………」
ぐうの音も出ない。
「――なあ」
ヘルガはメリルに向かって話しかける。
「小娘よ、お前はどう思う? 一人街の外で野宿をして魔物に襲われる不安を抱えた夜を過ごすか、私のところに泊まっていつ実験台にされるか分からぬ恐怖に怯えて過ごすか、街の者からは半ばならず者扱いされているこのオーウェンと共に過ごすか。――さてどれがいいかな」
楽しげな様子だ。
答えは決まっているだろう? とでも言うように、笑みを浮かべて。
オーウェンからすれば、どれもこれも、ろくな選択肢ではないような気がしてならないのだが――。
ヘルガの言葉に、メリルはちらりとオーウェンに目を向けた。
一瞬だけ目が合う。
それで、メリルの答えは分かった。
「私、オーウェンのところにお世話になりたいです」
言った。
オーウェンは深々とため息をついた。
ほっとしたか、とヘルガが茶化してくるので、そちらをぎろりと睨んでやることも忘れずに。
「あの」
メリルは心配そうにオーウェンを見上げてくる。
「……迷惑?」
「いや、迷惑だなんて」
オーウェンはまたぶんぶんと首を振る。
ヘルガはその言葉ににやりと笑った。
「決まりだ。用が済んだのならさっさと帰るがいい。……責任もって守ってやれよ? このならず者め」
……どうも嵌められたような気がしてならないのは気のせいか?
とりあえず、オーウェンはまたヘルガのほうを睨んでやった。
「メリル」
オーウェンは言う。
「俺は今日は、引き続きカレヴィの野郎を探し回ることにするから――夕方ごろ、市場の中央広場辺りで落ち合うことにしよう」
「ええ」
「街の門が閉まるときの鐘が鳴ったらでいいか?」
「はい」
頷いた。
オーウェンも頷いて立ち上がり、メリルもそれに続く。
「邪魔したな」
「お邪魔しました」
ヘルガに、オーウェンが素っ気なく言い、メリルがぺこりと頭を下げる。
メリルがぱたぱたと駆けて行き、扉を開けて、部屋を出て行き――。
……いや、またひょこっと扉の陰から顔を出して、にっこりとオーウェンに微笑みかけた。
「オーウェン。また夕方に」
「ああ」
小さく手を振るメリルに、オーウェンはぎこちなく口元を上げて答えた。
――メリルが出て行ったのを確認すると、ふうっとため息をつく。
「じゃあな」
オーウェンはもう一度ヘルガに言って、部屋をあとにする。
……しかし。
ふと。
「オーウェン」
ヘルガは、扉の取っ手に手をかけたオーウェンに、声をかけた。
振り返ると、ヘルガが手招きをしている。
なんなんだと頭を掻きつつそちらへ戻ると、ヘルガは真顔でオーウェンをじっと見つめてきた。
「おかしいと思わないか」
「ん? 何がだ?」
オーウェンは訝しげな表情でヘルガを見る。
「……あの小娘、メリルのことだ」
ヘルガは言った。
「メリルが――メリルの、どこがおかしいって?」
顔をしかめてオーウェンが問う。
分からないのか? とヘルガは片眉を上げ、しかしまたしばらくじっとオーウェンに目を向けると、はあっとため息をついて、首を振った。
「いや、気付いてないならばいい。なんでもない。忘れろ」
忘れろと言われたって、とオーウェンは首を傾げる。
「オーウェン」
ヘルガはまた言う。
「フェアリーアイズ事件は、もうすぐ解決するぞ」
「うん?」
また首を傾げる。
そりゃあ、フェアリーアイズ現象を引き起こした犯人もメリル分かったのだし、そのメリルが何故フェアリーアイズ現象を引き起こした理由も分かったのだから、メリルが魔法を解くことができない原因である魔法使い――とカレヴィ――を捕まえれば、事件は解決だ。
しかしヘルガはオーウェンの様子に首を振る。
「いや。たぶん、この事件は……お前が思っている意味とは違う意味で解決する」
「なんだそれは?」
オーウェンは尋ねるが――。
ふいっと顔を逸らしてヘルガは言った。
「自分で考えろ」
素っ気無い。
――ヘルガはそれ以上口を開かず、こちらに興味を失ったかのように自分の仕事に取り掛かり始めたので、オーウェンはため息をついて診療所をあとにした。
***
街を回ってみたもののカレヴィの足取りは掴めず、夕方の鐘を聞いて市場の中央広場へと行き、メリルの姿を見つけた。
オーウェンはメリルと連れ立って歩き、二人の取り合わせにざわめく周囲の視線をそわそわと気にしつつぎろりと睨んで追い払いつつ自分の部屋へと帰り、久々に台所でまともな料理を作り、メリルにそれを勧めて自分も夕食を摂った。
寝る場所に関してはやや揉めた。
「君が寝台を」
「いえ、お世話になる身そんな」
と二人で遠慮し合って、しばし口論に。
結局二人してそれぞれ別々の長椅子に寝ることになってくすりと苦笑いし合って、「おやすみ」と言って眠りに落ちた。
――そんな平和なやりとりのせいだろうか。
その夜、オーウェンは夢を見た。
いや。
夢を見ている。まだ夢の中だ。
視界は黒。
しかし、まぶたの外に光を感じる。
自分は目を閉じているのだと、オーウェンは思った。
「――ったら、ねえ、朝よ。起きて?」
オーウェンは少女の声に目を開く。
メリル。
その背がやたらと大きく感じられるのは、ここが夢の中で、夢の中の自分はオーウェンではなく、別の誰かだからだとオーウェンには分かった。
「おはよう、メリル」
オーウェン――いや、オーウェンではない自分が、魔物の声で、そう答えた。
……そうだ。これは過去なのだ。
過去の夢。
自分は今、ドラゴンなのだとオーウェンは知った。
メリルが抱いていた、ドラゴンの死骸。オーウェンに移されたドラゴンの魔力。ドラゴンの目。――フェアリーアイズ。
これは死者の記憶だ。
しかし嫌な感じはしない。
懐かしい。
死んでからこんな夢が見られるとは思わなかった。
いやいや、自分は――オーウェン・オッド・プロイスナーは死んでいない。死んでいるのはドラゴンである自分だ。
――わけが分からないな、とオーウェンはやや悩む。
「どうしたの? 変な顔してる」
くすくすと笑いながらメリルが言う。
そうだ、メリルだ。
今でこそ自分はメリルよりも小さな身体をしているが、本来は、メリルよりもずっと大きくて、長寿だ。
ドラゴン狩りが行われていた時代に、メリルの祖父に助けてもらったのだ。
もちろん、自分は助けてもらうまでもなく狩人を退けることができたであろうが……しかし恩は恩だ。好ましく思い、しばらくそばにいてみようかと考えて懐いてみたら、なかなか居心地が良くて、別れ難くなった。
そうしてその者を見守り、またその娘が育つのを見守ったように、メリルが生まれるのにも立会って共に日々を過ごして――。
ある日、メリルの魔力の大きさに、気付いた。
巨大な魔力は時として人の身には害になる。魔力に耐え切れなくなると、もがき苦しんで死ぬ羽目になるのだ。
しかし自分はメリルがそうやって死ぬのを想像するのは我慢ならなかった。
メリルのことを、ずっと見てきたのだ。
おそらくはメリルの両親よりも長い間、一緒の時を過ごし――メリルは自分にとって、絶対に失ってはならないものなのだと確信していた。
だから、自分は。
その膨大な魔力を引き受けることにした。
しかしドラゴンである自分でも、メリルの魔力は相当のものだったらしい。
――おそらくはもう長くは生きられないだろうと悟ると、死に場所を探すために旅に出た。
それなのにメリルときたら、あろうことか両親にも内緒で――もちろん自分も、メリルがついてきていることなどまったく気が付かなかった――こっそりと自分についてきてしまって。
少しでも魔力を消耗しようと、身体を変形させて若返ってみたせいで、メリルからはまるっきり弟扱いされるようになってしまっていて、振り切ろうにも放してくれず、途方にくれつつ旅を続けているうちに、メリルと一緒ならばもういつどこで死んでもかまわないだろうなと薄々考えるようになっていて。
「変な顔で悪かったな」
メリルの言葉にそう答えた。
――死んだあとにメリルに迷惑をかけたのは不本意だった。
いや、何を言っているのだろう。
まだ自分は死んでいない。
死んだあとにメリルに迷惑をかけるのは不本意だ、だ。
自分はドラゴンなのだ。
きっと自分が死んだあとは、魔法使いたちや魔物が、この身を狙って来るのだろうが、メリルの性格からすれば、大人しく引き渡したりはしないだろう。
死骸になってしまった自分などどうなったって構わないというのに。
今だって散々、魔法使いから逃げ回っていて、せっかくオーウェンに魔力を渡したというのに、またそれを引き戻したりして――。
――なんだって?
「メリル」
自分は――いや、オーウェンは、メリルの名を呼んだ。
焚き火の燃え殻をいじっていたメリルがこちらを振り返る。
「メリル、君は――」
その問いに、メリルが優しげに微笑む。
「オーウェン」
自分のものではない名を呼ばれた。
いや、違う。
オーウェン・オッド・プロイスナー。これこそが自分の名のはずだ。――夢の中ではなく、現実のほうの、その名前。
これは夢ではないのか?
「ごめんなさい、オーウェン」
メリルは言う。
「ありがとう。お世話になりました」
立ち上がって、ぺこりとお辞儀。
「――!」
オーウェンはドラゴンの言葉でメリルの名を呼び――。
「えっ、え?」
……メリルの腕を掴んだ。
あ? とオーウェンは目をしばたかせ、メリルを見つめる。
「メリル……? お前――いや、君は、てっきり……いなくなっているものだと思っていたんだが」
「え? どうして?」
訝しげな顔でメリル。
「いや……」
ごにょごにょと口ごもった。
――やはりあれは単なる夢だったのかとオーウェンはメリルに目を向ける。
メリルは、オーウェンが昨日の晩のうちに用意しておいた朝食を、貯蔵庫――貯蔵庫の内部は魔道具で冷やさる仕組みになっている――から取り出して、食器と一緒に机に並べているところだった。
オーウェンはひとまず考えるのをやめて、朝食を摂ることにした。
「メリル、今日も待ち合わせは夕方、中央広場でいいだろうか」
食べながらオーウェンが尋ねる。
え? とメリルが聞き返すので、もう一度同じ言葉を言ってやると、メリルは少し考えてから、こくりと頷いた。
何故だか、無言。
――何かおかしなことを言っただろうか。
オーウェンは考えてみるが、しかし、考えると今朝の夢のことを思い出してどうも嫌な予感に囚われてしまうので、考えるのをやめた。
早々に朝食を食べ終えて、身支度をする。
昨日はカレヴィを探し回っているうちに日が暮れてしまい、魔法ギルドのほうへ顔を出せなかった――メリルと合流したあとに、部屋にメリルを一人取り残したまま魔法ギルドへ行く気はなかった――ので、今日は先に、魔法ギルドのほうに顔を出そうと予定を立てる。
それから、できればシェリアが同僚とともに調査訪問に行く前に捕まえて、メリルのことについて話し合う。
ヘルガには役立たず扱いされ、オーウェンも半ば不安に思っているシェリアだが、数少ない頼れる――いや、あまり頼りには思っていないのだが――味方だ。事情を知らせておいたほうがいいだろう。
……そんなことを考えながら、オーウェンはサングラスをかける。
振り向くと、メリルは一足先に支度を終えていたようで、オーウェンが今朝夢に見たドラゴンの――死骸を、いつものように抱いて、一言オーウェンに声をかけるべきかそれとも声をかけるのは迷惑だろうかと少し戸惑った様子で、戸口のところに立っていた。
「悪い。……先に行っても大丈夫だと言っておくべきだったな」
オーウェンはそう謝って、メリルと共に部屋を出て鍵をかけた。
通りに出ると、街の者が信じられないものを見るような目つきでオーウェンとメリルを見比べてきたので、とりあえずオーウェンはそちらを睨みつけて、こちらを見ていた街の者たちを散らした。
「それじゃあ、また夕方に」
ぎこちない笑みを浮かべてオーウェンが言うと、メリルも――奇妙な笑みを浮かべた。
「うん……」
どうも気になる表情。
「メリル――?」
不安に思って尋ねてみると、メリルははっと気が付いたように顔を上げて、なんでもない、と首を振った。
メリルは言う。
「オーウェン、ありがとう」
今度はにっこりとした笑みをオーウェンに向けて――。
くるりと踵を返して、ぱたぱたと駆けていった。
メリルの表情にオーウェンはまた今朝の夢を思い出したので、手を伸ばして呼び止めようとするが、オーウェンが呼び止める間もなく、メリルは建物の角を曲がって、行ってしまった。
オーウェンはくしゃくしゃと頭を掻いて、ため息をついた。
振り返り、魔法ギルドの建物を見上げる。
まあ考えても仕方がない、とオーウェンは魔法ギルドの扉を開き――。
「先輩先輩~っ」
シェリアに飛びつかれた。
……いや、飛び掛られたといったほうが正しいか。
「なんだ? どうした?」
オーウェンはシェリアを引っぺがして尋ねた。
「どうしたじゃないですよぉ~っ、事件です、大事件ですよ! 街中で、先輩が女の子を家に連れ込んだっていう噂が流れているんですよ」
「ああ?」
やっぱりか、とオーウェンはげんなりする。
「待て、それはその通りだが、……違うぞ? 決して、いかがわしい目的があってのことじゃ――いや待て、本当に、誤解だ」
「なにを……なにをそんな……、さもそんな……怪しい言い訳を……っ! 先輩、今回のことは本当にまずいですよ~っ。なにしろ、あの局長だってかんかんに怒ってるんですから!」
「あん? 局長が?」
眉をひそめる。
局長はよほどのことがない限り――ただしシェリアのドジっぷりやオーウェンの恐れられっぷりをからかうことはしょっちゅうだが――、人と人の関わりに口を出すことはない。
もちろん、それが魔法に関わることならば話は別だが……。しかし、さすがの局長でも半ばならず者扱いされているオーウェンとメリルのような可愛らしい娘の組み合わせはまずいだろうと思ったのか。
そんなことを考えていると――。
「オーウェンッ!」
局長室から、凄まじい怒鳴り声が聞こえた。
普段は局長はオーウェンやその同僚たちと同じく一般の事務員が使用している部屋に居座って仕事をしているのだが、凶悪な魔法使いを尋問するときや、凶悪な魔獣を一時的に隔離するときや、危険な魔道具を処分するときに使われる。
……尋問?
嫌な予感しかしない。
「――オーウェン・オッド・プロイスナー!」
オーウェンがためらっていると、また怒鳴り声が聞こえた。
ため息。
覚悟を決めるしかなさそうだ。
そろりそろりと局長室に近づく。
きー……、とオーウェンは扉を開け――。
「! 局ちょ――」
言いかけて。
――吹き飛ばされた。
「ぐっ」
息が詰まる。
ぐわっと胸倉を鷲掴みにされて思いっきりぶん殴られ、部屋の中の向こう側の壁まで放り投げられたのだと気付いたのは、恐ろしい形相で局長がこちらに向かって歩いてきているのを見てからだった。
襟首を掴まれる。
ゆらゆらと琥珀色が揺らめく瞳のその局長の表情に、オーウェンはただならぬ危機を察知して口を開く。
「きょ……」
「オーウェン」
弁解しようと言いかけたオーウェンの言葉を、局長が有無を言わせぬ表情で遮った。
言う。
「その目はどうした?」
オーウェンはぎくりと表情を固める。
「これは――」
言いかけるが。
局長は、それすらも遮って、オーウェンに言った。
「どうしてフェアリーアイズが治っているんだ――どうして、ドラゴンの魔力が消えているんだ!」
「へ?」
わけが分からず聞き返す。
きょとんとしたオーウェンのその様子に局長はぎゅっと口を結んで、手の上に、魔法で氷を生成し――。
――おいおいちょっと待て、本気なのか、本気で殺す気か。
オーウェンがそう思って局長の手から抜け出そうと抵抗を試みたが――しかし魔物である局長の力には敵うはずもなく――、完成した魔法を前にすると、覚悟を決めてぎゅっと目を閉じた。
ごちん。
脳裏に火花。
……鉄拳。
「馬鹿野郎、目を閉じるな。これを見ろ。自分の顔をよく確かめてみろ」
ぐいっと頭を押されて、何かにぶつかる。
冷たい――氷。
「え? え?」
オーウェンが目を開けてみると目の前に鏡が――いやこれは局長が魔法で生成した氷だ――差し出されていた。
おそるおそる、それに自分の顔を映してみる。
緑色の双眸。
よく見ると片方は薄っすらと黄味がかっているような気もするが。
「……やられた!」
オーウェンは叫んで、立ち上がった。
いや立ち上がれない。
局長にまだ服を掴まれている。
「ぐえっ」
尻餅。
放してください局長、とオーウェンは上目遣いに訴える。
別れて間もない今ならば、まだ、行けば間に合うかもしれない。今日メリルが街を出て行ってしまったら――明日は戻ってくるかは分からない。どこか別の街へと逃げてしまうかもしれない。
――しかし局長からは、ぎろりと恐ろしい瞳で見下ろされた。
「シェリア!」
怒声。
局長が呼ぶ。
「は、はいっ……!」
ぱたぱたと足音がして、すぐに返事。
びくびくと戸を盾にして顔を出す。
「えう……。あの、えっと、お呼びですか……?」
「ああ呼んだ。こいつを自警団か魔法使いギルドに連れて行って牢屋にでも放り込んで来い」
「ろ、牢屋にっ? どうしたんですか局長、先輩が何か――」
「理由はお前も知っているだろう? あの魔女医者も」
どうやらヘルガとシェリアがオーウェンのフェアリーアイズのことを知っているという事情もお見通しだったらしい。
局長がオーウェンを突き放す。
いやぶん投げられた。――いや局長としてはたいした力は込めていないつもりだったのだろうが。
「きゃ」
衝突。
「ぶえっ」
シェリアが驚いたように身を縮めたので、オーウェンは鼻頭をシェリアの頭にぶつける羽目になった。
きゅーっと痛みが鼻筋を上る。
涙が出た。
「せっ……。局長っ! 少しは手加減してください! すみません、先輩、大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけがあるかちくしょう」
「どこか痛みますか」
「鼻が――」
「頭は大丈夫ですか?」
「なんだと?」
その言葉にオーウェンはシェリアを思いっきり睨み付けてやる。
シェリアはわたわたと手を振り、慌てたように弁解。
「え? あ、……えっと、そういう意味ではないです! すみませんえっと……!」
「大丈夫だ馬鹿野郎。痛い、揺らすな」
しかし、これでやっと逃げられるわけだ。
オーウェンがそう思って肩の力を抜いたとき――。
「逃げるなよ?」
局長が。
釘を刺してきた。
「きょ……っ。――俺は、メリルを探しに行かなくちゃならないんだぞ!」
「それは残念だな。駄目だ。許さん。お前は、一晩頭を冷やして来い。絶対だ。聞かないなら、わたしがお前を直接牢屋に転送してやる。もしかすると牢屋の中にお前が相手をした巨大猫がおまけについてくるかもしれんが、仕方ない。そこへ立て。今すぐ転送してやる」
「待て馬鹿局長! なんかちょっと楽しそうにしてないかっ? このっ……ちくしょう、行くぞシェリア!」
オーウェンは舌打ちをして、逃げ出すように背を向けた。
局長はそれをじっと見つめたまま口を結んでいるが、オーウェンが扉の取っ手に手をかけたところで、ふと局長はその背中に声をかけた。
「健闘を祈る」
ん? と違和感。
なにやら笑みを含んだ声色だったような――。
それに、「健闘を祈る」とは?
「おい局長、あんた、やっぱり楽しんでるんじゃ……。一体何を企んで――」
オーウェンが振り返りつつ尋ねると、局長はにやりと口元を上げ、くいっと片手を上げた。
ばたんと扉が閉まった。
――魔法。
容易には開けさせてもらえなさそうだ。
オーウェンは深く深く、ため息をついた。