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独眼竜記 ―伊達政宗異聞 千年の龍、東北を翔ける―『俺は豊臣の家臣じゃねぇ──逆襲の刻を待つ!』  作者: 《本能寺から始める信長との天下統一》の、常陸之介寛浩
第1章:「龍の目が開く前」
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第二話 母の不在、父の影

「母上はいずこじゃ」


その言葉は、誰に向けられたものでもなかった。

朝の光が差し込む米沢城の廊下に、梵天丸──幼き日の伊達政宗の声が、ぽつりと落ちる。


長い髪を結わえ、今朝も丁寧に結び直された麻の小袖を身にまとっている。

だが、寝間から出てきたその姿には、どこか影があった。


「母上様は、また山形でございましょう」


背後から声をかけたのは、乳母・喜多である。


「最上様の御家騒動が続いておりましてな。義姫様には、やむを得ぬ御用にてございます」


「最上……叔父上の家じゃな」


「そうです。最上義守様と義光様の確執。まこと、骨肉の争いとは……」


「……母上は、そちらが大事なのかの」


「それは、違いますよ、梵天様」


ぴたりと横に立ったのは、あのくノ一見習いの少女──千代である。


「お館様も、奥方様も、お前様のことが一番大切に決まっております」


その声に、梵天丸はふっと視線を落とす。


「……わしは、母上の膝で眠るのが好きじゃった。柔らかくて、あたたかくて」


「ならば戻ってきたとき、いっぱい甘えるのです。そしたら、また抱いてくださいます」


「……うむ。そうする」


ぽつんと返されたその言葉には、まだ六歳の子の不安と、無理に強がる決意が滲んでいた。


千代はそれを見て、胸が苦しくなった。


(あの方は、ひとりにされることがいちばん……きらいなのに)


午後、城の奥庭。

伊達輝宗は、庭の隅で筆を走らせていた。

家中の者が彼を「静謐の君主」と呼ぶのも頷けるような、穏やかで、厳格な横顔だった。


梵天丸は、少し離れた石の陰から、その姿をじっと見ていた。


「……父上」


小さく、口にする。


威圧はない。声を荒げることも、怒ることも滅多にない父だ。

それでも、父の背はいつも遠い。自分より高く、広く、大きく、そして……孤独だった。


「父上は、さみしくないのか……母上もおらぬのに」


(……わしなら、きっと泣く)


心の中でそう呟く。

でも、父の背は揺るがない。筆は止まらず、姿勢は崩れない。


──そこに、千代の影が滑り込んだ。


「殿様、お疲れでございましょう。少し休みを──」


「いや、よい。……千代か。お主も、梵天丸のことを見ておってくれ」


「もちろんにございます」


「この子は、己の背で生きることになる。いつか、誰より孤独になる。だからこそ、見えぬものを見る“目”が必要だ」


「……黒脛巾が、務めさせていただきます」


「うむ。だが……それでも、影は、影に過ぎぬ」


輝宗の言葉に、千代は初めてわずかな悔しさを滲ませた。

だが、口には出さない。それが“忍”というものだから。


輝宗は視線を落とさず、ぽつりとつぶやいた。


「……あの子は、いずれ“母”を憎むことになるやもしれぬ」


千代の眉がわずかに動く。


「……それは、義姫様が“最上”の血だから、でございますか?」


「違う。そうではない。あの子が“強くなりすぎる”がゆえにだ」


その夜。


梵天丸はひとり、自室の縁側に座っていた。

星がにじむ空を見上げながら、小さな手で、自らの右目を押さえてみる。


「もし、この目が、見えなくなったら……」


言葉の続きを、彼自身も知らなかった。


そっと、誰かが寄り添う。


「千代……」


「はい」


「わし……強うなれるかの。父上のように、背をまっすぐにできるかの」


「できます。梵天様なら、必ず」


その言葉を信じたのかどうかは分からない。


ただ、梵天丸はその夜、母のぬくもりではなく、千代の言葉にすがるように、

眠りへと落ちていった。

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