殺人著作権
「ああ、もうダメだな」
大金持ちの青年Nは嘆いていた。妻に浮気がバレて、離婚を迫られたのである。それ自体は仕方のないことなのだが、別れてしまうと今の生活も全て手放さなければならないのが悩みのタネだった。元々、金も地位も名誉も妻方のモノなのだ。
だが、離婚して普通の生活に戻るなど青年Nにはもう耐えられなかった。
「……こうなったら妻を殺すしかないか」
決意した青年Nは過去のツテを使い、ある優秀な殺し屋を紹介してもらう事になった。その指定されたビルの一室に出向い、扉を青年Nが開けると、1人の老紳士が出迎えてくれたのだ。
「ようこそいらっしゃいました」
「貴方が殺し屋のK?」
「はい。まあ、立ち話もなんですから、まずはお掛けになって下さい」
殺し屋Kに進められたので、青年Nは言うとおりに座っていた。
「それで、Nさんは妻の殺しがご希望だとか」
「そうだ。早く、妻を殺して欲しい。しかも、私に警察の疑いが掛からないよう、最も安全な方法で!」
「……それがNさんのご要望ですか。分かりました。では私も準備がありますし、今日の所はこれで」
そう言って殺し屋Kが早々に席から立ち上がったので、青年Nは慌てて引き留めたのである。
「ちょ、ちょっと待って! この話は、これでお終いか?」
「はい」
「もう少し具体的な説明をしてくれ」
「支払のことですか? でしたらご安心下さい。この商売はご信頼の上に成り立っております。お客様から裏切らない限り、仕事後、安全な形で取引させて頂いております。まあ、この場の会話や姿は念のため撮影させてもらいましが」
「……いや、そういうのはどうでも良い。私が聞いたのは別のことだ」
「と、言いますと?」
「私は、どうやって妻を殺すのか知りたい。貴方は殺しのプロかも知れないが、私からすれば始めてあった人間だ。初対面で全てを信用するのは無理があるだろう」
その青年Nの言い分に、殺し屋Kも頷いていた。
「……なるほど。確証が得たいという気持ちは理解できますよ。昔の殺し屋にも、手口を報告する人間はおりました。しかし、現代の殺し屋が素人に教える事は出来ないんですよ」
「なぜだ!」
「今は殺人にも著作権というモノが発生しているんです」
「……それはなんだ?」
そう尋ねる青年Nを見て、殺し屋Kは溜息をついて席に腰を戻していた。
「近年、警察の目も科学の発展と共に厳しくなってきました。小さな骨の欠片からDNAを検出することすら可能なのですから、消しゴムのカスぐらいの証拠品ですら現場に忘れることは出来ません。何から追跡されるか分かったものではない。我々には完璧が要求されるのです。しかし、現実的に考えると、常に完璧な殺しなど不可能だと思いませんか?」
「……まぁ、そうなのかもしれないな」
「そこで我々は、完全に発覚しない殺しの知識を皆で共有する、という方針を考えたのです。これなら自分で困難な殺害トリックを思いつかなくても、誰かが考えた完璧な殺害方法を真似るだけで実行できるのですから、これほど安全なことはありませんよね」
「ふむ」
「勿論、殺し屋にも殺し屋の仁義がありますから、殺害トリックの発案者には敬意とお金をお渡しすることにしています」
「……それが殺人著作権、か」
「理解していただき感謝します」
そこで青年Nは一つ疑問が浮かぶ。
「しかし、完全な殺害をしたのでは、著作権が侵害されたかどうかなんて外部の人間には分からない。方法を知るだけ知って、黙ったままの人だっているだろ……」
「それは我々も懸念しました。しかし、我々もプロ。常に世の中の死には眼を配っておりますし、殺しを査察する委員会というモノも設置しました。全ての違反を見付けるのは困難ですが、少しでも発見するべく努力しております」
「……なんだか、殺し屋も普通の会社みたいだな」
「今の社会は合理的な結果なのですから、殺し屋もそれに沿って合理的になるだけだと思いますよ」
「なるほど……」
何だか、説得力があるような無いような不思議な事実に青年Nは首を少し傾げていた。
「そして著作権を犯さないためにも、素人の方々にはお教えしない方針になっております。方法を知ってしまうと、真似する方々が増えてしまいますからね」
「ああ、それは納得できる。私だって、完全殺人の方法を知っていれば実行した」
「そうでしょう。しかし、それは危険を伴う行為だと知っておいて下さい。会社の中で違法行為が見付かったらクビで済みますが、殺し屋界で違法行為が見付かったら殺されてしまいますから。例え、お客様でも」
「……わ、分かった」
「ふふふふ。私が詳細をお教えできない意味を、ご理解いただけたようで何よりです」
そこで青年Nは眉間に皺を寄せていた。
「ただ、ちょっと待ってくれ」
「何か?」
「貴方達が殺害方法を言えないのは理解できる。事情は理解した。しかし、事は私の妻の殺害だ。安全を考え、少しも疑われたくはない」
「ですから、その安全は保証します」
「そんな言葉だけでは信用できない。やはり、殺害方法を教えてくれないか」
「しかし、先程も言いましたが……」
すると青年Nは顔を赤らめて怒鳴った。
「私は依頼人だ! 全て話してくれないのなら、1億なんて大金は支払わないぞ!」
「……これは弱りましたね」
殺し屋のKは暫し悩んだ。暫し手を顎に当てたり、コーヒーを飲む仕草などを繰り返していたが、その内に渋々と頷いたのだった。
「分かりました。では、こういうのはどうでしょうか。貴方が3つ、殺害方法について質問するというのはどうでしょうか。これが此方から提案できるギリギリの妥協点です。これ以上要求するのであれば、今回の話しは無かったものとさせて頂きます」
「ふむ」
今度は青年Nが暫し悩んだ。しかし、妻を殺すことを断られてしまったのでは元も子も無いと、やがて殺し屋Kの申し出を了承したのだった。
「……分かった」
「では、どうぞ」
「なら聞きくが、例えば何か警察に発見されにくい新しい薬物で私の妻を殺すのか? それを疑われないタイミングで妻に投与して、少量を私が飲むとか」
「イイエ。貴方は筒井康隆の短編を読んだことがないのですか? その手は古いですよ」
「なら、ハエやゴキブリを操って、妻を殺すとか?」
「イイエ。貴方は小松左京の短編を読んだことがないのですか? その手は失敗しますよ」
「……むむ、ではどうやって殺すというのだ。いや、もしかして、これ自体が私を掴まえるための妻の罠なのか?」
「イイエ。貴方は星新一の短編を読みすぎです」
「むぅ」
「これでお約束は守りましたね。今度は貴方がお守りいただきたいです」
そう言うと、早々と殺し屋Kは消えてしまったのだった。
このまま殺し屋に任せて良いものだろうか、そう青年Nは考えていた。事は自分の人生の最重要問題なのである。それを素性も知れない人間に全て預けても良いものだろうか。他人の口から聞いた実績だけを鵜呑みにして、他人の全てを信用できるのだろうか。
「……いや、無理だな」
それが、何時間か思案し続けた青年Nの結論だった。著作権を盾に殺人という大切な作業方法を教えてくれないヤツなんか信用できない、そう思ったのだ。それは妻の殺害を考える青年Nからすれば、当然の結論だったかも知れない。
しかし、その妻に生きていられるのも問題だった。
「……こうなったら自分でやるしかないか。それなら俺の金が減ることもないし」
自らの手で妻の殺害を決意した後、青年Nの行動は素早かった。
殺害の依頼を断り、計画を練り、道具を用意し、ミスをしないように特訓を繰り返したのだ。頭の中で描いた方法を全て実行できるのなら、この世は楽というモノだろう。殺害の技術を高めるべく、何度も反復的に体へと叩き込んだのであった。尚かつ、殺害方法の成功確率を、プロの人間に尋ねて確認するという徹底ぶりだった。
「なあ、殺し屋Kよ。私の考えた殺害方法をどう思う?」
と、青年Nは電話で話し掛けた。
「……うーむ」
「ふふ、君に依頼する話しを止めてしまったのは申し訳ない。だが、違約金は支払ったし、この相談料もはずむぞ。だから、ちゃんと答えてくれ」
「いえ、そういう事を考えているのではなく……」
「なんだ、例の殺害著作権に引っ掛かるというのか?」
「いえ、それは全くありませんが」
そう言い淀む殺し屋Kを青年Nは嘲笑った。
「……どうやら君は私が気に食わないらしいな」
「どういう意味です?」
「完全犯罪が素人にできてしまえばプロの面子は丸つぶれだからな。君からすれば面白くない話しなんだろう。まあ、良い。私の考えた殺人手順は完璧だ。君の答えを聞くまでもないさ」
そう得意げに言って、青年Nは電話を切ったのだった。
青年Nが考えた妻の殺害方法はシンプルだった。
それは殺すターゲットを食事に誘って酔わせた後、帰宅する道の途中に前もって流しておいた油の場所に連れてくるというモノだった。泥酔した千鳥足が縺れ、転倒した拍子に頭を打ち付けて死ぬ、というのが狙いである。無論、これは確実に殺害できるワケではないが、何度か繰り返していれば成功する可能性は高かった。
何なら、ほんの少しだけ妻の背中を押してやれば良いのだ。
後は勝手に転んで、勝手に死んでくれる。
物証は生まれない。
撒かれている油を青年Nと結びつけるのは不可能だろう。
これは不幸な事故なのだ。
それは自分の妻の死という形で、本当に実証されたのだった。
妻の殺害後、青年Nは殺し屋Kが居るビルの一室に向かった。
この成功した気持ちを誰かに打ち明けたかったのだ。
いや、それができるのは殺し屋である、彼にだけだろう。
「やったぞ! 私はやった!」
と、喜び勇み、青年Nが部屋に入ったが誰も居なかった。
「なんだ、留守か……ん」
青年Nが肩すかしを食らって落ち込んでいたら、テーブルの上に一枚の紙が置かれているのに気が付いた。もしかしたら誰かの殺人依頼書かも知れない。そう思った青年Nは、好奇心から紙を手にとったのだ。
だが、それは予想外にも青年N宛の手紙だったのだ。
そこには、こう書かれていた。
『青年Nさん、こんにちわ。貴方は大変喜んでいるのでしょうね。そのお気持ちは分かります。しかし、私の心は冴えません。青年Nさんに言いそびれてしまった事があるのです。それは、貴方の殺害方法について。確かに、アレでも妻の殺害は成功するでしょうし、殺人著作権の問題もありません。しかし、考えてみて下さい。何千、何万という殺人のプロが居るのに、そんな簡単な殺害方法を思いつかない筈がないでしょう。―――貴方が実行したのは、誰もが思いつくが誰もが著作権として申請しないぐらい当たり前の方法なのです。これからの先の人生、お気を付け下さい。世の中には、目撃者という予測不確定な証拠も存在しますので』
それを読み上げた後、青年Nは絶句していた。
いや、まさか、ありえない、背中を押したのは誰にも見られていない筈だ、そういう考えが渦巻いた。だが、混乱している青年Nの耳に、遠くのほうから近づいてくるパトカーのサイレンの音が聞こえてきたのだった。
これ、4割ぐらい文字を削るべきかと思いましたが、書くことを優先しました。