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三章

 三章


 最後の最後で気を抜くと、痛い目に遭う。

 ――気になる言葉を残してその場を去ったヘルガを、オーウェンは疑った。

 倒れている事務員たちを介抱をシェリアに任せてヘルガの診療所へ急ぐと、ヘルガは不在だった。

 しばらく待っても帰って来ないので、仕方がないのでシェリアと合流、魔法使いギルドに報告書を出したときにはすでにとっぷりと日は暮れていた。

 そして今日は、その翌日である。

「――どういうことなんだ、あれは?」

 オーウェンは、がん、と机を叩いて向かい合っている人物に問うた。

「どうって、お前の想像する通りで間違いないよ。オーウェン」

 その人物――ヘルガはそう言った。

 診療所。

 てっきり逃げ隠れているものだと思いきや、ヘルガはいつものようにコーヒーを飲みながら机に向かっていて、オーウェンがつらつらと自分の推測を述べても背後に立って机を叩いても平気な顔で――ただし机を叩いた瞬間は、迷惑そうな顔でコーヒーカップを机から持ち上げてこちらを見てきたが――仕事を続けていたのだ。

「想像する通りで間違いないだって?」

 オーウェンは眉をひそめる。

「つまり、あんたは、カレヴィに加担したってことか」

「うん。まあそうなるだろうな?」

 魔法使いギルドの者が倒れたときにはオーウェンとシェリアはその場にいなかったが、話を聞くところによると、あの閃光は単なる目くらましだったらしい。

 閃光で視界を奪われたその一瞬に。

 何者かの攻撃によって、殴り倒されたらしい。

 そばにいた街の者たちは人影など見ていないというから、おそらくは殴り倒すのに使われたのも、魔道具だ。

 オーウェンはそんな魔道具を見たことがある。

 元々はオーウェンたち魔法ギルドが所持していたそれ。――そして、ヘルガへの支払いとして引き渡された物。

「お前が立ち去ってくれて助かったよ。あの場にお前が残っていたら、おそらく私の奇襲は失敗しただろうからな」

 ヘルガは言った。

 オーウェンは唇を噛む。

 もしあの場に残っていれば。

 ヘルガの言う通り、オーウェンならば、その魔道具にも対処できたはずだし……そもそも、ヘルガは勝ち目の薄い争いには手を出さない性格だから、オーウェンがその場に残っていれば手出しなどせずにあっさりとカレヴィを見捨てていたはずだ。

 その後は、転送の魔法でカレヴィの移動。

 転送の魔法というのは本来ならば複数人で魔法を組んで発動させる高度な魔法だが――これも瓶のようなものが投げ込まれて魔法が発動するのを街の者が見ており、魔道具によるものだと分かっている。

 これは、魔法ギルドの知る魔道具ではない。

 そんな強大な魔法を魔道具に籠められるほどの技術は、ない。

 ――カレヴィに買収されたのだ、とオーウェンは見当付けていた。

 市場に出回らないような規格外の魔道具を保有しているカレヴィだ。魔道具好きのヘルガに自分の持つ魔道具を渡して、昨日のような事態に陥ったときに、助けるよう依頼していたのだろう。

「カレヴィはどうした。ここにいるのか?」

「まさか! 昨日、転送の魔法で移動させたあとすぐに叩き起こしてお引取り願ったさ。いたらお前がここに来るのを許したわけがないだろう? ややこしいことになるのは目に見えているというのに」

 今、充分ややこしいことになっているだろうが、とオーウェンはヘルガを――ヘルガは相変わらず机に向かって仕事をしているので、たいした威圧にはならないのだが――睨みつける。

 まるでもうこの件については解決されたかの言い様。

「お前、これを俺が魔法ギルドなり魔法使いギルドなりに報告したら、どうなると思っているんだ?」

「うん?」

 ヘルガは首を傾げる。

 くるっと椅子を回して、不思議そうな表情でオーウェンを見上げてきた。

「何を馬鹿な。お前は言わないだろう?」

「どうしてそう思う」

「どうしてって、お前」

 なにやら呆れた様子。

 口を開けて眉をひそめ、言葉が出ないというようにこちらを見つめる。

 やれやれと首を振り、大げさにため息。

「ヘルガっ――」

 オーウェンはヘルガのその様子に、声を荒げて顔を寄せたが――。

 すっと、その頬を挟まれた。

 不意打ち。

「な、……なっ、なん……」

 狼狽。

 一昨日のようにヘルガは真顔でオーウェンの顔を見つめてくる。

 しかし今日は一昨日と違って動けるので、オーウェンはヘルガの手を振り切って、ずざざざざ、と壁際へ後ずさる。

 ヘルガは――立ち上がらなかった。

 またため息。

「お前は本当に危機感が足りない」

「な、何がだ」

 狼狽して壁に張り付いたまま、オーウェン。

 ヘルガは言う。

「何が? 言ったじゃないか。お前の、その目、そのフェアリーアイズ。研究者が羨む魔物の瞳。――露見すれば、帝都に連れて行かれることになる、と私はお前に忠告したはずだぞ」

 オーウェンはヘルガの言わんとしていることに気が付いた。

 ――つまり、ばらされたくなければ黙っていろ、だ。昨日の一件にヘルガが絡んでいることをオーウェンが話せばヘルガのほうもオーウェンの瞳のことを話して自警団に突き出すと言っているのだ。

 脅迫だ。

「突き出したりしないって言ってたじゃねえか……」

 負け惜しみにオーウェンはそう呟く。

「突き出したりはしない。……その通りだろう? お前は私のことを報告したりはしないだろうからな」

 ……脅迫だ。

 ため息。

 オーウェンはしおしおと頭を垂れた。

 完敗。

「そう悄気るな。私だって、カレヴィには受け取った分の恩しか返してやるつもりはないのだからな。昨日の分で帳消しだ。お前にとって不利益になるような役目なんぞこれ以上引き受けたりはしないだろうよ」

「説得力がないぞ!」

 ヘルガの言葉にオーウェンは顔を上げ、恨めしげそちらを睨んだ。

 にやりとヘルガが笑う。

「そうだ。それでいい。警戒心は怠らずにな」

「くっそ……魔女医者め」

 ぎりぎりと歯を鳴らした。

 ヘルガは睨んでいるオーウェンをよそに、ふと思い出したように引き出しを開け、中から何かを取り出す。

 それをオーウェンに向かって、投げる。

「返す。持っていけ。仕事の時間を使ってこんな『無関係な』ところへと足を運び、無駄足だったとなれば周りから白い目で見られるだろう? 何か適当に『収穫』をでっちあげるといい」

 対魔法使い用の捕獲縄。

 昨日オーウェンがカレヴィを捕らえるのに用いた縄だ。

 一度はカレヴィを捕まえたというのに――。

 ちっ、とオーウェンは舌打ちをする。

「覚えてろよ。てめぇ、あとで、絶対に、泣かす。カレヴィをぼこぼこにして、この診療所に送り込んでやる。ほとほと困るくらい面倒な怪我をさせて、たっぷりと手を焼かせてやるからな」

「みみっちいな」

「ちくしょう、分かってるよ、このっ……」

 仮にも医者であるのだし。

 まさかヘルガ本人に手を下すわけにはいかないので。

 ――ものぐさなヘルガには一番堪えるだろうという仕返しの方法を、オーウェンはそれだと結論付けた。

 あまり凄みがないのは仕方がない。

 楽しみにしている、とヘルガはにっこりと笑った。

 ふん、とオーウェンはそっぽを向いた。

 話は終わりだった。


 ***


 魔法ギルドに戻ってみると、なにやら揉め事が起こっているらしかった。

 助けに行くだの行かないだの。

「……何事だ?」

 オーウェンはひょいと顔を出して訊いてみる。

「あ、オーウェンさん。どこに行ってたんだよ! こっちは大変なことになってるっていうのに!」

 同僚の一人がそう言う。

 だから、何が大変なんだよ、とオーウェンはため息をつきつつ尋ねる。

「シェリアがちゃんが、フェアリーアイズ現象の容疑者だって言われて自警団に逮捕されたんだよ! 街の住民の一人が、シェリアちゃんだけフェアリーアイズ現象の影響を受けていないなんて怪しい、って」

 言った。

 ――は?

「逮捕?」

 オーウェンは目を丸くした。

 魔力の低い者ほどフェアリーアイズ現象の影響を受けやすいのは魔法ギルドだってきちんと公表しているし、シェリアは魔法ギルドの一員で、フェアリーアイズ現象を調査している事務員であるというのに。

「だいたいシェリアは、フェアリーアイズだろう?」

 オーウェンは言う。

 昨日、シェリアがそう言って、オーウェンもそれを確かめたのだ。

 そのせいでオーウェンは昨日昼食にありつけなかったのだし。

 ……まさかシェリアが魔法で自分の目をフェアリーアイズに見せかけた、などということはあるまい。それならば茶色と薄茶色などという紛らわしい偽装などしないだろうし、偽装の魔法など使っていたら局長に一発で見破られるだろうし。

「ええ。ですから自警団のほうも、騒ぎを収束させるために、とりあえず、シェリアを自警団に連れて行くことにしたようです。この騒ぎを起こしたのも偏屈屋で有名なじじ……例のあの人でね。じじい……例のあの人がシェリアに食って掛かっているうちに、街の住民の何人かも同調し始めて、大事になってしまって。――逮捕というよりは、保護のためのようで」

 はあ~っ、とその場の一同は、一斉にため息をついた。

「……それで、助けに行くだの行かないだのってのは?」

「それは、自警団の人が先ほどこちらに来て、シェリアの身柄を引き取りに来いって言ってくれたんですが――なにしろ、逮捕でしょう? どうも悪い噂みたいなものが広まってしまったらしく、自警団の前に人々が詰め掛けているようなのです。事態はなおも悪化中ということですね。これでは身柄を引き取っても、街の人々に何をされるか分かったものではありません」

「なんだそりゃ」

 馬鹿馬鹿しい、とオーウェンは肩眉を上げた。

 こんな事態、局長ならばすぐに収められただろうにと思い、局長はいないのかと辺りを見回してみると、やはりいなかった。

「簡単なことだろう。住民に、魔法ギルドから詫びを入れろ。『昨日、当魔法ギルドの事務員であるシェリアがフェアリーアイズ現象の影響を受けていたことが判明した。当事務員のフェアリーアイズは同系色の入れ替わりであったため非常に見分けにくく、発見が遅れた。ついては、未だにフェアリーアイズ化していないと思われていた住民の中にも、同じ現象が現れている可能性があり、今一度自分の目を確認していただきたい』。……どうだ」

 一気にそうまくし立てたオーウェンの顔を、一同はぽかんとした顔で見つめた。

 少し説得力がないか? とオーウェンは首を傾げる。

「……いや、そういう問題じゃないか。これじゃ魔法ギルドが全部悪いみたいに聞こえるよな。そうだな……やっぱり詫びはなしだ。『シェリアがフェアリーアイズであることは当ギルドも確認済みである。妙な言いがかりはやめ』――」

「ごり押しじゃないですか。そんなことをやってのけられるのはオーウェンさんくらいでしょう? それに、それではシェリアさんの疑いは晴れませんよ」

「いざとなったら、住民一人一人にシェリアのフェアリーアイズを確認させりゃあいいだろうが」

「なんて気の長い……」

 同僚はため息をついた。

 それから、一同はふと気が付いたようにちらりとオーウェンに目を向けて。

 輪になって、頭を突き合わせる。

 ひそひそ。

 オーウェン抜きに、話し合い。

 ひそひそひそ。

「……なんだ?」

 ひっそりそそそ。

 くるり。

 じっとオーウェンを見つめてくる。

 なんだかよく分からないが、話はまとまったらしい。

 ぽん、と同僚たちがオーウェンの肩を叩いて言う。

「じゃあそういうことですから、オーウェンさんは例の『妙な言いがかりはやめろ』作戦の通り、シェリアの救出に赴いてください」

「俺たちはその隙に『同系色のフェアリーアイズを確認したので注意してください』のビラ配り作戦を実行して住民たちの気を収めておくから、安心してシェリアちゃんの救出に専念するといいぞ!」

 待てこら。

「ごり押しじゃねえか」

「オーウェンさんならできるだろう?」

「いや、できるけど」

 適当に言ってみただけだったのだが、どうやら同僚たちは乗り気らしい。

 ため息。

 魔法使いギルドからの協力の依頼のせいで、オーウェンの顔は街では有名だ。

 いわく、化け物であると。

 そのせいで、街ではよく「人ごみがオーウェンを避ける」。

 だから、オーウェンが自警団に乗り込んでシェリアの身柄を引き取り、表へ出れば、街の者も手出しをしてくるようなことは起こらないだろうが……。

 ――失礼な。

 オーウェンはひそかに傷つく。

 とんでもない誤解だ。

 街の者は、魔法ギルドの局長が魔物であることを知っているから、オーウェンのことも過大評価している節があるのだ。

「まあ……仕方ないか」

 ため息。

 ふらりと背を向け、扉のほうへ。

「行ってくる」

 おおお、と歓声が上がった。

 ……はあ。

 オーウェンはまた深く、ため息をついた。


 魔法ギルドを一歩出ると、一斉に、人々が目を逸らした。

 どうやら人だかりができていたらしい。シェリアだけでなく、シェリアの所属するこの魔法ギルドにも疑いがかかっているようだ。

 それでも魔法ギルドに押しかけてこないのは、オーウェンがいるせいか。

 ――そういえば、魔法ギルドに戻ってくるときも、誰からともなくじろじろと見られていたような。

 いやいや気のせいに違いない。

 オーウェンは今日何度目になるか分からないため息をつきつつもう一度周りに目を向ける。

 人々はすでに、すたすたと何事もなかったかのように足早に散っている。

 何か弁解でもしていきたいところだが、人々が……逃げるので、言えない。

 ……憮然。

 一応、オーウェンのほうでもシェリアの疑いを晴らしておこうと声をかけたり説得してみたりうんたらかんたらしたかったのだが。

 ここは同僚たちに頑張ってもらうしかないようだ。

 諦めて自警団のところへと向かうことにする。

 自警団までの道のりはそうたいしたものではないのだが――今日はやけに長く感じられる気がする。

 ひそひそと。

 囁き声が、いつもよりも多い気がする。

 それでも気にせずに自警団の建物までたどり着くと、建物の前に集まっていた人々が、ざわっと、オーウェンに道を空けた。

 ……いらいら。

 ばたん、と思わず乱暴に扉を開けてしまったが、オーウェンは、至極紳士的に、自警団の兵に向かって「魔法ギルドのシェリアの身柄を引き取りに来たのですが」と、にっこりと、言った。

 ひい……! と悲鳴。

 兵は駆けていった。

 ぽんと肩を叩かれる。

「やっぱり、お前が来たか。あまり我々の新人を驚かすな、脅かすな。……青筋が浮かんでいるぞ」

 オーウェンをよく知る兵が、そう言った。

「すまん。住人の、理不尽な視線にはどうもな……」

 ため息。

「……我々自警団は住民の苦情の対処をすることが仕事だが……すまないが、私はお前の力にはなれそうにないな」

 兵も、申し訳なさそうな表情でそう言ってきた。

 しかしせっかくこちらを恐れない兵と出くわしたのだから、ついでにオーウェンはシェリアの居場所を尋ねてみることにする。

 案内しよう、と兵は言った。

 オーウェンはその後ろをついて行く。

 連行されているわけでもないのに周りからじろじろと見られているのが、嫌だ。

 ――縄もかけられていないし、普通に連れ立って歩いているだけだというのに注目されているのはどういうことだ。

 オーウェンがそう思いつつ堪えつつひくひくと顔を引きつらせつつ歩いていると、前のほうから、シェリアが駆けてきた。

「先輩先輩~っ」

 がばっ。

 抱きつかれた。

「馬鹿野郎、抱きつくな!」

 オーウェンはシェリアを引き剥がす。

「だって先輩」

 シェリアが涙目で見上げてくる。

「自警団の兵さんが、私の牢のところに来て、『早く来てくれ、あんたのところの先輩に殺される』だなんて言って……。怖いじゃないですか!」

「……ぶふっ」

 背後で噴き出す声。

 じろり、とオーウェンはそちらを睨んでやった。

「……俺への評価が不当な、ものすごく、理不尽なものだということが、お分かりいただけただろうか……?」

「すまない。よく言い聞かせておく」

 兵はそう言った。

 ふん、とそっぽを向き、シェリアに「帰るぞ」と声をかける。

 シェリアは兵に向かって、「どうもお騒がせしました」と頭を下げているが、オーウェンは構わず出口のほうへ。

「早く来い、シェリア――」

 なかなかついてくる気配がしないので、オーウェンが振り返ってそう言うと――。

 ――ぶつかりそうになった。

 曲がり角。

 進行方向から、歩いてきた人物。

 すんでのところで身を躱し、その人物に謝る。

「すまん。余所見をしてた」

「こちらこそ」

 にっこりとその人物は笑った。

「――あ、先ほどの」

 シェリアが隣に来て、その人物に気付いて言う。

 顔見知りかとオーウェンが尋ねると、シェリアは「牢の中の私の話し相手になってくださった方です」とにこにこした。

「本当に、ありがとうございました。ちゃんと先輩が迎えに来てくれました~。これで安心して帰れます」

「いえ。こちらこそ……とても興味深い話でしたよ」

 ん? とオーウェンが首を傾げる。

「興味深い? シェリア、お前何を話したんだ。魔法使いギルドの秘密主義じゃねえが、仕事の内容はべらべらと喋ったりしちゃ困るぞ」

「だ、大丈夫ですよぅ。先輩とチンピラさんなカレヴィさんの戦いについて、少しお話しただけですから。手に汗握る二回戦! カレヴィさんを捕らえる先輩、魔法使いギルドに引き渡されるカレヴィさん。しかし何者かの介入により――」

「だぁあああっ」

「あにゃにゃにゃにゃにゃっ」

 オーウェンはシェリアの頭を両手でぐしゃぐしゃとかき回した。

「ま、街の人たちはみんな、昨日の騒動のことなんてとっくに知ってますよ~」

「だからって、お前、俺――自分の先輩の、不名誉な戦績をいきいきと他人に話すやつがあるか!」

「ええっ。でも魔法使いギルドさんだって、先輩の落ち度はなかったって――」

「お前は魔法ギルドの事務員、お前の先輩は、俺、だ。置いて帰るぞこら!」

「そ、それは困ります~っ」

 くすくすとそのやり取りを自警団の兵が笑った。

 はっと我に返って、えへんと咳払い。

「……失敬」

 むすっとしたままオーウェンが言う。

 こちらこそ、と兵も言った。

「本当に、興味深い話でしたから」

 にっこりと。

 笑ったその顔に――。

 オーウェンは違和感を覚えた。

 失礼しますと言って立ち去ろうとするその兵に、オーウェンは片手を伸ばして呼び止めようとしたが……、かける言葉が見つからず、手を下ろした。

 帰るぞ、とシェリアに言う。

 その様子に首を傾げつつ、シェリアはオーウェンのあとを追った。


 ***


「痛たたた……。ひどいじゃないですか先輩、いきなり、か弱い乙女を暴徒の中に放り込むなんて」

「か弱いだって? お前が?」

 シェリアの言葉にオーウェンは首を傾げた。

 住民たちを追い返すのは案外楽だった。

 集まっていた者たちの一部はオーウェンが自警団の建物に入っていくときにそそくさと散っていっていたし、――オーウェンは自警団の建物から出ると、ざわめいていた人々をぎろりと見回して、この騒ぎを起こした張本人である偏屈屋で有名なじじいの前にシェリアを突き出したからだ。

 驚く両者と取り巻きの者たちの前で、「さっさと確かめろ」と言ってやった。

 ――シェリアのフェアリーアイズをである。

「そうですね、街の人たちよりも先輩のほうが恐ろしい、殺気を持った、やばそうな雰囲気を発していましたものね……。あのときの先輩、怖かったです~」

「助けてやったのにとんだ言われようだ」

 ため息。

 あのときは、半ばやけになっていたのだ。

 偏屈屋の前にシェリアを突き出した直後に、「こいつが、フェアリーアイズ現象の影響を受けていないって? 俺のほうがこいつよりも魔力が弱いってのか? よく見ろ馬鹿野郎が、妙な言いがかりつけてんじゃねえよ、こいつはれっきとしたフェアリーアイズでてめぇらにつべこべ言われるようなことじゃねえだろうが」云々かんぬん。

 例の『妙な言いがかりはやめろ』作戦。

 要するに、脅しかけ。

 そして今ここは、魔法ギルドの事務局。

「……オーウェンさん、結局あの例の作戦を実行したんですか」

 同僚が呆れたようにそう言った。

 誰のせいだと思ってんだ、とオーウェンはそちらを睨んでやる。

「まあ、無事でなによりじゃないか」

 局長がそう言った。

 ……オーウェンと入れ違いで魔法ギルドへと戻ってきていたらしい。

 オーウェンはちらりとそちらへ目をやる。

 包帯。

 昨日と同じく片目にぐるぐると白い布を巻いていて――しかし、昨日よりも量が増えていないか? とオーウェンは不思議に思う。

 隠しているようだが、服の袖からもちらりと包帯が覗く。

 怪我のことは目を隠すための嘘だと思っていたのだが。……どうやら本当に傷を負っているらしい。

「局長はあんまり無事じゃなさそうですね?」

 シェリアが首を傾げてそう尋ねる。

 ああ、と局長は頷いた。

「今日もこっぴどくやられてしまったよ。あの馬鹿猫め、手加減なしに攻撃してくるんだからな」

 同僚も、訝しげな表情で局長に問う。

「また例の巨大猫のところへ行ってきたんですか? もうあの件に関しては、魔法ギルドの協力は必要ないって判断されてて、あの人喰い猫の処分を待つだけでしたよね。何をしに行ってるんです?」

「内緒だ」

 局長は人差し指を口に当ててそう言った。

 ため息。

「……まあいいですけど、仕事に支障が出るようなことはしないでくださいね。局長じゃなくちゃ、魔法使いギルドからの要求に応えられないんですから」

「そんなもの、無視しておけばいいだろう。本来は魔法ギルドが処理すべき事柄じゃあないんだからな。オーウェンだって、魔法使いギルドから情報を得るのに、調査をやめるだのなんだの言ってあっちの事務員を脅したりしていたし――」

「お、脅し……?」

 一同がオーウェンの顔を見てきた。

 なんで知っているんだ、とオーウェンは局長のほうに目を向ける。

 情報は開示できないと散々言っていたくらいだから、あの事務員が魔法使いギルドのほうにオーウェンとのやりとりを報告しているとは思えない――報告すれば重い責任が問われるはずである――のだが。

 局長は、こちらの視線に気が付いて少し首を傾げた。

 オーウェンはとりあえずそれを無視して、話題を変える。

「ところで、市民にビラを配ったそうだな。どうだったんだ?」

「ああ。シェリアみたいな見分けづらいフェアリーアイズがいないかって、注意喚起のやつだな。……お前がシェリアを救出しに行っている間に、数人、魔法ギルドを訪ねてきたぞ。適当に説明して帰してやったが」

 やはり、シェリアのようなフェアリーアイズも少数ながらいるらしい。

 もしかするとすでにこの街の者たちの目は皆、フェアリーアイズ化しているのかもしれない。

「そこらへんの調査はすでに他の者に任せているから、まあ安心しろ。ただし、調査訪問については同じ症例のシェリアを同行させたほうがいいと思うから、お前とは別行動させることになるだろうな」

「おお。久々に先輩から解放されるんですね」

「……だそうだがオーウェン?」

 その言葉にオーウェンはシェリアのほうを睨んでやった。

 ひええ、とシェリアが同僚の後ろに隠れる。

 オーウェンはため息をついて言う。

「しかしシェリアがいないとなると……俺のやれる仕事がない。魔力の観測はシェリアの担当だし、……俺が単独で住民に聞き込みに行くと、賊にでも出遭ったかのように怖がられちまって、話にならないからな」

 うん? と局長が首を傾げる。

「何言ってんだ。お前にはカレヴィを追っかける使命があるだろう?」

「それって、魔法使いギルドからの依頼であって、魔法ギルドの仕事じゃあないだろうが」

「どうせ暇なんだろう?」

 きょとんとした表情で、局長がそう問うた。

 またため息。

「……ちょっくらカレヴィの野郎を探してくる」

「行ってらっしゃいませ~」

 シェリアがぶんぶんと手を振ってそう言った。

 そこはかとなく嬉しそうなその様子にオーウェンは多少むっとしつつ、ふいっと顔を逸らして魔法ギルドをあとにした。


 ***


 カレヴィを探してくる、とは言ったものの、居場所はまったく見当が付かなかった。

 昨日のように上手く遭遇できれば楽なのだが……、そんな運のいいことは起こらないだろうな、とオーウェンは思う。

 ――いや、手がかりはある。

 オーウェンにぶつかってきた少女。

 カレヴィが追っているあの少女を探せば、おのずとカレヴィの居場所も知れよう。

 手配書が出回っていて、自警団と魔法使いギルドに目を付けられ、おまけにオーウェンにまで追われているカレヴィとは違い、少女のほうはほとんど知られておらず、こそこそと隠れているようなことはないはずだ。

 一見すればごく普通の少女に見えるが――しかし、あの少女はフェアリーアイズではないのだ。今回のシェリアの騒動で、同系色のフェアリーアイズの者が多数確認されているようだが、それとも違う。

 ……シェリアや同僚たちと一緒に聞き込みに行ったほうが良かったか、とオーウェンはやや後悔した。

 まあしかし、念のためカレヴィの居着きそうな場所にも寄っておきたいので、別行動でも良かったかと思うことにしておく。

 とりあえずは昨日の市場へ。

 追いかけられてここまで来たということは、あの少女の生活範囲がそこに含まれているのかもしれない。

 オーウェンは少女の姿を探して――あるいはあわよくばカレヴィ本人がいないかと周囲に目を配りつつ、なにげなく露店に置かれている魔道具を手に取る。

 ……ごく普通の魔道具。

 露店の店主がオーウェンに気が付いて話しかけてきたので話してみると、店主は他の露店でカレヴィの魔道具と思われる魔道具を見たことがあるらしかった。

 一度だけ、すごく便利そうな魔道具を見たことがあるけどな、と。

「便利そうな魔道具?」

「そう。特定の魔道具を指定した条件下で発動させる魔道具とか、やたらと小型なのに性能がいい魔道具とか。……ああ、それと、爆発で、靴だけを狙って吹っ飛ばす魔道具なんかもあったな。冗談みたいだろう」

 カレヴィだ。

 店を出していたのはこの店主の知り合いらしいが、しかしそういう魔道具を見たのはその一度きりだと言う。

 かなりの良品なだけあって、すぐに売り切れてしまったのだろう。

カレヴィが通いの店を作らないことは魔法使いギルドから受け取った資料にも書かれているのだから、未だにその店主と取引していることは、たぶんない。

 その魔道具を見かけたのはここ一ヶ月以内のことだというから、しばらくはカレヴィはこのあたりには近寄らないだろうな、とオーウェンは思った。

 しかしとりあえず、その知り合いだという店主の居場所を訊き出してそこを訪ねてみると、店主はやはり、カレヴィと取引をしたのは一度きりだと言った。

 指名手配されているカレヴィと取引するのは大いにまずいことなのだが、買い取ったときにはカレヴィが指名手配されていることを知らなかったし、指名手配されていることに気が付いたあとは一切関わるまいと注意していたと言っているから、まあ魔法ギルドとしてもたいして咎めることはできないだろう。

 オーウェンはついでに聞いてみる。

「取引したときにカレヴィは何か言っていたか? ドラゴンの肉を探しているとか」

「いや、そんな物騒なものを探しているという話は聞きやせんでしたが……。探しているといえば、そう、誰かを探しているようでしたよ。確か女の子を。ぬいぐるみを抱いた長髪の美少女らしいんですが」

 昨日の少女だ。

「あの指名手配の男よりも、その少女のほうがよく見かけますね。これは、数ヶ月以上前から。たぶん、フェアリーアイズのことが噂になり始めたあたりからかなあ。結構あちこちに顔を出しているらしいです。誰かを探しているらしくて」

「……誰かを探している? 単にカレヴィから逃げているだけではなくてか?」

「ええ。確かに誰かを探しているようですよ。通行人の顔をじっと見つめたりしているのをよく見ます」

 そういえばオーウェンも昨日は、少女にまじまじと顔を見られていた。

 オーウェンの場合は片目がおかしいせいで興味を持たれたのだと思うが。

「しかし、フェアリーアイズが噂になり始めた頃から見かけたって言うのは? 何か確証があるのか?」

「はい。それに関してはほぼ間違いないですよ。……もしかすると、フェアリーアイズの噂より、ちょっとだけ前だったかもしれやせんが。初めて見かけたとき、これは将来が楽しみだなって思いましたもん。それに知り合いもその子をちょくちょく見かけるって」

「なるほど」

 頷いた。

 まあ、少女とフェアリーアイズとの関連については、偶然だろうとオーウェンは思っている。

 これも調査で分かったことだが、どうやら、街の外部から来た者はフェアリーアイズ化が現れにくいらしい。

 あの少女がフェアリーアイズでないのもそのせいだろう。

 きっと、数ヶ月前にはまだこの街の住人ではなかったのだ。

 オーウェンは尋ねる。

「その美少女が住んでいる場所とかは分かるか? あるいはよく目撃される場所とか」

「住んでいる場所ですか……」

 店主は眉をひそめて唸る。

 知らないならば知らないでいい、とオーウェンが言うと、「いえ、少し気になることを聞いたもんですから……」と答えた。

「気になること?」

「はい。……あの子、どうやら夜になると街の外へ出るようなんですよ。毎日、門が閉まる前に街を出て、朝になると戻ってくる」

 その言葉にオーウェンも眉をひそめた。

「なんだそれは?」

「わ、分かりませんよ」

 街の外――ましてや夜には、魔物が出没するというのに。

 しかし、そんなふうに毎日街の外へ出ているにも関わらず無事でいるということは、街の外で身を守るすべがあるということか。

 身を守れるような設備があるのか――あるいは、守ってくれるような人物がいるのか。

 ……それは分からないが、ともかく門のあたりに張っていれば、少女を待ち伏せすることは容易そうだ。

 カレヴィがそうしないのは、門には当然門番というものがおり、自警団の兵が詰めているからだろうが……、オーウェンは指名手配されているわけでもないし、気にする必要はない。

 明日の朝、待ち伏せてみようかとオーウェンは考える。

 それで上手くカレヴィと遭遇できれば上々だ。

「あの、しかし、その指名手配の男はどうしてあの子を追ってるんでしょうかね?」

 オーウェンが押し黙って考え込んでいると、店主がおずおずと聞いてきた。

「さあな。俺も、カレヴィの野郎があの少女を追ってるって知ったのはここ数日前のことだからな。そういう事情に関してはむしろあんた方街の者のほうが詳しいんじゃないか?」

 魔法使いギルドは少女をカレヴィの取引相手だと誤解しているようだし。

 ――そういえばその件に関しても魔法使いギルドのほうへ訂正を入れなくてはいけないな、とオーウェンは思う。

 あの少女はカレヴィに追われているのだから。

 オーウェンはひとまず店主に礼を言って、魔法使いギルドに向かうことにする。

 カレヴィを探そうにも、どうせ当てはないのだ。

 朝、少女が門から入ってくるであろうことは分かったので、こちらも、強いて探す必要はない。

 ……つまりは暇なわけで。

 とりあえず少女に関する情報を訂正させておこうというわけだ。

 オーウェンは魔法使いギルドへの道を曲がり――。

 ふと、振り返った。

「ん……?」

 首を傾げる。

 なにやら違和感。

 振り返るつもりなど、まったく、なかったのだが――。

 視界の外に、何か……追いかけなくてはならないものがあったような気がしてしまったのだ。

 いや。

 何かではなく、――誰か。

 見回すとその人物を見つけた。

 少女。

 カレヴィが追っていて、ちょうど今オーウェンが魔法使いギルドに報告しようと思っている、ぬいぐるみらしきものを抱いた少女だ。

 オーウェンは――。

 何故だか。

 その少女の名前を知っているような気がして。

「――――」

 呼んだ。

 いや、叫んだのか?

 オーウェンは自分のその声に驚く。

 口を衝いて出た声は、およそ人の声ではなかった。

 甲高い、獣のような声。

 思わず両手で口を塞いだが、どうやら街の者たちは誰もその声を聞いていないらしかった。

 しかしただ一人。

 オーウェンが呼びかけた、その少女が。

 はっと気が付いたようにこちらを振り向いて――。

 駆け出した。

 ――逃げられる、と思ったオーウェンはそれを追いかけようと片足を浮かしかけるが、少女が駆けていったのは、オーウェンのほうへであった。

 はしと腕を掴まれる。

「――――」

 少女が何かを言った。

 言葉にならない音。

 これも、名前。

 しかしそれはオーウェンの名ではない。

 記憶の底をくすぐられるような――どこか懐かしい名前。

「お前は、――か?」

 オーウェンは少女の名――らしきもの――を呼んだ。

「うん、そう。……あ、いえ、そうです」

 少女は頷いた。

「私の名前は、メリル」

「メリル」

 反芻するように、呟く。

 確かにこの名だ。オーウェンはこの名を知っていた。

 ――どこかで会ったことがあるのか?

 オーウェンは思い返してみるが、この少女――メリルと会った記憶はない。

 忘れているだけか?

 いや違う。

 そもそも先ほどの店主の言葉が本当なのであれば、メリルがこの街へ来たのはごく最近のことなのだ。会って、その名が記憶に残るくらいなのであれば、そんな短期間のうちに忘れてしまうわけがない。

 オーウェンが黙ってそう考えていると、メリルはおずおずとこちらを見上げてきた。

「あの……」

 言う。

「……あなたのお名前は?」

 やはり会ったことはないらしい。

 名前ならば今、メリルもこちらに向かって言ったではないかとオーウェンは思ったが、しかし考えてみればそれはオーウェンの名前ではないのだ。

「俺の名はオーウェン・オッド・プロイスナーだ」

「オーウェン」

 メリルが呟き、にっこりと笑う。

 ……その屈託のない笑みが眩しくて、オーウェンは思わず顔を赤くしておどおどと目を逸らす。

「お前――あ、いや、君は、俺の、なんだ? さっきの名は一体? 俺が呼んだ『君の名前』と……、君が呼んだ『俺ではない俺の名前』は。――人の言語ではなかったようだが、何故そんなものが俺の口から漏れる」

 オーウェンは尋ねた。

「ごめんなさい」

 消え入りそうな声でメリルは答えた。

 しまったというようにオーウェンは少女のほうを向く。

 少々顔をしかめすぎた、とオーウェンは自覚した。

 ただでさえ恐れられている顔だというのに、こんな、詰問じみた態度で――詰問する意図などまったくなかったのだが――臨めば、怖がられるのは当たり前だ。

 ――俯くメリルになんと声をかけたらいいのか分からず、手を伸ばしかけて、いやそれはそれでまた怖がられそうだと引っ込めて、「ああ、くそっ」と独り言ちてがりがり頭を掻く。

 友好的な話し合いというのはどうも苦手だ。

 特に子ども相手となれば。

 やはり無理を言ってでもシェリアを連れて来るべきだったか。

 オーウェンがそう唸っていると、メリルは言う。

「ごめんなさい。私、あなたに会って話すつもりはなかったの。本当は、あなたの顔だけ確認しておいて、全部が解決してもう大丈夫だって分かったら、あなたに――を返してもらって、すぐにこの街から出て行く予定だった」

 またこの名前だ。

 オーウェンではないオーウェンの名前。

「――を返すって。今、俺が――を預かっているってことなのか? だからこんな、人外な言葉が出てくるのか?」

「そう」

 メリルは申し訳なさそうに頷いた。

 しかしそんなもの、オーウェンには預かった覚えはない。

 何を、どうやって預けたというのか。

 ――オーウェンはそんな何かを預かった覚えなどないのだから、それはオーウェンが気が付かないうちに託されたということだ。

 預かっていることすら知らず。こっそりと。

 つまりは魔法だ。

 オーウェンの知る限りではその心当たりというのはただ一つしかないのだが、しかしこの少女、メリルそんな魔法を使うとは――いや、使えるとは思えないわけで。

「だってまさか、この嬢ちゃんがこんな強大な……、フェアリーアイズ現象を引き起こすなんて、考えられないしな」

 ぶつぶつと、メリルに聞こえないようにオーウェンが呟く。

 そう。心当たりは、オーウェンのフェアリーアイズのその片目――魔物のほうの目だけなのだ。

 しかし見たところ、この少女からはオーウェンが感知できるほどの魔力は感じない。

 小都市リセナート。

 街全体にフェアリーアイズ現象を引き起こすには相当の魔力が必要なのは確かなのだが、たとえメリルがその犯人ではなくフェアリーアイズ現象に便乗してオーウェンと魔物の目を入れ替えただけだとしても、それだけで充分驚異的なことなのだ。

 そんなわけで、オーウェンはメリルのほうに向き直り、聞いてみる。

「俺は、そんなもの、預かった覚えはない。――というのはなんなんだ? 誰かの名なのか?」

「そうです。……この子の」

 メリルは胸に抱いていたものをずいっとこちらに差し出してきた。

 ぬいぐるみ――にしてはどうも精巧すぎるような。

 ……そうだ、メリルが「この子」と言っているのだから、これがぬいぐるみであるはずがないのだ。

 しかしどうも生き物ではないことは確かで。

 剥製?

 いや、それよりも。

 オーウェンはそれの正体に気が付いて、しかしそれでも自分の見ているものを信じられず、しばらくの間ぽかんと固まって――。

「ド……!」

 ずざっと後ずさった。

 ――ドラゴン。その死骸。

 しかも四肢欠けることなく完璧な形のままの、それ。

 カレヴィがメリルを追い回すのも道理だ。カレヴィはドラゴンの肉を探しているのだから、それを、こんな幼気な少女が所持しているとなれば、本物か偽物かはともかく追い回すだけの価値はある。

 真贋は、それを手に入れてから確かめればいいだけのことだ。

 ――いや。

あるいはカレヴィの背後にいる魔法使いが、これを本物だと分かってメリルを追わせている可能性もある。

 というかオーウェンには――何故だか、これが本物だからこそ魔法使いはメリルを追っているのだと、直感的に、分かった。

「勝手なことをしてごめんなさい。私、他には方法が思いつかなかったから……。今、あなたに、この子の魔力を預かってもらっています」

 メリルは頭を下げた。

「ま、魔力……?」

 意外な言葉に、オーウェンは驚きの声を上げた。

 そんなものどうやって。

 思う。

 魔力の譲渡は、方法がないわけではないが……、それには、渡す側と受け取る側の双方の同意がなければ行えないはずだ。

 一方的に奪うことはできないし――もしかしたら禁術の中にはそういう技があるかもしれないが――、一方的に押し付けることも、できない。

 ……はずだ。

 どうも嫌な予感がするのだが、それでもオーウェンは訊いてみた。

「一体、どういう方法で魔力を受け渡したんだ?」

「あ、それは」

 メリルがドラゴンを抱き直し、その顔に手をやる。

 顔というより、目にやって。

 親指と人差し指で、まぶたを押し開けた。

「受け渡しは、あなたの目とこの子の目を入れ替えるときに」

 ――緑色だった。

 オーウェンは額に――あるいは自分の、入れ替わってしまった琥珀色の目の上に――手を当てて、くらりとよろめいた。

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