『お前を愛することはない』の正しい解釈
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王立学園を卒業し、晴れて公爵家の嫡男カルロスと婚姻を結んだ伯爵令嬢リリアーナ。
豪華絢爛な披露宴が終わり、天蓋付きの大きなベッドが鎮座する初夜の寝室で、新郎カルロスは腕を組み、冷ややかな視線をリリアーナに向けた。
「いいか、リリアーナ。これは家同士が決めた政略結婚だ。
お前を妻として形だけは尊重してやるが……お前を愛することはない!」
カルロスは数日前に悪友から吹き込まれた言葉をそのまま実行していた。『最初が肝心だ、妻をつけ上がらせないためにも、ビシッと言ってやれ』というそのアドバイスを、彼はすっかりうのみにしていたのだ。
これで新妻は打ちひしがれ、余計な干渉をしてこなくなるはず——そう踏んでいたのだった。
しかし、リリアーナの反応は彼の想像とは大きく異なっていた。
「……え?」
リリアーナは両手を口元に当て、可憐な薄桃色の瞳を大きく見開いた。その瞳には、絶望ではなく、溢れんばかりの衝撃と痛切な同情が宿っていたのである。
部屋の隅、壁際で初夜の見届け人として控えていた伯爵家の侍女のノンナが、スッと静かに主人のそばに歩み寄り、そっと背中に手を添えていた。
(まさか……本当だったなんて……!?)
ノンナはカルロスを哀れむような、しかしどこか慈悲深い目でそっと見つめながら、リリアーナにささやいた。
「お嬢様、旦那様のお召し物……そういえばあれはお体を労わることを目的としたものでは……」
「そうよ、ノンナ……カルロス様がそんな深刻な事情を抱えていらっしゃるなんて……!」
実家で厳格に育てられたリリアーナは世間知らずだった。彼女にとって「結婚初夜に夫が妻を抱かない理由」など、侍女から聞きかじった「男性機能の深刻な障害」以外に思い当たるはずがなかったのだ。
つまりカルロスの「お前を愛することはない」という言葉は、彼が精いっぱいの勇気を振り絞って打ち明け、悲痛な「性的不能の告白」としてリリアーナの脳内で変換されたのである。
「カルロス様……。そんな……そんな重大なご病気を、お一人で抱え込んでいらっしゃったのですか……?」
「は? ご、病気……?」
ポロポロと大粒の涙をこぼすリリアーナ。
「いいのです、いいのです。無理をなさらないでくださいませ!
男性の尊厳に関わることですもの、結婚前に打ち明けることができなかったのですね……! お可哀想に……!」
「いや待て、何の話をして——」
「今夜はどうぞ、お休みくださいませ! 私、カルロス様のお気持ちを思うと胸が張り裂けそうですの……!」
リリアーナはカルロスの手にそっと自分の手を重ね、固い握手を交わすと、涙を拭いながらソファーへと向かった。残されたカルロスは首をかしげながらも、新婦を抱けずに一人悶々としてベッドに潜り込んだのだった。
◆
翌朝。
公爵家の豪華な食堂には、朝食をとるカルロスの両親の姿があった。
そこへ目を真っ赤に腫らしたリリアーナが、痛々しいほど健気な足取りで入ってくる。
「おはようございます、お義父様、お義母様……」
「まあ、リリアーナさん。どうしたの、そんなに目を腫らして……? もしかして、カルロスが何かしたの?」
義母である公爵夫人が心配そうに尋ねると、リリアーナは耐えきれなくなったように膝を突き、床に泣き崩れた。
「お義父様! お義母様! どうか……どうかカルロス様を責めないであげてくださいませ!!」
「えっ、えっ!? 一体どういうことですの!?」
「カルロス様は……カルロス様は、昨夜、私に打ち明けてくださったのです。
カルロス様はご自身の……その、『男性としての機能』に深刻な問題を抱えていらっしゃり、私を抱くことが出来ないと、そうおっしゃったのです……!」
「「な、なんだ(です)ってーーーーー!?!?!」」
公爵夫妻の絶叫が食堂に響き渡った。
「か、カルロスが……たたたた、立たない……!?」
「そんな……我が家の跡継ぎが、性的不能……!?」
夫人は何かに思い当って、夫である公爵に震えながら言った。
「あなた、もしかして平民の間ではやっている『おまえを愛することはないから始まる溺愛の物語』みたいに、他に好きな人でもいるんじゃないかしら……?」
しかし、公爵は深いため息をつき、頭を抱えた。
「いや……事前の調査で、あいつに隠している愛人がいないことは分かっていた。今まで女関係の浮ついた話も一切なかったから、私は『品行方正な息子だ』と喜んでいたのだが……そういうことだったのか……」
公爵のあまりの落胆ぶりに、夫人は言葉を失った。
そこに、横に控えていた次男のルイジが、もっともらしい顔で会話に加わった。
「父上、母上。兄上は貴族の長男ですから、家を継ぐために後継ぎを作ることの重要性は痛いほど理解しているはずです。だからこそ、まっとうな理由もなく新妻へ『お前を愛することはない』なんて、そんな残酷な言葉をわざわざ口にするはずがありません」
さらに、リリアーナに寄り添う侍女のノンナも、神妙な面持ちで口を開いた。
「公爵様へ申し上げます。
……昨夜の寝室でのカルロス様のお姿は、それはもう痛々しゅうございました。カルロス様は強がっておられましたが、『私はもはや男として終わっている』という悲痛な叫びがひしひしと伝わってまいりました……」
ノンナの絶妙な誘導により、公爵夫妻の脳内では「カルロスは男性機能に深刻な問題を抱えている」という誤解が完全に真実として固定されてしまった。
「カルロス様は必死に虚勢を張っておられました。もう、カルロス様は充分、傷ついておられます。
ですから、どうかカルロス様を叱らないでください。秘薬を集め、名医を呼び、長い時間をかけて治療して差し上げるべきですわ。
私、カルロス様の妻として、一生彼を支える覚悟です!!」
涙ながらに「夫の不能」を庇い、健気に訴えかけるリリアーナ。
公爵夫妻の頭の中で、猛烈な計算が駆け巡った。
(公爵家の血統が途絶えてしまう! それにカルロスが不能だと世間に知られたら、公爵家の名誉は失墜……!)
公爵は、隣に座っていた——要領が良く、学園を優秀な成績で卒業した次男のルイジを見つめた。
ルイジは以前から、兄の婚約者であるリリアーナの聡明さと可憐さに密かに心を寄せていた男である。
「……リリアーナ。君の優しさと覚悟、深く感動した」
公爵は深々と頷き、重々しい口調で告げた。
「だが、君のような素晴らしい娘を、欠陥のある……ゴホン、病を抱えた息子に縛り付けるわけにはいかない。そして我が公爵家の存続もかかっている」
「お義父様……?」
「幸いにも、婚姻届は本日の午後に提出する予定だった。……ルイジよ!」
「はい、父上!」
すっと立ち上がった弟ルイジは、胸に手を当ててリリアーナに向き直った。
「リリアーナ義姉様……いえ、リリアーナ様。兄の不調によりご不安な思いをさせてしまい、申し訳ありません。
もし叶うなら……このルイジが、兄の代わりにあなたを生涯愛し、支えることをお許しいただけますか?」
「まあ……! ルイジ様……?」
「父上、私にお任せください。公爵家の跡継ぎの責任も、リリアーナ様を幸せにする義務も、すべて私が引き受けます」
「うむ! 決まりだ!
婚姻届の男の名前を、カルロスからルイジに書き換えるぞ!!」
公爵夫妻の素早い連携により、わずか十分で「新郎のすげ替え」が完了した。
◆
昼過ぎ。
自室で「フッ、これでリリアーナも自分の立場をわきまえるだろう」と優雅に紅茶を飲んでいたカルロスのもとへ、執事と強面の私兵たちがなだれ込んできた。
「な、なんだお前たち!?」
「カルロス坊っちゃま。……いえ、カルロス様。長年のご病気、お痛わしい限りでございます」
「は? 病気?」
執事の手には、公爵直筆の書類が握られていた。
「本日付で貴方の家督相続権は剥奪されました。また、リリアーナ様との婚姻は無効となり、リリアーナ様は次男ルイジ様の妻となられます」
「はあああ!? なに言ってるんだお前は! 俺は長男だぞ! リリアーナは俺の妻だ!」
「お戯れを。ご自身の言葉をお忘れですか?
『お前を愛することはない』と、ご自身の不能をリリアーナ様に告白されたそうですね」
「ち、違う! あれは『お前を愛することはないから立場をわきまえろ』っていう意味で——」
「男の悪あがきほど見苦しいものはありませんぞ、カルロス様!」
執事が一喝する。
「公爵家は貴方様の病気の件は隠蔽いたします。明日より、領地の南の『湯治場』にて、死ぬまで……失礼、機能が回復するまで静養していただきます。さあ、お荷物をおまとめください!」
「待て! 立てる! 俺は立つんだ! 正常なんだよーーーっ!!!」
カルロスの悲痛な叫びは虚しく廊下に響き渡り、そのまま馬車まで引きずられていく。
「なに言ってるんだ! 意味が分からないぞ! 俺は正常だ! 不能でも病気でもない!!」
カルロスが馬車の前で狂ったように叫ぶと、執事は深いため息をつき、冷ややかな視線をカルロスの下半身へ向けた。
「……フッ。男の往悪あがきほど見苦しいものはありませんな、カルロス様。
……そこまで言うのなら、では、今ここで『立たせて』みせてくだされ!!」
「なっ……!?」
執事はビシッとカルロスの股間を指さした。
「さあ! さあさあ!
ご自身が正常とおっしゃるなら、今この場で、見事に立ち上がらせてくだされ!
それができれば、不能ではなかったと公爵様に証言いたしましょう!」
「ば、バカかお前は!? こんなむさくるしい兵士に囲まれた状況で、急に立てられるわけないだろ!!」
「ほう? 理由をつけて逃げますか。では、とっておきのものをお見せしましょう」
執事はふふんと鼻を鳴らし、胸ポケットから一枚の姿絵を取り出してカルロスの目の前に突きつけた。
そこには五十を過ぎたふくよかな女性が、何とも生々しい下着姿で妖艶に微笑んでいる絵が描かれていた。
「……」
カルロスは絶句し、無言で執事に押し返す。
「どんな悪趣味なプレイだよっ!」
すると執事は、微塵の迷いもなく胸を張った。
「ふっ、何を仰るカルロス様。私であれば、これを見るだけで立派に立ちますとも。なぁお前たち?」
後ろに控えていた強面の兵士たちが一斉にうなずき、執事の下半身に視線を向けた。
「「執事殿の仰る通り! いつ見ても実にご立派であります!!」」
「なんで立つんだよっ!!」
「私の妻は美しい……」
「お前の妻かよっ!!」
カルロスが絶叫すると、執事はやれやれと首を振った。
「正常な男なら、これだけ美しい女性の姿絵を前にすれば、意識しなくても立ってしまうもの!
そうならなかったということは……やはり不能! 弁明の余地なし!!」
「理不尽すぎるだろーーーーーーっ! 」
◆
数ヶ月後。
公爵家の庭園では、睦まじく寄り添うルイジとリリアーナの姿があった。
「リリアーナ、今日もとても綺麗だね」
「まあ、ルイジ様ったら……ふふっ」
ルイジは兄と違って誠実でリリアーナを心から愛し、毎日甘い言葉を注いでくれた。リリアーナもまた、自分を心から大切にしてくれるルイジにすっかり心を奪われていた。
そこへ買い出しのついでに庭園を通りかかった侍女のノンナが、微笑ましいものを見るような目で声をかけてくる。
「あらあら、今日も仲がよろしいことで。本当に、お二人を見ているとこちらまで温かい気持ちになりますわ」
「ノンナ。いつもリリアーナを支えてくれてありがとうね」
「とんでもございません。それにしても……」
ノンナはふと遠い目をし、しみじみと言葉を続けた。
「あのときはどうなることかと思いましたけれど、本当に良かったですわ。前のご主人様であるカルロス様も、今頃は南の温泉でゆっくりと治療に専念していらっしゃることですし……」
「そうだね。兄上も、あたたかい場所で静養するのが一番さ」
ルイジが苦笑いしながら頷くと、リリアーナは胸に手を当ててうっとりとした表情を浮かべた。
「カルロス様があれほどご自身の体に苦悩し、私たちを傷つけまいと身を引いてくださったからこそ……今の私たちの幸せがあるのですわ。本当にお労しい方でしたけれど、あの夜の勇気ある告白には、今でも心から感謝しておりますの」
「そうだね、リリアーナの言う通りだよ」
リリアーナは心からそう思い、ノンナと頷き合う。ノンナも「ええ、本当に」と穏やかに微笑みながら、二人にそっと一礼した。
(おっと、そろそろ故郷の両親に仕送りの手紙を出さないといけませんね……)
ノンナは、ルイジからもらった心づけの入った革袋を懐でそっと確かめつつ、のんびりと笑顔を浮かべて屋敷へ戻っていった。
◆
その夜。
静まり返った執務室で、新当主となったルイジは、一人グラスに琥珀色の酒を傾けていた。
「……まさか、ねえ」
誰もいない部屋で、ルイジは乾いた笑いを漏らし、手元のグラスを揺らした。
数ヶ月前、気まぐれと悪ノリ半分で兄の悪友に金貨を渡し、『最初が肝心だ、妻をつけ上がらせないためにも、ビシッと言ってやれ』と兄に言うようにそそのかしたのは確かに自分だ。
ノンナにも「兄上が不能かもしれないから、もしひどい態度をとられたらフォローしてやってくれ」と、初夜の前に囁いた。
あわよくば、兄が自滅して自分がリリアーナを慰める隙でもできれば儲けもの——そんな軽い下心しかなかった。
だが、蓋を開けてみればどうだ。
兄のただのイキり発言は、妻と侍女の脳内フィルターによって「悲痛な不能の告白」へと壮大に曲解され、公爵家を巻き込んだ狂騒の末に、兄は継承権をはく奪され南領送りになってしまったのだ。
「あんなの……予想できるわけがないだろう……」
ルイジは頭を抱え、呆れたように天井を仰いだ。
自分が仕掛けたのは、ほんの小さな種火にすぎなかったはずだ。なのに、妻と侍女がその種火を火薬庫に投げ込み、気がつけば兄を完全に消し飛ばし、自分は労せずして次期当主の座と憧れの女性を丸ごと手に入れてしまった。
「まあ……結果オーライ、ってやつか」
呆れはしたものの、悪くない結末だ。
遠い南の地で今も鬱々と暮らしているであろう兄にこっそりと思いを馳せながら、ルイジはグラスの酒を喉へと流し込んだ。
すべては自分の計画通り……とはとても言えないが、勘違いと暴走が奇跡的に噛み合った結果、兄以外はそれぞれ満足しているのだから文句はない。
ルイジは小さく肩をすくめると愛する妻の待つ寝室へ向かうため、穏やかな笑みを浮かべて立ち上がった。
立つの字はオブラート




