25. ランセルフとミラ
ランセルフは生まれつき、魔力量が多かった。
王家の中でもかなり多い方だ。
十を過ぎたあたりから魔力の扱い方を学ぶが、魔力量が膨大すぎてかなりてこずっていた。
火を出そうとすれば火事になり、水を出そうとすれば水浸しになった。
レオンが魔力操作を学んでいるのを横で見ていたランセルフは、いつか自分もそんな風に魔法を使うと思っていた。それが実際にやってみると、あまりにも難しい。
「——第一王子殿下が、特別なのです。初めからうまくいくものなどいませんよ」
家庭教師はそう言ったが、ランセルフは日に日にやる気をなくしていた。
想像していたのと全然違う。この魔力量でたくさんの魔法を操って、大好きな兄から「すごいなランセルフ」って、言ってもらうはずだったのに……。
その日も授業が終わったというのに、そのまま床に寝転んでいた。
水浸しになった部屋をメイドが片付けに来た。
「失礼します」
入って来たのはミラだけだった。バケツと雑巾を持っていた。
ランセルフが寝ているのを特に気にしないようで、ミラはそのまま床を拭き始めた。
じゃー、と時々雑巾を絞る音がする。
「あのー……」
しばらく経って、声をかけられた。
目を開ければ、ミラが隣にしゃがんで、ランセルフを見下ろしていた。
「何だ?」
「背中、冷たくないですか」
「冷たいけど?」
「部屋に戻って、着替えたらどうでしょう」
「ほっとけよ」
きっとランセルフが邪魔なんだろう。ランセルフの周りの水たまりはまだ残っている。
ランセルフはその場に起き上がって座って辺りを見渡した。ランセルフの周り以外はもう水を拭き取り終わったようだ。
そういえば、イグルスとよく遊んでたメイドがいた。多分こいつがそうだ。
「お前、えっと……」
「あ、ミラです」
ミラは雑巾を片手に頭をぺこりと下げた。
同い年だって聞いていたけど、それにしては随分小さい。
「イグルスとよく遊んでんだよな」
「はい。最近学校に行かせてもらってるので、時々になりましたけど」
「兄上とも遊んでんだろ」
「はあ……良く来られてますね」
レオンはランセルフが何回も遊びに誘っているのに、忙しいからとあまり相手にしてくれないのに。
ランセルフは不機嫌な顔のままミラを見つめた。
「俺、動かねえから」
ちょっと意地悪したくてそう言ってみたが、ミラは特に困った顔をしていない。
「そうですか」
濡れた雑巾でそのまま床を磨き始めたミラに、ランセルフはむっとした。
「迷惑だって思ってるなら言えよな」
「え、思ってないですよ」
「仕事増やしてって思ってんだろ。毎日毎日」
自分で言っていて嫌になる。
火事になった部屋は塗り替えられ、水浸しになるたびに拭きとられ、風で割った窓ガラスは片付けて張替えられた。毎日毎日、きっと裏で文句を言ってるんだ。魔力操作の才能がないとか、兄に比べてノーコンだとか。
ミラはきょとんとした顔をして、それからポン、と手を打った。
「あ、じゃあ殿下、明日は隣の部屋でやってもらえますか?」
「なんでだよ」
「せっかくの水磨きなら、部屋が日替わりの方がいいじゃないですか」
「………………」
何を、いいこと思いついたみたいに言っているんだ。
失敗すること前提で。
「俺を使おうとするなよ。不敬な奴だな」
「あ、すみません」
ミラはそれだけ言って床拭きに戻った。
その後ろ姿を見て、ミラも学校に行き始めた、と言っていた言葉を思い出す。
「お前も、魔力操作、習ってる?」
「はい」
「お前は、水出せる?俺さ、水出そうとすると、どんどん湧き出て来るんだよ。止まらない」
「へえ……私と逆ですね。私は絞り出そうとしても、なかなか出てくれなくって」
うーん、と力むような仕草を見せる。
「昨日なんて、頑張りすぎてちょっと間違って氷にしちゃって、手が凍って大変でした」
水を凍らせる方が、普通は難しい。ランセルフはまだ属性魔法を具現化するところだけで、変性させるところは全くできていない。
「お前、氷出せんの?」
「成功率は、半分くらいですかね」
こんなメイドが。
そんな思いもあったのだろう。
「へえ。やってみろよ」
気が付いたらそう言っていた。
「え……」
「嘘だったのか?」
「いやあ……失敗したら」
「半分成功すんだろ?」
ミラは少し考えてから、じっと自分の掌を見つめた。
「えっと、まずは水を出そうとして……」
魔力が練り上げられていく。それを感じて、半ば無意識にランセルフは手を伸ばしていた。
ぱりぱり、と小さな音がしてミラの掌から氷の結晶が生まれ始めた。
本当にできた。魔力量が少ないといっていたのに、その使い方が自分より優れているなんて。
嫉妬のようなものを感じたのは一瞬だった。
「あ、わわ、わ……」
ミラの慌てたような声ではっとする。
ミラの掌の氷は綺麗な雪の六花の結晶を紡ぎ出しながら、どんどん大きく広がっていく。
「お、おい。もういいよ」
「あああぁ、失敗の方です。止まりません」
「なっ……」
伸ばしたランセルフの腕にも氷が拡がる。ランセルフの服が濡れていたせいだろう。ミラの魔力量では精々手に乗る程度の氷しか出せないはずなのに、ランセルフの濡れていた服ごとみるみる内に凍って行ってしまった。
ぱき、と氷の高い音がする。
ランセルフは首から下を凍らされて、身動きが取れなくなってしまった。
「うわあ……」
ミラは呆けたように口を開けて、固まったランセルフを見上げた。
「うわあじゃないよ。俺を凍らせてどうすんだよ!」
ミラの目がちょっと感動したように輝いている。
「あらかじめ水があれば、作り出すほどには魔力を使わないんですね。これ、応用したら……簡単にシャーベットができるんじゃないでしょうか!」
「馬鹿やろう、シャーベットなんてどうでもいいから、この、氷を——」
「でも、今までは氷の中にボウルをいれて、そこでシャカシャカかき混ぜて作ってたんです。でも、これならジュースをそのまま……いや、不純物があると難しいのかな」
「聞けよ人の話!冷たいんだよ!いてえ——あ、感覚なくなって来た」
「あ、わかります。冷たすぎると痛いですよね。私も冬の洗濯は感覚がなくなりますもん」
「だから、早く」
「え…………」
ミラが首を傾げる。
その曇りなき目が言っている。
溶かし方なんて、知りませんけど——と。
「…………え?」
ランセルフの背筋が、凍らされてるせいだけじゃなく更に寒くなった時。
「———新しい遊び?」
救世主の声がした。
ランセルフの焦りとは正反対の穏やかな声を放って部屋に入って来たのは、レオンだった。
「ミラ、ランセルフの氷像を作ってたの?」
「あ、はい。殿下が、凍らせてくれっておっしゃって」
言ってない。そう言いたかったが、急激な寒さで歯ががちがちと鳴って声が咄嗟に出なかった。
「ランセルフ……ミラを変な遊びに巻き込んじゃ駄目だよ」
レオンはランセルフに兄の顔で諫めてから、にっこりとミラに向き直った。
「それにしても、すごいじゃないか。氷を生成できるなんて」
「まだまだ不安定で。私もいつか、殿下のように氷の滑り台を作りたいですね」
「うーん、あれは結構難しいからね」
「それなんですけど。あらかじめ水を撒いてから凍らせれば、私の魔力量でもできるんじゃないかと。今も第二王子殿下の服が濡れていたので、それを変えるだけならそこまで魔力を使わなかったんです」
「ふうん。——でも、広範囲の水の変成となると……」
二人で氷の作り方について話し始めようとするから、ランセルフが割って入った。
「お、おい!違うだろ!」
「どうしたの」
「さ、ささ、さむ……とかし、て」
「ほら、だから言ってるでしょ」
レオンは呆れたように言って、とん、とランセルフの氷に指先をつけた。
ふわりと生温かいお湯につかったような感覚がして、氷は一気に溶けた。
「ミラまで凍ったらどうするの。こういう遊びは禁止ね」
「ち、ちが……」
とりあえず溶かされて生温かく濡れた服が気持ち悪くて、まだすぐには反応できなかった。
「お、俺は、氷を見せろって言っただけだろ!誰が俺を凍らせろって言ったよ」
「殿下……でも、すごくいい感じに凍ってましたよ?」
「うん、そうだね。絵に残したいくらい見事な造形だった」
「ですよね」
「いやいやいや、おかしいだろ。メイドが王族凍らすとか、普通許されねえだろ」
「ランセルフ、わかってないね。こんな子どものお遊びで父上に言いつけたら、微笑ましいって笑われて終わりだよ。あ、母上はやめといたほうがいいよ。怒られちゃうよ」
「兄上はどっちの味方なんだよ!」
ランセルフの怒りは届かなかった。ミラとレオンは顔を見合わせて不思議そうな顔をしていた。
この時だ。ランセルフは、初対面のこの時点で、ミラに対しては怒っても無駄だと悟った。
ミラの変わり者の所は、少しレオンと通じるところがある。
話がところどころ通じない。
そのうち、相変わらずランセルフの後始末をするのはミラの役目で。その度にミラの不思議なペースに振り回された。
ミラはこの件以降、どうやらランセルフがミラの魔術操作を見たいと思っている、と勘違いしてしまったようで。
「ランセルフ殿下、私竜巻作れるようになりました!」
「いや、いい。嫌な予感しかしねえ」
「まあ、そう遠慮なさらず。ほら………あ、あれ?あ、わわ、殿下、逃げて下さ——」
「う、うわあああああ」
というように、ミラのマイペースさに振り回されつつも、ほんの少し慣れた頃。
なかなか魔術操作が上達しないランセルフにミラが、「とりあえず基本的な操作で、有り余る魔力を垂れ流しながら剣を振ればどうでしょう」と提案してくれた。
言い方は何だが、そのアドバイスは的確だった。
そして現在、魔力量の多いランセルフだからこその剣術を今も磨いているところだ。
今年王立学園の騎士科に進学して、何とか王族としての面目が保てるほど剣術を自分のものにできていたのも、ミラのおかげの部分がそれなりにあると、思っている。




