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独眼竜記 ―伊達政宗異聞 千年の龍、東北を翔ける―『俺は豊臣の家臣じゃねぇ──逆襲の刻を待つ!』  作者: 《本能寺から始める信長との天下統一》の、常陸之介寛浩
第四章「影は南より来る」

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第百八十二話『血の兄弟、夜明けに散る』

夜が明け始めていた。


 米沢の空は、冬の名残を色濃く映しながらも、確かにその向こうに新たな光を孕んでいた。だが、政宗の前に広がる雪景色は、白の上に紅を抱いたまま、動かずにいた。


 小次郎の体は、政宗の膝の中で静かに横たわっていた。


 雪に濡れ、血に染まり、冷えたはずの弟の頬は、どこか穏やかで──それが、かえって胸を締めつける。


「兄上、ありがとう」


 それが最後の言葉だった。


 涙ではなく、微笑みだった。


 政宗の胸に、小次郎は笑って倒れたのだ。斬られることを受け入れ、剣を握ったことに意味を与え、そしてなお──兄として、政宗にその手を託した。


 雪が、そっと降り積もる。


 白い花弁のような結晶が、小次郎のまつげに、政宗の肩に、音もなく重なる。


 政宗は、ただ無言でその体を抱いていた。


 生まれたときから一緒だった。共に遊び、共に眠り、母の膝で共に泣いた。


 あの日、手を取って山を駆けた幼き弟が、もういない。


 その心を奪ったのは、母だったのか。政宗の背中だったのか。あるいは、戦国という時代そのものだったのか。


「……小次郎」


 呼ぶ声は、風に紛れて消えていった。


 やがて、千代と黒脛巾組の者たちが駆け寄る。


「殿、ここは……」


 千代が言葉を選びながら問うた。だが政宗は答えなかった。小次郎の手を、まだ離せずにいた。


「……葬ってやってくれ。丁重にな。……伊達の嫡子の弟として」


 低く、それでも一語一語を刻むように政宗は言い残し、その場を離れた。


 雪の中を歩くその背は、誰にも追いつけないほど遠かった。


 そのころ。


 義姫は屋敷にいた。深く紅を引いた唇は、蒼白に震えていた。


 城の方角から吹く風が、何かを告げるように肌を刺す。


 それでも義姫は、声を出さなかった。


 ただ、その膝の上に置かれた懐紙を見つめていた。


 そこには、小次郎の文字でこう綴られていた。


 ──「母上、俺は兄上に斬られる。兄上を貶めぬため、俺は刃を取る。でも……兄上を恨まぬでくれ」


 紙の端には、幼き日、小次郎が初めて覚えた文字で書いた「ままへ」の筆跡が残っていた。


 義姫の肩が、震えた。


 涙が、頬を伝う。


「……小次郎……」


 そう呟いた時、ふと松が部屋に入ってきた。


「お母上……ご気分が優れませんか?」


 義姫はその幼い少女の顔を見て、微笑もうとした。


 だが、頬の涙を拭うことはできなかった。


 松は、静かに傍に寄る。


「兄上は、無事でございますよね?」


「ええ……政宗は、無事よ」


 そう答えながら、義姫は松の手を取り、その手の温かさに、崩れるように膝をついた。


「ねえ……松……母として……これは、正しかったのかしら……?」


 誰にともなく、義姫は問う。


 松は答えられなかった。


 ただ、抱きしめられたその手に、小さな手でぎゅっと力を込めただけだった。


 その日の夜。


 政宗は、ひとりで書院にこもっていた。


 灯りも焚かず、墨の香りもないその空間に、ただ政宗の気配だけが沈殿していた。


 大内定綱が静かに入ると、政宗は筆を手にしていた。


「定綱。……我が家は、弟を斬らねば守れぬ家か」


 その問いに、定綱はすぐには答えなかった。


 だが、やがて、静かに言った。


「殿は、“守る”とは、“斬らぬこと”だとお思いかもしれませぬ。しかし……時に、それは“斬らねばならぬ者を選ぶ”ことでもありましょう」


 政宗の筆が止まる。


「弟君は、殿の剣で斬られることを選ばれた。それを御心に刻み、未来を開くことが、供養にございます」


「……開く、か」


 政宗は遠くを見るような目をした。


 弟を殺した政宗は、もう戻らぬ。


 だが、政宗を殺して生き延びた伊達も、また戻らぬ。


 血は、兄弟を分かち、未来を照らす灯火となった。


 そして夜明けが来る。


 血と涙の上に立つ、冷たくも鮮烈な朝が。


(続く)



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