第二十四話 恐怖と誓い
戦の騒音が、少しずつ遠のいていく。
それは、戦の“最初の波”が引きつつある合図でもあった。
政宗の軍は、先鋒の突撃によって畠山勢の前衛を崩し、やや押し込んだ。
だが、それはまだ“勝利”などと呼べる段階ではない。
むしろ──戦場には、ただ血と呻き声が残っていた。
「うおおおおっ!」
「やったぞ、敵兵を討ち取ったあ!」
「頭じゃ! 首を取れ!」
その声に、政宗の心は凍りついた。
自軍の兵たちが、敵兵を囲み、槍で突き伏せ、剣で首を切ろうとしていた。
たった今まで“人”だったものが、ただの“勲功”へと変えられていく。
政宗の目が、その光景を真正面から捉えてしまう。
「……これが、勝つということ……なのか」
声は震えていた。
手綱を持つ指が白くなるほど、力が入っていた。
血の臭い。
人の叫び。
笑う兵。
無言で崩れ落ちる敵。
──これが、「生かす戦」と言えるのか?
──これは、「導く剣」で届くものなのか?
「政宗様」
すぐ傍に、小十郎の声が届く。
「……目を逸らしてはなりませぬ」
「だが……これは、あまりにも……」
政宗の言葉が途切れる。
「……わしが“命を守る戦”をするなどと、言ったのは──
“絵空事”だったのか……?」
小十郎は沈黙していた。
その表情には、肯定も否定もなかった。
ただ、その目は政宗を試すように、じっと彼の内面を見つめていた。
成実が駆け寄ってくる。
「政宗様! 敵の後衛が森に後退中。追撃のご決断を!」
政宗は口を開けなかった。
手綱を握りながら、震えていた。
この手を伸ばせば、“また命を奪う”決断になる。
進めば勝ちを掴む。
だが、その勝ちは、確実に誰かの“死”の上に築かれる。
──生かす戦、などと。
──それはただ、甘い夢だったのでは──?
その時。
かすかに、幼き日、虎哉宗乙の声が脳裏を過った。
『泣ける者は、導ける。殺しを恐れる者こそ、命を守れる将となる。
恐怖を知れ。恐怖を抱け。そのうえで前に進め──それが、龍だ』
政宗は目を閉じた。
そして、小さく、呟いた。
「……怖い。怖いのだ、小十郎」
「……政宗様」
「だが……わしは、“恐れを抱いたまま進む”と、誓った。
だからこそ、“この恐怖ごと”──剣に込めて進む」
政宗の隻眼が開かれる。
その奥には、まだ揺らぎがある。
だが、その奥底に──確かに“消えぬ火”があった。
「成実。追撃はする。ただし、生け捕りを優先し、民に手出しするな。
……剣は、奪うためではなく、導くために抜くと、示せ」
「──御意!」
その命令が飛んだ瞬間、政宗はようやく“立ち尽くす足”を一歩前に動かした。
恐怖を振り払うのではなく、
その恐怖を己の一部として、剣の鞘に収める。
彼の歩みは、まだ少年のそれだった。
だが、血と涙と決意を飲み込んだその背は、確かに──“龍”だった。
(第二十四話 了)




