26. ガヤクの正体
「もちろん、放っておくなんてありえない」
レオンはそう言ったが、打つ手があるわけではなかった。
ミラの嬉しそうな顔がよぎる。
「悠長な事言ってる余裕ないだろ?あと一月で猶予期間は終わるぞ」
駐屯兵の猶予期間。それが終わればガヤクは身の振り方を決めないといけない。城で働かないのなら城から出て行かなくてはいけない。
本来、出て行けば別の仕事を探して暮らしていくはずだが、ガヤクがそうするとは思えなかった。そうなるとミラを道連れにされる恐れもある。
「ミラが傷つかずに、ガヤクと引き離す方法……」
ノアが独り言のように呟く。
自然とランセルフとイグルスはレオンを見ていた。こういう時、指示を出すのはいつもレオンだったから。
「ミラは薬代払ってるんでしょ?街に出かけたときもお金出してるよね絶対。一日でも早く引き離さないと、ずるずるとミラのお金が使われちゃうよ」
「そもそもさ、ミラはおかしいと思ってないのか?少しも?あいつだって馬鹿じゃねえだろ。体壊してるっていう男の家に、あんだけ酒瓶転がってさ。おかしいと思わねえか?」
二人の弟から畳みかけられて、レオンは考え込んだ。
昨日話したミラの様子を見れば、そう単純ではないように思う。ミラの孤独な世界に、突如現れた「家族」という存在。その存在に、たった十三の少女が、誰かに何かを言われたって、現実を見ることなんてできるのだろうか。
「——とにかく、親子の籍に入るのだけは止めないと。借金全部、ミラが背負うことになる」
レオンは頭の中で要点を整理した。
「総メイド長から同室メイドを介して、養子縁組はしないよう目を光らせておいてもらおう」
「それは本当に最悪のケースじゃねえの」
「あとは、ミラが仕事を辞めてガヤクについて行くって言わないように、根回ししとくよ」
「どうやって?」
「侍従長に言っておく。見習いメイドは即日退職が認められてるけど、それはだめって事にして」
そこまで言ったものの、それが根本的に何の解決にもならないことをレオンも分かっていた。
「——ノア、もうちょっと探ってこれないのか」
ランセルフの台詞にノアが驚く。
「え。何を」
これ以上?——顔がそう言っている。
「上を経由するんじゃなくて、騎士団の下っ端とかメイド使って情報探ってこれないのか?」
困惑顔のノアの方に、レオンの手がポン、と乗せられた。
「そうだね。ノアの情報収集は十点だ。あ、もちろん百点満点中だよ。この作戦は、ノアにかかってるんだ。私たちは表立って動けないからね」
父も母もかなり気にしている。けれど立場上何もできないから、何かとレオンを通して探りを入れてきている。
一介の見習いメイド相手に、そのあたりをうまくやらないといけないという事だ。
とん、とん、とランセルフとイグルスも同じように肩を叩いた。
こうやって集まって何かしたいとは思っているが、それぞれ十三歳と八歳ではできることが限られている。ここは十七歳のレオンと二十歳のノアの二人に任せるのが良さそうだ。
「頑張れ、ノア」
「ノア兄ちゃん、お願い」
ノアは三人の王子にそう言われ、うなだれるように頷いた。
ノアは騎士である。騎士歴七年。レオンとの付き合いはかれこれ十五年近く。
友人でありつつも主従、といった微妙な関係性は染みついていた。
主君の命令は絶対だ。
ノアはまず、第一騎士団の騎士詰所を訪れた。兵士が入ることはないし、上級騎士も出入りすることはない。近衛騎士団の上級騎士であるノアが入ると少し目立つが、幸い、ノアはここの下級騎士らと交流がある。
秘密裏に調べたいことがあると言ったら、下級騎士らは数人が集まって、声を潜めて教えてくれた。
「ミラちゃんの、父親名乗ってるやつですよね?」
「俺らも怪しいと思って調べてんですが、やっぱり騎士には口を割らねえんで」
まだ新人の部類の騎士等は、ノアとほぼ同年代だ。ノアは近衛騎士となるのが早かったから五年の実績があるが、同年代の彼らはまだ一番下っ端くらい。一緒に飲みにもいくほどの仲だ。
こういう伝手を利用して調べなかったから十点と言われたんだろうな、とノアはレオンの顔を思い出す。
「——帰還兵の溜まり場でずっと酒飲みながら、博打やってんですよ。城内でそんなことって思って上官に報告したんですが、あと一か月だからほっとけって」
「十三年の功労があるしで、あまり大事にしたくないですよ、上は」
雑兵を使い捨てにしただの、冷遇しただのと噂が立てば、次の徴兵時に定員割れを起こすから、とかだろう。
「じゃあ……その溜まり場に行ってみようかな」
「えっ、ラぺス卿がですか」
「だめかな」
「えー……」
一同はノアの白金の髪と、薄紫の瞳を見た。同じ騎士の服を着ているのに、同じに見えないのが不思議だ。
「いやあ……」
「ラぺス卿はちょっと……」
「え、僕の何か」
兵士の溜まり場は、宿舎の陰にある人通りのない広場だ。騎士も近寄らない。
そんなところに、こんな貴族丸出しのノアが行ったら間違いなく警戒されるだろう。
「もちろん、身分は隠していくよ。兵士を装って——」
「そんな兵士いませんよ」
「髪は染めるよ」
「髪の問題じゃないですよ」
「…………目か?」
一同が首を振る。
ノアは簡単に考えすぎていたようだ。あまりにも全員から否定されたので、ノアはその足で実家に帰った。
ラぺス伯爵家の家宝の一つ、隠遁の魔術の刻まれた指輪を拝借した。
王城の外郭にある兵舎の端に、使われていない部屋が一つある。
仕事をしていない数人の元駐屯兵らがそこで日中過ごしていた。
少し近づいただけで、煙草の煙と酒の匂いが漂うのが分かった。
隠遁の指輪を装着して入れば、音を出したりしなければ普通の人間にはあまり気付かれることはない。ノアはそっと傍らの椅子に腰かけた。
目当ての男はすぐに見つかった。
くすんだ黒髪、伸びた髯。よれたシャツを着て、昼だというのに酒瓶から酒を飲んでいる。
がやがやと騒がしいが、何とか話している声は聞こえる。三人集まって、時折豪快に笑い合いながら、実に楽しそうに過ごしている。
ノアはレオンによって特別任務という事にされ、このたまり場に連日通った。
その三人は本当にどうでもいい話ばかりしていた。雑兵というのはこんな話をするのかと、近衛騎士団にいるノアにはかなり刺激的な話も多い。
そうして何日か通った数日後、ようやく核心に触れる会話が聞こえてくる。
「——で、お前どうすんの?」
「なにが」
「身の振りだよ。あと一月だぞ、復帰しねえのか」
尋ねられてガヤクは気味の悪い笑みを浮かべた。
「する必要あるか?ひひひ」
「んだよ、きもちわりいな」
「俺、もう働かねえかもしれねえ」
「はあ?今回の給金、そんなに金払い良くねえだろうが」
「あれだよ。ほら、例の」
ガヤクがまだ下品な笑いを繰り返しているので、もう一人が話す。
ドン、と男が机を叩いた。
「……っ!!金の卵か!!」
ノアは一気に話に集中した。
——金の卵。
「ミナちゃんだっけ?」
「ミラだよ。ミラ・バレリー。十三歳」
ガヤクがまた笑う。
「これからだぜえ、あの女は。まだまだ若えから、これからたっぷり稼げるぜえ」
思っていた通り、この男は、ミラを金蔓としか思っていなかった。
わかっていた事だろう、落ち着け、落ち着け。
ノアは自分にそう言い聞かせた。
力いっぱい拳を握っておかなければ、きっとすぐさま男を殴りに行ったかもしれない。
これまでノアの世界は、綺麗に整頓されたところにあった。
弱きものが更に搾取されたり、悪者が笑いながら何かを踏みつけにしたり、といったことを直接目の当たりにしたことがなかった。
だから今この時、ノアは動揺し、ショックで、混乱もしていた。奥歯を噛み締めてじっと耳に集中することしかできない。
「はあ……すげえな。もうそんな子供のいる年なんだな、お前」
「俺もつくっときゃ良かった」
「ばっか。普通はな、逆に養育費だのなんだの言われるんだよ。こううまくいかねえよ」
「——そう思うと、お前、よくそんな博打みてえなことできたな」
「はっ!俺がそんなヘマすっっかよ」
ノアは頭を殴られたような衝撃を感じた。
まさか。
「え、なに、じゃあお前……」
「他人だよ、たーにーん!」
相当酒が入っているのだろう。こんな事を、大声で言って笑えるのだから。
「はあー!?このやろう、とんでもねえな!!」
「え、何だよそれ!だったら俺がやればよかったじゃねえか」
「サビナのことは知ってるぜ。兵舎の洗濯取りに来てたからな。何回か口説いた覚えはあんだよ。下級メイドの分際で断ってきやがった。クソ真面目な、つまんねえ女」
「あー、そうか。俺知らねえわ。っつうか、覚えてねえわ」
「だろ?記憶力だよ、記憶力。父親の分からねえ子供がいるって聞いて、それがサビナの子だってんでさ。可哀想に、ひとり城で働かされて、親の愛情もしらねえまま。ところがそいつは、王家からの覚えもめでたくて、生活魔法とやらを開発してる。未来明るい人材、ってわけだ」
ガヤクは懐から新しい酒瓶を取り出した。
それを見せびらかすように机の真ん中に置く。——おそらくあれも、ミラのお金なのだろう。
「寂しいところに、俺が優しーくしてやったら、ほら、一生の金蔓の出来上がり、ってな。それもふといふとーい」
三人でその酒を注いで飲みながら、一人がふと声を低くする。
「でもお前、そんな王家の覚えめでたい子に手出しして大丈夫なのか?」
「ばあか、お偉方が、たかがメイドの孤児なんざ、気にするかよ」
「まあな。メイドというか、見習いメイドだもんな。俺らと同じ使い捨てだわな」
ノアはこれ以上聞いていられなかった。
握りしめた拳からは血が滲み始めていた。




