7. 夏期休業
王立学園は三つの学期に分かれ、第一学期は夏で終わる。
とりあえず基本的な講義といくつかの生活魔法を習得したメイド科の生徒達は、第一学期の試験もきちんと全員合格し、夏休みに入った。
教師控室で成績を登録し終わると、第一学期としての仕事はとりあえず終了だ。
ミラもしばらく休暇を取る。
ほかの科の教師たちも続々と成績を登録し、帰り支度を始めていた。
ジルビルを見掛けてミラは声をかけた。
「ジルビルさん、お疲れさまです」
「ああ、ミラさん。お疲れ様でした。やっと休みですね」
ジルビルは大きなカバンを持っていた。
「お帰りですか?」
「ええ、夏休みはね、いつも魔術塔で研究に没頭するんです。ふふふ」
ものすごく楽しそうだ。
「へえ……食事はちゃんととってくださいね」
ジルビルは貧血持ちで、いつも青白い顔をしている。単純に栄養が足りていないのだと思う。
「ミラさんも、いつでも歓迎しますよ。魔術塔で研究しましょうよ」
「いえいえ。とんでもない。私魔力ないので」
「いや、精巧魔術という分野をですね、作ろうと思ってるんですよ。ミラさんが編み出した、あのなんでしたっけ、先週話してた……」
「先週……あ、乾燥風?」
火魔法と風魔法を程良い配分で出し続け、髪を乾かしたり洗濯物を早く乾かす生活魔法だ。
「それ!ただ二属性を同時に出すんじゃなくて、それをこう、融合させるところに、イクスプトラニクス理論とガーリンクス理論の応用で……」
あ、始まってしまった。
ミラは直感的に生活魔法を編み出しているので、難しい話が分からない。ジルビルはミラの生活魔法を定期的に見に来ては、それを難しい説明をして興奮して去って行く——。
ミラは学問として学んでいないから、理論とか言われても全くわからない。
「ええと、ジルビルさん、帰らなくて大丈夫ですか」
話の切れ目で声をかけると、ジルビルはようやくはっとした。
「——そう、だから、これからは技巧魔術の時代ですからね!ミラさん!これはすごいことですよ」
「ははは……すごいのはそれを全部説明できるジルビルさんですよ」
生活魔法も、一度見たらあっという間に修得してそれを論文にしているらしい。頭のいい人はすごいといつも感心する。
「そう、だからこれをね、ちょっと魔術塔で広めてきますから!ではまた、第二学期に」
「あ、はい、さようなら……」
ジルビルさんは猫背で鞄を背負って、小走りに去って行った。
打ち込めることがあって、更にはそれを発展させて広めるのに、頭のいい人はあっという間にできてしまうんだ。やっぱりすごい。
ミラは羨ましいと思うのだった。
王立学園から帰宅して、すぐ。
ミラは高熱で倒れた。
第一学期を気を張って駆け抜けて、自宅に戻った途端気が抜けたのだろうか。
帰り道でぞくぞくと感じていた寒気は更にひどくなり、視界は回って立っていられなくなった。
そのままベッドで丸くなって、倒れるように眠るしかなかった。
もともと体は強い方だと自負しているのだが……。
今までも、こうしてひどく体調を崩して寝込むことはあった。実は年に何度かある。
頑張りすぎだ、とメイド仲間からはよく苦い顔をされた。
自分では無理をしたつもりもないし、体調管理ができないなんて、と情けなくなる。病気になると弱気になるから余計だった。
ミラは借家の一室を借りている。ミニキッチンが付いているだけの一部屋だが、一階で食堂を経営しているおかみさんが元王城メイドだ。
家を探しているミラに、おかみさんの方から声をかけてくれた。しかも家賃もかなり安くしてもらっている。
本当に、つくづく自分は人に恵まれているのだと思う。
恩返しをしたいのに、どんどんしてもらってばかりが溜まっていく。
あまりの高熱で意識は朦朧としていた。
「み、みず……」
あまりの喉の渇きに夢うつつに呟いて、その自分の声にうっすらと目が覚める。
水魔法で水を作り出す元気がないと、一階まで汲みに行かないと水はない。
こういう時、一人暮らしは大変だ。
ひどい寒気と汗をかくのとの繰り返しで、シーツまでしめっている気がする。
「ほら、水だよ」
ミラは突然の声に熱くて重い瞼を開けた。
目に映ったのは、眩しい金の髪、深い青の瞳。
「天使……?」
ミラが呟くと、そのきらきらした青年はぶはっと吹き出した。
「ほら、水が飲みたいんだろ?起きられるか」
「はぁ」
頭が働かなくてぼうっとするミラの背を、グッと起こしてくれた。
「夢でしょうか。……殿下に見えます」
その人をじっと見つめて、ミラは真っ赤な顔で話した。
王太子殿下、レオン。
ミラの四つ上で、いつもにこにこと笑みを絶やさないが、何を考えているのかよくわからない人。
「まあ、とりあえず飲みなよ」
夢かな。夢に違いない。こんな街中の借家に王太子が出現するわけがない。
ミラはごくごくと水を飲んだ。
水が飲みたすぎて、きっと夢を見ているんだ。それにしては、美味しくて甘い水だが。
飲み終わると空のグラスをひょい、と取られ、ミラは再び寝かされた。
目を開けていられないからそのまま目を閉じる。
息も荒く、全身が鉛のように重い。
「内緒で来て驚かせようと思ったのに。私の方が驚く事になってしまったね」
レオンは軽く凍らせた濡れタオルをミラの額に乗せた。
目と額の全部を覆う心地よい冷たさに、ミラは少し楽になったような気がした。
幻にしては、気が利きすぎるような。
「ミラ、また無理をしたんだね」
「して……ませんよ」
「——今の生活は楽しい?」
「はい」
「王城には、もう戻らないの?」
レオンの優しくて低い声が響く。
心地よくて、夢心地に聞きながら頷く。
「それは、寂しいな。ミラは王城の仕事が好きなんだと思ってたけど」
好きだけど。でも、自分の側にいる人に教えるだけよりも。たくさんの人たちにこの生活魔法を広めたら、もっと役に立てると思って。
「他でもない王城のメイドなんだから、そこで働いてるだけでも十分世のために働いてるだろう?」
「は、い」
「人の役に立ちたいって言っていたミラの希望に沿っていると思ってたけど。先生の方がいいの?」
ええと、どうだろう。
確かに王家や王城で働く方々を支えるのは喜びだ。
熱のある頭ではレオンの言う事がもっともなような気がしてくる。
「言い返す元気もないんだね。ミラ」
くすりと笑った声が聞こえる。
「具合の悪いところにこの話をするのは、さすがに倫理に悖るよね」
ぎ、と床のきしむ音がする。
「早く元気になって。また来るよ」
そう言って声の主は出て行った。
部屋をノックする音がして、ミラは目を覚ました。
だいぶ頭がすっきりしている。
「ミラちゃん?入っていいかい」
おかみさんの声だ。
「はあい」
鍵を開けようかと思ったら、開いていたらしい。ガチャ、と音がしておかみさんがトレイを片手に入ってきた。
「スープを作ったんだけど、どうかね」
「えっ、わざわざ!ありがとうございます」
おかみさんは部屋に唯一の小さな机にトレイを置いた。鶏がらスープのいい香りがふわりと漂ってくる。
お腹まで反応して鳴った。
「はは……!元気になったようで良かったよ」
おかみさんは豪快に笑った。
昨日朝から熱を出していたから、丸一日何も食べていない。お腹が鳴るのも無理はなかった。
「夕べ一度様子を見にきたんだけどね。ぐっすり寝てるようだったからさ」
「あっ、そうだったんですね。すみません」
夕べ……そう言われて、昨日の記憶を辿る。
「頭に濡れタオルをかけてくれたの、おかみさんですか」
「へ?」
その反応にミラはあれ、と記憶を辿り直す。
夢うつつに、優しい声がして、話をしたような……。
「昨日、誰か来ました?」
「さあ、気づかなかったけどね。そういや、鍵締めなきゃだめだろ。まあ、私らの店を通らないとあんたの部屋には来れないけどね」
という事は、誰か来たんだろう。
鍵はよくかけ忘れるけど、具合が悪いからしっかり閉めたはずだ。
知り合いはそんなにいないし、おかみさんじゃないって言うのでミラは不思議に思った。
この部屋には盗られるようなものは何一つないし、侵入者が夢じゃなかったとしても、水をくれてタオルをかけてくれただけ。——ような気がする。
やっぱり夢だったんだろうか。
「ほら、早く食べちゃいな。冷めるよ」
「あ、はい!ありがとうございます」
「しばらく休みなんだろ?ゆっくりしなよ」
おかみさんはそう言って出て行った。
ミラはさっと顔を洗って、椅子に座った。
「いただきます」
誰もいない部屋でそう言ってスープを飲んで、その温かくて胃に沁みる味に、目を閉じて感動した。
空っぽの胃におかみさんのスープが、本当にたまらない。
あっという間に食べてしまった。
「——あれ」
頭がすっきりとしてきて、記憶の中にある客人の顔が思い浮かぶ。
あれは王太子レオンではなかっただろうか。
レオンは戦闘系の大掛かりな魔法よりも、繊細な技巧系の魔法を得意とする。
隠遁してここまでやって来たのだろうか。
そこまで考えて、ミラは自分の考えに笑ってしまった。
「まさかね」
王太子殿下が、こんなところに来るわけがない。
ミラは大きく伸びをすると、シャワーを浴びる用意をした。