3.蜘蛛と地獄 「独白」
「蜘蛛と地獄」は太宰治の「蜘蛛の糸」から名前を決めました。それから比喩としても使っています。
主人公は日露戦争の旅順攻囲戦で、少しずつ打ち砕かれていく。希望も何もかも。※この作品には、戦争・死・鬱的表現・絶望を描写するシーンが含まれています。
読者によっては不快に感じる可能性がありますのでご注意ください。
光のない世界で、それでも生き続けるとはどういうことか――それを描こうとした記録です。
海の音が、押し寄せてくる。砂で作った人工物は、何をしようが、海に消される。何の工夫を施したとしても、時が経てば、すぐ消える。悲しくて泣いても、海の流れは留まることを知らない。嘆いたとて、叫んだとて、世の動きは変わらない。それでも、人類は、叫び続ける。
僕は旅順についた。
僕は、地獄に陥った。皆地獄を見るような目で、進んでいく。旅順攻囲作戦の説明がなされた後、僕は乃木希典隊と組むようになった。旅順要塞への攻撃を頼まれたのであった。旅順での領海権を確保するため、僕は戦争をする羽目になった。いや、最初からそうだ。
僕は戦争をする運命にあった。運命には抗おうとしても、抗えない運命があって、抗える運命は運命じゃない。
向こうにロシア艦隊が見える。すると、乃木が、
「ロシア艦隊が見えたぞ!かかれ!」
と咆哮した。皆地獄を見るような目で、進んでいった。意味もわからず、落ち武者のように進んでいく者、意味のない叫び声、首が跳ねる音、金属音と爆発音が、サティのクラシックかのように狂いながら響き渡る。
この狂気じみた背景に、僕は狼狽える。僕は進む。この地獄と狂乱に。血が鮮やかに飛び跳ねる。銃を撃つ。相手が死ぬ。銃を撃つ。外れる。殺される。死にそうだ。
酷く耳鳴りが聞こえた。銃弾が耳をかすったのだろうか。人が死ぬ光景を見るのは、初めてだった。ああ、死んだ。あいつを見たことはある。でももう死んじまった。
その時だった。一人の軍隊が僕を庇ったのである。そしてそいつがこういった。
「最後に、誰かのために死ねるのはよかった。せめて最後は、誰かのために死にたかった。国じゃなく、たった一人のために・・・」
僕はその瞳の深さに狼狽えた。一人の軍隊が、たった一人の軍隊、それも見ず知らずの生身の人間を庇って倒れて、死んだ。
僕は何もせず、ただ前へと進んだ。もう怖くて進むしかなかった。ひたすら進んで、消えていく。消えていく人間が。地獄に行きついた僕は、蜘蛛の糸にしがみつく。手に取ったかと思えば消えていく。ただひたすらつかむ。そして消える。ひたすら掴んでも消えていくのがこの世の理なんだと、僕は世界を憎んでいる。
地獄を抜け出すことはできなかった。
失うものが増える。少なくとも、人は死んで灰になった。消えるのか、無になるのか。
恐怖と狂乱に満ちた蜘蛛の糸のない地獄は続いていく。きっと死ぬまで。
地獄は死ぬまで追い回す。ただの生身の人間を。
もう朝か。僕は地獄を見るような血相で、起きた。むしろ意識が戻った感覚のほうが近い。なぜなら、僕は、今も戦っているから。乃木が叫ぶ。
「進めえ!かかれ!」
塹壕から飛び掛かり、ロシアの艦隊を殺す。僕はずっと誰かを殺した罪の意識が途絶えない。この人は楽しかっただろうか。人生が。それとも、苦しかっただろうか。ただでさえ、こんな形で死ぬなんて。ああ、そう考えると、おかしくなる。だから僕は罪のない人間を考えず殺す。もう僕は何も考えられない。でも、無意識で人を殺すなんて。ああ、だめだ。考えるな。馬鹿が!
死ぬ。死ぬ。殺さないと、死ぬ。消える、消える、何も知らない彼らの人生が。希望はない。僕は希望を掴もうとする手を止めた。絶望の奥底へ。
さあ、行こう。
歩き続けてどこまでも、地獄を生きている。地獄をひたすら進む、進む、進む。
そして、ひたすら失い続ける、失う、失う。失ったから人を殺す。失ったから、希望を望む。光を望もうと試みる。掴む、掴む、掴む。希望を。天からの糸を。光を。何度でも掴むけど、僕らはそのたびに消えていく。悲しいよ、悲しいよ、僕はいつの間にか泣いている。
ただの生身の人間なのに。傷だらけの天使と傷だらけの楽園。
ああ、消えていく。
まだまだ続く。追い回された生身の人間の、ある一つの物語は、始まったばかりである。
次回の名前はまだ決めてません。今週中にはどっかで投稿したいと思っております!暗すぎてやばい場合はどっかで別の「カクヨム」で投稿しようかな。