第六話 龍の名を持つ子
朝日が、米沢の山並みに滲んでいた。
夜明けとともに、梵天丸は目を覚ました。
右目を包帯で覆われた顔はまだ腫れが引かず、体も本調子ではない。
それでも、彼の左の眼には、夜を越えた者だけが持つ光が宿っていた。
枕元には、いつものように千代がいた。
だが今朝はもう一人、背筋を伸ばした影がそこにあった。
伊達輝宗である。
「……父上」
「目が覚めたか。よう持ちこたえたな、政宗」
その言葉に、梵天丸の唇が震えた。
「政宗……?」
「うむ。お前の名だ」
「わしの、名……」
梵天丸──その幼名は、仏教に基づき、出家前の男子につけられる常套の名である。
だが、男児がある年齢に達し、“家”を継ぐべき者として認められた時、本名が与えられる。
「政宗。……“政”は、わしの“宗”を継ぎ、“正しきものを導く”という願いを込めた文字」
「“宗”は?」
「古き記録にある、“天に昇る龍の如し”とされた古代の将――彼が名乗った一文字だ。
龍は、天と地の狭間に生きる。時に天に、時に人に仇なすが、民の望みを背に翔ける者だ」
梵天丸──いや、政宗は、じっと父を見つめた。
「……片目になった、わしが……龍に、なれるのか」
輝宗は、静かに目を閉じる。
「むしろ、片目を失ったからこそ、視える未来がある。
全てが見えていた時には見えぬ、真の道がな」
その言葉は、政宗の心に真っ直ぐに響いた。
「お前の名には、願いが込められている。
傷ついてもなお立ち、民の先に立つ“宗”であれと。……それが、父の想いだ」
政宗は、布団の中で拳を握った。
「……わしは、“政宗”」
静かに、確かに呟いたその声には、もう“泣き虫”だった少年の影はなかった。
その夜、寝所の片隅で、千代と小十郎が控えていた。
小十郎は、少し笑って言った。
「坊……いや、政宗様は、もうお子供じゃありませぬな」
「……はい。けれど、まだ寂しい顔も、いたします」
「それでよい。龍は一人で翔ぶが……風は、誰かが送らねば飛べぬ」
千代が目を丸くする。
「それ、殿にお伝えを?」
「いや、言わぬ。恥ずかしいからな」
ふっと笑った小十郎の顔には、涙の跡があった。
その晩、政宗はそっと寝返りを打ち、ぽつりと呟いた。
「……小十郎、千代。おるか」
「はい、ここに」
「おります」
「……わし、泣かぬ。これからは、わしの背を見て、誰かが泣かぬようにするのじゃ」
千代は黙って、彼の手を取った。
小十郎は、声に出さずに言った。
(もう泣くな──政宗様。あなたはもう、“名を持つ者”だ)




