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青から赤に変わるまで

作者: 要 白江

お気軽に珈琲紅茶緑茶煙草酒、何かのお供にどうぞ。

 深夜、既に時計の針は昨日を通り過ぎ、新しい日付を刻々と刻んでいる。

 街灯もろくに光を届けないような闇の中、一人の男が女性を背負い家路を急いでいた。

  

   ーー屋台の親父も、僕らのことを変な目で見てたんだろうなーー


 そんなことを思う男の名前は阿良々木周作。よれよれのシャツにくたびれてボロボロになった靴。

 三十路半ばなのに四十路に見える老け顔を実は気にしている。

 打って変わって女性の方は若い。十代後半、もしくは二十代前半といったところだろうか。

 切れ長の瞳に整った顔立ち。長い睫毛。

 ノーメイクと言っても通じるくらい薄いメイクだが、それでも多くの人が美人だと賞賛するのは素体がいいからだ。誰しもが、とは言わないが殆どの人がそれを否定しないだろう。

 まったく、そういうところは母親譲りだ。

 彼女の名前は、佐倉楓。阿良々木周作の姉である、阿良々木槻子が嫁いだ先の佐倉家で生まれた彼の姪である。

 そんな彼女だが、今ではすっかり寝入っていた。酒が回っているのだろう。人生の半分近くを酒が飲める年齢で過ごしている彼から見てもいい飲みっぷりであった。その分、明日の朝は地獄かもしれないが。

 彼女が叔父であるところの周作を頼って上京してきてそろそろ一年と半分を過ぎる。昨日が誕生日で、二十歳になった記念に、と周作を都内中いろいろ引き回し、先ほどまで人生初の飲酒を満喫していたようだ。

 そう、彼女が生まれて二十年である。それはつまり、姉の槻子が家を出て行ってから二十年経ったということでもある。

  

   ーーほんとに母娘そろってそっくりだよな。結構酒も強いようだしーー


 槻子は大の男と飲み比べても決して引けをとらないほどの酒豪である。楓にもその片鱗が見えた。

 大体、この母娘はどこかずれているのだ。それは再会してからというものひしひしと感じていた。

 唐突に、彼は去年の春、姪を駅まで迎えに行くときの事を思い出していた。




 先月のことである。新聞すら入ることのない彼の家の郵便受けに一通の封筒が入っていた。

 心当たりの無い周作は碌でもないものなら捨ててしまえばいい、という気軽さで差出人の名を見、それに驚愕した。そこには『佐倉槻子』と、書かれていたのである。

 手紙は二枚あり、丁寧にも便箋の右端に番号が振ってある。周作はまず、壱と大きく書かれた方に目を通してみた。


 (周さん。徐々に暖かくなってきましたが、まだまだ肌寒い時節です。体調を崩してはいませんやろか。顔を合わせたのは父さんの葬式が最後のことで、それももう随分前のことのように感じております。姉さんとしては会えないことがとてもさみしいと思うておりますが、周さんはそんなことないんやろうかね。……)


 こんな風に始まり挨拶や近況報告などで便箋の一枚目は終わっていた。毎度のことながら回りくどく口数の多い彼女の文は読みがいがある。

 しかしまぁ、縁のある方は皆息災のようで安心した。便りがないのは息災の証だとは言うが、実際にないのはやはり心配になるものである。彼自身この言を丸々信じきっているので、故郷からの便りといえば不幸があった、と連想してしまうのは仕方ないことであった。

 本題は二枚目の方に続いている。簡単にまとめれば

  

  ー(可愛い私の一人娘であり貴方の姪である楓がこの度高校を卒業し、春からは東京の大学に通うことになります。生憎と関東に親戚筋も、頼れる知り合いもおらずそんななか一人で上京させるのも心細かったのですが、見れば通う学校は貴方の現住所にも近くお互い少しとはいえ面識もありましょう。どうかここは一つ世話を焼いてくれませんか。細かいことはまた日を追って連絡します)ー

 

 こんな感じだ。

 読んだときの正直な感想は面倒くさい、だ。面識があるといっても十年も前に葬式という辛気臭い場所で小一時間顔を突っつき合わせていただけなので思い出すまで軽く秒針が一周していた。あれが成長して、この春から大学生ということはもう大人といってもいい年齢だろう。世話なんて焼かれるまでもなく煙たがれるかも知れない。年頃の女性の扱いが難しさは、彼が人生で知りたくないことベスト3に入っていた。

  

   ーーそうは言っても姉さんだし、断ったら後が怖い…よな……ーー


 槻子はなかなか容赦のない性格をしている。断りの返事を書く度胸は周作には、ない。

 もしかしたら上京の話は無しになるかもしれない。彼はそんな淡い期待を抱いて、封筒のことを記憶の片隅に押し込んで仕事にとりかかっていった。

 同日同時刻、件の姪が自ら当日の予定とお願いと称した半ば脅迫文としても通じるような内容を紙に走らせているとは夢にも思わずに。

 そして今日、逃れることの適わなかった災難がこの駅に到着するらしい。

 おおよその時間は伝えられていた。といっても昼ごろ、なんてざっくりとしたものだったが。

 そんな風であるから、午前中から周作は駅前のベンチに腰を下ろし缶コーヒーを片手に往生することにした。昼食は可愛い、かどうかは置いといて姪との再会をすませた後でも遅くはないと考えなかったといえば嘘になる。だが、初めて見る場所での待ち合わせが早々うまくいくはずもなく、彼がくいっぱぐれたと気づいたのは太陽が西向きに傾く朱の光の中、改札の迷子だったらしい姪とはた迷惑な再会を為した後だったが、詳しくはいうまい。良くも悪くものんきな男である。

 


 

 今思えば、目の前にある標識すら視界に捉えようとしない娘である。人の話なんて聞くはずもない。

 どうしてこんな聞き分けのない娘に育ってしまったのだろうか。多分に姉の教育が影響してそうだが、そもそも子育てというものをしたことのない周作にとっては門外漢もいいとこだし、血縁とはいえ他人の家庭の育児に口を出すほど厚顔無恥でもない。今日だってそうだ。こちらの都合もお構いなしに一方的に話を進めた挙句、散々勝手に連れまわしてくれた。事の顛末を語るには、凡そ一晩遡らなければならない。

 



 それは、周作が退屈な見回りから詰め所へと帰ってきたときのことであった。

 彼は日ごろの生きる糧を稼ぎ出す為に副業を含めいくつかの職に就いている。その一つが週五日のビル警備の夜勤アルバイトであった。

 アルバイトと言っても昼働くよりは夜働く方が賃金の待遇がいい、というのは一般的だし当然のことのように思えるが、実のところ彼にとってはさほど重要ではない。

 周作には、いわゆる特異体質と呼べるようなものがあった。それは俗にショートスリーパーと呼ばれるもので、その為か彼は働けて賃金がもらえるのであれば昼でも夜でも気にしない。体内時計なんてあってないようなものである。数少ない海外旅行経験でも時差ボケが他人より軽度であった。

 携帯が震えていた。他に誰も居ないとはいえ、勤務中であるとの理由からマナーモードである。変なところで律儀だな、と自分でも思っていた。

 メールの受信フォルダを開くと、そこには同居人からのメッセージが届いていた。

 草木も眠る丑三つ時を更に二時間過ぎている。逆に朝が早い人ならば起きだしているような時間だ。もちろん彼女はそんなことはないただの学生である。明らかにおかしかったがいつもの気まぐれだと思った。

 

 ー(今日って、あっ今じゃないよ?朝のことね。締め切りも近くないし夜もおやすみなんだからどっかに遊びに連れて行ってよ。帰ってきた後九時くらいに起こすからさ。いいでしょ?決定ね。どこにエスコートしてくれるか、楽しみにしてるから!)ー


 はぁ、とため息を吐く。相変わらず人の都合を考えていない。いくら睡眠量が少なくても問題無いとはいえ二時間すら寝かせる気がない。それに、素直じゃない。

 いくら対人関係が苦手で人の機微に疎い周作といえど姪の誕生日くらいはちゃんと憶えているし、ここ数日なんだかそわそわしているのも知っていた。あれで忘れていろという方が難題である。まぁ無理を言ってこなくなってきただけましになってきたと考えるようにしよう。少なくとも四字熟語ではなくなった。


 ーーエスコート、ね。まぁ無難なところ数箇所考えとけばどうとでもなるか……ーー


 交代の時間まで、後数時間。暇を持て余さなくてもいいのは、正直なところありがたかった。




 予告どおり長身と単身が綺麗に九十度を描く時間に叩き起こされた周作の目の前には、楓の顔があった。………近い。

 とりあえず、快適な目覚めの提供に感謝を込めて目の前の頭に自分のそれをぶつけてみることにした。

 

 「痛いっ!なんでぇ!」


 ゴツンッと鈍い音を響かせた両者の頭だが、しかし周作は平然としている。


 「周さんの石頭めぇ~。なんてことすんのさ。いつか割れるよ、こんなこと繰り返してたら」

 「やかましい。そう思うなら起こすたびにぶつけやすい位置に頭を置いとくんじゃない。痛いのはお前なんだから」


 最早毎朝の恒例となった頭突き。楓はいつも顔を覗き込むようにして周作を起こす。一年と半分近く言い続けているのだからもう一生直らない癖となっているのだろう。三つ子の魂百までとも言うし。

 自分だからまだいいものを、今後伴侶となるような人が出てきたときもこのように起こすつもりなのだろうか。見もしない彼に軽く同情した。


 「それで?どこに連れて行ってくれんの?」

 

 これも毎度のことだが、血縁とはいえ男性の着替えをまじまじと見るもんじゃない。説教が一頻り出掛かったがやっとの思いで飲み込んだ。いちいち言ってはきりがない。

 周作は着慣れている、軽い素材のシャツに着替えた。袖が半分までしかなく、残暑の厳しい日差しでもこれなら風通しがいいし涼しいだろう。


 「具体的にはなにも。遊びに行くところと言われても思いついたのは、映画館、水族館、動物園、遊園地くらいなんだ。バリエーションに乏しくて悪いとは思うが今のなら簡単に案内してやれるぞ。どれに行きたい?」


 不満や代替案が出ると思っていただけに、楓がまじめな顔で考えているのは意外だった。大学生なだけあって遊び慣れているだろうと踏んでいたのだが。


 「むぅ~ん………決めたよ!」


 案外あっさりと決めた楓にすこし驚く。悩んでいる間に朝食を済ませるつもりで何を作るか考えていたので軽く意表を突かれてしまった。


 「へぇ。もっと悩むかと思ったけど。どこに行きたいんだい?」

 「え~っとねぇ。全部!」


 この娘は僕の思惑をとことん外すのが趣味らしい。やってくれる……。

 ざっと概算してみるが、成るほど。すべて今日中に回るのは不可能ではない。が、日付の変更ぎりぎりになることは間違いなかった。

 



 結局、交通の便や、距離。食事処などを考慮したところ午前中に動物園、午後に水族館。夕方から夜まで遊園地をぶらつき、ナイターをやっている映画館に入るような予定に落ち着いたし、実際そのように行動した。

 若いというのは羨ましいもので、一日中行ったり来たりを繰り返しているにも拘らず彼女のテンションは終始あがりっぱなしであった。周作も怠けることだけはないからそれなりに体力はある。それでも遊園地を出るころには草臥れていて、暗い映画館の中で眠ってしまわないか心配だった。もちろん彼には杞憂であるが。

 映画を見終わった二人は駅前広場開いている居酒屋風の屋台に入った。

 映画を見る前に軽く食事は済ませていたがあくまで軽く。数時間も経てば空腹になる程度にしか食べれなかったのだ。それに、折角二十歳の誕生日なのだし酒でも奢ってやりたいという叔父心が働いたせいでもある。普段の彼ならその気前のよさに自分自身驚愕するところだがすり減らした精神を酒に頼って癒すという建前を見つけそのついでだと思うことにした。遠くても血はつながっているのである。

 楓は初めて口をつける酒におっかなびっくりといった様子で、その初々しい表情は彼女の容姿も相まってかなり画になる。店主もそれに見惚れ、串を焼く傍ら冷酒を一杯サービスしてくれた。

 ここは焼き鳥を中心としたメニューが特徴で、串ならば種類も豊富である。反面、屋台という特性上出せるメニューは限られているのだが定番といえるつまみは一通り揃えてあるから然して不満でもない。

 肉が焼けるいいに香りが漂ってくる。冷えたビールとも相性のいい串焼きであるから酒も、食べ物を口に運ぶ手も進む。

 ふと楓を見ると店主となにやら楽しそうに談笑している。何を思ったかサークルに属していない楓は、居酒屋というものに入り慣れていない。だから最初は雰囲気に馴染めるか不安がっていたけど、そもそもそんなに肩肘張って入るようなところではないと指摘すると力が抜けたようだ。お互いいい具合に酒が回っている。今なら自分も普通に振舞えるかもしれない。


 「楓、誕生日おめでとう」

 「なにさ唐突に、って、わ!」


 言葉が出ないといった様子である。やはりもう少し色気のある物の方がよかっただろうか。

 彼が手渡したのは万年筆である。以前、周作が二十歳を過ぎる姪にと選んできたものだ。

 実のところ素面では普通に渡せる気がしなかったので酒で顔が赤らんでいるのを自覚してからじゃないと渡せなかった。


 「周さんなんで…?なんでこんな良さそうな物を私なんかに」

 「叔父が姪の誕生日を祝っちゃいけないって言うのか?それは随分だと思うぞ」

 「言わないけど、その…いいの?」

 「受け取らないというなら捨てる」

 「わー!受け取るよ!ありがとう、捨てないで!」


 そう言うと彼女は十五センチほどのそれを丁寧に扱って、いつも持ち歩いているハンドバッグにしまいこんだ。

 酒に頼らないとこんな何気ないこともできない自分がすこし情けなく思われるがそういう性だからと諦めた。


 「でも、誕生日のこと憶えているような素振りも見せなかったのに…」

 「普段おちょくられているからそのおかえしだな。なにもおかしいところはない」

 「ひどいなぁ。おちょくろうと思っておちょくってる訳でもないのに。ま、ありがとう!結局一日附き合わせてしまった上にこんなもの頂いちゃって…」

 「途中から棒読みになってるのは気のせいじゃないな。……別に気にするようなことじゃない。この二十年渡せていなかったことを考えれば安い方だ。そんなことより、コップが空いてるじゃないか。とにかく飲みな。今後は僕の方こそ晩酌に附き合ってもらうこともあるだろうし、馴れるのは早い方がいい。大将、冷酒を一升空けるつもりだから用意してくれ。辛口のやつ。今日はとことん飲ませる」


 あいよ、と気のいい返事が聞こえる。楓が若干引いているようにも見えるが生憎と勘弁してやるつもりはない。

 強引に話題を逸らしたのはやはり照れ隠しという側面が強いのだろう。そのわざとらしく作られた不機嫌な表情は、楓が酔いつぶれ眠りに落ちるまで続いていた。


 


 青く若々しい果実は、本質的に可能性を感じさせる。

 目の前で寝ている果実が、その実を真っ赤に熟し、独特の味と香りを漂わせるまで、彼女の世話を焼き続けようと決めていた。他でもない彼自身の思いで。

 この娘が何を思い、何を考え、何をして生きていくのか、とても楽しみだった。

如何でしたでしょうか?何かの肴としてでも貴方に届いたのならば自分は大満足でございます。


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