Scene2
土曜日の昼下がり。
特に決め事がないから、二人でどこかへ行ってきたらどうだ?―――――
そう、確かに一騎は言った。
ただ今それを早々に後悔している。
何故か。
理由は実に単純だ。
毎週毎週、当たり前のように自転車なり列車なりで小旅行していたものだから、無意識のうちに駅の窓口へ寄って週末乗り放題切符を3人×二日分購入して、土曜日。結局最寄りの伊予市駅まで歩いてきていたのだった。
「……ったく、こりゃ1000円近く損したな…」
何故1000円なのかと言えば、それは払い戻し手数料の210円×5枚から。
週末乗り放題切符は2000円のものを購入していたので、まぁ9000円弱は帰ってくる。
仕方ない。5枚払い戻して、今日は双海回って来るか。
そう考えて、一騎は窓口に座っている女性に声をかけようとした時。
「あかん…切符なくしてもうた…!」
思わず聞こえた声に跳ね上がり、一騎は改札口を見た。
すると、集札をする係員の前であちこちポケットやバッグを漁る女の子がいる。
年は自分と同じくらいだろうか。いや、それ以前に手に提げたバッグが自分の通う中学校のソレと同じだ。
見た目は薄蒼に赤く長いリボンで結わえられたツーテール…例えるならエンジェロイドのイカロスだ…で、に白いシャツに、デニムのミニスカートで黒いオーバーニーソ。その上に薄手のパーカーを着込んでいる。
そんな有り合わせた感満載の出で立ちはさておき、少女はかなり困っているようにも見えた。
「切符なくしたんかい?」
「せ、せや。確かに買うてポッケに入れたんやけど……」
「何処から乗ったん?」
「え、えと…今治」
「今治かぁ。さっきの普通だね。申し訳ないけど、今治からここまでのお金を払ってもらわんといかんなるんだけど」
「うう………仕方あらへんな」
そう言って、少女は財布を取り出して開けた。
が、その瞬間顔の血の気が目に見えて引いているのがわかった。
「えと、どうかした?」
「あの………一文無しやった」
「あらら………親御さんとか連絡つく?」
そこで、さらに少女は自分の髪の毛の色並に血の気が引いた。
それを見て怪しく感じたんだろう。だんだんと疑いの目を強くする係員。
「親御さんに知られるとまずいのかい?」
「え、えと…………」
放っておけば少し、いやかなり彼女が困るのは明白だ。
脳内で姉からの教え…困っている女の子は必ず助けなさい、という既に聞き飽きた小言が谺する。
やれやれ。
そう思いながら、一騎は少女と係員の間に割って入り、払い戻すはずだったはずの、うち一枚の切符を示した。
「この子の分はこれで。今日からの再発見なんで大丈夫ですよね?」
「え、ええ。大丈夫だけど……君達は知り合い?」
それは至極当然の疑問だった。
いきなり現れた青二才が、そんなホイホイこんな女の子と知り合いとは思えないのも頷ける。
だから、一騎は少女の持っていたバッグを示しながら言った。
「この子とは同級生ですよ。ほら、このバッグ。松前中のでしょう?」
「ああ、確かに松前のだね。分かった、この切符でいいんだね?」
「はい」
係員は一騎の意志を確認してから、切符にチケッターを捺印。
そうして、少女に手渡した。
「はい、友達が助けてくれてよかったね」
「あ、はい。……おおきにな」
血の気を取り戻した少女は、にこやかに一騎にお礼を述べた。
「……別に」
見れば、非常に可愛らしくて恥ずかしくなった一騎はプイッと視線を反らしてしまう。
気恥ずかしさをはぐらかすかのように、一騎は手早く残った切符を払い戻して貰うと、そのまま残した一枚の切符を係員に示して改札を抜けようとした。
しかし、一騎の手を握る手がそれを阻んでしまう。
「あ、待ってや」
「どうかした?」
努めて冷静な声で返事をする一騎。一騎にとってアレはただの人助けでしかないのだが、少女からすればもうまさに救世主だったのだ。
「その…ありがとな。うちのこと、助けてくれて」
「どういたしまして。家族にバレたらまずいんだろ?」
「別に家出とかやないけど……まぁそんなとこや」
「そっか。んじゃこれで」
「せやから待ってぇな!」
これで終わったと言わんばかりに向かいのホームに向かおうとした一騎を、少女は再び制止する。
「んだよ…まだなんかあるのか?」
「せやから、その…(ぐぅぅ……)はぅ………」
聞こえた腹の虫。
少女は耳まで真っ赤にして俯いてしまった。
無一文で腹減りかよ……。ため息を突きながら一騎は頭を抑えた。
「分かった分かった。ついでに飯も奢れってか」
「ああ!それはちゃうねん!さっきのは(ぐぅぅ…)……………」
「腹の虫は我慢しても鳴るからな。諦めろ」
「…………ごめんなさい」
仕方がないので、駅の売店で美味そうなパン2つとパックのコーヒー牛乳を買ってあげるとそのまま少女に投げ渡した。
少女はあたふたしながらも、なんとかキャッチ。
それから袋の中身と一騎を交互に見て堂目した。
「え、ええの…?こんなにええもん買うてもろて」
「元々なかったお金だしな。それで我慢してくれ」
今度こそ行くぞ、と踵を返そうとする一騎。
だが視界から少女が消える直前、一騎は見てしまった。
「うう・・・ひっく・・・ふぅえぇぇぇん・・・・」
少女の涙を。
いきなり泣かれて気が動転した一騎は慌てながら少女のもとに駆け寄る。
その心の中は俺が一体何をしたっていうんだという気持ちでいっぱいだった。
「ああもう!今度はなんなんだ!?」
「だ・・・だっでぇ・・・こんなに優しぐしてぐれる人なんでいながっだもん・・・」
声すらもう涙声。これでは周りに変な誤解を与えかねない。
というかいますぐこの場から立ち去りたかった一騎は少女の腕を取る。
「ほら、行くぞ!飯おごってやったんだから俺の用事に付き合え!」
「え?あ・・・」
一騎に手を取られ、へ?っとなりながらも立ち上がり、引っ張られるように後をついて行く。
少々強引な誘い。
けれど、少女にとってはなんだか心地よいものに感じた。
そのまま宇和島行の普通列車に乗り込み、適当に席を見つけた。たまたま最近普通列車仕様にされたキハ185系だったので、一気にとっては心の救いとなった。
「んじゃ、そっち座って」
「あ、うん。わかった」
少女を窓側に、自分は通路側に。女の子にいい席を譲るのは当たり前である。
「わぁ・・・早い」
「まぁ、三つも世代は前だけど特急用の列車だったからな。いや、徳島と牟岐のスジで走ってるか」
「うんわかってる、イッパゴやろ?この列車滅多に見れへんからなんや感動してもうた」
「知ってるのか?」
「もちろんや。こう見えても列車好きなんやで?」
意外だった。女の子はこういう機械系のことは興味ないものだと一騎は思っていたが存外好きな子もいるらしい。
それでも、はかなげな姿とクリスタルのように透き通った声。
気付けば、それからずっと車窓から見える風景を嬉しそうに眺める少女の横顔に、一騎は心を奪われていた。
『次は、伊予長浜~伊予長浜~』
「げ」
一体どれだけぼーっっとしていただろうか。車掌のアナウンスにハッとなった一騎は辺りを見渡した。
確かに伊予長浜。そしてすでに停車寸前。未だ景色を眺め続ける少女を現実に引き戻そうと、少女の肩をたたこうとしたとき。
「せっかくやから・・・最後まで乗ろう?」
「いや、俺ここに用が・・・」
「・・・だめ?」
涙目+上目遣いの最強コンボで一騎を見上げる少女。
こう見えても一般中学生である一騎がこのコンボに敵うはずがなかった。
「・・・わーったよ」
上げかけていた腰を下ろして、足組しながら前を向いた。一体どうしてこうなったという気持ちが心の中で少しくすぶるような気分になる。
だけど、嬉しそうに目を輝かせながら車窓を眺める少女を横目にしていたらそんな気持ちも薄れていってしまうのだった。
(・・・やれやれ)
そう思いながら、一騎はその少女の横顔を眺めていたのだった。
そして、一騎がこの列車の宇和島着時間が19:32で、帰るには特急を使わなければいけないと気付くのはこの列車が八幡浜を過ぎてからであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あうう・・・ほんまごめんよ」
「いいって、気にするな」
自分のせいで、こんな夜遅くまで付き合わせてしまったという罪悪感でいっぱいな少女に対し、一騎は優しく声をかけた。
一騎自身、これほどとはいかなくても夜遅くまで時間をかけるつもりだったので、そこは特だん気にした風はない。
だが、少女からすれば見ず知らずなのに、切符代やら昼ご飯やら、果てには帰りの特急代や晩ご飯まで出してくれたのだ。
そこまでしてもらって罪悪感や感謝が浮かばなければ、小一時間問い詰めるよりない。
ちなみに二人の晩御飯は、ベンチに座ってカップラーメンとおにぎりだった。
本当なら食堂でも入ろうかと思っていたが、そうしていたら本当に帰れなくなるため致し方なくカップラーメンで済ませたのだ。
「せやけど、こんな夜遅うまで……」
「いいって。俺もこれくらいの時間に帰るつもりだったし」
「うちがおらへんかったら、何するつもりやったん?」
「ん?ああ、双海のほうで降りて風景撮影をな。下灘で降りたら俯瞰で列車撮れるし、長浜なら夕日が撮れるから」
「へ?撮り鉄なん?」
若干の期待を寄せながら、少女は聞いた。
「いや、ただ撮影とかが好きなだけ。…だけど、なんというか。やりはじめると段々気になるものが出てくるっていうか……」
「ほうなんや。うちも、なんや列車乗り出したら段々列車について気になりだしてな。それが気づけば半ば鉄ちゃんになっててもうてん」
「そうか…なんかお互い様だな」
「せやね」
二人、顔を見合わせて笑いあう。しばらくしてから一騎は時計を見て踏ん切りをつけた。
「さ、そろそろ帰らないとな」
「ほ、ほうやな。今日は本当にありがとな」
「ああ、どういたしまして」
「うん!」
今日一番の笑顔を残し、少女は小走りに駐輪場へ行った。
が、ふと立ち止まってまた戻ってくる。
「名前、聞いとらへんかった」
そう言って悪戯な笑みを浮かべる少女。
分かっててやってるんじゃなかろうか、と疑いながらも一騎は答える。
「桜井一騎。君は?」
「うちは…梓。橘梓。梓で構わへん」
「分かった、梓」
「ほな、また明後日な」
「ああ」
一騎は軽く手を挙げて、梓はひらひらと手を振って別れた。
「…………って、結局乗っただけじゃねぇか」
自分の用事はすっかり忘れていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
月曜日。
一騎は眠い目を擦って登校し、いつもの窓際の席に座り込んだ。
すると、案の定いつものように輝夜と往人が寄ってきた。
「よっ、休みはなにやってたんだ?」
「ああ。………慣れって怖いよな」
「は?」
「いや、気付いたら再発見買って伊予市駅にいた」
「ま、マジかよ!?」
あははははっ!と声に出して笑う往人。輝夜も口元を押さえて笑いを押し殺していた。
「な、なんだよ文句あるか!?」
「あ、いやすまん。だけど、なんだかんだで熱中してるって証拠だろ?」
「あ………」
往人の言葉にハッとなる。
一騎は今まで生きてきて、いつもなんだかんだで事をこなしていたので、妙に空虚を感じる人生と思っていた。
だけど、往人に言われてなるほど、確かに撮影とかしてる間は満ち足りている気がする。
それが羞恥心を煽ったか、一騎はプィッと窓の外を見遣った。
「べ、別にそんなんじゃねぇよ」
「うわ、見ました往人さん。男がツンデレとかキモくないですか」
「全くだな輝夜。ツンデレ男マジ勘弁」
「ちょっとお前ら表に出ろ」
ガタッと立ち上がり、中庭を指差す一騎。
対する往人も触発されたのか、すでに臨戦体制だ。
「はっ、いいのかい?俺は強いぜ?」
「言ってろ。お前には彼女の目の前で負ける屈辱ってやつを教えてやる」
「いや、私は別に往人がメッコメコにされても気にしないけど」
輝夜に止める気持ちというのはさらさらない。
彼女にとって一騎と往人の喧嘩は一種のじゃれあいなので、またやってら程度である。
もちろん、周りの人間も分かっているし、むしろ賭けの対象となっていたりと最早日常と化していたりする。教師も、大怪我するようなことだけはしない二人の事は信頼しているため特に口出しもしない。
だが、今日はそれに割って入る薄蒼の頭があった。
「かーずきっ!喧嘩はメッや!」
「「うおっ!?」」
突如した声に二人は竦み上がって飛びずさった。
何事かと周りを見渡したら、一人の見覚えのある少女を見つける。
「あ、梓?」
「なんや、もう忘れたんかいな?うち寂しいわ…」
「いや、悪かった。………まさか、同じクラス?」
「ん、せやで。全く気付かんのもしゃーないわなぁ……。こないだまで入院生活やったし」
「は?」
梓のカミングアウトに一騎は思考が一瞬停止する。
そんなことはお構い無しに、梓は言葉を続けた。
「まぁ、なんにせようちは今日から復学や。これからよろしゅうな?」
ニコッと笑顔を浮かべた梓。
「え、なに?この展開」
「つか…一騎と知り合い?」
往人や輝夜はもちろんのこと、クラスメートの大半は突如現れた梓に頭がついていかなかったという。