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独眼竜記 ―伊達政宗異聞 千年の龍、東北を翔ける―『俺は豊臣の家臣じゃねぇ──逆襲の刻を待つ!』  作者: 《本能寺から始める信長との天下統一》の、常陸之介寛浩
第四章「影は南より来る」

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第七十八話 くノ一、焔に舞う

夜の大森城跡。

戦は終わったが、なおも風には血と火薬の匂いが残っていた。


瓦礫の向こう、焦げた柵を越え、静かに忍び寄る黒影が一つ。


千代――

伊達家影忍、黒脛巾組のくノ一にして、政宗の“影”。


その細身の体は、濡羽色の忍装束に包まれ、呼吸一つ漏らさずに廃城を踏みしめていた。


政宗の勝利によって落ちた城。

だが、彼女に与えられた任は、戦後の火消しではない。


――残党の首魁。

“名を奪う術”を操るという異能の女忍の所在確認と、捕縛。


「……いた」


月の光がわずかに射す礎石の影。

女が、座していた。


仮面はなく、髪は結い上げ、顔は隠さない。

だが、その瞳には何の光もなかった。


「……名を持たぬ者が、名を討つとは、皮肉なものね」


千代の気配に気づいていたのか、女は背を向けたまま言った。


「お前が“影”か。政宗の」


「名を語るくノ一とは。珍しいわね」


千代は、一歩も引かず、距離を詰めた。


「おまえは“名を奪う術”を使ったと報せを受けた。

 今宵、その証を立ててもらう」


「術ではない」


女は、振り返った。


その顔は、どこか千代に似ていた。

輪郭、唇の形、目の奥の影。


「……私は、名を忘れたかった。

 “誰かに呼ばれる”ことが、ただ、苦しかった」


「家も、父も、過去も──名があるから消せなかった。

 忍びになったのは、それを捨てるため」


千代は、短刀を構えたまま、答える。


「名を捨てれば、自由になれるとでも思ったか」


「……私は、名を抱えて生きている」


「“影”と呼ばれようとも、“政宗の千代”として、生きている」


女が苦く笑った。


「それでいいの? 名は、重いのよ。

 誰かに与えられた名は、その者の手のひらの中にある」


「それでも、持ちたいの?」


千代は、一瞬だけ息を止めた。


名を持つこと。

政宗の影であること。


それが、どれだけ無防備で、無慈悲な世界に身を晒すことか、分かっている。


それでも――


「私は、“殿の名”を背に生きている」


「呼ばれることが、痛みなら、

 その痛みと共に、“生きる理由”を守る」


「私は、“名を抱えて”生きる」


「それが、“殿の影”としての道」


沈黙。


その一言で、空気が変わった。


風が吹き、焔が舞う。


戦の残り火が、ふたりの間に赤い光を落とした。


女は、ゆっくりと刀を鞘に納めた。


「……なら、私は負けたのね」


「“影”という名を持つ者に、“名を捨てた影”は勝てない」


千代は、刀を下げた。


「投降するか」


「……死ぬわ。名も、顔も持たないまま死ぬ」


「私の“生”は、もう焼けたのよ。

 だけどあなたは、“生きて呼ばれる名”を選んだ」


「それが、美しかった」



その夜、千代は静かに政宗の寝所の屋根上に戻った。


空には、雲一つない星々。


「……“名を持つ”って、痛くて、眩しい」


そう呟いたとき、下の部屋から政宗の声が聞こえた。


「千代。そこか」


「はい。戻りました」


「よい夜だったか」


「……はい。名を忘れかけていた誰かに、会ってきました」


政宗はそれ以上、何も聞かなかった。


ただ一言だけ、返した。


「おまえは、“名を呼ばれる”者として生きろ。

 それが、わしの影としての誇りだ」


千代は目を伏せて、静かに微笑んだ。


「はい。……“政宗の影”として、呼ばれ続けます」

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