54. パン屋
リックのパン屋にはミラとレオンで向かった。
影の護衛はついているらしいが、ミラにはどこにいるのか全く分からなった。
レオンはわかっているらしい。
隠遁を使うと言うだけあって、ミラの後方にいるのに、道ゆく人はレオンをまったく気にしていないようだった。気配を究極に減らすだけだから、見えなくなっているわけではない。ただ、うまくすればする程、限りなく気にされなくなる。
ミラは朝のパンを買いに来た客が引いたころ、午前十時くらいにパン屋の扉を開けた。
カランカラン、とドアのベルが鳴る。
「いらっしゃ——」
リックの声が止まった。
狭い店内で、パンを並べていた手を止める。突然入って来たミラを見て、凍り付いたように固まった。
カラン……と余韻で鳴るベルの音が響くほど、辺りは静まり返っていた。といっても、今は客もいなかった。
どんな顔をするのだろうと思い、入り口でミラはリックの反応を待った。
「ミ……」
声が裏返っている。
リックはごほごほとわざとらしく咳払いした。両手にはめていたミトンを外し、エプロンで両手を拭いている。
「ミラ、おまえ……」
数歩の距離を詰めないまま、リックは目を泳がせた。
「どうしたんだ?あ、パンか?うちのパン買いに来たのか」
店内には誰もいない。店の奥でガタガタと音がしているから、きっとリックの父親がパンを焼いているのだろう。
ミラは深呼吸した。パンのいい香りが、緊張を和らげてくれる。
「リック」
すぐ後ろにレオンがいてくれるから。ミラは怖くはなかった。
「ちょっと話せるかな」
「な、なんだ、話?」
ミラは黙って頷く。
リックは落ち着きなく店を見渡して、ごくりと唾を飲みこだ。
「何の話だ」
そんなに動揺しておいて、まさか心当たりがないなんて言うつもりなんだろうか。
リックの慌てぶりに、ミラは逆に冷静になっていく。
「私達、話さないといけないことが、あるよね」
リックはミトンを横のカウンターにおいて、ふう、と息を吐きながら腕を組んだ。
「心当たりねえけど」
わざと顎を上げて、ミラを見下ろすように見てくる。——もう持ち直したらしい。
まあ、見下ろされることには慣れている。ミラは小柄だから、見下ろされることの方が多い。こうしてわざと顔を上げなくったって、見下ろせるのに。
「……ここでいいの?話するの」
「………………」
リックは店の奥に呼びかけた。
「親父!ちょっと外に出て来る」
おう、と低い声がした。リックが外に出たので、ミラもそれに続いた。
通りに面したパン屋の扉には、出てすぐのところに椅子が置かれている。リックはそこにどかっと座ると、また腕を組んで通りを眺めていた。
リックから話すつもりはないようだ。それでも、リックの緊張はなんとなく空気を介して伝わってきていた。
鼓動が早くて呼吸も落ち着かない。通りを見ているようで、時折ミラを伺うように見てくる。
ミラは背後のレオンをちらりと振り返った。レオンは穏やかな笑顔でミラに頷き返してくれる。レオンはミラのすぐ背後にぴったりくっついているのに、隠遁の魔法がよく効いて、リックはまるで気にならないようだ。
声を出したり相手に触れたら魔法は解けるからね。目線で合図し合うくらいなら大丈夫だよ。
と、事前にレオンに聞いている。
隠遁というのは人の感覚を操作する魔法だから、かなり精巧な魔法になる。それを呼吸をするのと同じように扱いながら、レオンは涼しい顔をしていた。
「リック、ローガンさんって知ってるでしょ」
リックは肘をついて通りを見ながら、しばらく黙っていた。
「俺も、聞きたかったんだ。——一体どうやってあいつらのところから逃げ出したんだ?」
不機嫌そうに通りを見ながら話す様子には、全く悪びれる様子もない。しらを切るのはやめたらしい。
リックは更に、忌々しそうに吐き捨てた。
「まさか警備隊でもなく、騎士団が動くなんて、しかも第一?一体どんな手を使ったんだ?」
騎士団を見たのだろうか。速度で考えると、向かっていたリックを騎士らが追い抜いたのだろう。それで察したか、見に行ったか。
詳細を伝えるつもりもないし、どこまで知っているのかを探るつもりもない。
ミラはただ、リックがどういうつもりでこんな馬鹿げたことを計画したのかを知りたいだけだ。そしてなぜ、いつもミラに敵意を向けるのか。
「ローガンさんに私の事を伝えて、学園から追い出そうとしたのは……どうして?」
「——それでも、お前は辞めずに、ローガンの方が職を失っただろ。一体どうなってんだ」
「私を閉じ込めて、何を言うつもりだったのか、ここで教えてくれる?」
ここまで会話はいまいちかみ合ってなかったが、ミラは構わなかった。
リックはそう言われてやっとミラを見上げた。
また上から下まで身なりを見るような目つきで見て、ハッと鼻で笑った。
「この前はボロ着てたのに、また王城でうまいことやったのか?」
確かにこの服はお城で用意されたものだ。
「そうやってお前はいつも、うまいことやるんだよな。働きもせずにそんな服を身につけて、自分が偉くなったつもりか?」
「は……」
「でも、こうやって一人でここにきたところを見ると、そこまでってわけでもないよな。ま、わざわざ王国の騎士が、そう何度もただの平民のために駆り出されるわけはないよな」
リックは自分で言っていてどんどん力を取り戻したようだった。
「俺はなあ、ずっと気に食わなかった。努力もしねえで、人の温情に乗っかって生きてるお前が。親がいねえのに、少しも申し訳なさそうにしてないお前が」
リックはミラを睨むように見上げた。
「よく笑っていられるよな。何がそんなに楽しいんだ?苦労もせず衣食住が手に入るのがおかしくって笑ってんのか?」
言いがかりと言うにも、あんまりな言われようだ。
ミラは思わず後ずさりそうになって、レオンに肩を支えられた。レオンがいなかったら、もう立ち去っていたかもしれない。
レオンの手が温かくて、応援されているように力をもらう。
「——リック、言っていることの意味が……分からないんだけど」
「だろうな、お前の面の皮が厚いから」
「そうじゃないでしょ。……リックは、つまり、親がいない人が、笑うのはおかしいって言いたいの?日々、悲しみながら、息を殺して生きて行けって言うの?全く意味が分からないんだけど」
今までリックの目には、ミラがどう映っていたのだろう。
話して分かり合えるような、そんな些細な誤解が、という事ではないらしい。そんな気持ち悪さを感じた。
「それが、私を学園から辞めさせたかった理由?」
「——ああ、学園だってそうだ。俺は小さい時から、ずっと、コツコツ働いてきた。眠くても辛くてもしんどくても、ずっと!なのに、なんでお前が!苦労もせずのほほんと笑って暮らしててお前が、成人した途端、王立学園で教師なんかできるんだよ。おかしいだろうが!」
ドン、とリックが壁を蹴った。びっくりしてミラの肩が跳ねる。
「不公平だろ?お前も、ちょっとは苦労してみねえと、わからねえだろ?その服のありがたみとか、飯が食えるのがどれくらい恵まれてるか」
リックは頭を抱えた。もうミラの姿も目に入っていない。完全に自分の世界だ。
「そんなのがわかってたら、俺の誘いだって断らねえだろ。俺が貰ってやるって言うのに、ありがたがって頭下げるのが当然だろうが!」
ミラは思わず、レオンと目を見合わせた。




