scene5.
次の日の朝。
梓はそわそわしながら、一騎の家の前で一騎が現れるのかを今か今かと待っていた。
きのう一騎から一緒に登校するかと振られて、舞い上がるほど嬉しかった梓は二つ返事で了承した。
友達と一緒に登校など、かれこれ2年は経験していない梓。
その久し振りの相手が異性ならば、なおのこと嬉しかった。
すると、がらりと一騎の家の玄関が開け放たれ、一騎が野暮ったそうな表情で出てきた。
今日は音楽など実習科目ばかりの授業だからか、割と身軽そうに鞄を担いでいる。
「早いな……おはよっさん、梓」
「うん! おはようや!」
飛び付きたい衝動を必死に抑えながら、梓は挨拶を返した。
元来人懐っこい梓は、友達とのコミュニケーションにボディタッチが多い。
だが、さすがに男性に対してそれをするわけにもいかないので、ぐっと堪えている。
「今日も元気だな………なんかあったか?」
「ううん、なんもあらへん? 私はいつもこんな感じやえ?」
一騎からすれば元気いっぱいな印象を与えど、梓からすればこれが当たり前であり日常。
病弱だからこそ、それを感じさせるようなことはしたくない………というのが、彼女の思うところなのだ。
「そっか。元気な奴を見たら、こっちも元気になるな」
「うんうん、分かるで。私も、明るく元気な人見たら元気出るもん。
一騎にもそれが伝わったんなら、自分嬉しいわぁ」
えへへ、と梓ははにかむ。
一騎はそんな梓が可愛らしくて顔をちょっと赤くして、そっぽを向いてしまう。
「ん? どないしたん?」
「い、いや………なんでもないよ」
一騎はやんわり否定し、指でちょいちょいと道を示した。
そろそろ行かねば、学校に遅れると暗に言いたいのだろう。
それをなんとなく感じた梓は、ゆっくりと導くように歩き出した一騎について行く。
学校へ通う道のりは車の量がほとんどない、地域住民の生活道路を縫うように歩いて行く。
田んぼを横に歩くこともあれば、少々大きめの用水路を跨ぐこともある。無論、舗装された道を歩くわけだが、昔は都会にいた梓にはこういういなか道は新鮮だった。
「ふぇぇ、風情溢れる小道やね。私、都会に居ったからこういうのはなんか新鮮」
「ああ、そうか。梓は大阪出身なのか?」
「生まれはせやね。育ったんは神戸。京都やったら、京都駅から徒歩で歩いてもこういう景色はあるんやで?」
京都は長らく日本の首都であった場所。
江戸時代に突入するまでの間、中世日本の中心として反映したためか、現代でも寺院が建ち並び、土地も建造物以外はかつての面影を残している。
「へぇ。京都って、トロッコも走ってたな?」
「せやせや! 嵯峨野トロッコやろ。旧JR線使ってるさかい、マニアも来るし綺麗な景色やから、観光客も来る。
………うちは、乗ったことないけど」
面持ち残念そうな梓。
確かに病弱であれば、外出はあまり出来ない。
「そしたら、暇があったら行ってみるか?」
「はへ?」
突然一騎がそう言うものだから、間抜けな声を出してしまう。
「?」
「な、なんでもないえ」
「そっか。ほら、前日までなら京都のぞみ観光フリーきっぷで行けるし。それ使って京都満喫出来るだろ」
「それはまぁ、せやけど。夏休みとかやないと行けへんやろ?」
「そうだな…そこはまぁ、夏休みに両親に御願いしなきゃだな」
違いないね、と梓と二人顔を合わせて笑った。
すると、その前方に見知った背中を二名ほど見つける。
それを住人と輝夜であることを認めると、一騎は梓を引き連れて小走りに追いすがった。
「おはよっさん、住人に輝夜」
「おっす」
「おはよー」
「おはよーさんやぁ」
四人が四人とも違う挨拶。これもそのうち四人の日常になっていくのだろう。
その後の口火を、若干ニヤニヤしながら住人が切って落とす。
「昨日の今日で夫婦出勤か?」
「夫婦ッ!? …はう」
「てめえぶん殴るぞ」
一瞬で顔を真っ赤にしてスチームを吹いた梓に、半分手が出そうになりながらもなんとか暴言で我慢した一騎。
全く正反対な反応の二人に、輝夜は心の中である意味お似合いだな、と思った。
「いやいや、真面目に仲良しってレベルじゃねえだろ。
どう見てもなんかあった感じだぞ」
「あったといえば、まぁあったけども」
一騎が頭に描いたのは昨日、公園で梓と交わした約束。
しかし、住人と輝夜が考えていたのはそれとは違ったようだ。
「「は…………?」」
「お前らが何を考えているのはよく分かったけど違うから」
「なんだ違うのかよ」
「つまんない」
「…………後で処刑が必要なようだな」
「?」
長らくの付き合い所以の意思疎通についていけるはずもなく、梓は三人を順番に見て頭をかしげるばかり。
そんな梓にに気づいて、一騎は頭を振って言う。
「やめとけ、無理に理解しようとするんじゃない」
「えー、三人で分かってしもてずっこいわぁ。私にも教えてぇな」
「………聞いたら多分死ぬぞ」
「???」
そうして、もう一度頭をかしげる梓。
ああ、なんて純情なんだろう…、と意味もなく一騎が感動していると、急に真面目な顔で住人が覗き込んできたのでその思考を中断する。
「冗談は置いといて、昨日なんかあったんだよな」
ここで真面目に返すのがいいんだろうが、そこは一応女の子との約束だ。
なので適当にはぐらかそうと、一騎は決めた。
「それは秘密だよな、梓?」
一騎は梓のほうを見る。
肝心の梓はホワッツ? のような顔をしたが、程無く昨日のことを思い出したようでニコッと笑った。
「せやね、二人だけの秘密や」
「どうしてもか?」
「どうしてもや」
「そっか、ならしょうがないな」
住人は梓の言葉に素直に引いた。
普段から素直に引けよな、と一騎は思うところがあったがそれは口にしないようにする。
「つか、急がないと遅刻じゃね」
「ああ、そうだな。急ぐか」
「うんっ」
「了解やっ」
一騎は皆に促して、学校へ急ぐことに努めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
学校にはギリギリで到着、先生からのおとがめの言葉はなかった。
四人ともそれぞれの椅子に座り、朝の読書を行う。
一騎はこの時間をだいたい寝て過ごしているが、今日はなんとなく梓の読書が気になったのでそちらをチラ見してみる。
「……………」
真剣な眼差しで本に向かう梓。
そんな梓が読んでいるのは、鉄道ファン。鉄道ファンによる鉄道ファンのための雑誌である。
この本には本職JR社員でも知らないようなとんでもない情報も入っていたりすることもあり、ここからとんでもない情報を仕入れたファンに社員が泣かされることも多々あるという。
ああ、そう言えばいつもお世話になっている人もこの間そんなことを言っていたような気がするな、とも思いながら一騎は肩肘をついてぼんやりと梓を眺めていた。
そんな一騎の視線に気づいたのか、ふと梓が一騎のほうを向く。
「ん、どないしたん?」
もちろん、他のみんなも読書をしているので小声での会話だ。
「いや、どんあ本を読んでるのか気になってな」
「ああ、それ? 私はたいていこの鉄道ファンを読んでるかな? 後は時刻表とか昔の運表とか。たまに鉄道の日のバザーで昔のが売ってんねんで」
なるほど、梓らしいなと一騎は納得する。
常日頃から鉄道の知識を蓄えておくのだろう。
「一騎はなんか読まんの?」
「ああ………あんまり読まねえな」
かれこれ思い出そうにも、一騎は本を読んだ記憶はあまりない。
強いて言えば、読書感想文の時にふらりと読むくらいで自発的に読むこともない。
そのくせ、ふらりと書いた感想文が非常にまとまりの良いものに仕上げてくるのだから恐ろしいものである。
曰く、「有無を言わせないのが一番楽」という。
「えー、せっかくやけ読んだらええのに。ほら、よかったら先月の時刻表読ませてあげるさかい」
いや、そんなの読んでどうなる…というツッコミはいくら無粋な一騎でもしなかった。
いや、梓の純粋な行為がとても嬉しかったのかもしれない。
「ああ、ありがとう」
そう言って、一騎は梓から時刻表を受け取ってぱらぱらとめくってみた。
しかし、隅から隅まで数字の羅列でしかない時刻表は一騎の知恵熱を誘うのに難くなかった。
が、そんな中でひとつ。ふと目を止めたものがあった。
(急行きたぐに)
急行きたぐに。寝台電車583系を使用しており、大阪から新潟を米原経由で約8~9時間で結ぶ。
なお、現在は臨時列車として湖西線ルートで同じ区間を走るがこの物語ではまだ定時運行している。
なんの意味もなく、そこをじーっと見つめる一騎に気づいた梓がやんわり声をかけた。
「きたぐにがどないしたん?」
「ん? ああ………なんか急行ってまだ走ってるんだな」
「せやね、まだ運転してるのはきたぐに、はまなす、能登………あれ? 能登はもういないんかな。ともかく、急行列車はほとんど絶滅やね。せいぜいがリバイバルのための臨時列車」
その辺りの情報は一騎もあまり知らない。
列車にまつわる話は小さい頃の記憶しかないので、今現在どんな列車が走っているのか分からないのだ。
実際、高松~岡山を結ぶマリンライナーがJR西日本の223系と併結して5000系という新型車両に変わっていたのを知ったのはつい最近だし、300系新幹線が既にのぞみ運用から離れていると知ったのも家族旅行で利用した時だ。
「どうしたん、それに乗ってみたいのん?」
「まさか。寝台は高いだろう」
「まぁ、せやね」
肯定。
確かに、列車寝台というのは通常のホテルよりも割高なのだ。さらに客車寝台という居住性の悪さ、深夜列車特有の深夜ならではのトラブルによる遅延……さらには新幹線という、同じだけの距離をわずかな時間で結んでしまう列車や飛行機の台頭により、衰退していった。
「せやけど、やっぱり古い列車ってのはええんよ。
風情あるし、ええ感じの速度で走るし」
客車ならではの速度、そして星空を見ながらの旅行はきっと楽しいであろう。
とはいっても、一騎にはあまりそんな実感など湧くはずもなく。
「……そうだな、乗れたらいいよな」
と、少し困ったように返すことしか出来なかった。
すると、ちょうどチャイムが鳴ったらしく皆が読んでいた本を仕舞って朝礼の準備を始める。
「ほな、また後でな」
梓もそそくさと時刻表を鞄の中に仕舞って、前を向いた。
つまらない時間が始まる……一騎はそう思い、先生の話を右から左に受け流しつつ窓辺を見やる。
今日は昼前から雨が降るようで、心なしかじめじめしているようにも感じた。
「こら、黒崎! 先生の話を聞かんか!!」
「はぁ!? 調子のんなや!!」
どうやら先生と問題児らしい黒崎と揉めている。
無論、一騎からすればどうでもいいことだし、ケンカっ早い住人もとやかく言わずふて寝していた。
が、力が強い人間のだいたいがこういった我が儘な輩で教師を困らせる。そして、正義感が強い梓がそれを是と思うはずがない。
なので、梓はぼそぼそ声で一騎に話し掛けた。
「一騎、あれ……」
「いつものことさ。うちの学年は妙に喧しい奴等が多い」
「せやけど」
「構えば構うほど、自分の立場がめんどくさくなるんだ……無視するに限る」
内心はあんな奴等、無関心なんだけとな……と心の中で呟く。梓はそんな一騎の無関心な瞳と今なに揉めている様子を見て、寂寥のようなものを感じるのだった。
五ヶ月ぶりです。
圧倒的放置ですみませんでした。
や、疲れてるんです。生暖かい目で許してください。
さて、今回は一騎の無関心だったりどうでもよさげな一面を強めに書いてみました。表現できているかは分からないのですが。
そして若干不穏な空気で終わっているのは次回への繋ぎですね。どう落とすかは決めてないです(ぇー
それでは、次回更新をごゆるりとお待ちくださいませ。