37. タリーラ姉さん
「懐かしいね、この演出」
「はい」
クローシュを開けて、ふわりと焼き菓子の香りが漂う。このミスト自体が生活魔法で生じさせたもので、焼き菓子の香りが立つようにできている。普通のミストなら焼き菓子が湿気て終わりだから、そこの不思議さが受けているようだ。よかった。
「第三王子殿下の誕生パーティーだったかね、あれは」
「はい」
晩餐会のメニューに、中にはスモークを閉じ込め、燻した肉をスモークごと閉じこめて提供した。
タリーラとは生まれた時から一緒にいて、メイドの事も生活の事も、全て教えてもらったと言ってもいい。生活魔法の開発で一番相談に乗ってもらったのもタリーラだった。
失敗して寮を破壊したり燃やしたり、色々やらかした時、一緒に侍従長に謝ってくれたのもタリーラだ。
生活魔法のことは一緒になって懐かしがってくれるのが、嬉しい。
タリーラは紅茶を飲みながら、生徒らの動きに目をやっている。
「可愛いね。まだ若いうちから、もうメイドを目指しているんだねえ」
「はい。子爵や男爵の家の子もいるので、目指すところは上級メイドや侍女になるのかと思うんですけど。あとは、王都から離れた田舎の裕福なご家庭の娘さんとか。生活魔法の話を聞いて受験してくれたんです」
親がメイドという子もいる。
タリーラもミラもそうだが、メイドの多くは王立学園には通っていない。初等教育を終えていないメイドもいるくらいだ。時代だねえ、とタリーラは呟いた。
「王城にもすっかりあんたの生活魔法が定着してる。始めからそれが扱えてたら、どこでだって重宝されるだろうさ。——メイドも学が必要になって来るのかねえ」
「とは言っても……私が教える生活魔法は基本的なものだけですけどね。二年ですから」
タリーラは焼き菓子を食べて、美味しいね、と微笑む。
「十分だろう。少しでも使えたらきっと助かるよ。どうだい、ミラ先生から見て、生徒らは」
「一人一人、個性はあるんですけど。みんな真面目で、素直で。とにかく一生懸命ですね」
ミラは忙しく動き回っている生徒たちを見た。
まだ幼さの残る顔が、緊張し引き締まった表情になっている。それでも辺りを見回し、今いるメンバーで協力し合って動いていた。
春に初めて会ってから今日まで、この子たちは見たことも聞いたこともない生活魔法というものを一度も疑うことなく、ミラを信じて必死でついてきてくれたのだ。
「メイド科という初の試みなのに、こんな私を信じて、真剣に取り組んでくれます。できるまでコツコツ頑張る努力家でもあります」
「ミラとしては、全員推薦できるんだね」
「はい」
それは間違いなく言える。ミラはしっかりと頷いた。
宿題を出せばきちんとこなしてくる。上手くできなければ居残っていつまでも練習しているのを知っている。
騎士科の繕い物も、練習になるからと競うようにやっている。
「じゃあ、あとは気持ちの強さだね」
そう、それはミラも気になっていた。
技術的なところは、就職してからいくらでも修得できる。それを助けるための生活魔法もいくつも覚えている。
でも、心は。
学園の生徒として守られているところから、急に職業人として大人と同じように扱われた時。理不尽に晒されたり、巨大な壁にぶち当たったりした時。
心配は尽きない。
この子達は、まだまだ幼いから当たり前と言えば当たり前だけど、繊細な所がある。流されやすかったり、影響されやすいところもある。
「どうすればいいでしょう」
「どうこうしようとするもんじゃないよ」
タリーラが言い出したことなのに、バッサリとそう言われて。ミラは拍子抜けというか、困ったような顔になった。
「耐えられるかどうかはその子の本来の力もあるしね。現場の人間に恵まれるかどうかってのも大きいし」
「はい……」
できることなら、ミラのように人に恵まれて仕事ができたらいいが。
メイドの仕事というのは、雇用主によってその環境が大きく違う。
「せめていい職場を紹介できたらいいんですが」
「その辺を侍従長に相談すればいいじゃないか。他の屋敷の侍従長やら執事やらにも顔が利くからね、あの方は」
「はい」
一度会ってもらえないか聞いてみようか、とミラは考えた。
忙しいところを申し訳ないが、ほかならぬ生徒たちのためだ。
「そんなに心配しなくても。生活魔法を身に付けたメイド見習いなんて、引く手数多だよ。大事にされるさ」
「だといいんですけど」
「——まあ、安心したよ。ちゃんと先生してるみたいで。みんなに見てきてくれって頼まれてんだよ。いい報告ができそうだ」
「みんな、って……」
メイド仲間達だろうか。たくさんの顔が思い浮かぶ。
「たまには王城にも顔を出しな。挨拶にくらい来れるだろう?サビナの墓もずっと行ってないんだろう」
「はい。すみません」
城の方を向かって手を合わせることはしていた。でも、どうにもやはり、王城はハードルが高くて。入場には事前申請が必要だし。
「墓参りに来たって言って、ついでに仕事場に顔出して帰ったらいいんだよ。あそこはあんたの実家なんだから。実家に帰ってくるのに、理由なんていらないだろう?」
「実家……」
王城が実家だなんて。恐れ多いけれど、そう言われるとやっぱり嬉しい。
「実家だろ?私たちは家族だろう?」
そんなふうに当たり前のように言われて。ミラは胸が熱くなった。
同時にふと思い出す。
「家族と言えば。姉さん、結婚するって本当ですか」
「はっ、誰に聞いたんだい」
「このクロスを買いに行った時」
「ファーゲン、あいつか!まったく、商人にあるまじき口の軽さだね」
すぐさま言い当てる辺り、タリーラもさすがである。クロスを見て、どこの仕入れかわかったらしい。
「——まあいいわ。ほら、私もいい年だからね」
同業である侍従の青年と、ずっといい仲だったのは知っている。いつ結婚するんだろうと思いながらも、別に籍を入れる必要はないから、とタリーラは言っていた。
ミラは自分が理由なんじゃないかと思っている。結局、ミラが成人するまで、タリーラはずっとミラと同室でいてくれた。エメラルド宮のメイド長にまでなっているのに、だ。
結婚したら夫と住むことになるから、ミラが成人するまではと待ってくれていたんじゃないだろうか。
それを聞いても絶対にそうだとは言わないだろうから。
もう、ただただ感謝しかない。
ミラはタリーラを見た。
「おめでとう、姉さん」
誰よりも祝福したい。
タリーラが困った時には、なにを置いても駆けつける。
誰よりも幸せを願っていたい。
「ありがとう、ミラ。結婚式には来ておくれよ」
そう言われて、ミラはタリーラと二人で笑い合った。




