第六十四話 問い:名は呪か、生か
仮面たちの一団が静かに消え去った後。
残された空間に、わずかな振動が広がった。
畳が微かに軋む。
空気が沈む。
“仮面の主”が──口を開いた。
それは音というより、地の底から這い上がるような声だった。
低く、抑えられ、それでいて異様に明瞭な声。
「名は……差別である」
一言目が空間を切り裂いた。
「名は、区別である。
区別は優劣を生み、上下を決め、価値を定める。
価値は欲を生み、欲は争いを生む。
名があれば、必ず争いが生まれる。
ゆえに──名は、憎しみだ」
政宗は、黙って耳を傾けた。
だが目は逸らさず、声を恐れず、言葉をのみ込まず、
その“思想”の本体を、真正面から受け止めた。
仮面の主は続けた。
「名を持つから、欲する。
名を持つから、失う。
名を持つから──奪われる」
言葉は刃となり、政宗の中に突き刺さる。
それは、過去を暴くような声だった。
失った名。
奪われた絆。
壊れた家族。
名をめぐって殺し合った戦。
仮面の主の声は、静かに結ぶ。
「ゆえに──名を捨てよ。
すべての名を捨てたとき、世界は平らになり、苦しみは終わる。
名なき者にとって、生は穏やかであり、死もまた同じである」
沈黙。
香の匂いが、微かに濃くなった気がした。
心の奥に染みこむ“無”の香。
だが──政宗は、香に負けなかった。
ゆっくりと、はっきりと、声を返す。
「……それが、おまえの結論か」
政宗は立ち上がった。
この静かな地に、彼の声がはっきりと響く。
「名が差別を生む。
名が欲を生む。
名が憎しみを生む……」
政宗は、一歩前へ。
「──だが、それは名の罪ではない。
それをどう使ったか──人の心の罪だ」
「名は、“道”だ。
名を持たなければ、誰とも繋がれない。
名があるから、“おまえ”を呼び、“わたし”を名乗り、心を交わすことができる」
「名があるからこそ、誰かと生きることができる。
名があるから、誰かの死を悼むことができる。
名があるから、“忘れたくない”と願える」
政宗は、右目の眼帯に触れる。
「名が痛みを伴うのは──その名に、誰かの心が宿っているからだ」
「わしは、“政宗”という名で生きてきた。
喜びも、怒りも、恨みも、愛も、すべてをこの名で受け止めてきた。
それを呪と呼ぶならば、わしは──その呪に生かされている」
静寂。
仮面の主の姿は変わらない。
だが、その気配に、わずかな乱れが生じた。
「おまえは、“名を奪われた”のだな」
政宗は低く言う。
「だから、“名そのもの”を憎むようになった」
「だが、それは違う。
名があったから、失ったときに苦しかった。
名があったから、誰かを憎むことも、誰かを愛することもできた」
「名を捨てて、何が残る?
ただの器では、何も愛せない。
何も、守れない」
政宗は、拳を握る。
「──だから、わしは名を捨てない。
たとえ、それが呪であっても。
たとえ、それが血塗られたものでも。
それでも、この名で、生きる」
そして、言った。
「名とは──“誰かと生きるための架け橋”だ」
それは、刀ではなかった。
けれど政宗の声は、どんな刃よりも鋭く、まっすぐだった。
長い、沈黙。
やがて、仮面の主が、わずかに首を傾けた。
その動きには、もはや否定も嘲笑もなかった。
それは──“認識”の仕草。




