60. 遺したもの
ミラは下宿先の部屋にレオンを招き入れた。
一階から椅子を一つ借りてきておいて、テーブルに向かい合って二つの椅子を並べた。
戸棚からごそごそと取り出したのは、一つ木箱だった。手の上に乗るくらいの小さな木箱だ。
「——これ、母の遺品なんです」
ミラはそれを見せながらレオンの向かいに座った。
「遺品……」
「私も小さかったので覚えてないんですけど、ものすごく大切にしていたのはなんとなく覚えていて。でも、開け方が分からなくて」
「——いいかな?」
「はい」
差し出されたレオンの手に箱を乗せた。
そっと、大切そうに扱いながら、レオンは箱の全ての面を観察した。
木箱ではあるけれど、幾何学的な模様があり、そもそもどこが蓋なのかわからない。
「——魔法の痕跡はなさそう」
「そうですか……」
だったらどうして開かないのだろう。
動かすと、カラカラと音がするから、確実に中に何かが入っている。それに、ミラは幼い時の記憶で母がそれを開けているのを見たことがある。
「すごいね。これ……ものすごい技術だよ」
レオンが息をのむように言った。
「そうなんですか?」
「うん。だって、釘もないのに、一体どうやって形を成してるんだろう」
「魔法じゃないんでしょうか」
普通に、魔法で物質を弄ったような
「ううん。これは、無垢な状態だよ。一切、魔法を使わずに作られている」
「え、この模様も?」
「これもね……多分、書いたんじゃなくて——」
じっと目を凝らして、レオンは一つ一つの模様を見た。
それから感嘆の溜め息を吐いた。
「信じられない。なんて精巧なんだろう。ミラ、これ木の模様だよ。よく見て。色が違うのは、違う種類の木を使っているからだ」
「え」
木箱に模様を描いたものだと思って、そんなにちゃんと見たことはなかった。目を凝らして見てみれば、わずか数ミリの模様の一つ一つに、それぞれ違う木目調が見える。
「この計算しつくされた色彩、形……こんな技術見たことない」
ミラは驚いて返事ができずにいた。魔法で作った箱だと思ったから貴重なものだなんて思っていなかったけれど。
「もしかして、これ……」
レオンは少しためらいがちにミラを見た。言わんとしていることを察して、ミラもごくりと息をのんだ。
一平民のメイドが持てる品ではない。
ミラの父親の物なんじゃないかと言いたいのだろう。
「——王国外のものという事でしょうか」
「うん……それも、王国と交流のある国ではないよ。見たことがない」
それに、計算してさかのぼって考えても。他国との交流が何かあったという歴史も記憶にない。
「木材で有名な国とか……?」
「でもこれ——この技術はもう、国宝級だよ」
レオンはまじまじと箱を見た。
この継ぎ目の精緻さ……人間の手ではないんじゃないか。天衣無縫と言うが、その域だ。
「開けられないでしょうか」
ミラがレオンの手元を覗き込んだ。
「開けたことないの?」
「実は、開けようとしたこともなかったんです。去年までは奥深くにしまい込んだまま出すこともしてませんでした」
それが少しずつ、出して眺めるようになって。今では中身を見てみたいと思う程になった。
「実は……ずっと開けるのが怖かったんです。母からは愛情たっぷりに育ててもらったって思ってますし、母のことも大好きなんですけど。やっぱり、父親の事が……わからないままだったし。私の事がなかったら、母は苦労しなかったんじゃないかとか」
「ミラ……」
「でも、レオン様がこのままの私が好きだって言ってくれたので。何が出てきても、私は変わらないって思えたんです」
レオンは眩しそうに笑った。
「強いなあ、ミラは。知ってたけど」
じっと箱を見つめる。
「魔法だと思ってたから、レオン様なら開けられるかなってふと思ったんですけど。まさか魔法でなかったなんて。——魔法でも開けられないですか?」
「うーん……ちょっと調べてみるね」
変に弄って壊したくはない。魔法で作られていないから、魔法で分解するなりしても中身が消滅したりはしないだろうが。
ミラのお母さんの遺品だ。大切に扱いたかった。
「——あ、継ぎ目が分かる。ううん……なんだこれ」
魔法を使って木の継ぎ目を見ているらしい。レオンが驚いた声を上げて更に目を凝らしている。
「恐ろしくたくさんの継ぎ目が、重なり合って……あ、ああっ。もしかして」
レオンが指で押したところが、数ミリだけ、動いた。
「あっ」
「うわ、これだけ?っあ、ここ引っかかってるんだ。だったらここにつながってるのが……え?いや、違うか。——ううん」
レオンが片手で箱をくるくると回し見しつつ、右の指先が何かを描くように動いている。
ミラはそっと紙とペンを置いてみた。
レオンがすぐさまメモを取り始めたが、たくさんの図形が折り重なったような、意味の分からない線をひたすら書き連ねている。
「あ、わかった」
そう言ってまた一つ、ぱちり、と木が動く。それも数ミリ。
この作業を繰り返して四か所くらい動かしたところで、既にかなりの時間が経っていた。
「——殿下」
ドアの外からそっと声をかけられて、レオンがはっと顔を上げた。
「はっ、今何時?」
時計を見ればあと一時間で日付が変わろうとしていた。
「うわ、ごめんミラ!夢中になってた」
「いえ、ありがとうございます」
実はミラは既に居眠りをしていた。
「どうですか?」
「ちょっとずつ手順に沿って木を動かしていけば、いずれ開くのかも。これすごいね。考えた人は人間じゃないかもしれないよ」
「はあ……」
父親の手掛かりが人間じゃないかもしれない仕業の物と聞くと、ちょっと複雑である。
レオンもいつもなら気遣えるのに、今はこの箱に夢中だったせいか、失言に気づいていない。
「もしよかったら、持ち帰らせてくれないかな。もう帰らないといけないけど……これ、少しずつ解読して、開けておくから。大事にするって約束するので」
「もちろんです。お願いしたのは私なので」
レオンは子供のように目を輝かせた。
「ありがとう。じゃあ、また明日!明日までにはできると思うから。ごめんね遅くまで」
「いえ」
挨拶もそこそこに、レオンは箱とメモ書きを持って王城へ引き上げていった。
ミラは眠たくて半分眠っていたので、見送ってからそのまますぐ眠りに着いた。
翌朝。朝食を食べているミラの部屋にノックが響く。
「はい」
ミラが開けると、レオンが立っていた。
「あれ、レオン様。早かったですね」
「うん。さっき開いたんだ」
さっき。そう話すレオンの目にはくまが浮いていた。
「——え、レオン様、まさか徹夜でこれにかかってたんですか」
「つい、夢中になっちゃった」
「何やってるんですか!」
今日はメインの生誕祭だというのに。
家族でパーティーをして、お城のパーティーでも主役に近い扱いを受け、夜遅くまで挨拶回りをしないといけない人が。
「聞いてくれる?すごいよこれ、結局、二十四も手順があったんだ。これを考えた人は本当に天才だよ。これ、秘密通路に応用したらすごいものができると思う。少しずつずらしていって、最後に——ほら」
レオンの手が魔法のようにするすると動いて、かち、と最後の板をずらすと。
すすす、と箱のふたが開いた。
上ではなくて側面が開いて行く。
「中は見てないよ。——はい」
半開きの状態で渡された。
ミラはとりあえず借りたままになっていた椅子にレオンを進めた。
朝食は置いたままだが、レオンも気にせず座る。
もう朝食どころじゃない。ミラは緊張する手つきで、そっと蓋を外した。
スライドした箱からは、古びた紙と、指輪が出てきた。
「わ…………」
どうしよう。手紙だ。
ミラは紙を前に固まった。
「はあ、虫にも食われず。完全に密閉されてたんだね」
レオンのその言葉に、ミラは自然と紙を鼻の近くに持ってきて、くん、と匂いを嗅いだ。
「母さんの匂い……かも、しれない」
違うかもしれないけど。
紙と木のにおいと、それから微かに石鹸のような香り。
つん、と鼻の奥が痛くなった。
「へへへ」
ミラはそっと紙を開いた。
『ミラへ
大好きな ミラ 私の宝物
最近疲れやすくって 縁起でもないことを 考えてしまう
心配かけたくないから 手紙にします
ミラ ごめんなさい
私の子じゃなかったら こんな苦労をすることもなかったのに
もっと抱きしめて 自由にのびのびと 走り回っていいのよって 言ってあげたかったのに
苦労するって分かってて 手放してやれなかった
貴方が愛おしくて
貴方のお父さんとよく似た顔で 笑うから
お父さんのことは いつか話してあげたいけど 私もよくわからないの
出会ったのも突然だったけど 別れも突然で
残ったのはこの箱と指輪だけ
短い間だったけど 一生分の愛をもらった
私はこれからも 彼しか愛せないと思う それくらい素晴らしい人だった
何も伝えてあげれなくてごめんなさい
こんな母親でごめんなさい
ミラ 貴方が私を この上なく幸せにしてくれたように
どうかあなたも 幸せになって
何ものにもならなくていいから
ただ、しあわせになってね
愛しいミラ
私のところに生まれてきてくれて ありがとう』




