8. 生誕祭
雪が積もり始める頃、世間は生誕祭のシーズンに入る。
昔の英雄の生誕を祝う習慣で、年を越す少し前に、家族で食卓を囲み、一年が無事終わることを感謝する。
肉を焼いてケーキを食べる、一年で一番賑やかな時期だ。
王城でもこの時期は連日パーティーが開かれる。
王太子は当時十三だった。
夜のパーティーにも参加するようになったが、大人に混じっても子供に混じってもあまり楽しくはない。
仲のいいノアがこの日は風邪をひいて欠席しているから特に、味気ないパーティーになっていた。
婚約者の座を狙う貴族が、着飾った娘と共に挨拶にひっきりなしにやってくる。
そういう話は両親にしてほしいと心底思うが、面と向かっては笑顔で応対するしかなかった。
年下の弟達はまだ夜のパーティーには参加しないため、余計に孤独に感じる年だった。
だったら他の子供達と話せばいいと思うのだが、あまり話の合う子供はパーティーの中にはいない。
レオンはパーティーの喧騒から逃れて、屋上までやってきた。
この寒い日に屋上に登る物好きなどいない。
遠くにちらほらと見張り兵の明かりが見えるだけで、暗くて静かな場所だった。少し時間を潰そうと思う。
ふと、扉が開いてトコトコと軽い足音が聞こえる。
レオンは黙って見ていた。
小さな影だった。
パーティー会場からレオンを追いかけてきたのかと思ったら、もっと幼くて小さい。メイド服を着ていた。
子どものメイドなら、確か、名前はミラと言った。
珍しく城から葬儀を上げるとかで、去年耳にした。メイドの子供が城に残って働いていると。
見かけるのは初めてだが、年はレオンの四つ下、確かまだ九つだ。すぐ下の弟と同い年のはずだが、それにしては頼りないほど小柄だ。
特に隠れているわけではないが、ミラはレオンには気づかないようだった。きょろきょろと辺りを見渡しているが、レオンが燭台も持っていないせいか、こちらには気づかない。
ミラは城壁の上に燭台を置き、数歩下がった。
手で四角の枠を作り、燭台と庭園を眺めている。
「へへ。できた」
ミラは満足そうに言って、両手を合わせた。しばらく目を閉じてお祈りをしているようだった。
願い事を言ってケーキの蝋燭を消すのは、生誕祭の定番である。
ケーキは見当たらないが、燭台を代わりにしたのだろうか。
吐く息が白く、鼻は赤くなっている。
支給されたメイド服に、誰かのお下がりだろう擦り切れたコートを着ている。
「お母さんに、会えますように!」
明るい、凛とした声でそう言っていた。
「——何をしてるの」
思わず声をかけた。
去年死んだ母親に、それも明るい声で会いたいと言うのに妙な違和感を持って。
ミラはその声に弾かれたように振り返った。レオンを見るとすぐに翡翠色の目を見開き、次の瞬間にはその場に頭を下げた。
「第一王子殿下。——申し訳ありません!すぐに出て行きます」
「いいよ、僕も長居しないから」
ミラは迷っているようだった。
レオンの顔は知っているが、こんなに近くにいるのは初めてだ。王族と会った時にどうしたらいいのか、頭を下げる以外ミラは知らなかった。
「何してたの?お願い事?」
レオンが気にせず尋ねると、ミラは少し迷ってから、ちら、と燭台を見た。
少しだけ迷っていたがすぐに年相応の幼い表情に戻った。
「実は、こうして見ると、ケーキになるんです!」
ミラが先ほどの、手で四角を作る動作をした。
ミラの背後に回ると、なるほど、手で作った枠の中に庭園の円形花壇が入り、その上に燭台の蝋燭が灯る。ケーキに見えなくもない。
この時期は城の使用人も交代で家へ帰ってお祝いをする。里帰りする者も多く、寮はガラリと人が減る。
通いの者や、交代で残った者達で王城のパーティー準備に追われる。手当てはつくが、やはり生誕祭は家族と過ごすというのが一般的だ。使用人らの意識も帰った家に向いている。
ミラは去年までは母親と生誕祭を寮で祝っていたのだろう。
今年は一人ぼっちであることを気遣ってやれないほど、おそらく城の使用人らは一年で一番忙しくしている。だからこうしてここで一人でいるのだろう。
「生誕祭のお願い事をしていたの?」
「はい。願い事を言って蝋燭を消すと——」
ミラはハッとして、両手を振った。
「あの!お母さんに会いたいって言ったのは、今すぐってわけじゃなくてですね。その、ご迷惑はおかけしませんので、えっと……」
ミラは突然慌てだした。
天国にいるであろう母親に会いたいという事がどういうことか、不穏な想像をめぐらしたのだろう。
しかし否定するミラの言葉は本当のようだった。
「慌てなくてもいいよ」
ミラがあまりに必死だったから、レオンはそれを制するように声をかけた。
「願い事を聞いてしまったのは僕が悪かったよ。ちゃんと秘密にしておくから、心配しないで」
「はい……ありがとうございます」
「お母さんにって言うのは、いつか、天国でって事?」
ミラは少し考えてから言った。
「お母さん、いつも言ってたんです。本当に良くしてもらった、って。感謝してもしきれない。きっちり恩返しがしたいって。——だから、お母さんの分も、私がしっかり働いて、お役に立ってご恩返しをして。そしたら……」
ミラが黙ったから、泣いているのかと思った。
しかし蝋燭の灯に照らされたミラの顔に涙はなかった。
そしたら、お母さんに会える気がして。——そう言いたいのだろうか。けれどさすがに九歳だし、それが非現実的な望みである事は理解している。
理解していたって、感情の部分で会いたいと思い、そのためにできるだけのことをしたいと思うのは当たり前の事じゃないだろうか。
「会えるといいね」
レオンのそう言った台詞に、ミラは丸い目を更に丸く見開いた。
死んだ人に会えるといいねだなんて、言われるとは思わなかったのだろう。
でもこれほど切実に会いたいと思っているのだから。レオンはなんとなく、ミラのその願いを否定したくなかった。
「——でも、もう寒いから戻ったほうがいいよ。風邪をひいてしまう」
「あ、はい。——失礼します!」
ミラは燭台を持って、ぺこりと頭を下げた。
ちらりと見えたミラの手は九歳とは思えない程、すっかり荒れていた。
来た時と同じように、とことこと軽快な足音を鳴らしながら屋上から出て行くミラを見送った。
レオンは胸がつかえるような感覚に戸惑っていた。
パーティー会場に戻ってから、レオンは父親である国王の座る椅子の側まで来た。
今日は母親は参加していない。つい先月、四人目の王子を生んだばかりである。
「——レオン、どこに行っていた」
「風に当たりに」
「酒を飲んだわけでもなかろうに」
やれやれ、と言った様子で父は会場を見渡していた。
「大方挨拶は終わったから、帰りたいなら帰ってもいいぞ。退屈なんだろう」
「僕、いいの?」
「子供は寝る時間だからな」
父がからかうように言って来る。子供扱いするなと言おうとして、そう言えば、とレオンは父親に一歩近づいた。
「父上、ミラってわかりますか」
「ああ。メイドの忘れ形見の?」
意外にも父はすぐに答えた。
侍従長と総メイド長の嘆願に、城で暮らす許可を出したのは数ヶ月前だ。気にしていたのだろうか。
「さっき屋上に行ったら見かけて」
「屋上……?ミラ一人でか」
「生誕祭に一人で、どう過ごすんでしょうか」
レオンはこのパーティーの前に、家族の団欒を済ませている。
父と母と、弟たちと一緒に楽しく過ごし、ごちそうとケーキを囲んだ。プレゼントももらって。
ミラも去年までは母親とそのように過ごしただろう。慎ましくも温かい家族の時間を。
「総メイド長が気にかけていると思っていたが」
「総メイド長は朝からずっとイグルスに付きっきりでしたが」
三男のイグルスはもうすぐ四歳になるのに、かなり手がかかる。最近弟が生まれて母親が自分を見てくれないから拗ねているんだとレオンは思っている。
熟練の乳母でもお手上げで、総メイド長の言う事はある程度聞くので、最近ではよく呼び出されていた。
「そう言えば、そうだな。では侍従長に」
「あそこにいますけど、忙しそうですが」
侍従長はあちこちに指示を出している。今日はあちこちで見かけて、常に忙しそうにしていた。
「……………………」
父が考え込むように眉間にしわを寄せた。
低く唸るような声まで聞こえる。
「ではあの子は、今年はたった一人で寮で過ごしているという事か……?同室のメイドは里帰りしているだろうに」
「ご存じなんですか」
「ランセルフと同じ年だから気になって、時々様子を聞いていただけだが」
やっぱり、とレオンは思った。
この父は、子供に絵本を読みながら、絵本に感動して涙を流すような人である。だからミラの事も気にせずにはいられなかったのだろう。
「こうしちゃおれん。——おい、侍従長を呼んでくれ」
父がそわそわと動き出すのを見て、レオンはパーティーから帰ることにした。
とりあえず父に言っておけば大丈夫だろう。
レオンのその読み通り、この年から居残りの使用人らには手当ての他に豪華な料理とケーキが振舞われるようになった。
事情があって帰省できない一部の使用人らも大いに喜び、城全体で生誕祭を祝えるようになったのもこの年からだった。
メリークリスマス!^^
サンタさんが来る人もサンタさんになる人もサンタに縁のない人も、皆楽しいクリスマスになりますように。
少しでもお楽しみいただけましたら、この下の
⭐︎・いいね・感想もお待ちしております。