51. まやかしの悪者
重苦しい沈黙と、ローガンのいたたまれない様子に、ミラは堪らなくなって手を挙げた。
「あの、よろしいでしょうか」
レオンはとりあえず黙ってミラを見た。ローガンは固まったままだ。
止められなかったのでミラは聞きたかったことを聞くことにした。
「ローガンさん、もしかしてリックとお知り合いですか?」
リック。その名前に、ローガンとようやく目が合う。
口をぽかんと開けて、締まりのない顔をしている。
「気づいて、たのか……」
「私の事を寄生って言ってたの、主に彼なので」
実は学園の時から、あれ?と思っていた。
「そうだ。あいつとは家が近くて……昔からの知り合いで」
「——ああ、あの無礼者?」
油で済ませてやったのに、とレオンが怒りを滲ませる。
「よく分かったね、そんな言葉で」
「言葉だけでは、よぎっただけだったんですけど。あと、パンですね」
ローガンはまた驚いたように目を丸めた。
「あの固いパン、リックの店のパンですよね」
「分かるのか」
ミラはにっこりと笑った。
「メイドは舌も大事なので」
少し酸味の強めの、気泡の多いパン。
リックのパン屋に行ったことはないが、王城でずっと食べていた味だ。
「リックに、私のことを聞いたんですね」
「あ、いや、その……」
「私の母の事も」
ローガンの表情を見れば、肯定だとわかる。情報源がリックだけだったとは、随分と細かい話をしたらしい。
ローガンへの伝わり方を考えると、悪意を感じる。
「消し炭にして来てもいいかな」
レオンがすっと立ち上がった。
ミラは慌ててその袖を掴む。
「いえいえ、ダメですよ、殿下がそんな」
事件になってしまう。
「大丈夫だよ」
レオンは発言には似つかわしくない、実に優雅な笑みを浮かべた。
「跡形も残さないから」
「証拠の話じゃなくてですね」
実際、あの魔力量と精巧さで、レオンはやってのけるのだろうけど。
ミラはまだローガンに聞きたかった。
「リックとは、仲がいいんですか?」
どうしてミラの話になったのだろうかと、そこだけは謎だった。
「……リックとは古い知り合いだ。それまでは、そこまで話す仲でもなかったんだが……夏を過ぎたあたりで、王立学園に、あんたが来たんじゃないかって言われて」
リックと街で会った後だ。知り合いのローガンに、ミラの事を確認したんだ。
「その前から、あんたはコネで入って来たんだろうってのは聞いてたから」
「コネだって?何だそれは」
レオンが再び座ってローガンを見据えた。
「——あ、あまりに突然だったもので。メイド科という事自体、眉唾で」
ミラが学園に行った時、ローガンは初めから攻撃的だった。メイド科なんていらないだろうって、先陣切って言ってたのもローガンだ。でも確かに、夏を過ぎてからエスカレートした。
それまでは悪態をついても、それなりに話は通じたし、冗談を言い合う事だってあったほどだ。夏までは。
「だからリックの言う話に、変に信憑性が……い、いや、これは本当にただの、俺の思い込みで……ひっ」
ローガンがレオンを見ながら、青い顔になった。レオンの顔に青筋が浮いているのを見て、冷や汗までかいている。
聞かなくても、ローガンの語らなかった部分の内容は大体想像がつく。
男をたぶらかした母親、その子供も、同じような手で学園にやって来た。——そんなところだろう。
「お、俺は……平民出身で……騎士になれたのが、遅かったんだ。才能がないって分かってた。分かっていたが、国のために命を懸ける騎士にあこがれて、諦められず……しがみついて、何とか、騎士団に入ったのに……結局、正式に騎士になってから一年で怪我をして、引退することになった」
ローガンの顔は、どんどん下を向いて見えなかった。声も震えている。
ミラは黙って聞いていた。
「主家と、この王国に忠誠を誓った、その思いを、結局使う機会がなかった……俺は、国へ捧げたい気持ちを、あんたっていう悪者を除くことで、果たしたかった。まやかしの……俺に都合のいい、俺が作り上げた悪者だったのに」
「今はどうですか」
ミラのはっきりとした声に、ローガンは顔を上げた。
泣いてはなかった。憔悴してるけど。
「言った通りだ!あんたの仕事は、すごい。なくてはならない仕事だ」
ローガンは大きく深呼吸をした。決意をしたように、目に力がこもっている。
「ミラ・バレリー嬢。貴方に、敬意を表します」
「良かった」
ミラの返事はあっさりしていた。
ローガンの真摯な目を受け止め、にこっと笑った。
もうこれで満足した、というように、今度はレオンに向き直る。
「殿下、私——リックと話をしたいです」
「こんな事を計画した男と?」
とんでもない、とレオンは言うが。
「あの人がこんな事をするなんて、ちょっと信じられないんです。だから、直接聞いてみたい」
「………………」
レオンは険しい顔だった。
「私、ずっと自信がなかったんです。リックの言うとおりだって思ってました。孤児院に行かずに済むように、たくさんの人が助けてくれた。その恩返しがまだ全然できてない。これまでやって来たことも、メイドなんて誰でもできる仕事だとか言われても、前は少しも反論できなかった。いつまでもまだまだ足りないって思って」
以前に街で会った時も、一つも反論できなかったのは、その通りだと思っていたから。
「でも。——学園に行ったら、生徒達が、先生、先生すごいって言ってくれて。ジルビルさんも、訳のわからない言葉なんですけど、とにかく絶賛してくれて。今もほら、ローガンさんが」
王城の中ではない出会いは、自分もやっと一人前になったような気がして。そこで初めて出会う人たちに認められて、生活魔法に自信が持てた。
「だから、リックに会って、ちゃんと確かめたいんです」
「……………」
レオンは考えを巡らせているようだった。
ミラはじっと待った。
ミラの翡翠色の瞳に見据えられて、先に目を逸らしたのはレオンの方だった。
「わかったよ。連れてきたらいい?」
「いえ、本心を知りたいから。リックのパン屋まで行ってきます」
どうせなら相手のフィールドまで行ってみたい。
リックを連行してくるにしても、ローガンの供述だけでは、リックが認めなかったらスムーズにはいかないだろうし。
レオンはしばらく考えていたが、ミラの表情を見ると、比較的早期に諦めたようだった。
「……じゃあ、私もついて行くからね」
「えっ、ダメだと思います。王太子殿下が来たら、リックは何も話してくれません」
「ちゃんと変装するよ」
変装してもその顔面では意味がないと思う。こんな顔の整った人、街にいない。
「隠遁もするから。——でないと、その無礼者の所へ行くどころか、ミラの事、王城から出してあげられないよ」
「それは、困りますね」
解決するまでは危険だから、という事だろうか。ミラだって、早期解決を願っている。
早く帰って、学園での授業を再開したかった。
「では、お願いします。じゃあ、ローガンさん、また」
またがあるのかどうかはわからないけれど。とりあえず、ミラはまた話してみたいと思った。
だから自然とそう言って、立ち上がった。
レオンもほぼ同時に立ち上がって、二人は部屋を後にした。
ローガンは頭を下げたままでそれを見送った。




