第百三十話 種は撒かれた。芽吹きは何処に
米沢の朝は、薄く霞んでいた。
だが、その霞の奥には、**新たな“名の芽”**が確かに育ち始めていた。
◇
政宗は、政庁の一室にて筆を執っていた。
机上には三つのものが置かれていた。
──香炉。
──呼名帳。
──そして、名旗。
これは、政宗が命じて作らせた三つの制度の核だった。
■【名の香】──記憶を留めるための香袋
→ 家族や仲間の記憶に基づいて調香された香袋を各家に配布。
→ 名を呼ぶとき、香を焚くことで“記憶と声”を結びつける。
■【呼名帳】──村ごとの“声の帳簿”
→ 村人同士が「誰に、どんな呼び名で呼ばれているか」を記録。
→ 文字を持たぬ者のため、音での再現を“語り部”が担う。
■【名旗】──風と共に翻る名の象徴
→ 家の軒先に掲げる“名を記した布旗”。
→ 毎朝、子が親の名を読み上げ、日々の誇りとする。
◇
「名は渡すもの。そして育つもの」
「声が、香が、風が――その人の“生”を名に重ねてくれる」
◇
小十郎が深く頷く。
「殿、これは……“名が生きる場所”を作る制度ですな」
「仮面どもが“名を上から押しつける”のに対し、
我らは“名が土から芽吹く”ように、名を耕す」
◇
政宗は、遠くを見つめながら言った。
「わしは、“名を創る神”にはならぬ。
ただ、“名を育てる土”になりたい」
◇
その制度は、まず小さな村から始まった。
香を焚いて、子どもが親の名を読み上げ、旗が風に舞う。
最初は照れたように笑っていた村人たちも、
やがて、名を呼び合うことを誇りとし、
「名を守る香」を肌身離さず持つようになった。
◇
成実が、少し驚いたように言う。
「……これが、“名を刻む国”の形……」
「名は記録ではない。風のように、香のように、
“生きて届くもの”として、ここに根づき始めた」
◇
政宗は、最後の仕上げとして、こう語った。
「名は旗。名は香。名は声。
それらを受け継いでいける限り、名は決して喰われぬ」
「仮面が何を創ろうと、わしらは“呼び続ける”」
「名を、名を持つ者たちを、そしてその生き様を――」
◇
その夜。
一方、とある廃都の奥――
炎も水も届かぬ“影の宮”にて。
鉄の仮面を被った仮面の主が、
“創名の院”にて、弟子らに静かに告げていた。
「種は撒かれた。だが、芽吹く土が足りぬ」
「ゆえに次は、土ごと創り変える」
「“国の名”を作り変えることで、
名の支配は民の意識ではなく、歴史そのものに宿る」
「政宗よ……次に揺らぐのは、“お前の領地”ではない」
「次は、“お前の国号”そのものを──我が名で、塗り替えてやる」
◇
夜の風が、“仮面の鼓動”を吹き上げた。
それは、新たなる“名の戦争”の、序章の音であった。




