2-33 VS アギト戦④
ぽすん
あまりに軽い衝撃。けれど、温かい。
振り返ると、そこには居た。
右肩から流れ出る血を庇おうともせず、必死に俺に抱きついている赤髪の女が。
その女は、燃えるような強い意志が籠った紅い瞳で俺を見据える。
「ダメ、ダメよ拓斗君。それ以上はダメ。」
この女は何を言っているのだろう。
ダメとはなんだ。敵は殺す。全て全て全て全て全て全て。
女の力は弱い。振りほどくのなど容易だろう。
「ぐるるるるぁああぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
俺は叫びをあげ、女を振りほどこうと体を捻る。だが、女は離さない。
右肩の痛みを必死に堪え、それでも俺にしがみ付き、その深い瞳で俺を見つめてくる。力を込めたからか右肩からは鮮血が流れ出している。
『ズキンッ、ズキンッ、ズキンッ』
なんだ、なんだこの女は。この女も俺の敵か?
ならば殺そう。
俺は余った左手を振り上げ、そして雄叫びと共に振り下ろそうとする。
だが、それでも女は俺から目を離さない。そして、真摯な声で、まるで優しく諭すように、
「ダメよ拓斗君、戻ってきなさい。」
そう告げる。
『ズキンッ、ズキンッ、ズキンッ、ズキンッ、ズキンッ』
俺の手が止まる。体の奥深くで、この手を下ろしてはいけない、下ろさせないと言う強い声が聞こえる。
女の右肩から流れる血が量を増す。
うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、
思わず右手も男から放し、そのまま乱暴に腕を振って男も女も吹き飛ばす。
「っつあ。」
吹き飛ばされた女の口から苦悶の声が漏れる。
そのまま俺は両手で頭を抱える。俺を中心に赤黒い魔力が吹き上がり、渦を巻き、俺を外界から隔離する。
うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい
触れるな、触れるな、触れるな、触れるな、触れるな、
俺は全てを拒絶するように魔力の密度を濃くしていく。
その様はまるで嵐の様。その魔力の風に触れる全てを切り裂いていく。
けれども、朱色の髪の女は立ち上がると、その紅い瞳に絶対の意思を持って、一歩一歩俺に向かって踏み出して来る。
来るな、来るな、来るな、来るな、来るな、来るな、来るな、
そのまま魔力の嵐に手を伸ばす。一瞬で指先に裂傷が走り、血が滴る。
女は一瞬、痛みに顔を歪ませ、手を引く。
そうだ、それでいい。そのまま、そのままどこかへ消えてくれ。
懇願のような思いが胸の中で沸き上がる。
けれど女は、一度目を瞑り、何かを決意したかの様に瞳を開くと、そのまま嵐の中に足を踏み出し、一歩一歩、けれど確実に俺の方に突き進んでくる。
「ぐるるるるぁああぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
声を上げ、拒絶を示す。
魔力の密度が濃くなり、女の服が裂け、裂傷がいくつも刻まれる。
女は顔を両腕で覆ったまま歩く、歩く、歩く。
決して譲らないという意思を込めて一歩を踏み出して来る。
女から流れ出した血が魔力の風に巻き上げられる。
どれほどの時間そうしていただろうか。
体感ではとても長く、だが実際には数十秒の出来事。
女が俺の前に辿り着く。その全身は血まみれで、流れ出る血が痛々しい。
嵐の中心地、俺達の周りは凪いでいる。
二人だけの空間、二人だけの世界。
俺は何も出来ない、ただ膝を着き頭を抱え唸ることしか出来ない。
そこで女が言葉を発する。とても優しい笑顔で、とても綺麗な瞳で
「大丈夫、大丈夫だよ、拓斗君。」
そう言って、膝を着いた俺の頭を自らの胸元にそっと抱き寄せる。
俺の全てを包み込む様に、俺の憎悪でさえ受け入れる様に。
知らず、俺の瞳から一筋の涙が流れる。
バリンッ
俺の中心で音がした。何かに罅が入るような音。
急速に憎悪と憤怒が静まっていく。
そして、それと共に胸の奥一番深い所で漆黒の鎖が現れ、ジャラジャラと音を立てながら赤い獣を縛りあげる。
獣は抵抗も少なく、漆黒の鎖に身動きを封じられる。
同時に、俺の姿も徐々に元に戻っていく。
全身を覆っていた赤黒い魔力は徐々に勢いを失い、燃える様に熱かった両腕の手甲も急速に熱を失い鈍色に変わっていく。そして、パリンと音がして砕けると、空気に溶けるように消えていった。
周囲を渦巻いていた魔力の嵐も掻き消える。
理性が戻って来る。自分がしたことが実感と感触を伴って襲ってくる。
怖かった。そして戻って来られたことに安堵した。
体が震える。恐怖と安心によって、体が言うことを聞かない。
朱莉さんに抱かれたまま、黒目黒髪に戻った俺は自分の両手を見つめる。
「戻って・・・来れた・・・。」
全身が重い、倦怠感で体を満足に動かせない。
けれど、朱莉さんの体温と重さが心地いい。その感触に安心する。身を任せたくなる。
朱莉さんは俺が元に戻ったことに気付いたのか、ゆっくりと身を離す。
離れていく体温が少し名残惜しい。
そして、そのルビーの様に深く燃えるような綺麗な瞳で俺を見つめ、
とても優しい笑顔を浮かべ、
「おかえりなさい、拓斗君。」
そう言ってくれるのだった。
まずはこの話を読んでいただいた読者の方にお礼申し上げます。気になる方は続きを読んで頂ければ幸いです。




