scene3
「というわけで、今日から復学することになる橘梓さんだ」
「大半の人は知らんやろーけど、入院してました。言うても持ち上がりとはいえ去年転校してきた身。去年同じクラスの人は知ってるかもしれへんけど…さて、こんな話は置いといてこれからよろしゅうお願いします」
場慣れした感じもする梓の挨拶にみんなが拍手で返す。
この少女が先程も言ったように、この松前中学校は小学校からの持ち上がりで進学になる。
最も、私立学校やこれを機に別地区の学校に通うことにする人間もたまにはいるが、大抵はこの学校に持ち上がり進級する。
「さて、席は……桜井のところが空いているな。橘、そこで良いか?」
「ええ。大丈夫です」
「では、そのように」
一騎の隣が空いていたので、流れ的に梓は隣の席となった。
荷物を抱えてこちらにやってくる梓は心なしか嬉しそうで、席に着くなりにっこり笑顔になっていた。
「えへへ、まさか隣やなんて思わんかった」
「そっか、良かったな」
「むぅ〜、冷たい」
一騎の淡々とした返事に梓は頬を膨らませる。
現代において、そんなぶりっ子行動は一般人的にご法度なのだが、彼女がやれば何故か似合うのだから仕方ない。
「さて、今日は特に連絡事項はない。各自勉学に励むように」
そうしてHRが終わり、休み時間となる。
それから一騎は梓に話しかけた。
「…まぁしかし、同じ学校とはな」
「うん、春休みから入院してたんや。せやから、大概の人はうちのこと知らんと思うけど」
「入院してって、なんか病気抱えてるのか?」
「うん?まぁ心臓疾患。結構重い気な話は聞いておらへんけど、激しい運動や飛行機はご法度やね。旅行好きなうちにはこれだけでも十分ハンデや」
梓は上を向きながら溜息をつく。その様子からして本当に溜息を突きたくなるほどのようだ。
一騎も初めて会った時の出で立ちや身のこなしで、梓が旅好きであろう事は予測している。
しかし梓のいかに内面が分かりやすい事か、一騎には彼女の一挙投足から彼女の全てが映し出される感じがしていた。
「せやけど、良かった。うちみたいな鉄仲間が出来そうで」
「まぁ鉄道が趣味なんて奴はあまりいないだろうな…。どいつもこいつも恋バナやら芸能やら」
「そうなん?」
「まぁ、な。俺はそういうの興味ないから、こうして日陰に生きて……」
「何シケてんだよ、一騎」
一騎の話に突如割って入ってきたのは往人。後ろからは輝夜もついてきている。
「なんだよ、いきなり」
「ざけんなよ。おまえには俺達がいるだろうが」
「一騎、この人ら何?」
それに更に割って入る梓。一騎は内心ほっとしながら、往人と輝夜を紹介した。
「ああ、こいつらただの幼なじみ。こっちの不良が……」
「不良じゃねぇよ。神前往人だ」
「んで、こっちのポニーテールが……」
「赤石輝夜だよ」
「こっちのチンピラは吉野家とでも呼んでやってくれ」
「俺の家は牛丼じゃねぇよ!つかそもそも吉野って苗字じゃねぇ!」
「良いだろ、面白いから」
「テメェ………」
「ほら、喧嘩はメッや」
「…チッ」
梓に勢いを殺された往人は仕方ないといった感じで引いた。
だがそれも一時で、一騎にこの少女の存在を問うた。
「で、こいつ誰だよ」
「なんや聞いてなかったんかいな」
「こいつHRは基本的に寝てるからな」
「そうなん?」
「うん、そうだよ。いつも堂々と寝るから、先生もほったらかしなんだけどね」
「そうなんや……。世話焼けるやっちゃな、しゃあない。もっかい言ったるわ。私は橘梓。鉄道が趣味の関西娘や」
にこやかスマイルで自己紹介をする梓。
それに対して二人は返事する。
「うん、これからよろしくね」
「………」
「ほらっ、往人も」
「……よろしく」
「うんっ、みんなよろしゅう♪」
ぎこちないながらも、にこやかにしている。そんな梓が二人と打ち解けられたらな、と一騎は思った。
(………あれ?巻き込みたいのか、俺は?)
ふと、そんな感情を浮かべた一騎は自分に疑問を抱く。
(……一昨日ので、情が移ったかな)
内心自分にやれやれと思いつつ、三人の様子を眺める一騎であった。
自分の事や知りたい事のやりとりをしている内に、輝夜はひとつ聞きたい事を思い出す。
「そういえば、二人はどこで知り合ったの?」
「それは俺も気になる」
「あ、えーと……」
自分の口からは答えにくいのか、梓は言葉を濁しながら一騎のほうを見る。
(俺に答えろってか)
一騎の視線に梓は肯定の意を示すようにウインクを返した。
「ああ、そいつは…………伊予市で拾った」
「すまん、分かりやすく話してくれ」
言葉が足りなさすぎたために、往人はそう返さざるを得なかった。
「悪い、ちょっと足りなかったな。なに、伊予市で一文無しのところを助けただけだ」
「この子が一騎を?」
「朝からの一連した話でどうやったらそんな解釈が出来るんだバカが」
一騎は嘆息した。輝夜もちょっと冗談が過ぎたかなと思い、訂正する。
「ごめんごめん、一騎がこの子を助けたんだね?」
「うう…恥ずかしながら情けをかいてもろた」
「んで、そのまま宇和島行ってとんぼ返り」
「「……………」」
凍てつく空気。
事実しか述べてない二人からしたらなぜ凍ったのか分からない。
「ま、まさかテメェ…………」
「おい、まさかまた面白い方向に誤解したんじゃないだろうな………」
「貴様この子をおd「止めんかぁぁあッ!!」ぐはぁ!!」
訳の分からないことを抜かす前に、一騎は先制攻撃で潰す。
「せやから喧嘩はメッやて…」
「梓ちゃん、二人にそれを言っても無駄だよ」
「え、なんでぇな?」
「………バカだから?」
「そ、そうなんや………」
「「納得するな!!」」
そんな漫才のようなやりとりは、一時限目の担当の先生が来るまで続くのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから授業に入る。
本来ならば机は付けずに離してするものだが、今回は梓の教科書類が届くまでの措置として一騎と机を引っ付けることになっていた。
無論、移動教室の際も極力同班で行動することになっている。
「ごめんなぁ、まだ教科書届いとらんねん」
「構わないさ」
そう言って、一騎は梓が見えやすいような位置に教科書を置く。
梓はそれを覗き込んだ瞬間、
「ぶふっ!?」
噴き出した。
「どうかしましたか、橘さん?」
「いえ、なんでもないです」
腹を抱えて撃沈したままの梓に代わって、すかさず一騎が代弁しておく。先生が了解の意を示して、黒板に字を綴り出すのを確認してから撃沈した梓に小声で問い掛ける。
(どうしたんだよ、梓)
(いやだって…………これ)
梓はぷるぷる震えながら、教科書に移る挿絵を指差した。
そこには、悉く落書きされた挿絵が。
それもまた暇つぶしの直な落書きではなく、お前これに熱中してるんじゃないかというくらい秀逸かつ笑いを誘うものだった。
(あー……別に大したもんじゃないだろ)
(何言うんな!?これどう見ても狙っとるやん!?ほら、これ!)
梓はそんな秀逸な落書きのうちの一つを指差す。
その落書きは、一人の男子生徒のバストアップの挿絵から体を上手く付け合わせ、そこから弓矢を番えさせて、隣の女子生徒のバストアップの挿絵目掛けて放とうとする挿絵。
ただ、それを描いたのならまだ三流。それがよもやあの赤い弓兵を真似ており、吹出しに『理想を抱いて溺死しろ』などと書き込んでいるわけだ。
女子生徒も『ぽっぴぽっぴぽっぴぽっぴっぽー!』と訳の分からない吹出しとダンスしている体を付け加えられているわけだが。
(赤い弓兵と歌姫がどうした)
(なに和やかな挿絵を修羅場とカオスに変えとんねん………)
一騎にとって、ソッチ(・・・)のネタは当たり前のように使うが梓からすれば異端のものであったようだ。
さらに梓は関西人、こんな挿絵でもツボれば爆笑する。
それから先生に指摘を受けるまで、梓は挿絵を見ては笑いを繰り返していたという。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから休憩や別の授業を挟み、体育の授業が始まった。
普段、この学校は男子が運動場を使えば女子は体育館といったように別々の場所で授業をするのだが、今回は男子側担当の先生が所用でいないらしく、男女合同ですることになった。
もちろん、梓は心疾患のために見学だ。
「おい一騎、今日はソフトだってよ」
「ん、そうか」
「そうかってお前……橘にカッコイイとこ見せねぇのかよ」
「やめろって、柄じゃねぇし」
そんな無駄口を叩きながら、一騎はバットを片手で素振りをする。
片手なのに、一切歪みのない綺麗な軌跡で振り抜く癖に何を言うかと、往人は心でツッコミを入れた。
そんなこんなで試合は始まる。あくまで授業のためほのぼのと試合は進むが一騎が打席に立った瞬間、場が一気に緊張が走る。
「ピッチャー交代!!」
その相手チームの声に外野を守っていた生徒が反応する。そしてマウンドまで駆け寄り、ピッチャーからボールを受け取ると投球練習を始めた。
我関せずでやりたい事をしていた女子達も全てやめ、男子の動きを見守っていた。
「え、え?何が始まるん?」
「そっか、橘さんは知らないよね。今投球練習してる人ね、桜井くんに前思い切りホームラン打たれたの。だからリベンジしたいんじゃないかな」
何が起きるのかさっぱり分からない梓に、女子の一人が説明してくれた。
梓は野球やソフトボールに関して一切知識は持ち合わせていない。しかし、あのマウンドにいる投手を見ればなるほど確かに鬼気迫るものを持っている。
「ほぇ〜、一騎ってやっぱすごい子なんやね」
「そうね。でも桜井くんは最後までやり切る事しないんだよね。だから…ちょっとだけ嫌われてたりするんだ」
「へ…?」
梓の疑問はそこで甲高い金属音に掻き消された。咄嗟に振り返ると、マウンドにいた男子がレフト側を見ているため、すぐに一騎が打ち返したのだと気付いた。
「な、な………」
それも一騎が立った打席とは逆側への場外ホームラン。まさに広角打法といったところか。
「ほ、ホームラン・・・」
「え、あ、嘘!?なんであんなにごついん!?」
「だから言ったでしょ?あの子は最後までやりきることをしないって」
その女の子の言う意味はすぐには理解できなかったが、やがて梓はなんとなく分かってしまった。
彼は、本当にやりたいことを見つけていないのではないかと。でなければ、あんなに強い打球を打てるのに野球部やソフト部にいないなんてことはないはずだ。もしかしたら出来るけど、極めようとしないことをたくさん持ってるかもしれない。
(どうしてやろ・・・うちに教えてくれるかなぁ・・・)
ダイヤモンドをゆっくりと回る一騎を遠目に、梓はそんなことを考えていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
放課後。今日の授業を終えて、一騎はのんびり荷物をまとめていた。
すると、ほどなくして梓が一騎の机の元に歩み寄ってきた。すでにかばんは背負っているのでもう帰る準備が出来たのだろう。
「一騎、帰る準備できたん?」
「見ればわかるだろ」
「ぶー、なんかいけずやぁ」
「悪いか・・・」
半ば呆れながら一騎は苦笑いを返した。その合間に往人と輝夜の動向を気配だけで追ってみたがこちらに来ないあたり、二人は二人きりでいることを選んだようだ。
まぁ、そんな時もあるだろうと一騎は割り切ってから梓に視線を戻した。
「ん?」
そう言えばこの少女がいた、となんとなく一騎は安堵の表情を浮かべた。同時に、そんな感情を浮かべた自分に奇問を抱く。
(ん?なんで俺は安心したんだ?)
さみしいなんて気持ちが自分にも残っていたのかと若干自分に失望しながらも、淡々と荷物をまとめていく。そして、かばんを閉じると一息に立ち上がった。
「ちょ、まとや」
「ん、どうした」
「せっかくやから、どっかよっていかへん?」
ニコニコしながら、梓は一騎に誘いをかけた。一応中学生の身であるためそんなにふらふらするようなことは出来ないのだが、梓にここの案内をしてみるのも悪くないだろう。それに自分の知っているあの店もある。
そう考えた一騎は梓の提案を飲むことにした。
「ああ、分かったよ。今日はお前の道先案内だな」
「ええん?ありがとな、一騎」
年相応の柔らかい笑み。一騎はその笑顔に顔を赤くしかけたが、なんとかこらえ教室をでようと歩みを始める。
「あ、まってぇな」
そのあとを小走りに梓が追いかけていく。
今日の放課後はまだ始まったばかりだ。