30. 涙
ミラはずっと走っていた。
広い王城を、人気のないところを選んでひたすら走った。
——わかっていた。
どこかでそんな気はしていた。
だって薬代だってどんどん高くなって。身体が悪いって言いながら、いつもお酒の匂いをさせていたもん。
楽しそうに仲間たちと賭け事の話をしていたのも知ってる。
——だけど。
ミラはすごいなあ。お前は良くできた娘だ。そう言って撫でてくれた手の温かさが。家族って、こういう感じなのかなって思って。
これまで経験したことのない、温かくて幸せな時間から、逃れられなくなってしまっていた。
そのせいで結局、みんなに迷惑を掛ける形で終わった。
しかも、逃げるように去ってしまった。
なんて情けないんだろう。
『迷惑を掛けちゃいけないよ』
お母さん、ごめんなさい。
『恩返しをしないとね。本当にここの人達は、いい人ばかりで』
そう、いい人ばかりで。いつも温かくて優しくて。
早く恩返しをしたいのに。
とんでもない迷惑を掛けてしまった。
その上逃げるように去ってしまった。
こんなことじゃ駄目なのに。
ぐるぐるとそんなことを考えながら走って、結局ミラは人気のない道を選んで、北の塔を通り抜け、墓地まで来ていた。
サビナ・バレリーと書かれた墓石の前に座り込む。
来たものの、ただじっと座っていた。
時間が経って夕方近くなっても、ミラは動かなかった。
放心状態で、思考すら手放して、ただぼうっとしていたら、夕方になっていた。
「ミラ。ここにいたんだね」
振り返ると国王、カザールだった。
いつもならすぐさまお辞儀をするが、放心状態のままのミラは振り返ってそのままじっとカザールを見上げていた。
カザールはいつもの調子で、優しい微笑みを浮かべていた。
「今日は天気がいいから、ちょっとゆっくりお墓参りを、と思ってね」
国王陛下自ら墓参りすることなんて、あるんだろうか。
国政を執っている時ほど豪華な衣装ではないが、それでも一目で王族とわかる見た目は、この墓地には不釣り合いに思えた。
墓と言っても、ここは王族の墓地ではない。王城で働くものや、他国の者、その昔は罪人の墓場でもあったらしい。綺麗に整えられてはいるが、殺風景な、墓石しかない墓地である。
「陛下が、どうしてここに……」
「私もミラのお母さんに、時々ご挨拶をしているんだよ」
「えっ……」
そんな、まさか。
カザールは苦笑いを浮かべた。
「そんなに薄情に思われていたかな。城で働きながら亡くなったんだ。もっとしてやれることはなかったかと、心残りに思っていてね」
ミラの隣に、同じように腰を落とす。
「それに、ミラをこんなにいい子に育ててくれたお母さんだ、お礼を兼ねてな」
「滅相も、ありません……」
普段ならもっと色々と返事を返すものの。頭が働いていなくて、ミラはそれしか言えなかった。
「元気がないね」
カザールがいつもの調子でミラの頭を撫でる。
温かい、大きな手だ。
カザールに撫でられると、袖口からいつもいい匂いがする。
懐かしさか、安心感か、それを感じて、ミラはぽろぽろと涙をあふれ返らせた。
「おや……」
後から後からあふれてくる涙を拭うでもなく、ミラは視線を落とし、ぽたぽたと土を濡らす涙を見ていた。
「ミラ、声を出して泣いたらいいんだよ」
カザールはミラの背中をさすった。その温かさにまた涙があふれる。
「子供のように、大声で泣いたらいいんだ」
ミラは首を振った。
そんなこと、できるわけがない。
お母さんが死んだ時、ミラは一人になった。けれど、お母さんとの思い出の詰まったこの場所にいるためには、一日でも早く大人にならないといけなかった。
子供になったら、孤児院にやられてしまう。
早く大人になって、役に立って、恩返しをして。それでいつか、お母さんのところに——。
ふわりと温かいものに包まれた。
嗅ぎ慣れた匂いがして、カザールに抱きしめられているのだとわかる。
「ミラ。悪辣な雑兵の事は、聞いたよ。つらかったね」
とんとん、と赤子にするように背中を叩かれる。すっぽりと腕の中に入って、いつもなら畏れ多いと思う所なのにミラは動けなかった。
「ほら、我慢せずに、泣いてしまいなさい」
「わ、私が……。わかってたのに。あんな、わかりやすいのに、騙されて、私が、馬鹿で」
「そんな言い方をするもんじゃないよ。ミラ、君はまだ子供なんだ。子供を騙そうとする奴は、——いや、大人でもだけどね。人でなしだ。本当に罪深い。君の真っ白で柔らかいところに、土足で踏み荒らすような真似。本当に許しがたいね」
優しい声が耳に響く。
「ミラ、これだけは覚えておいてくれ。君が毎日、いつもきちんと働いてくれて、本当に感謝しているんだ。そして明るく、息子たちにもたくさんの笑顔をくれた。父親としても、感謝している。ミラじゃなければできなかったことなんだよ。だから、胸を張ってほしい。君は素晴らしい子供だ」
素晴らしい子供。
そうなりたいと思っていた。そうでありたいと、ずっと思ってきた。
大人になれないのなら、せめて良い子でいたいと。
他でもない、尊敬するカザールにそう言われて、ミラの胸は張り裂けそうだった。
感情がぐちゃぐちゃになって、もう、悲しいのか嬉しいのか、何なのかわからない。
「う、うぅ……うう……」
僅かに嗚咽を漏らしながら、ミラは泣いた。
カザールがずっとその背中を優しく叩いてくれていた。
ひとしきり泣いて、目が真っ赤に腫れあがって、ようやくミラは落ち着いた。
カザールは真っ白なハンカチを差し出して、また頭を撫でてくれた。
「本当は、私だって、君の父親のようになりたかったんだが立場上そうもいかないだろう?君みたいな娘がいたら、本当に幸せだと思うんだが。——だから、これからも君のような素晴らしい子の父親になりたい、家族になりたいっていう人は出て来るかもしれない。その時は私にまず相談してくれるかな」
「はい……」
離れたところでその二人の姿を、レオンはじっと見つめていた。
ノアがガヤクの裁判所への護送を担当し、不消化な気持ちを抱えたままレオンらは解散した。
ランセルフは怒りの矛先を失って、発散のためにその足で訓練所へ向かって行った。
イグルスはガヤクに使うつもりだったシーラの毒の生成を、もう止める、と呟いて薬草園に帰って行った。苦しみながら昏睡する毒だから、労役に就けなくなったら困るから、と。
そのうちにテスラからの窃盗に加え、ミラの分も返金されるだろう。
お金は返ってきても。
何一つうまくできなかった。
自分の無能さが嫌になる。
もっとうまく立ち回れるはずだった。
いっそ、秘密裏に消してしまえば良かっただろうか。
——とはいえ、まだ学園を卒業したばかりの、経験の浅いレオンには、残酷な決断をするのにも踏み切れず。
自分の甘さを嫌という程自覚することにはなっただけだった……。
やがてミラと別れたカザールがレオンと並んだ。レオンが来ていたことも知っていたのだろう。
ミラを見送った後、レオンの所に一直線にやって来た。
「やあ。一通りの片はついたかな」
「はい……」
「何だその顔は」
結局、慰め役まで父親に譲ることになった。
「ミラを傷つけることになりました」
カザールは珍しく落ち込んでいる長男をまじまじと見つめた。
何事も器用に、淡々とこなすレオンがこうなるのはとても珍しい。
「ふむ……お前は、ミラを傷つけたくなかったんだろうが。ミラが傷つかずにあの男を処理する方法などないと、気づいていただろう?」
「一番傷つかない方法にしたかった。——いや、未然に防ぐことができれば」
「うーん。十点だね。レオン、もちろん、百点満点中の、十点だ」
レオンは心底嫌そうにカザールを見た。
なんて腹立たしい父親だろうと思って、しかし、いや、と思い直した。
「わかってます。十点どころか。……私は0点です」
カザールはやれやれ、と肩を竦めた。
バシン、と大きな音を立ててレオンの背中を叩く。あまりの強さにレオンはよろめいた。
「ミラを信じてやりなさい。あの子に降りかかった不幸は、あの子自身が振り払い、あの子はまた前を向いて進んでいく」
「……………」
「その力が、ミラにはちゃんとあるだろう?」
それが分かってないから十点なんだよ、と父親の声が響いて去って行った。
陛下に全部持っていかれちゃいました
過去編が長くなってしまいましたが、明日から現在に戻ります^^




