29. 嘘だった
「ガヤクーー!!」
先頭を走るのは、年配の女性だった。
ふくよかな身体を揺らしながら、大きな足音でこっちに向かって来る。
剣を向けられているガヤクに一直線で向かってきて、構わずにそのまま胸倉をつかんだ。
「捕まえた!もう、逃がさないよ!!」
「テ、テスラ……、おま、どうして……」
「あんたを追いかけてきたんだよ!はるばる王都まで!街まで来たものの、城には入れないし。困ってたら、そこの人が同情して、案内してくれたんだ!」
そこの人、と言われたランセルフは、王族らしからぬラフな格好でテスラの後からついてきていた。更に後ろからレオンも来ている。
「こ、これには……訳があってだな」
「黙りな!あんたの口から言い訳なんざ聞く気はないよ。とにかく、私から盗った金、返してもらうからね!!」
「盗ったって……はは、ずいぶん他人行儀じゃねえか。俺たちゃ夫婦なんだから、なあ?」
「夫婦だあ?家にちっとも金を入れないで。夫婦だってんなら養育費の一つでも出したらどうなんだい!」
ガヤクの首を絞める勢いで掴んで、テスラは止まらなかった。
ノアがすっと下がって剣を鞘に納める。
「私が気づいてないと思ったのかい!うちの金に手を出して、王都にくりゃあ私が追いかけてこれないと思ったんだろう。なめんじゃないよ!」
「か、返す。返すよちゃんと……」
「地の果てまでも追いかけてやる!びた一文負けないからね、覚悟しな!」
ガヤクの耳元で、ものすごい剣幕で怒鳴ってから、テスラはようやく落ち着いたようだった。
はあ、はあ、と荒い呼吸を繰り返しながら、その眼光鋭くガヤクを睨み上げていた。しばらくしてようやく落ち着いてきてから、周囲を見渡し、ランセルフに頭を下げる。
「ありがとうね、おかげでこいつを裁判所に付き出せるよ」
「いや。俺は……入城を手伝っただけだから」
ミラは訳が分からなくなった。
訳がわからないままにガヤクと目が合うと、ガヤクが四つ這いでミラに近づいてくる。
「ミラ……すまねえ、た、助けてくれねえか」
「困ったことって……」
この事だったのだろうか。
「そうなんだ。ちょっと、行き違いがあってな。テスラに金を、返さねえといけねえんだ。そうでないと俺は、労役刑で、ずっと出てこれなくなっちまう」
借金を返済できない場合、裁判所が間に入る。裁判所に認められると、国が代わりに補償をしてくれる。その代わり、訴えられた者は強制労役に就く。その内容はかなり過酷で、囚人とほとんど同じ扱いだ。
ガヤクはテスラが街に来ているのを知り、慌ててミラにお金を用意してもらおうとしていた。
「父さん、結婚してたの……?」
「あ、ああ……まあ、な」
「養育費って……」
「俺の子じゃねえよ。俺の娘は、お前だけだぜ」
へら、と笑われるが、ミラとしてはどんな顔をしていいのかもわからない。
「——ねえミラ」
イグルスが、がさ、と袋を差し出した。苔が入っていた袋だ。
急に何かと思ったら、
「こんな時にごめん。この苔、鮮度が落ちるとだめなんだ。僕の部屋の保冷箱に入れてきてくれないかな」
「え、でも……」
こんな状況で、まさか離れることなんてできない。そう思ったミラだったが、王族の頼みは絶対だから。
「待ってるから。行ってきてくれないかな」
そうだ。イグルスにとっては、ミラの父親のいざこざより、苔のほうがきっと大事だろう。
ミラは頷いて立ち上がった。ガヤクの視線を振り切るように駆け出す。
「おい、ミ——」
「待ちな」
テスラが背後からガヤクの肩を掴んだ。
「あんた、あんな小さい女の子に、金たかってんのか?どこまでゴミクズなんだあんたは!」
「お、お前だって、金が全部返ってきた方がいいだろ?あいつ、ずっと働いてるから、金あるんだよ。それで返せるから、な?」
ノアも、ランセルフもイグルスも、思わず一歩踏み出した。
それよりも更に一呼吸早く、何かの爆ぜる音がする。瞬間、ガヤクの体が宙に浮いた。
一瞬の出来事で驚く一同の頭上を、弧を描くようにして体が飛んで、そのまま少し離れたところに落下した。
ガヤクは汚い悲鳴を上げて、そのまま唸りながら体を丸めた。目に見えた怪我はないようだが、骨は折れているのかもしれない。
「拘束しろ」
レオンが恐ろしく低い声でそう言ったから、今ガヤクを飛ばしたのがレオンだったのだとわかる。
ノアが後ろ手にガヤクを拘束して、その場に座らせる。ガヤクは口から涎を垂らしていた。
「な、な……な、なんだ、よぅ」
「その足りない頭ではわからないか?ミラが持っているお金は、ミラが必死で今日まで働いて稼いだお金だよ。年相応に遊ぶこともせず、真面目に、こつこつと仕事をした報酬だ。それがどうしてお前の物のような言い方になるんだろう」
「それは、ミラが俺の——ぅぐえぇ」
「気安く名前を呼ぶな。俺の、何だって?」
ぎりぎりと目に見えない何かで首が締め上げられていく。ガヤクの顔色が赤黒く変色していった。
「——殿下、死にます」
ノアに言われてレオンが我に返ったように術を解く。激しく咳き込むガヤクの前に立って、見下ろした。
「よく考えて発言するといい。私に虚偽を申せば、労役なんかじゃ済まないから」
ガヤクはもう、訳が分からないといった様子で何も言えなくなっていた。
順番にそれぞれの顔を見て、は?なんだ?と繰り返している。
疑問を引き継いだのはテスラだった。
「貴方は、一体……」
「私は第一王子レオン・シュバインレア。そっちが第二王子ランセルフ、こっちは第三王子イグルス」
ひっ、と喉を鳴らすガヤクに、レオンは冷たい声で続けた。
「時間がないから、さっさと質問に答えて」
レオンは焦りか、後悔か。重苦しい感情を押し殺して尋ねた。魔力が漏れ出してついガヤクを痛めつけてしまうのは、自分が未熟者のせいだろう。
怒りがどうしても抑えきれない。
このろくでもない男が、国境任務の十三年間、大人しくしていたとは到底思えなかった。だから、騎士団の方で情報がなくとも、現地では何かあるだろうと踏んで調査をした。
すぐに、ガヤクには妻がいることが分かった。籍は入れていないが、十年以上連れ添っているから、妻と同義と言っていい。
その妻は、ガヤクに金を持ち逃げされて、城下まで追いかけてきていた。ランセルフを遣わせてテスラと引き合わせ、穏便に引き取ってもらおうと思っていたのに。
ミラを騙すのなら、最後まで優しい父親で別れればよかったものを。
「ミラが来る前に真実を話せ。その舌を切り落とされたくなければ」
「お。俺は……いや、なんで、——ぐ、ああぁあっ!」
ガヤクの野太い悲鳴が上がる。
レオンは自分がまた無意識に首を絞めたかと思ったが、違った。ランセルフが音もなく移動して、ガヤクの手を握っていた。
「知ってるか?騎士団じゃ、捕虜が口を割らねえ時、ちゃんと順番が決まってんだ。まず指を折る。次は手首だ」
「ランセルフ。ミラが戻ってきたらびっくりしちゃうでしょ」
言われて、それもそうか、とランセルフがガヤクの手をノアに返した。
震えだすガヤクに刺すような視線をやる。
「おい、大袈裟にするなよ。指の一本や二本で。俺がいじめてるみたいじゃねえか」
ランセルフは一体いつの間にそんなことを覚えてきたのだろう。騎士団でそんなことまで教わっているのか。——そう思ったら、レオンは少しだけ平静を取り戻した。
「私たちはミラの古くからの友人だ。お前が軽視したミラの十三年、ミラが積み重ねてきた信頼だよ。お前には想像もできないだろうな」
知っていたら手を出さなかっただろう。
末端の見習いメイドだと思ったからこそ、金をせびろうとしていた。
「お前を裁判所に連れて行くよ。もともとの借金に、そちらの女性への窃盗、ミラから詐取した金額を考えると……相当重い労役になるだろうね」
ガヤクは一瞬、理解が追いつかなかったのだろう。魂が抜けたように呆けていた。少ししてようやく事態が呑み込めたのか、助けを求めようと面々を見渡し——無理だと悟ったのだろう。頭を地面に打ち付けた。くそっ、と何度も叫んだ。
「なんでだ——ずっとハズレだった俺の人生……!やっと運が向いてきたと思ったのに……くそっ」
何が運だ。何の努力もせず、深く考えず人から奪おうとしただけの癖に。
この男には何を言っても無駄だ。
自分の努力で何かを変えようという気概も、他人が積み上げてきた大切なものを考える頭もない。
結局、この男は自分の口でミラを騙していたと話すこともしない。実の父親じゃないという一言さえ出てこない。謝罪など絶対に出ないだろう。
レオンはガヤクの目の前にしゃがんだ。目線を合わせて、念を押す。
「いいか、ゴミクズ。私がする忠告は一つだけだ。——そのまま、声を上げるな。息を殺せ。お前が生きている音を少しでも感じたら、私がお前を消しにゆくからな」
謝罪も何も言えないのなら、せめてもうこれ以上、言葉を発することのないように。
ガヤクは返事もしなかったが、恐怖で固まった表情から、反抗する気力もないのは見て取れた。
どうせこれから死ぬまで労役に服することになるだろう。
ちょうど、ミラが息を切らしながら帰って来た。ジャリ、と土の音がして止まる。
静かになっている一同に、どんな状況になったかわからないけれど。心配そうにガヤクに声をかけた。
「———父さん……」
ガヤクは返事をしなかった。目も合わさないまま、脂汗だけ浮かべて、俯いている。
「父、さん……?」
「あんたもこいつに騙されたんだね」
誰も何も言えなかった中、そう言ったのはテスラだった。
「こいつ、耳にいい事ばかっかり言うんだ。口だけなんだよ。——私もさ、前の夫に殴られてるところを助けてもらって、俺が支えてやるだの守ってやるだの、その時はいいこと言ってたんだ。結局、私が働いてこいつはその金で酒飲むばっかりだった。——それでもいいと思ってたけどね。助けてもらったのは確かだし。でも、娘の将来を思って貯めてた金に手を付けられちゃあ……」
みんなの視線がミラに集まる。
「平気で嘘つくような奴だ。あんたも騙されたかもしれないけど。あたしみたいに、何年もこいつに吸い上げられるような事なくて良かったって、思うのがいいよ」
嘘。騙された。——テスラのその言葉がずしりとのしかかってくる。
みんなの顔が、ミラをいたわる様な、案じるような顔が、それが真実なのだと認めざるを得ない。
ミラはガヤクに声をかけようとして口を開き——そのまま、止まった。
先ほどまで父だと言っていたその男は、ミラの顔を見ることすらしない。
「ミラ——」
「いいんです」
ミラは笑った。
いつもの笑顔だった。
「——わかってました。そうですよね……お見苦しいところを、お見せしまして・・・」
ミラは早口にそれだけ言って、ぺこりと頭を下げると、また来た道を走り去った。




