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独眼竜記 ―伊達政宗異聞 千年の龍、東北を翔ける―『俺は豊臣の家臣じゃねぇ──逆襲の刻を待つ!』  作者: 《本能寺から始める信長との天下統一》の、常陸之介寛浩
第四章「影は南より来る」

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第五十五話 明眼房、揺らす言葉

月が頂を過ぎる頃、米沢城の奥にある一棟──かつて御台所・義姫の書見の間であった部屋に、

黒衣の僧・**明眼房みょうげんぼう**がひとり、蝋燭を灯していた。


その傍らに、静かに膝をつく影がある。

千代。政宗に仕える女忍にして、黒脛巾の筆頭でもある。


彼女は、その場に座る理由を知らぬまま、

ただ呼ばれるがままに、明眼房の前へと導かれていた。


「……用件を、お聞かせいただけますか」


「名を、問おうと思ってな」


明眼房の声は低く、土の底から響くようだった。


「名……?」


「“千代”というその名──そなたは、誰のために、それを持つのか」


千代は、瞬間、言葉を失った。


問いそのものが、静かに、しかし鋭く、

心の奥底をえぐる刃のように感じられた。


「……千代という名は、与えられたものです。伊達家に仕える影の者として──」


「では、そなたが“誰かに仕えるための器”であるならば。

 その名に、そなた自身の意思はあるのか?」


蝋燭の火が、揺れた。


明眼房の言葉は、どこか“術”のようでさえあった。

聞く者の記憶を、価値を、根幹を──静かに崩していく、僧侶の呪。


「……殿のために、この身を使うこと。

 それが“名”の意味であるなら、わたしはそれで……」


「それは、“他者の影”にすぎぬ。

 そなたの名は、“他人の光”を受けて生まれただけのものか?」


「……っ」


千代の胸が、苦しくなる。


(“わたしの名”は、誰が決めた?

 “わたし”は、誰のために生きている?)


幼いころ、名もなく育った自分を拾い上げ、名を与えてくれた政宗。

その背を守ると誓った日。

「影になりたい」と願った夜。


すべてが“誰かのため”であった。


だが──


「──いいえ」


千代は、唇を噛みしめながら、顔を上げた。


「この名は、殿のためだけのものではありません。

 “わたし自身”が、生きたいと願い、選んだ名です」


「“影”であることを選んだのは、心から。

 “名なき者”だったわたしが、“千代”として在ることに、誇りがあります」


蝋燭の火が、静かに照らす。


その瞳は、揺れていなかった。


明眼房は、沈黙を置いたまま、ただその姿を見つめていた。


しばらくして、彼はふっと目を細める。


「なるほど。

 そなたは、“影”ではなく、“意志”の器であったか」


「意志?」


「名を持つことは、“己を決める”ことではない。

 “己を生きる”と決めることだ。

 そなたの名は、“生きる”ことに立っている。──それが“信”だ」


その時。


襖が静かに開き、政宗が姿を見せた。


「……千代」


「政宗様──」


千代が立ち上がる。


政宗は、彼女の様子を見て、小さく微笑んだ。


「お前の声が聞こえた。“千代”として、生きたいという声が──」


千代は目を伏せ、だが、顔は紅くなっていた。


「少し……揺れました。

 でも、殿の影である前に、“千代”として、生きていたいと……そう、思ったのです」


政宗は、まっすぐに頷いた。


「ならば、それが“名”だ。

 “誰かのもの”ではなく、“お前が生きるための言葉”──」


「……はい」


明眼房が立ち上がる。


「“心ある者の名”は、剣を越える力を持つ。

 政宗殿の周囲には、それを支える者たちが、確かに育っているようだ」


政宗は、明眼房に向き直る。


「わしの“剣”は、もはや刃ではなく、“言葉”かもしれませぬな」


「そのときこそ、都が最も恐れるものだろう。

 刃は止められても、“名と心”は封じられぬ」


僧は静かにその場を去った。


夜風が、障子を震わせる。


政宗は、千代の肩にそっと手を置いた。


「ありがとう。“千代”」


「……はい」


その名を、ふたりの間で確かに響かせる。


それはもう、“与えられた名前”ではなかった。


千代自身が選び、生きると決めた名。


“誰かの影”であることを超え、“ひとつの魂”として刻まれた存在の証。

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