23. どんな父?
夕方になってミラが部屋に戻ると、タリーラが部屋の掃除をしていた。
「——すみません!手伝います」
慌てて荷物を置こうとするミラを、タリーラが手を振って止める。
「いいんだよ、いっつもあんたがしてくれてんだから。もう終わるよ」
そう言った通り、タリーラは最後に雑巾で窓枠を一拭きして、バケツに雑巾を入れた。
「ありがとうございます」
「今日も行ってきたのかい」
「はい」
タリーラがガヤクとのことを心配してくれているのを知っているので、ミラはできるだけ報告するようにしていた。
「あいつ、復帰しないんだって?」
「はい。身体を壊してしまったみたいで」
「じゃあ、もう城を出てくのかい?」
「いえ、すぐには。駐屯兵は、特別に三ケ月の猶予期間があるらしいんです。その間に次の勤め先を決めるという事で……」
その間に、ミラとの今後もどうするのか決めないといけない。
「どうにも、思い出せないんだけどね。ガヤクって名前も、サビナと一緒にいたところも」
ただ、サビナにはそもそも男の影がなかった。だからガヤクが怪しいとは言い切れない。何より、ミラが本当に嬉しそうにしているから、タリーラはなかなか口を挟むことができなかった。
「ガヤクは、ちゃんと、その・・・いい父親してんのかい」
「はい。たくさん話をしてくれます。母さんの事も、たくさん教えてくれます」
「そうかい……」
侍従長にも総メイド長にも、しつこくどんな様子か聞かれている。
聞かれたところで、今の所ミラからは父親が見つかった喜びしか感じられない。タリーラもそれ以上は聞けないしわからない。
何となく、ガヤクに関して秘密裏に人が動いているようだった。タリーラも詳しくは知らないが、侍従長が騎士団とか宰相府とか言っていたから、思っていた以上にミラの出自に関しては大事になっているようだ。
当の本人が傷つかなければいい。それだけが、ミラを妹のようにかわいがってきたタリーラの願いだった。
ミラが十二になった頃から、ミラには本格的にメイド見習いとして働いてもらっている。
ミラは雑用をしていた時から真面目に働いていたが、メイドとしても勤勉で物覚えも良かった。何より、次々に生活魔法を編み出してメイドの働き方を変革していっている。
十三歳とは思えない働きぶりだ。
良くも悪くも、ミラは数多いメイドの中でも少し目立った存在だった。帰還兵にもミラのそんな噂が伝わっているだろう。
その自覚が全くないままで、ミラは未だに自分に自信が持てずにいるようだから、タリーラは心配でしょうがない。
「——あんた、ガヤクから金をくれなんて言われてないよね」
「お金、ですか」
ミラはびっくりしたような顔をしている。
「いくら何でも、ないとは思うけどね。間違っても渡しちゃいけないよ」
「そんな、まさか」
ははは、とミラは笑った。
屈託のない、いつもの笑顔だと——タリーラは思った。
タリーラの忠告は、実は当たっていた。
ミラはガヤクの薬代を出していた。
だが、それは薬代だから。お金じゃないから、とミラは自分に言い聞かせていた。
薬代だけだったのがやがて診察代もとなり、薬の量も増えたが、ミラにとって払えない額ではなかったから。
ガヤクに会えば、いつも通り温かく迎えてくれる。ミラが疲れているようだと、ものすごく心配してくれて。
「メイドの仕事休めねえのか?俺が聞いて来てやるよ」
「大丈夫、大掃除の次の日は休みだから。明日はゆっくりするよ」
そんな風に心配される温かさも、ミラにはじわりと胸に沁み込むような気がした。
街にも、一緒に出掛けて行った。
「ごめんな。俺がこんな体じゃなけりゃあ、お前に親らしいことしてやれるのになあ」
店の前でそう言って悲しそうにするから、ミラはガヤクの丸くなった背を明るく叩いた。
「そんなこと言わないでよ、父さん。一緒に歩くだけでも、私すごく楽しいよ。美味しい物食べて帰ろ?」
ガヤクはミラといて本当に幸せだ、と事あるごとに話した。
「サビナを失ったのは、つらいけど。あいつはお前を残してくれた。俺にとって、俺の人生で一番の贈り物だ」
そんな風に言われると、ミラは、この父親を支えていこうと思うのだった。
この日ミラはエメラルド宮のカーテンの清掃に当たっていた。
重厚感のあるカーテンを丸洗いするのは年に数度の大仕事だ。だが、ミラは生活魔法で簡単にカーテンや絨毯を洗浄する方法を編み出していた。風魔法と水魔法の応用で、汚れだけ抜き取っていく。
この操作がなかなか難しいので、今の所ミラにだけ任されている仕事だ。
ゆっくりでいいから、しばらくはカーテンを担当してくれと言われている。
一階の廊下のカーテンをし終わって、ミラは廊下の端から風になびく赤いカーテンを見つめていた。
なかなかの達成感である。
「ミラ」
呼ばれてそちらを見ると、レオンが片手を上げてこちらへ向かって来るところだった。
エメラルド宮は王太子の住む宮である。まだ立太子されたわけではないが、レオンは十七になってすぐ、王立学園魔術科を修了した。ほとんど王太子としての業務をしているため、今年からここに住まいを移している。
「第一王子殿下……」
「やあ。元気?」
昔、イグルスと三人でよく遊んでいた頃から、この気安い挨拶は変わらない。
ミラはすっかり板についたお辞儀をする。
イグルスにも同年代の学友ができ、遊び相手がお役御免になってからも、レオンは何かとミラの前に現れては、こうして声をかけてきた。ミラとしては、メイドとして距離をしっかりと取りたいのにと戸惑うこともある。
「カーテンが明るくなったね。ありがとう」
「私の仕事ですので」
「生活魔法、だよね。どうやったの?」
「えっと、風の渦に水を乗せて……」
ミラは実際にやって見せた。
「こうして、水をくぐらせつつ風で乾かしていきます」
カーテンを通った水が、汚れた色で手元に帰ってくる。
「うわあ。すごいな。よく考えたね。この、織り交ぜるのがコツだよね。ただ水魔法だけじゃ意味ない」
ぶつぶつと言いながらレオンは自分の手でミラの魔法を再現した。
「——初見であっという間に。すごいですね」
ミラはこの洗浄魔法を編み出すのに何か月も練習してやっとできたのに。
「へへーん」
レオンは得意げに水の渦をくるくると回した。
「あ、この水さ、前言ってたアルカリにしたらいいんじゃない?」
キッチンの油汚れを落とす生活魔法を編み出した時も、そういえばレオンがいた。その時は水の性質を変えたのだった。
そもそも風と水の魔法の融合に、更に水の性質変容なんて高等技術はミラには無理だ。レオンが難なく指先にその水を作り始める。
「あ、ダメです。カーテンは繊細なので、中性の水にしないと、生地が傷むんです。あと、乾燥も短時間でしないと縮むので……」
この辺は初等教育のたまものである。カルニコスには感謝してもしきれない。生活魔法の礎になったのは、初等教育での基本的な知識だった。
「そっか……あ、じゃあさ、水の中に気泡を集めたらどう?空気の泡で汚れを落とすんだよ」
レオンの指先の水に、ブクブクと気泡が浮かぶ。
「うわ……あれみたいですね、パーティーの」
「シャンパンね」
「綺麗……」
見惚れているとレオンがその真横でにこにこと嬉しそうにしている。
「いや、無理です殿下。私にそこまでの魔力操作はできません」
「そう……?」
残念、と言ってレオンは水をしまった。
こうして生活魔法を色々と一緒に考えたりもしてくれる。レオンは魔術科を一年早く修了しただけあって、魔術操作だけでなく知識も豊富だ。時々言っていることが分からないくらいだった。
「——殿下、何か御用ですか?」
「用がないと声かけちゃダメなの?つれないなあ」
「はあ……」
何と言っていいかわからないので、はあ、としか言えない。
メイドに用事以外で何があると言うんだろう。相変わらずレオンはよくわからない。
「聞いたよ。お父さんが見つかったって」
「えっ、そんな、殿下のお耳にまで」
こんな末端メイドの家庭事情なんて、王子の耳に入るものなんだろうか。それとも、やっぱり王城住まいのメイドだから、出自が重要になってくるんだろうか。
「——どう?」
そんなことを考えていたから、レオンの表情を見ていなかった。質問の意図が良くわからない。
「どう、と言いますと……」
「その、お父さん。どんな人?」
深い、ブルーサファイヤの瞳にひたと見つめられて。ミラはどきりとした。
そのどきりとした感覚が居心地が悪くて、ミラにしては珍しく目を逸らした。
レオンに見つめられてそんな風に思ったのは初めてだった。
「元駐屯兵です。年は四十」
「うん。知ってる。人となりというか。ミラにとって、どんなお父さん?」
「えっと……気遣ってくれます。いつも」
「うん」
「頭を撫でてくれたり。優しい、です。普通のお父さんっていうのがどんなのかわかりませんけど……普通の、父なんじゃないでしょうか」
恐る恐るのようなミラの言葉だった。
「ミラは、お父さんと会えて、良かった?」
我ながら変な質問だ、とレオンは思った。返事はわかっているというのに。
「はい!幸せです」
ミラの満面の笑みに、レオンはそっか、と答えただけだった。
その表情はいつもの第一王子の顔だったから。ミラは自分の返答が合っていたのか間違っていたのかもわからなかった。
うちのカーテンも洗ってほしい。高級品じゃないけど。




