14.亡骸に 「思想」
昨日投稿できず、すみませんでした!!!!!!!!!!!!!謝罪の意をここで表明します!!!
本当にすみませんでした!!!!
ここから先のことはあまり覚えていない。ただひたすらに虚無感であった。頭が重いと感じたのは初めてだった。そして、泣くことはあまりなかった。
ただひたすら、家に留まり、高級そうな他人のソファに、寝っ転がって、
ー死んだな。
などと、思った。
人が死ぬということは、そういうことなのか、と実感した。戦争とは違って、僕はたった一人の死に向き合った。
そして、泣くことはなかった。できなかった。だが、何もすることができなかった。
そして、思い出した。
遺体をそのままにしていたのだ。医者はどこかへ行っていた。(なぜだろうか?職務怠慢ではないだろうか?)
だが、自分は何もできない。何かできる気力?いや、ただ何もできないという事実があるだけで、その裏も何も、事実は事実で、結局のところ、なぜか、
ーー何もできなかった。
動かないのである。というか、動こうとはしていないのだ。僕は泥のように眠っているふりをした。
眠ることさえできないのである。というか、僕は存在することさえも嫌っていた。
ただ何もしたくない、できないからである。
悪臭が漂ってきたのは、正午頃で、遺体の悪臭がしてきた。祖末せねば。もう老人は死んだ。仕方がない。
でも動けなかった。死のショックが大きかったのか、死に耐えきれず、虚無感を生んだのか、どうなのだろうか。
結局動けるようになったのは、三時間後だった。
動いて、老人を、山奥まで、人にバレずに、運び込んだ。そして山奥に埋めようとしたら、急に涙がでた。
老人と関わった時間が、老人との出会いの全てを、老人を、全て埋めている、そういう風に思えて仕方がなかった。
ーこれが別れというものか。
僕は別れを知った。
ー儚い。尊い。いい思い出だったよ。ありがとう。
別れを、僕は、本当の別れをした。
ありがとう、今まで。
信じてくれたあなた。
僕が生きている限り、腐れ縁さ。
「ありがとう。」
うた
これは僕の別れの詩。
そして、老人の家を売ることにした。僕はたった数日、泊まっただけだったからだ。
僕は、指名手配されていたらしいが、来ていた人はたまたま知らなかったらしい。
僕は、逃げた。
なるべく安全なところを探そうとした。
山奥にひたすら忍び込んだ。
時々、老人を思い出す。殺した人々を思い出す。日露戦争で救えなかった人を思い出す。
そして、知らない人々の戦争を思い出す。日露戦争で、叫んだあの日、あの頃を、鮮明に思い出す。
そして泣いて、ひたすら泣いて、僕は気づいたら、かなり年がたっていた。60歳くらいだった。
もう若いとはいえなかった。そしてすべてが懐かしく思える。そんな気がした。
でも、まだ問いに答えられていない。老人がいった、
ー生きる意味は何なのか。
だ。
僕は、生きる意味はないという解釈を見つけた。どうせ死ぬから、という理由でだ。でも、絶対的な答えではない。
それに、疑問もある。
生きる意味はないのに、どうして、生きているの、という疑問だ。いや、どうして生きようとするの、という疑問だ。
なぜか、なぜか、問いているのに、納得する答えが見当たらない。
何度考えても、よい答えがない。そして良い答えが、論理的に筋が通っている答えが本当に答えなのか、わからない。
懐かしい想いに浸って、毎回問う。
僕はなぜ生きようとするのか、残酷な世の中に立ち向かおうとするのか、だ。
すみません。