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4. ノアとミラ

 ノアが初めてミラと出会ったのは、十五の時だった。

 幸いにも剣の才に恵まれ、そこに努力を重ねる真面目さもあった。順当に経験を積み重ね、念願の騎士団に入団できることが決まった。

 最年少での入団だ。家族も喜んでくれたし、未来は明るく輝いているように思えた。

 いずれは伯爵家を継がなくてはいけないかもしれないが、両立が難しく騎士団が性に合うなら、弟に継がせてもいい、とまで両親は言ってくれた。

 共に学んだ王太子も、騎士になったことを喜び、共に国を作って行こうと言ってくれた。

 一生を剣と王家に捧げる覚悟で入団を決意した。

 しかしその心意気は、すぐに打ち砕かれた。

 配属先を聞いた時だった。

 ——近衛騎士団。

 王族の直接警護に当たる部署だ。

 騎士団の花形は何と言っても第一騎士団。剣も魔術も優れた者が集まるのも第一騎士団で、常に先陣を切る部署だ。王都の守備を任された第二騎士団でも良かった。

 近衛騎士団には貴族出身者が多く、実力よりは立ち居振る舞いを重視される傾向にあった。

「君の実力を見込んでの配置だ。近衛騎士はその挙措も大切だが、勿論剣の腕も重要だ。ラぺス卿、君には近衛騎士団を変革してほしいという期待も込めているのだよ」

 騎士団総団長にはそう言われた。言われたが、到底納得できることでもなかった。

 あいつは顔で選ばれた、って言う声が聞こえてくるようだった。

「僕は、第一騎士団に入りたかったんだ。近衛だなんて……」

 たまらなかった。

 朝から夜まで、ひたすら修練を積み重ねた。その結果がこれかと思うと、情けないが涙が止まらなかった。

 ノアは一人、王宮の隅の隅、そびえ立つ塀と植え込みに隠れた場所で膝を抱えてひたすら泣いた。

 季節は秋で、辺りはあっという間に暗くなってきた。早くしないと城門が閉まってしまうから帰らなくてはいけないのに。

「——あれ、おにいちゃん、どこの人?」

 がさっ、と茂みをかき分けて突然現れたのは、幼い少女だった。

 自分より年下の女の子が城にいるなんて。

 ノアはびっくりして涙が引っ込んだ。

「私、ミラ。八つよ、お母さんが、ここのメイドなの」

 ミラの視線の先には、古びたメイドの寮があった。

「子供を連れてきて働いてるの……?メイドが?」

「えっとね、わたし、ここで生まれたの。お母さんもここ以外住むところがなくって。だから、いっしょにいていいよ、って言ってもらえたの」

「へえ……」

 ミラが持つ籠には、食器が積まれていた。

「君も、仕事をしてるの?」

 ミラはそれは誇らしげに、籠を持ち上げた。

「そうなの!庭師のポーさんの所の、食べ終わった食器を運ぶのは、わたしのしごと!」

 にっと笑う顔が、あどけなくて、可愛らしいと思った。

「仕事して、えらいね」

「ふふ。わたし、ここでしっかり働いて、おんがえしがしたいの。だから、りっぱなメイドになりたいの」

 夢を語る少女の瞳に、かつて自分もそうやって夢をもってここに来たことを思い出した。

「そっか……僕も……立派な騎士に、なりたかったんだ」

「なれなくて、泣いていたの?」

 ミラは首を傾げた。

 涙は引っ込んだのに、涙の跡が頬と目元に残っていた。泣き続けていたのだから無理もない。

 ノアが慌てて隠そうとすると、すっとハンカチを渡される。

「こすったら、よけい赤くなっちゃうよ」

 白地に可愛い花柄の刺繍の入ったハンカチだった。母親が刺繍したのだろうか。決して精巧とはいい難い出来だが、愛情がたっぷりと感じられる。

「だいじょうぶだよ。忘れないでいたら、ちゃんとできるんだって」

「いや、僕は……」

 騎士にはなれたんだ。

 そう言おうかと思って、やめた。

 近衛騎士だったから泣いていたなんて知られるわけにもいかなくて。

 少し二人は黙ってその場にいた。冷たい風が吹いてきて、ぶる、とミラが体を震わせる。

「わたし、大きくなったらスーパーメイドになるの。あ、ちがった。メイド長。そしてね、お母さんに、もうはたらかなくていいよ、ずっと寝てていいよ、って言ってあげるんだ。だから、今は何でもお手伝いするの!」

 その時が楽しみで仕方ない、と言うようなミラの表情だった。

 こんなに、人のために頑張りたいと無邪気に言われたら。——自分だって、国と王家のために働きたいと思っていたはずだった。

 ミラを見ていると、年上の自分がうじうじと悩んでいるのが情けなく感じて。

 希望通り騎士として叙任されたんだから。

 配属先がどうとか、人の言ったことなんかに振り回されずに、自分のやるべきことをやろう。

「ありがとう。僕、頑張るよ」

「うん。わたしも、がんばるね」

 それからしばらくして、ミラが王城の片隅で産み落とされたメイドの子だという事を知った。

 そして、この後すぐ、母親が急逝したという事も。


 同じ王宮勤めで、この後もミラとは度々顔を合わせるようになった。

 特にミラの母親が死んでからは、ミラがあちこちにお遣いをするようになって、そのうちメイド見習いとして数々の仕事をこなすようになって。

 涙一つ見せず、がむしゃらに働くミラの姿に励まされたのは、一度や二度ではなかった。


「ああ、しまった!洗濯のりを忘れたわ」

 洗濯場からメイドの声が聞こえる。

「私取ってくるよ!」

 ミラの高い声は一際よく聞こえた。

「ああ、ミラ、重いし遠いよ!」

「だいじょーぶ!!」

「ああ、いっちまった」

 そうやって誰よりも早く動き回っていた。


 またあるときは、雪の積もるほど冷え込んだ中庭で、黙々と洗濯桶に向かって手を動かしていた。

 洗濯メイドに交じって、小さな体が、ゴシゴシと洗濯するたびに揺れている。

「ミラ、あんたもういいから、中に入りなって」

「だいじょうぶ!あと三枚だから」

 鼻を啜りながら、真っ赤な手をこすり合わせながら、洗濯メイドと働いている。


 そんなミラを見れば、自分ももっと頑張ろうと思えた。

 自分よりはるかに年下のミラが、泣き言ひとつ言わずに冬の洗濯をして、重い荷物を黙々と運んでいる。その小さな背中を見て、いつか、自分がミラを支えたいと思うようになった。

 ——ミラが成人したら、近衛騎士専属になってもらって、ミラにはゆっくりと……。

「どうでしたか、団長!!」

 部下の大声にノアははっとした。

 王立学園から戻って近衛騎士の詰所に入った途端、ノアは騎士団員らに取り囲まれていた。

「………………」

 ノアの表情を見て、何を聞かなくても全員が肩を落とす。

「団長……」

「その……すまない」

「いや、仕方ないですよ。戻ってきてくれが言えないなんて」

 はあ、と一同大きなため息をつく。

「ミラちゃんの洗濯したふわふわのタオル……」

「ミラちゃんの差し入れの冷たい飲み物」

「末端の騎士の擦り傷にまで気付いて塗り薬を用意してくれる気遣い……」

 それぞれ、ミラとの思い出を呟き始めた。

 近衛騎士らの期待を背負って行ってきただけに、ノアは少し肩身が狭い。

「——ところで、今度は宰相府が何か画策してるらしいですよ」

 しばしの沈黙の後、そう言われて一同がはっとする。

「え、どういう事?」

「宰相府と王立学園とで書簡のやり取りがあるんです」

「書簡くらいは……あるんじゃないの?」

 ノアの台詞に、言い出した騎士が首を振った。

「いやいや。宰相府が王立学園とやり取りするのは、卒業間近になって推薦書がどうこういう時だけです。こんな学期が始まってすぐにやり取りが交わされることなんていつもないですよ」

「詳しいな」

「団長は素直すぎますよ……。あの狡猾な宰相閣下が本気で乗り出したら……手練手管を尽くしてミラちゃんを奪われかねませんよ」

 狡猾な、と言い切ってしまうあたり。宰相府と騎士は仲があまりよくないとはいえ、聞かれたら厄介だ。

 しかしノアは部下の失言を叱責するよりもまず、自分の無力の方が申し訳なかった。

「……すまなかった。僕が、ふがいなくて……」

「いや、でもそこが団長の良さでもありますからね……」

「宰相閣下なら、戻ってこいの一言を言わなくとも、あの舌先三寸で戻ると言わせるんですかね」

「いやいや!宰相府に戻るほどの魅力なんてないですよ。大丈夫ですって!」

 何が大丈夫なのかわからないが、励まそうとしてくれているのは伝わった。

 それでもノアは、どこかでほっとしていた。

 一人、風が吹いただけでも倒れそうだった少女はもういなかった。

 ミラの楽しそうな顔を見れて、良かった。

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