第十一話 虎、城に現る
春の気配が満ちるある朝。
米沢城の表門に、一人の僧が現れた。
黒衣に包まれたその体はやや痩せ、背は高くもない。
だが、足取りは確かで、ゆるぎない“芯”のようなものを周囲に放っていた。
「――虎哉宗乙殿、ただいま到着!」
門番の声に、城内がざわつく。
伊達輝宗の密命を受け、遠く鎌倉より呼ばれた“仏の剣”。
大名の心を導くことにかけては、この老僧の右に出る者はいないという。
その姿を見て、喜多は思わず声を漏らした。
「……まるで、静かに吠える虎のよう」
「お待ちしておりました。お疲れのところ恐縮にございます」
応接の間。輝宗は、深く礼をとっていた。
「政宗の心を……導いていただきたい。武ではなく、心を持って、世を照らす男に」
「我が身が及ぶ範かどうか……されど、試してみましょう」
虎哉宗乙は穏やかに答えたが、その声には鋭さがあった。
「……その子は、もう“眼”を持たぬとか?」
「はい。右目を、疱瘡で」
虎哉は黙って頷いた。
「よろしい。では、今すぐ、その子に会わせていただきましょうか」
庭に出た政宗は、老僧の登場に目を細めていた。
「……お主が、わしの“導き手”か?」
「そのように命じられて参りました。拙僧、虎哉宗乙」
政宗は正面から立ち尽くす老僧を、じっと左目で見据えた。
だが――その瞬間。
「……目ではなく、心で見なさい」
虎哉の声が、空を裂いた。
「なに……?」
「その目で、何が見えますか?」
「お主の姿、黒衣、杖、背丈、皺……」
「それは“形”に過ぎぬ。心は? 怒っているか? 笑っているか? 悲しんでいるか? 龍として何を見極めたいのですか」
政宗は、言葉を失った。
「この世に、目で見えぬものの方が多い。信も、義も、策も、怒りも、愛も、すべて“目”ではなく“心”で視る」
「……わしは、眼を失った。けれど、気で斬ると、父上に言った」
「ならば、気で斬る前に、心で問え」
虎哉は政宗の前に進み出て、その額にそっと人差し指を当てた。
「ここが、お前の“真の目”だ。隻眼の龍ではなく、千眼の龍となりなさい」
その言葉に、政宗はようやく頷いた。
「……千の心を、見通す目」
その様子を物陰から見ていた小十郎は、千代にささやいた。
「……あの和尚、ただ者ではありませんな」
「はい。でも……政宗様にとっては、必要な“風”かもしれません」
こうして、龍は“心”を学ぶ旅へと踏み出した。
一つの目を閉じて、もう一つの目を開くために。




