18.落書き
時は現代。美術館へ僕は行った。そこにはある屏風があって、これが全ての始まりだったー
「光を見つけよ青年よ?」
これが全ての始まりだった―
時は現代。美術館へ僕は行った。そこにはある屏風があって、これが全ての始まりだったー
「光を見つけよ青年よ?」
これが僕の、僕だけの物語の、始まりである。
そこには「光妖」と書かれた、狐を描いた屏風があった。狐はとても美しく輝いていた。江戸末期以来の、最も売れた屏風だと描かれていた。現代語に訳されていた。そこには、
「光妖は、生きており、時折光妖が現れ、人は拝んでいる。山頂に、時々現れるので、拝むのがよい。」
と描かれていた。だが、これよりも、絵の落書きが気になったのだ。そこには、
「光を見つけよ青年よ」
と描かれていて、館長に面識があるので、それについて話すのだが、館長は、
「明治以降に落書きされたのではないか、といわれています。今の技術では、描かれた年代をコンピューターで、スキャンして、わかっちゃうんですよ。」
「ただ、言葉が凄く意味深なんです。普通、落書きとは思えないじゃないですか。普通、「光を見つけよ青年よ」なんて落書きで描きます?」
館長は間を開けていった。
「これは完全に私の説ですが、多分きっと、著者が書いたんじゃないかって、思っているんです。著者の年齢は匿名ですが、予測はできます。それに、明治時代に、歌川という有名な絵の先生がいたんです。そのころの弟子が、描いた絵と、AIで確認させたところ、似ている部分が浮き出たんです。すると、この「光妖」は、歌川の弟子が描いたと思えるんです。
そして、その弟子は、30代だったんですけど、それでも、落書きが描かれた年代と、当時の弟子の年齢や死亡年齢などを考えると、著者が書いたことは、全然あり得るんです。それに、かなり厳重に守られていましたから、落書きを書くなんて、著者しかないと思うんです。」
「そうですか・・・ありがとうございます!」
僕は、美術館見学を終え、次は、博物館の「大明治展」へと向かった。
僕が、歴史に関する近所の美術館や博物館を、見るのには、理由がある。それは、つながりが、見えるからだ。特に歴史は、繋がっている。このつながりに、僕は興奮するのだ。
歴史は、ただ覚えるだけじゃない。数々の人々が、数々の人に振り回されて、あるいは、反発して、全ての人間に関わって生きてきた。その歴史ならば、当然つながっている。
僕はそんな繋がりのある歴史が好きであった。
僕はこの博物館とも面識がある。ほぼ毎回いっているからだ。僕は高校生だが、彼女はいない。彼女なんていらないからだ。彼女は自分の心を満たす存在だとされているが、僕は、歴史が自分の心を満たすからだ。
僕は、館長と仲が良い。知的な会話を好むからだ。そして、館長に軽く会釈しながら、僕は大明治展へ行った。
大明治展には、明治時代の指名手配犯などが描かれていた。近所にある、資料館みたいなもので、専門的なところが学べるのも、僕の博物館の好きなところである。
明治時代の指名手配犯の手帳があった。僕は現代語訳を見た。
「僕は地獄を突き進んだ。人を殺した、何十人もの人を殺したんだ。狂気と銃のメカニズムは、今もまだ続いていて、僕はひたすら憂鬱な日々へと、僕が僕を突き動かして、もう駄目だなんて、ずっと今でも藻掻いている。この最低で最悪な世の中で、僕は僕をあきらめた!僕は世界を諦めたんだ!と気づいた。
今も銃声が聞こえる。あの日、あの時、確かに、銃が鳴った。あの日、あの時、確かに、僕は家族に捨てられていて、あの日、あの時、確かに人を殺した。
許されないことをおかした。
そして、僕はいつだって地獄を進んでいると、錯覚する。未だに覚えているさ、あの日の血と慟哭を!彼らが言った。
「最後に、誰かのために死ねるのはよかった。せめて最後は、誰かのために死にたかった。国じゃなく、たった一人のために・・・」
誰かのために死にたいなんて考えない。でも彼らは笑顔で死んでいった。一人のために、死んでいく。
自己犠牲だ。
自己犠牲は、誰かのために行われていて、誰かがいないとできないものだ。そうだ。
自己犠牲はするものではない。でも僕は、忘れていない!きっと僕は自己犠牲と道徳観と人間性に惚れ込んでいる!
自己犠牲と道徳観と人間性だ。
自己犠牲と道徳観と人間性、そしてそれは、
世界を信じようとする、
僕の、僕だけの、
たった一つの想いだ。
世界を信じたいのなら、さっさと信じてしまえ!愚か者よ!
世界を信じよ愚か者!
世界を信じよ!!
世界を信じよ!
世界を信じよ!
世界を信じよ!」
そう書かれていて、僕は驚いた。
人を殺した人間が、この世界を、
信じようと、するなんて。
「彷徨う青年」編完結。
「光を見つけよ青年よ」編、開幕。